【7】(完結)
殿下は、目の前のお茶の表面を見詰めながら口を開いた。
「ときどき、妙な夢を見るんだ。毎回おなじようで、少しずつ違う夢を」
お互い最後に会ったあの日と似通った、けれど齢相応に落ち着いた意匠の衣装で、居間の聖王風高机を挟んで向き合う。
目を凝らして見ると、生命の経路のひび割れは、ほとんどが修復されていた。嬉しさで思わず緩む頬を、引き締める。
「夢、ですか?」
それはそれとして。この御方は民間人の家に突然あらわれて、いったい何の話をしているのだろう。その点については困惑するしかない。
「夢の結末だけはいつも同じ。きみが死んで、私は絶望に暮れる」
──!?
それはまるで、私が繰り返したあの999回だ。なぜ、それがアマヒト様の夢に。
「そして私は、自分の絶望を癒すために『神威の儀』を執り行うのだ」
「……は……!?」
思わず声が出てしまう。脳内の皇棋の盤面で、あらゆる可能性が錯綜する。浮かんだひとつの推論に、全身の肌が粟立つ。そんな、まさか。
「私は神の御業できみを生き返らせようとした。しかし、死者の復活だけは許されなかった。だから代わりに私は、はじめて会ったあの日まで時間を巻き戻すことを願った」
──ああ、やっぱりそうなのか。それじゃあ、あのやり直しは全てアマヒト様が私のために、命を捧げた結果だと?
時間が巻き戻るのなら、捧げられたアマヒト様の命も元に戻るはず。それでも殿下の生命を蝕んでいったひび割れは、巻き戻しの起点ゆえに生まれた歪みか、あるいは代償なしの奇蹟を神が許さなかったのか。
「どうしても、思ってしまうんだ。あれがすべて現実で、私の我儘のせいできみに何度も何度も人生をやり直させてしまったんじゃあないかと……」
私は静かに、彼の言葉を聞いていた。
「きみの中にその記憶があるかわからない。それでも、詫びておきたかったんだ」
その通り、記憶はぜんぶ残っている。けれど、それを伝えようとは思わなかった。
ただ、どうしても腑に落ちないことがある。
「ひとつ、お聞きしてもよろしいですか? と言っても、夢の中のことですが……」
「もちろんだ。夢の中のことを、うまく答えられるかわからないが」
繰り返した999回の中には、アマヒト様と最初に一度会ったきりで、そのまま処刑された回もあったはず。他の目的、技や知識の習得ばかり考えていたことも少なからずあった。
「どうして夢の中の殿下はそこまで……『神威の儀』に頼るほど私を……?」
問いかけに顔を上げた彼は、私の顔をじっと見つめる。
一国を背負った四半世紀ぶんの重みは、お顔にあのころはなかった威厳と、あのころより深い慈愛を刻みつけている。本当にすてきな齢の重ね方をされていて、再び虚を突かれた私の胸は高鳴る。
「……ああ。それなら、わかる気がするよ。私も同じだったから」
「同じ、ですか」
「あの日。きみは閉じ込められていた小鳥を中庭に解き放っただろう?」
あのころよりも大らかで落ち着いた声。油断すると、包み込まれて思考がふわふわ定まらなくなってしまう。
「私は部屋の窓から見ていたんだ。小鳥を見送るきみの、晴れやかで優しい笑顔を」
……! そうだったの!? 確かに彼が腰掛けていた窓枠は、私が小鳥を解き放った中庭に面していたけれど、まさか、何の影響もないと思いながら繰り返していたあの行動が……。
「すべての私があの瞬間のきみを目にして、一目惚れしたのさ、この人しかいないと。あれこそが神託なのかも知れないね」
自嘲気味に笑う、くしゃっとした笑顔の落差に見惚れながらも、私は絶句していた。つまるところ私と殿下はあの日、お互いに一目惚れしていたということになる。──1000回も。
「まあ、私の場合はそれほど想いが膨らむ前に、一刀両断されてしまったけれどね」
……うっ、ごめんなさい。
「だから、すこし羨ましかった。きみに愛された彼らのことが」
あまりに嬉しい言葉を掛けられすぎて、感情が追い付かない。
「もったいないお言葉です。まあ我ながら、昔はけっこうな娘ぶりでしたものね。殿方からも引く手あまたで……」
誤魔化そうとそんなことを言ってみるけれど「今はもっと素敵な淑女になったね」などとサラリと返される。真に受けて喜んでしまう自分を、抑えられない。
「……ええと、とにかく何やら不思議なお話です。私には何ひとつとして心当たりがありませんが……」
「うん。もし記憶があったとしても、そう言うだろう。きみは優しいから」
見抜かれている。それもまた嬉しかった。ならば。ならばもう、いっそ。
「……それでは殿下。代わりに私の願いをひとつ、叶えてくださいませんか?」
「ああ、もちろんだ。今の私にできる償いが、あるのなら」
控えめに投げかけた私の問いに、思った通り即答して下さる。……いいのだろうか。いや、私にはその権利が、あるはずだ。
「ありがとうございます、殿下。それでは」
「うん」
「もう一度、あの日からやり直しましょう」
まっすぐ私を見つめるお顔が、曇る。
「それは……済まない……覡皇でない私には、もはや『神威の儀』を執り行う権利はない。あの日に戻ってやり直すことはできない」
もちろん、そんなことは知っている。
そもそも私がいる限り、二度と「神威の儀」などやらせはしない。修復されて見えるひび割れだけど、脆くなっていることは想像に難くない。次の一回が致命傷にならない保証はどこにもない。
そうじゃなくて。
「できます。今、ここから」
「……ここから……?」
私は椅子を引いて立ち上がると、机を回り込んで、怪訝そうな殿下の傍らに歩み寄った。
そしてお臍の前に両手を重ね、深々と礼をする。あの日と、同じように。
「お初にお目にかかります。クスノ・ミカサギにございます」
息を呑む気配。顔を上げて微笑む私。
「あ……ああ……アマヒト・スメラギだ」
椅子から立ち上がって私に向き合った殿下は、ためらいがちに言葉を続ける。
「……逢えてうれしいしいよ、クスノ」
あの日と同じ言葉。でも今日は──今日からは、嘘を吐かなくていい。殿下にも、自分にも。
「私もです。ずっと、お逢いしたかった。ずっと、ずっとずっと、お慕いしておりました」
「……! クスノ……きみは、やはり……」
真っすぐ見詰め返してくる瞳の引力に、視線を逸らせない。
「私も、同じだよ」
そうしてアマヒト様は、穏やかに微笑みを返してくれる。
「私に残された人生で良ければ、すべてきみに捧げよう」
「……あら。まるで残りが少ないみたいにおっしゃるのですね」
「ん……?」
そっと右手を伸ばし、彼の頬に手のひらで触れた。ほんのりと、あたたかい。
「私、医術とか薬学とかもろもろ極めておりますので、殿下には百歳まで生きていただきます。人生はまだ充分ありますわ」
「……! そうか……」
呟くように口にしたアマヒト様は、頬の手にご自身の大きな手を重ねる。
「まだ、半分も残っていたか」
「もう逃がしませんからね。なにせ私、おそろしい女狐ですから」
「ああ、望むところだ……」
その手が優しく引き寄せられて、私はなすがまま、彼の胸のぬくもりに包み込まれていた。
──遠くで微かに、ピチチと鳴き合う小鳥たちの声が聞こえた。
【完】
二人の物語を最後まで見届けていただき、誠にありがとうございます。よろしければ広告下の★でご評価をいただけますと、何より創作の励みになります。




