2.ゲームスタート
「ねぇ⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯」
「ねぇってば。大丈夫? 聞こえてる?」
誰かが呼んでいる。
遠くから聞こえる声が、深い水底に沈んでいた意識を少しずつ引き上げていく。
最初はぼんやりとしていた声も、次第にはっきりと耳に届くようになった。
「ねぇ! 起きてよ!」
「ん⋯⋯」
重たい瞼をゆっくりと持ち上げる。
ズキズキと痛む頭を押さえながら、声のした方へ視線を向けた。
そこにいたのは、赤い髪の少女だった。
黒いとんがり帽子を被り、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
私が目を開けたことに気づくと、少女は一瞬目を丸くし、ほっと胸を撫で下ろした。
「よかったぁ。全然動かないから、心配したよ」
「⋯⋯えっと、何これ。というか、ここどこ?」
頭が回らない。
私は今、椅子に座っていた。
木製の大きな椅子だ。
目の前には円形のテーブルがあり、その周囲にも同じような椅子が並んでいる。
ゆっくりと辺りを見渡した。
薄暗い空間だった。
天井は高いのか、それとも暗すぎて見えないだけなのか。どこまで続いているのか分からない。
壁も同じだ。
少し離れた場所から闇に溶け込み、部屋の広さすら把握できない。
ただ、目の前の大きなテーブルと、それを囲む七つの椅子だけは、はっきりと確認できた。
そのうちのひとつに、私は座っている。
「⋯⋯見覚えがある」
額を押さえた。
嫌な予感がする。
頭の中にまとわりつく虚脱感を振り払うように、私は自分の額を何度も叩いた。
「えっ!? ちょっと、何してるの!?」
隣の少女が慌てて私の手を掴む。
「落ち着いて! そんなことしたって何も解決しないよ!」
「⋯⋯クソっ」
少女の手を振り払い、ようやく額から手を離した。
痛みを感じていないと、今にも気が狂いそうだった。
信じたくない。
けれど、この光景には見覚えがありすぎる。
間違えるはずがない。
ここは、私が半年間遊び続けたゲーム――『7 Turn』そのものだった。
「⋯⋯何がどうなってんの?」
記憶を辿る。
確か、私はいつも通り配信をしていたはずだ。
七千七百七十七回目のクリアを達成して、タイトル画面に現れた謎のプレゼントボックスをクリックした。
その直後、画面にノイズが走って⋯⋯。
「⋯⋯ああ、そういうこと?」
私は顔を上げた。
なるほど。
つまり、私は何者かに拉致されたのだろう。
何らかの方法で眠らされ、ゲームの世界を再現した施設に連れてこられた。
これはゲーム会社が用意した特別なプレゼント。
実際にゲームの世界へ入り込んだような体験ができる、最新の体験型イベントというわけだ。
そう考えれば、一応は筋が通る。
いや、普通に犯罪だけど。
「ねぇ」
隣の少女に声をかける。
「これって、つまり気にせず楽しめばいいってことだよね? てか説明ぐらいあってもいいでしょ普通」
「えっと⋯⋯楽しむ?」
少女は困ったように首を傾げた。
「ごめんね。私はこの状況を全然楽しめそうにないんだけど⋯⋯」
「ふーん。そういう感じ」
すごい演技力だ。
まるで本当に何も知らないかのように振る舞っている。
それに、見た目も相当なものだった。
髪の一本一本から表情の細かな変化まで、まるで本当にゲームのキャラクターが生きているように見える。
いやぁ、最新技術ってすごい。
「まぁ、いいや。それで最初のゲームはいつ始まるの?」
「それは⋯⋯」
少女が答えようとした、そのときだった。
『それでは、ただいまよりゲームを再開します。参加者の皆さんは議論を始めてください』
突然、機械的な声が部屋中に響き渡った。
どこから聞こえているのかは分からない。
おそらく、ゲームマスター役の音声だろう。
同時に、暗闇の中に白く光る数字が浮かび上がった。
15:00
「お、始まった」
一ターン十五分。
ゲームとしては少々長い気もするけれど、実際にその場で議論するなら妥当な時間だろう。
「それじゃあ、早速だけど――」
私が仕切ろうとした、その瞬間。
ゴンッ!
「⋯⋯⋯⋯は?」
何かが落ちてきた。
天井も見えないほど高い場所から、何の前触れもなく。
それは円形のテーブルの中央に叩きつけられた。
ぐちゃり。
嫌な音が響いた。
赤黒い液体が飛び散り、テーブルの上を汚していく。
それは人間だった。
いや、人間だったと思われるもの。
腕も足も、身体も、見たことのない方向に折れ曲がっている。
全身が潰れ、原形を留めていない。
首から上は、まるで切り取られたかのようになくなっていた。
「⋯⋯⋯⋯」
何だ、これは。
こんな展開は知らない。
『7 Turn』に、こんな演出はなかった。
いや、待て。
これはゲーム会社が用意したサプライズだろう。
リアリティを追求した特殊な演出。死体だって、どうせ精巧な人形に違いない。
そうに⋯⋯決まっている。
「お、おい⋯⋯何だよこれ!」
「ひっ⋯⋯死体!?」
「これも魔女の仕業なのかね」
「酷い⋯⋯どうしてこんなことを⋯⋯」
「えー、超やばっ! マジの死体じゃん!」
「⋯⋯最悪」
周囲の少女たちが次々と声を上げる。
みんな驚いていた。
それもそうだ。こんなものを目の前に落とされれば、誰だって驚くだろう。
彼女たちは役者だ。
私たちに本物だと思わせるために、ここまで徹底した演技をしている。
そう。これは偽物。
あくまで演出で――。
「うっ⋯⋯」
込み上げてきた吐き気を抑えるように、口元を押さえた。
臭い。
鉄のような、生臭い臭い。
鼻の奥にこびりつくような不快感がある。
テーブルに広がった血液も、折れ曲がった手足も、何もかもが生々しい。
私は無意識に、教科書で見た魔女狩りの絵を思い出していた。
あのときと同じだ。
狂気と、確かな死。
目の前にあるものが作り物だなんて、どうしても思えなかった。
「⋯⋯まさか」
そこでようやく、ひとつの可能性に思い至った。
これは『7 Turn』を模したイベントではない。
『7 Turn』そのものなのではないか。
馬鹿げている。
そんなことがあるはずない。
けれど、私の直感は告げていた。
ここはゲームの世界だ。
私は本当に、『7 Turn』の中に入り込んでしまったのだ。




