第24話 ひかるげんじ の おんな を みつけた なかまにしますか はい いいえ
◇一宮/隆明親王:六歳 二宮/貞明王(後の光源氏):三歳 五月中旬
内裏 弘徽殿
てけてけてけ……という可愛らしい足音とともに曲がり角から顔を出したのは、一人の女の子だった。
真ん中から左右に振り分けた「振分髪」に、細長と呼ばれる少女のちょっとした晴れ着を着ている。身頃が縫われておらず、4つくらいに分かれて引きずられている、ちょっと華やかな衣装を着ておめかしをしている。
色白で、涙にぬれたくりくりした目と、ふくふく丸いほっぺがなんとも可愛らしい、私と変わらないぐらいの女の子。
「……女の子?」
千寿が女の子を見てぽつんと呟く。
宮中に仕える女童と呼ばれる少女ならば、「汗衫」と呼ばれる衣装を着ている。ちょっとおめかししているとはいえ、一応日常着(ジャケットぐらい?)の部類に入る服装をしているってことは、身分の高い女の子なんだろう。
つーことは……皇族の女の子か、摂関家の女の子なんだろうけど……。桐壺帝の娘である女一宮は今日は二条烏丸殿にいるし、女二宮に至ってはまだ赤ちゃんだ。
と、いうことは……。
……え、マジで誰?見当がつかないんだけど。
不躾な男三人の視線にさらされた女の子は、びくりと体を震わせたかと思うと、ひっくひっくとしゃくりあげ始めた。
そしてついに。
「びえぇぇぇん!」
「ああああああ!」
「わああああ!」
少女の泣き声と千寿&夜叉丸の男コンビの悲鳴が重なる。二人は立ち上がりはしたものの、小さい子供のギャン泣きに動揺してあたふたしている。
しょーがないなーもう。
私は少女に駆け寄ると、ぽんぽんと背中を撫でた。女の子はびっくりして顔を上げ、泣くのをやめて私を見る。
「どうしたの?大丈夫?」
少女は大きな目をぱちぱち瞬かせた。
まつ毛についた涙がきらきらして、なんかこう少女漫画っぽい。イヤ本当に可愛い子だな~。
「……だあれ?」
女の子がこっくり首を傾げて私に尋ねた。小さなこぶしで目元をこしこしぬぐっている。しぐさが可愛い。だあれが超可愛い!お人形さんかこの子は!
僕は崩れた笑顔が浮かびそうになるのを抑えながら、できるだけ優しい声音で少女に尋ねる。
「僕は一宮。君は?」
すると、少女はくすんくすんしながら小さな声で答える。
「大君……」
「あー……」
大君ってのは、皇族・貴族の長女の尊称だ。女性が本名を名乗らないこの時代の仮の呼び名みたいなもんである。長女ならどの貴族の姫君でも大君と呼ぶ。何ならうちの母上も大君だ。そういうわけで全く手掛かりにならない。
えぇと、他に何かないか。
「どうしてここに?誰と来たの?」
他に何かないか。とりあえず迷子の子に尋ねるテンプレらしきものを聞いてみる。
すると、再び少女の眼にじわぁ……と涙が浮かぶ。
「お、おうちから、お父ちゃまと一緒に来たの。お、お昼寝してたら、お父ちゃま、い、いなくなっててぇ……」
ふええ……とまた泣き出す。
はいはいはいはい。
私はその子の背中をさすりながら考察する。
内裏にはパパと一緒に来たと。で、どこかで待っているうちに寝ちゃって、起きたらパパがいなくなってて心細くなって弘徽殿まで来ちゃったのね。な~るほど~。
おいおいおい何をやっとるんだ女房ども!多分身分が高い人の子だろこの子!部屋抜け出しちゃってるぞ!私らみたいな見た目は子供、中身は成人ならともかくこの子本物の子どもよ!
「一宮様」
「あ、中務。兵衛も」
いつの間にか、騒ぎを聞きつけた乳母二人が顔を出していた。
おお、子育ての専門家が来てくれた。これなら安心だ。僕はあたふたしている夜叉丸にとりあえず帰って休むように命じると、大君ちゃんの手を取って庇の下まで連れてきた。
「御父君と一緒に来たらしいんだけど、心細くでお部屋を抜け出しちゃったみたい。心当たりない?」
「まあ」
庇の下に出てきた兵衛は、どこからか手巾を取り出すと少女の顔を拭いてやった。
中務は他の女房に白湯と菓子を用意するように命じると、軽く首を傾げる。
「御父君と一緒にいらしたと?」
「うん」
すると、わたわたしていた千寿が僕のそばに座り、少女の顔をちろと見ていった。
「子供の足だし……多分そんなに遠くないところから来たと思うんだが。他の女御たちの親戚の子かな?」
可能性はある。女御さんたちの兄弟の子とか、そんな感じか?
「ならば後宮のどこからかいらしたのでしょうが……」
「じゃあ、女御様たち一人一人当たってみるか?」
用意された唐菓子を、そっと大君ちゃんに差し出しながら千寿が言う。大君ちゃんは私と千寿の顔をきょろきょろとしばし見比べていたが、僕がこっくり頷いてやるとそれを取り、スンスンしながらも食べ始めた。可愛い。
「そうだね。中務、誰か人をやってくれる?」
「はい。これ」
私が頷くと、中務が手を叩く。すると、女房の一人がすっと立ち上がり、一礼して弘徽殿を出ていった。
これでよし。あとは、結果がわかるまでこの子と遊んでればいいか。
「大君、お菓子を食べたら僕たちと遊ばない?」
私は兵衛に目配せした。すぐに意を察してくれた兵衛が、唐櫃から投扇興の道具一式を取りだし、私のところに持ってくる。
それを見た大君が目を輝かせた。
なんせ扇にも枕と呼ばれる台にも、金銀を使用した色とりどりの絵が描かれている。蝶と呼ばれる的も、母上の唐衣の切れ端を使った華麗なものだ。
この時代の女の子にとっちゃたまらないものだろう。
大君はごくん、と唐菓子を飲み込むと、可愛らしい笑顔を僕に向ける。
「どうやって遊ぶの?」
「うん、投扇興っていうんだけど……」
キラキラした目で僕を見てくる大君に胸が温かくなるものを感じながら、僕は投扇興の説明をし始めた。
――――――――――――――――
「大君!」
体感時間30分ほど、お菓子をたべつつ投扇興―と言っても子ども用に簡略版にしたやつを遊んでいたら、一人の男が弘徽殿に突っ込んできた。
男はバタバタといかにも焦りが伝わる足音を立て、ホームベースに突っ込む野球選手の如く―とは言いすぎか。でもそれぐらい焦って急いだ感じで弘徽殿にやってきた。
すると、今まで遊んでいた大君がぱっと顔を輝かせ、男に駆け寄った。
「あ、お父ちゃま!」
「おお姫!心配したのだぞ!」
男はぎゅっと駆け寄ってきた大君を抱きしめ、ほおずりするように顔を寄せた。
大君はうれしそうにきゃっきゃと笑い、男のされるがままになっている。どうやら本当にパパらしい。
二藍と呼ばれる色の直衣を纏い、頭には烏帽子ではなく冠を被っている。いわゆる冠直衣と呼ばれる姿をしている。年齢も若い。桐壺帝と同じくらいか、少し下ぐらいだろう。
普通、宮中への参内には袍と呼ばれる服を着る。格で言ったらホワイトタイみたいなもんだ。けど、身分の高い連中は、袍ではなく直衣というワンランクラフな服装で参内することを許された。これを雑袍の宣旨という。
そういうわけで、若くして冠直衣姿で弘徽殿にいるこの人は、皇族か、公卿の子息かのどっちかだろうということが推測できる。
「御父君が見つかったんだな」
「はい」
男の後ろからすす、と弘徽殿に入ってきた女房―先ほど中務から命じられていた女房に千寿が尋ねると、彼女はほっとしたように頷いた。
「あのお方は、主上の弟君、兵部卿宮様であらせられます」
「兵部卿宮様?」
兵部卿宮。
兵部省、つまり武官の人事考課、武器の管理など、軍事防衛関連事項の一切を司る省庁のトップで、尚且つ皇族である者がそう呼ばれる。
源氏物語では兵部卿宮と呼ばれる皇族は3人登場している。藤壺中宮の兄、桐壺帝の皇子(多分第三皇子)、そして宇治十帖に登場する匂宮だ。
しかし、藤壺の兄貴にしてはやや年上だし、あとの二人はまだ生まれてすらいない。
と、いうことは、藤壺中宮の兄の前に兵部卿を務めていた皇族なのだろう。
そう思って中務に聞いてみると、小声で教えてくれた。
「あのお方は、先の帝と宣耀殿の女御様との間にお生まれになられた御子で、篤平親王様とおっしゃられます。一宮様の叔父君でございますよ」
あ、そうなの?
皇族ならあの格好も納得である。どうやらこの人は、あんまり語られることがない桐壺帝の兄弟の一人であるらしい。
「へえ……じゃあ、父上の弟君なの」
「はい。今は桃園の宮にお住まいでいらっしゃいます」
中務の言葉に引っ掛かりを覚えた。桃園?どっかで聞いたことのあるような……。
悩んでいると、兵部卿宮篤平親王が大君ちゃんを抱っこして弘徽殿の中に入ってきた。女房が差し出した茵の上に座り、優しそうな笑顔を見せる。
「一宮様にはお手数をおかけいたしました。娘の相手までしていただき……」
兵部卿宮は娘を膝の上に乗せ、軽く頭を下げる。その表情から、娘を溺愛していることが伺えた。
「いいえ、僕たちも楽しかったので。御父君に会えてよかったね、姫」
「うん!」
僕がそう話しかけると、大君は子供らしい笑顔を見せ頷いた。
「今日は妹の女五宮に会いに来たのですが、まさかそこからふらふらと出ていくとは思いもしませなんだ」
「女五宮様……」
ちょっと人間関係がわからない。ちら、と中務を見ると、耳元でこっそり囁いてくれる。
「兵部卿宮様の同腹の姫君で、梅壺に曹司を賜っておられます」
「あ、なるほど……」
これで分かった。
後宮の殿舎ってのは、もちろん帝のお妃が住んでるんだが、光源氏の例にあるように、親王・内親王が曹司(部屋)を賜ったり、摂政・関白や高官の詰所になったりする場合もあった。
で、梅壺ってのは北を雷鳴壺、南を藤壺に挟まれてる。雷鳴壺は右大将の詰所、藤壺は今は使ってないので、大君ちゃんがとことこ抜け出してもだれも気づかんかったんだろう。
いや、弘徽殿と藤壺の間には清涼殿があるから、そこで気づけやとも言えないこともないんだけど……。
しかし、桃園、女五宮……ん~どこかで聞いたことがあるんだけど……。
「こうして娘が無事であったのも、一宮様のおかげでございます。お礼は改めて……さ、姫。帰ろう」
僕が悩んでいる間に、兵部卿宮の話は終盤に近付いていたらしい。ここを去るべく、締めに入っていたのだが―。
「いや!」
帰ろう、といわれた大君がぷいっとそっぽを向いた。
あれ、あんなに泣いてたのに、どうしたのかな?
「な、姫!」
「一宮さまと、もっとあそびたい!」
大君はぴょん、と兵部卿宮の膝から飛び降りると、僕のそばにやってきた。
「一宮さま、もっとあそびましょう!大君、お人形で遊びたい!」
お目目がきらきらしてる。
あ、まあ深窓の姫君だもんな。遊び相手なんて女房か女童か乳母子かだろうし、初めて会った同年代の従兄と新しい遊びして楽しかったんだろうな。
わかる、わかるけど……。
「お、お人形は弘徽殿にはないんだよ、姫……」
「じゃあ、大君が持ってきてあげる!」
僕がやんわり断るも、大君はぐいぐいと寄ってくる。
いや、可愛いけど、可愛いけどッ……このパターンは初めてだ!
甥っ子姪っ子に遊んで~♡と迫られたことはあるが、数え六歳児として同年代ぐらいに迫られたのなんて、二十〇年ぶりぐらいだ、どうすればいいんだ!
助けを求めて後ろにいる千寿をちらっと見ると、このやろう。によによして楽しそうに傍観してやがる!
くっ、どうしろってんだ……!
ああ、兵部卿宮の視線が渋いッ!この顔、娘に「パパと結婚する~!」とか言われてデレデレしてたのに、幼稚園に通うようになった娘から「○○くんがかっこいいから○○くんと結婚する~!」って言われたパパの顔だ!
数六歳満五ちゃいにどうしろってんだよ!
「一宮様、あそんでもいい?」
「え、え~っとぉ……」
その後どうしたかって?
投扇興セットを進呈し、もっと遊ぶ!と駄々こねる大君ちゃんに、また遊ぶことを約束する羽目になりましたよ。
千寿や中務はニヨニヨしているし、兵部卿宮様はなんとも言えない眼で睨んでくるし……全く、変に疲れた一日だった。
――――――――――――――――
「なんじゃ、そのようなことがあったのか」
「はい、母上」
お爺と一緒に千寿が帰り、母上と寝る前のひと時を過ごしている最中に、大君ちゃん事件のことを話した。母上は白魚のような細い指をふうむ、と口元にあてると、
「兵部卿宮様か。あの方の妻は妾の叔母なのじゃ」
「え、そうなのですか?」
「うむ」
まさかの血縁関係。
母上が話してくれたところによると、兵部卿宮様の奥さんはお爺の年の離れた妹で、母上の数歳上らしい。つまり、母上にとって兵部卿宮様と大君ちゃんは年の近い義理の叔父と年の離れた従妹に、私にとっては義理の大叔父と従兄妹叔母にあたるのだ。父方から見ると叔父と従妹でもっと近いんだけどね。
「知りませんでした」
「ま、妾とその叔母は親しい関係ではなかった故、仕方あるまい。とはいえ、叔母の母とその親が儚くなってからは、父上が支援なさっておる。覚えておくがよい」
「なるほど」
母系で家財産が受け継がれることが多いこの時代とはいえ、強力な後ろ盾のない姫君の末路は以外にも厳しいものだったりする。
源氏物語に出てくる末摘花なんかがその例だろう。彼女は両親もなく、兄は僧籍に入り、有力な後ろ盾がないゆえに没落一直線だった。花散里なんかも、桐壺帝の死後はあんまり裕福に暮らしてなかった気がする。
その点、叔母さんは運がよかったほうだ。右大臣という強力な兄貴が後ろ盾になってくれた訳なのだから。
「今は女五宮様も梅壺にお住まいじゃが、近々桃園にお移りになるという話よ。せっかくご縁ができたのじゃ、何か送って差し上げよ」
「はい、母上」
私はぺこりと母上に頭を下げると、御帳台に向かい、布団に入り……がばっと飛び起きた。
あ、あーっ!思い出した!桃園、女五宮ってあれだ、朝顔の姫君だ!
桐壺帝の弟、桃園式部卿宮の娘で、一時期光源氏と結婚の噂があったけど結局突っぱねた皇族の姫君!
源氏の野郎が若い頃から求愛していた姫君の一人で、皇族という立場から正妻候補として名前が挙がっていた。姫も源氏のことは好きだったらしいが、源氏の恋愛遍歴と彼と付き合った姫たちの末路を知り求婚突っぱねて、何かの機会に文を交わすぐらいの程よい関係を保っていたが、後に出家したっていうあの姫だ!
多分間違いない、母上の話によると、大君ちゃんは僕と同い年だって話だ。年齢も近いし、多分この姫が朝顔の姫君なんだろう。
なんてこった、僕は知らんうちに、源氏の女(未遂)と接触する羽目になっていたのか。初めてだな、こういう……源氏のそういう意味での関係者に会うのって。
しかし、ここで朝顔の姫君が母方を通しても親戚だったとはなー。これが紫式部の考えた設定なのか、この特殊な世界ゆえの何かのイレギュラーなのかはわからないけど……。
「あのおてんばな性格、母上の親戚だからかな?」
いや、それはないか。




