エリクシルの胸中
アシェンプテルはエリクシルのことなど全く知らない。見たことも聞いたこともない。
――まさか、ストーカー……?
アシェンプテルは無意識に後ずさっていた。
「ねえ、何で私の名前を知ってるの? 私が初めて変身したのは2日前なのに、おかしいよね?」
半ば責めるような口調で尋ねる。エリクシルの答えは、全く予想外のものであった。
「知らないわ」
「は……?」
「どうして私があなたのことを知っているのか、覚えていないの」
「本当に言ってるの?」
「私がアシェンプテルに嘘つくわけがないわ! だって、あなたを愛しているんだもの!」
にわかに、エリクシルの目に火が灯った。もちろん、アシェンプテルは全くもって嬉しいとは思えなかった。
「……じゃあ、何で私を愛しているなんて言うの?」
「それも知らないわ」
――何なの、この人。言ってることが支離滅裂なんだけど。
「一目惚れとでも言いたいの?」
「一目惚れ? そんなものではないわ。私はずっと前からあなたを愛し続けているの」
「覚えてないのに?」
その矛盾を突かれると、エリクシルは言葉に詰まった。
「あら……そうね。あなたと会ったのは今日が初めてなのに。でも、私があなたを愛していることに変わりはないわ! 理由なんてどうでもいいじゃない」
「どうでもよくないよ! 私にとっては死活問題だよ!」
「もう一蓮托生って思ってくれてるのね!」
「違うよ! 助けてくれたことは感謝するけど、ちゃんと説明してくれない限り、あなたを信用することはできないから。じゃあね」
アシェンプテルはエリクシルに背を向け、歩き去ろうとする。
「ま、待って……違うの……」
先程までとは打って変わって弱々しい声で、エリクシルは呼び止めた。そんな声を無視することは、アシェンプテルにはできなかった。立ち止まり、振り返る。
「……ちゃんと説明してくれる気になった?」
「私、本当に記憶がないの。いつ魔法少女になったのか、いえ、それ以前に、自分の名前すら思い出せない。ただ、あなたへの愛情だけを覚えているの」
「記憶喪失……? だからと言って、私の名前を知っている理由にはならないと思うけど?」
「それも、わからないの。本当よ! 嘘なんて一つも言っていないわ!」
――嘘ではなさそうだけど……
エリクシルの切実な訴えに、アシェンプテルはひとまず、敵意を捨てることにした。それよりも心配の方が優る。
「名前を覚えていないって言ってたけど、名前が載ったものとかはないの?」
「ああ、それならあるわ。これが私の学生証みたい」
「みたいって……」
エリクシルは何の躊躇いもなく、硬いカード型の学生証を差し出した。
「筑紫橘花……で合ってるのかな」
「さあ、知らないわ。興味もないし」
「……まあいいや。ていうか、高二なんだ。同い年だね」
「そうなの? 嬉しいわ!」
「う、うん……」
相手の名前を聞いておきながら自分が名乗らないのは失礼だと思い、アシェンプテルも出雲月花という本名を名乗った。しかしその名前には、エリクシルは全く聞き覚えがないという。
エリクシルこと筑紫橘花は、自分の名前すら忘れるほど重度の記憶喪失であった。学生証はあるものの、高校に通う気も家族を探す気も全くなく、路上生活をしているという。
「帰れる場所はないってことだよね?」
「ええ。別に心配してくれなくてもいいわ」
「さすがにダメだよ。私の家に来ていいから」
どうやらエリクシルが困っている人であるのは間違いなさそうだ。アシェンプテルは放っておけない。
「え、いいの!? 私とアシェンプテルの愛の巣ね!」
「違うから!」
そこまで直球に言われると、アシェンプテルも頬を赤らめてしまった。
○
明らかに一人暮らし用のワンルームに、月花と橘花、そして願望機の欠片が詰め込まれている。橘花はまるで自分の家かのように寛いでいた。
「大ニュースになってる……。そりゃそうだよね……」
今日のマジカルバレットとの戦いは、東京都内銃乱射事件として報じられ、そのニュースは世界中を駆け巡っていた。
報道によれば、死者も負傷者も出ていないようだ。しかし、日本でこのような事件が起こるのは極めて珍しく、世間はこの件にすっかり釘付けになっている。
「先週の銃撃事件や、3年前の渋谷銃乱射事件、第二地下鉄サリン事件との関連も疑われる、か」
先週の事件というのは明らかにマジカルバレットが犯人だろう。
「第二地下鉄サリン事件って、犯人は逮捕されてないんだっけ」
「知らないわ」
「私に聞かれてもわかんないよ」
橘花も願望機の欠片も、全く役に立ちそうにない。
「ねえ、橘花には願望機の欠片がついてたりしないの?」
「これのことかしら」
橘花は赤い宝石を懐から取り出して見せた。月花の願望機の欠片が宝石状になった時と全く同じ見た目だ。
「人の姿にはならないの?」
「ならないわ」
「そんなことあり得るの?」
「普通は自由に姿を変えられると思うんだけど……よくわかんないや」
「欠片ちゃんにもわからないなら、私もお手上げだよ……」
エリクシル本人も知らないのに、エリクシルの秘密を解き明かそうなど、土台無理な話だ。




