五(side陽菜)
星は、燃え尽きる直前に最も強く輝くという。
でも、それは本当に美しいのだろうか。ただの残り火が、誰かの夜空に一瞬だけ残るだけの、儚い嘘じゃないのか。
走っている。
なんで?と思うかもだけど、それは至って単純な理由だ。遅刻しそうだからだ。
九月の終わりだというのに、湿った空気が肺の奥まで染み込んでくる。駅まで小走りしただけで、膝が笑って、息が上がる。心臓が冷たい機械みたいに不規則に鳴ってるのに、それでも私は足を動かした。ショーウィンドウに映る自分は、なんだか壊れかけのガラス細工みたいだった。一等星だって、近くで見たらただの石ころなんだよね。
駅前のベンチが見えてきた。
先輩はスマホをいじりながら、指先で何かをなぞってる。ギターのコードを押さえる、無意識の癖。その指を見た瞬間、胸の奥がじんって熱くなった。
この人は、私がいなくなったあとも、こうして普通に音楽を奏でて生きていくんだろうなって、なんか、切なくて、でも嬉しい。
私は息を整えて、いつもの笑顔を貼りつけた。
「ごめーん! 待った? 寝坊しちゃって駅まで全力ダッシュだったよ~」
先輩が顔を上げる。汗で前髪が額に張り付いてる。
「いや。今来たところ」
そう言いながら、ペットボトルを差し出してきた。半分くらい減ってる。水面に小さな気泡が浮いてて、口をつける部分が少し濡れてる。
「これしかないけど、飲む?」
「先輩の飲みかけじゃん。まあ、いいけど!」
受け取って、喉に流し込む。ぬるくて、なんだか先輩の体温みたいで、胸がきゅっと締めつけられた。口をつけたところが、ほんのり塩っぽい。
「走ってきたの?」
「まあね~。あ、先輩の前髪、なんか新しいバーコード決済? あ、私も寝坊して全力だったから、お互い様か!」
先輩が苦笑する。「ひどい言い方だな」
私は笑いながら、先輩の前髪をぐしゃぐしゃにかき回した。指先が少し震えてるのを、髪の温もりでごまかした。
「今日は、清水寺に行きたい! そのあと、桂川のあの店でうなぎ。ダメ?」
「遠くないか?」
先輩が困った顔をする。
「タクシーで行こうよ、先輩! 親からお金、たっぷり貰ってるんだから。今日は私が全部出すね~。遠慮しないで!」
「……え、赤松さん。いや、そんなの悪いよ。俺もちゃんと出すから」
先輩が慌てたように手を振る。いつもの優しい目が、少し困った色を帯びてる。
「ダメだってば! 今日は私が奢るって決めてるんだから。ほら、先輩にはいつもお世話になってるんだから!私が奢りたいの!」
「いつもお世話になってる??文化祭のことか?でも……親から貰った大事なお金だろ?タクシー代くらい俺が出すよ。本当にいいのか?」
「いいの!ね?お願い、今日は私が全部やるから。ほら、早く決めて! 時間ないよ~?」
私は先輩の腕を軽く引っ張りながら、満面の笑顔で畳みかける。指先が少し震えてるのを、笑顔でごまかした。
先輩がため息をついて、肩を落とす。
「……わかったよ。今日はお言葉に甘えるわ。……ありがとう、赤松さん」
「やったー! じゃあ決まりね!」
五条坂をタクシーで上がる。窓の外、観光客のカラフルな服が流れていく。
車内の芳香剤の匂いがちょっときつくて、胃がむかむかした。先輩の隣で、私は必死にそれを飲み込んだ。先輩は外を見て「あ、あそこのカフェ、有名なんだってさ」と呑気に言う。
清水の境内は、線香の匂いと人の熱気が混じり合っていた。
石段を一段上がるたび、膝がガクガクする。先輩がさりげなく私の肘を支えてくれた。その手の平が厚い。
「赤松さん、顔色悪いな。休む?」
「……ううん、大丈夫。高いところ、行きたい」
清水の舞台に立つ。
眼下に広がる深い緑が、ふわっと揺れる。星も、こんなふうに遠くから見たら綺麗なんだろうな。風が吹くと視界が少し暗くなって、手すりに掴まる指が小刻みに震えた。薬のせいだ。木の表面が、汗で少しぬるぬるしてる。
「赤松さん?」
肩を掴まれて、引き寄せられる。
「大丈夫か?」
「……うん。ここから落ちたら、楽になれるかなって思って……って、びっくりした? 冗談だよ~!」
先輩が「勘弁してくれよ、心臓に悪い」と顔をしかめる。でも私はその表情を、ちゃんと記憶に焼きつけた。いつか別の誰かとここに来たとき、ふっと私のことを思い出してくれたらいいな……って。
タクシーで西へ。桂川近くのうなぎ屋に入る。
店内に広がる脂の焼ける匂いが、ちょっと強すぎて胸がざわついた。
運ばれてきたうな重。朱色の重箱が目にまぶしい。箸を持つ手が震えて、私はもう片方の手でそっと押さえた。
先輩は「うまそう!」と勢いよく食べ始める。喉仏が動いて、生命が流れ込んでいくみたいで、なんだか愛おしい。
私は半分くらい食べて、残りは笑顔で隠した。胃の奥がまだ熱い。指先が、箸を握ったまま少し震えてる。
「……無理してないか?女の子が食べる量にしては多いか?」
「してないよ!めっちゃ美味しい!先輩のおかげで最高だよ~」
空になった重箱(半分はこっそり残したけど)を、にこっと見せた。この熱を、忘れずにしたい。
帰り道、嵐山の渡月橋を歩く。
夕暮れの川面がオレンジに染まって、二人の影が長く伸びてる。重なって、なんだか不格好だけど、温かい生き物みたいだった。
「今日は楽しかった」
「……死ぬほど」
先輩が無意識に言ったその言葉に、胸がじんって熱くなった。ああ、なんて完璧な一言なんだろう。
「また来よう」
また、って。先輩は平気で言う。私はその言葉を、ゆっくり噛みしめた。
京都駅のホーム。電車のドアが閉まる直前、私は言った。
「明日から、超いい歌、聴かせてあげるから! マジで忘れられないやつ、約束!」
窓ガラスに映る自分の顔。
青白くて、頬が少しこけてる。でも瞳は、なんか熱を持って光ってる。
窓ガラスの中の私に、私は一度だけ微笑んだ。
星って、燃え尽きる直前に一番輝くって……本当かな。
私も、燃え尽きる前に、せめて一瞬だけ、ぎゅっと光りたい。
そして、消えたあとも、誰かの夜空に、ほんの少しだけ残っててくれたらいいな。
自分自身を、精一杯輝かせながら。




