第六十七話 夢物語
「刀也ぁ!起きなさい!」
姉さんの声で俺は起床する。
下に降りて朝の支度をする。
支度をしている俺を、姉さんが急かす。
「ほら、早くしなさい!もうすぐ百合ちゃんが来るわよ!」
「わかってるよ」
俺はさっさと支度を済まし、荷物を持って玄関に向かう。
その時、チャイムが鳴った。
「先輩、準備できてますか?」
「はいはい、すぐに出るよ」
待ち人をあまり待たせないように、すぐに玄関から出る。
玄関を出た先には、一人の女性がいた。
美しい金色の髪に、白磁のような肌をした女の子だった。
「お待たせ、百合」
「いいえ、今日も時間通りですよ」
黒木百合、俺の親友である術木薔薇の妹であり、俺の彼女だ。
「じゃ、行こうか」
「はい」
百合と共に俺は学校へと向かいだす。
「————」
「ん?」
その時、どこかから呼ばれたような気がした。
「どうしました先輩?」
百合の言葉により、俺は気を取り直す。
「……いや、何でもないよ」
俺たちは学校へと向かった。
午前の授業が終わった。
今からは昼休みなので、みんなとお昼を食べる予定だ。
「刀也ーっ!今日も僕が来たよ!お昼一緒に食べよう!」
黄金色の髪をした美少年。術木薔薇が教室に入ってくる。
「薔薇はいつも通りだな」
俺は僅かに口角を上げる。
立ち上がり、みんなとお昼を食べるために屋上へ向かう。
屋上にはすでに百合が居た。
「先輩も、兄さんも来ましたね。それじゃあ、お昼食べましょうか」
その時、俺はふと言葉が洩れる。
「魔使さんはいないのか」
……ん?自分で言っておいて疑問が湧き上がる。
「魔使さんって誰ですか?」
百合が尋ねる。しかし、俺自身もそれが誰だかわからない。
「いや、なんでか声に出たんだけど、俺も知らないんだ」
「?変な先輩」
百合が首を傾げる。まぁ、今のは変と言われても仕方がないな。
「——ろ——や!」
まただ。また誰かの声が聞こえた気がした。
百合でも薔薇でもない。いや、そもそも、二人が喋っていないタイミングで声は聞こえていた。
違和感、しかし、その違和感はすぐに日常へと溶け込んでいく。
「さぁ、お昼を食べよう!」
薔薇に促されるに任せ、お昼を食べ始める。
「それで——」
俺がこの前、何があったかを話し、
「いやいやそれは——」
薔薇がリアクションをとる。
「ふふっ。そんなことがあったんですね」
そして百合が微かに笑う。
そんな、平和な日常。いつまでも続けばいいと思えるほどの代え難い日常。
日常が、過ぎていく。
「ふぅ。これで今日の授業も終わりだな」
今日最後の授業が終わった。
なんだか最近は授業がよくわかる。
それゆえに少し退屈ではあるが……。
「よし、帰ろう」
気を取り直し、俺は帰る用意をする。
帰り支度を済まして、教室を出ようとしたその時、声がかけられる。
「先輩、一緒に帰りましょう」
「あぁ、百合か。うん。一緒に帰ろうか」
百合と共に帰っていると、唐突に百合に尋ねられる。
「先輩、今日は楽しかったですか?」
質問の意味がわからず、俺は一瞬言葉に詰まる。
しかし、我に返り、言葉を返す。
「楽しかった?……いやまぁ、楽しかったよ」
俺の返答を聞いて、百合の顔が綻ぶ。
「えぇ、えぇ、それなら良かったです。先輩が、今日を楽しめていたなら良かったです」
夕焼けが百合の髪を照らす。元々美しい金色をしていた髪は、夕焼けによって、さらに美しく光り輝いている。
……だが、何故だろう?美しい金髪も、白磁のような肌も、最初からそうだったはずなのに。
何も、おかしくなど、ないはずなのに。
俺の中の何かが、それは違うと訴えてくる。
そして、また、声が聞こえた。
「起きろ!心也!」
「っ!!」
瞬く間に記憶が駆け巡る。
そうだ、今目の前にいる女は百合なんかじゃない!
髪の色も、長さも、肌の色も、何もかもが違う!
俺は叫ぶ。怒りと、戸惑いを込めながら。
「お前は誰だ!!?」
「?」
目の前の女は、一瞬、訳がわからないといった、顔をする。
しかし、すぐさまその顔を大きく歪める。
まるで、イタズラに成功しながらも、バレてしまった子どものように。
「……へぇ、気づいたんですね」
目の前の女が、百合と同じ声で喋る。
背格好と声だけは、俺の知っている百合と全く同じだ。
本当にこの女は誰なんだ!?
その時、刀也が俺に話しかける。
「気をつけろ心也。この女、あの日失踪事件の犯人を追っていた時に、百合がお前を突然眠らせた後、百合の姿が変わってこの姿になった。あの時すでに、入れ替わっていたのかもしれない……!」
そういえば、俺は眠らされていたんだった。
百合が失踪事件の犯人なのではないかという推論を思いついた次の瞬間に眠らされたんだ。
失踪事件の犯人は百合の姿に扮した、この女なのか?
俺はもう一度、真実を知るために問う。
「お前は誰なんだ!?百合はどうした!?」
俺の質問を聞いて、女は表情を失う。
心底つまらないといった風な顔をしている。
「……先輩は、私の何を知っているんですか?」
「何?」
言葉の意味がわからない。
女は俺に構わず続ける。
「明るく、元気で、誰にでも優しく、まるで太陽のような女の子。それが先輩の知っている黒木百合なのでしょう?」
そうだ、俺の知っている黒木百合という女の子はそんな子だ。
それの何が違うというのだろう?
「女の子は秘密が多いものなんですよ?本当の黒木百合は、嫉妬深くて、陰湿で、残酷なんです。……知らなかったでしょう?」
その目はどこまでも続く深淵の如く暗く、見続けていると、吸い込まれるような感覚がした。
声が洩れる。息を吐くかのように。
「そんな、はずがない。あの子が、嘘を言っていたわけがない……!」
これは、俺だけの言葉ではない。むしろ、俺の言葉ではない。
なぜなら、俺が百合と顔を合わせた時間はそう長くはない。
しかし、黒峰刀也は、もう何年も彼女と共に過ごしてきている。
だから俺は、自分の言葉は言わない。
ただ、代弁するだけだ。
「彼女の、言葉が、表情が、気持ちが!全て、嘘だと言うのならば!……俺は、絶対にお前を許さない」
俺は目の前の女を睨みつける。奴は何も言葉を発しない。ただ微かに笑うだけだ。
しかし、僅かな間沈黙が続くと、女が話し出す。
「そうですか、先輩がそう信じるならそれでいいですよ」
女は唐突に、俺に背を向ける。
「おい、待て!……っ!」
俺は女を追いかけようとするが、女から途轍もない量の魔力が噴き出す。
「この、魔力は……!」
魔術長になった時の二人やクロよりもなお勝る魔力量。
これほどの魔力が、人一人から溢れ出しているとは到底思えないほどだった。
「今から戦ってもいいですけど、その場合、先輩は死にますよ?」
今、周りには俺と女のみ、そして、これほどの魔力量を鑑みれば、女の言っていることは、間違いとは言えなかった。
「心也、今は引くべきだ」
刀也もまた、俺に撤退を提案する。……悔しいが、そうするしかなさそうだ。
俺の戦意が無くなったと判断したのか、女は溢れ出す魔力を抑える。
「じゃあね先輩。私はまだ用事があるから、また会いましょう?」
そう言って、女は影に沈み込み、消えていった。
……今はみんなと合流するとしよう。
三重県 某所
百合を名乗る女は、刀也と別れた後、とある場所にて、術木萄越と合流していた。
「例の先輩とやらはもういいのか?百合」
萄越が尋ねる。百合を名乗る女は妖しく笑いながら答える。
「えぇ、せっかくだし、体の望みを叶えてあげようと思ったのだけど、目覚められちゃったわ。誰かに起こされない限り、目覚めるはずはないのだけれど」
百合を名乗る女は、刀也、優奈、薔薇の三人と、その周りの人間に催眠術のようなものを仕掛けていた。
しかし、刀也の体の中には、刀也と心也、二人分の精神が入っていたために催眠を解かれたことまでは気づけなかった。
百合を名乗る女の言葉を聞いて、萄越は話し出す。
「そうか、ならば、お遊びは終わりにして、計画の方を進めることにしよう」
萄越は歩き出す。
「未だ器は完成していない。我が悲願、……いや、我が家の悲願を叶えるために——」
萄越はその顔を歪まして目的を言い放つ。
「より多くの人間の魂を集める」
改魔の家に取り憑く妄執が、この街を大きく飲み込もうとしていた。




