第八十九話 心世界
俺は、小さな神社に触れたことで、魔道具の隠されている部屋に転移した。
はずなのだが、そこはすでに、俺の知っている風景ではなかった。
選定の部屋は、それこそ部屋と呼ぶに相応しい広さだったはずだが、その空間は、あまりにも広大な広場となっていた。
地面には草が生い茂っているが、ところどころ枯れてしまっている。
そして、最も視線を惹きつけるのは、空間の中央、光り輝く魔道具と、その前に立つ一人の少女だった。
「ようこそ先輩。この決戦の地に」
魔道具の前に立つ少女——黒百合が、俺の方に向き直り歓迎する。
「……お前を、止めに来た」
俺は、黒百合の目を見つめて言う。
すると、黒百合が一瞬ポカンとした後、吹き出した。
「あっ、ははは!私を、止める?まだそんなことを言っているんですか?」
黒百合の気配が、唐突に切り替わる。
「いい加減にしないと、殺しますよ?」
「っ……!」
喉元に、気色の悪い気配がする。これはきっと殺気だ。まるで、もがき続ける獲物を狙う蛇のような、少しの哀れみと、怒りと、重さを持った、殺気だ。
あぁそうだ。黒百合は俺なんかよりもずっと強い。それでも、止める、それだけなら、百合を助けるだけなら、やりようはあるはずだ。
薔薇は言っていた。俺が黒百合に触れれば、黒百合の中の禁忌の魔物を吸収できる、と。できると思えば、できるのだと。
ナイフを持ちながら、両の手を地面につき、膝を地面につけずに構える。——いわゆる、クラウチングスタートの構えをとる。
「行くぞ黒百合。用意はいいか?」
「急に何をして——」
俺は、黒百合の返事を待たずに走り出す。
「っ!影よ!」
黒百合が、俺を迎撃するために影を操作し、影の槍を複数飛ばしてくる。
「はあっ!」
しかし、この程度であれば、簡単に切り裂ける。
「く……!ならば、これならどうです!?」
黒百合が、今度は影の龍を八体、様々な方向から飛ばしてくる。
だが、この影の龍もまた、魔術だ。で、あるならば——
「この眼に見えているならば、魔術だって、切って見せる」
ナイフを一振り、それだけで、影の龍は霧散した。
「そんな……!」
どうやら、黒百合とて、こちらの情報が全て筒抜けだったわけではないらしい。
黒百合は、もう目の前、あと一息で、触れられる。
だが、黒百合とて馬鹿ではない。すぐにこちらに対応する。
「魔術は切れると言いましたが、魔力まで切ることはできますか!?」
黒百合は、己が持つ膨大な魔力を一点に集中させる。
それは、いつかのルートで仲間となった、禁忌の魔物の一部——クロが放った高圧縮魔力砲。【黒葬】だった。
確かに、これは切ることはできない。【魔切断】を応用して、対抗することはできるものの、この威力ではすぐに負けてしまうだろう。
しかし、正面から戦わなければ、勝機はある。
「【空間切断】!」
俺は、目の前の空間を切り裂き、転移する。
転移する先はもちろん、黒百合の背後。
「なっ……!?」
さしもの黒百合も、突然の転移には驚き、反応が遅れる。
そしてとうとう、俺は黒百合に触れることに成功する。
黒百合に触れた瞬間、俺はひたすらに念じ続ける。
黒百合と、禁忌の魔物と繋がり、吸い出し、引き込むことを。
そして、俺の意識は深く沈み込んだ。
「ここ、は……?」
俺が目を開けると、先程までいた空間とは違い、真っ暗な、何も無い空間にいた。
果たして俺は成功したのだろうか?
そんなことを考えていると、暗闇の中に、人影を見つける。
短い黒髪を整えた、小麦色の肌をした少女。服装も、最後に見た時から全く変わっていない。
そこにいたのは、正真正銘、黒木百合本人だった。
百合は反対側を見ていて、まだこちらに気づいていないようだ。
俺は、百合に声をかける。
「百合!百合なのか!?無事でよかった!」
俺の声に反応し、百合が振り向く。
「あなたは、誰ですか?」
「え?」
百合がこちらに怪訝そうな目を向ける。その時、ようやく俺は気づいた。
今の自身の見た目が、黒峰刀也のものではなく、かつての自分。炎上寺心也のものになっていることを。
これは、ナビ子のいるあの空間と同じ……!
俺はそう思い至り、ここが、精神空間のようなものなのだと予想する。
ひとまず、百合に怪しまれないように自己紹介をする。
「えーと、俺の名前は炎上寺心也。君の先輩、黒峰刀也の、友達、みたいなものだ」
正直、俺と刀也の関係をどう表現したらいいのかわからないので、ひとまず友達としておく。
「友達、ですか。先輩、他に友達とかいたんですね」
おい刀也!お前、後輩にまでこんな風に思われていたのか!?いやまぁ、確かに友達は少なかったけども!
と、そこで、ここでは刀也の姿が見えず、声も聞こえないことに気づく。
逸れたのか、それとも、ここには来れていないのかわからないが、刀也は居ないようだ。
自己紹介を終えたところで、俺は、ここに来た目的を話す。
「俺は、刀也に協力していて、ここには、君の体に宿っている禁忌の魔物を吸収しに来たんだ」
「禁忌の魔物は、何か分かりませんが、あの力のことですよね?そんなこと、できるんですか!?」
百合の疑問は最もだ。俺自身も、正直できるかはまだわからない。それでも、こう断言する。
「できるさ、そのために来たんだ」
「ずいぶんと自信があるようですね」
突如、背後に声が現れる。
俺が振り向くと、そこには、黒百合がいた。
「黒、百合……」
「まったく、本当にあなたは誰なんですか?先輩と戦っていたと思ったら、何かが私の中に入り込んできて、見にきたら、全く知らない赤の他人だなんて」
黒百合は、不満気な態度を隠しもせずにそう言う。
「初めましてで悪いが、お前を倒して、百合の体から出ていってもらう」
俺は、空中に右手を突き出し、ナイフを作り出して握る。
ここは精神世界だ。多少の無理はどうにかなる。
「あなたが私に勝つための秘策だとでも?」
「……そうだ」
予定とは違うが、やることは同じだ。否定する必要は無い。
「ならば——」
黒百合が動きだす。恐るべき速度で、まるで、弾丸のような速度で。
「あなたを叩き潰せば終いです!」
瞬時に目の前に現れた黒百合が、右腕から影の波動を放出し、爆発が起こる。
「心也さん!?」
百合が、俺がやられたと思い悲鳴を上げる。
「なんだ、案外あっけなかったですね」
黒百合も、この一撃で終わったのだと確信し、笑う。
と、その時であった。突如として、黒百合の右腕が落ちる。
「…………え?」
「言ったはずだぞ黒百合」
百合が、黒百合が、煙の方を、声がした方を見る。
「お前を倒して、百合の体から出ていってもらう、と。その言葉に、偽りは無いぞ」
俺は、黒百合の右腕を切ったナイフを突き出し、宣言する。
お前に勝つ、と。
「あまり調子に乗らない方がいいですよ……!」
俺と——炎上寺心也と、黒百合の戦いが始まった。




