第13話 俺の声
「あ」
「……あ」
「ぁ゛」
三回目で壊れた。
共鳴膜が裂け、前面の発声管から空気だけが抜ける。
《難しいな》
人間は何も考えずに喋っていた。
実際には、呼吸、声帯、舌、口、鼻腔まで使って音を作っている。
俺には舌も唇もない。
だから器官再配置を使った。
発声時だけ、前面の一部を変形させる。
細い管を二つに分ける。
閉じる部分を作る。
内部へ可動片を増やす。
音を出しては壊す。
直す。
また変える。
一晩で二十七回失敗した。
夜明け前。
「ス……ト」
出た。
街道で覚えた言葉。
止まれ、のはず。
「スト」
今度は少し自然。
嬉しくなって連続で喋る。
「スト。ネム。スト。ネム」
意味だけ見れば怪しい化け物だ。
自分でも分かる。
だが止められなかった。
初めて、自分の意思を外へ出せる。
まだ単語だけ。
音も不自然。
それでも、内側にしか存在しなかった俺の思考が、空気を震わせて外へ届く。
《会話できる》
その可能性が現実になった。
昼、街道近くで練習する。
通行人の声を聞き、同じ音を再現する。
高い声。
低い声。
子供。
老人。
俺の発声器官には性別がない。
なら、聞き取りやすい中間へ寄せる。
問題は意味だった。
音だけ真似ても会話にはならない。
その日の夕方、街道で荷車が止まった。
車輪が溝にはまっている。
男が二人で押しながら何度も同じ言葉を叫ぶ。
「オル! オル!」
力を入れる瞬間だけ。
《押せ?》
一人が反対側を指し、「ハル」と言う。
引く動作。
《オル=押す。ハル=引く》
俺は藪の中で小さく繰り返した。
「オル。ハル」
言葉が一つずつ増える。
不意に、発声器官の内部へ変な感覚が走った。
【反復音声パターンの蓄積を確認】
【言語構造解析:開始】
俺は表示を見た。
《身体だけじゃなく、こういうのも解析対象になるのか》
世界がまた一つ、面白くなった。
◇
【言語構造解析:3%】
低い。当然だ。俺はまだ十数語しか知らない。
だから街道と門を教室にした。
朝から夜まで聞く。
魔力さえ回れば、何時間でも観察できる。
同じ場面で何度も使われる言葉を探し、行動と結びつけ、仮説を作って別の場面で確認する。
「ネム」は名前。「スト」は止まれ。「ラ」は行け。「メル」は支払い全般。「ヴァル」は森。「ドゥム」は魔物。
《やっぱり》
予想が当たるのは気持ちいい。
数日で解析率は十一%まで上がった。短い文章なら単語を拾える。
ただし練習場所を間違えた。
森の中で覚えた言葉を繰り返していたら、近くを通った狩人が悲鳴を上げる。
「しゃ、喋った……?」
初めて、文章の一部が意味として入った。
俺も驚いた。狩人も驚いている。
互いに動かない。
俺は試しに言った。
「スト」
止まれ。
狩人の顔がさらに引きつり、剣を抜く。
《違う。そうじゃない》
敵じゃない、が分からない。行け、は分かる。
俺は前脚を折りたたみ、攻撃する意思がない形を作った。
「ラ」
行け。
狩人はじりじり後退し、そのまま走って逃げる。
追わない。
初めて言葉が通じた。
たった一語。しかも会話というより退去命令。
それでも以前のように、姿を見ただけで攻撃されて終わりではなかった。
【言語構造解析:12%】
《次に必要なのは、『敵じゃない』だな》
俺はまた門の近くへ向かった。
人間と話すための言葉を、盗むために。
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