第25話 兆し
◇一宮/隆明親王:六歳 二宮/貞明王(後の光源氏):三歳 十月中旬
内裏 弘徽殿
あの一件以来、朝顔の姫君こと大君は弘徽殿に遊びに来るようになった。桃園兵部卿宮様曰く、どうしても遊びたいと駄々をこねるらしい。「普段わがままを言わない子が……」とか言ってたんであの時遊んだのが本当に楽しかったんだろう。朝に来て、一緒に手習いしたり、遊んだりして過ごすことが多くなった。
母上も「まあ親戚だし、子ども同士だし」といってウェルカムだけど、どうも母上、この子を私の妃候補に考えてるんじゃないかって節がある。
源氏物語本編で分かる通り、右大臣一族が“后がね”として養育していたのは、六の君こと朧月夜だ。だけど、六の君とみられる女性はまだ誕生していない。私より6歳以上年下になる。
私みたいな皇子には、元服した後に添い臥しといって公卿の娘が選ばれて添い寝をする、という儀式みたいなもんがある。そして、その沿い臥しの子は大体奥さんになることが多い。
が、僕が12歳で元服したとして、5歳や6歳の女の子とそんなことさせるわけにはいかないだろう。
で、同じ右大臣一族の血を引き、右大臣が後見に立てる姫君である大君に沿い臥し候補として目を付けたようだ。小さいころから仲良しで顔も知ってるなら、それなりにうまくいくだろうととか考えてるっぽい。
それに気づいた時はうわぁ……って気分になったが、なんせ私は次期春宮(予定)。「嫌です」とかいうわけにもいかないので、母上の思惑に気づかないふりをして大君ちゃんと遊んでいるのである。
「一宮様、千寿君、六が出ました!ひいふうみい、上がり!」
で、そんなことを知らない大君は、駒をゴールの丸の中に置き、ぱちぱちと手を叩いた。
「おめでとう、大君は強いな」
千寿がさいころを手の中でもてあそびながら笑った。
「本当?千寿君!」
「でもさいころは運だからな~、次は負けないぞ」
「私だって!」
子どもたちのキャッキャウフフなとっても和やかな光景。傍で見守る女房達もにっこりである。
今やっているのは仏教をモチーフにした双六だ。人間の世界から始め、最終的には浄土に至って悟るという内容。
この時代の双六っていうと、いわゆるバックギャモンに近い盤双六がメイン。我々がよく知っている双六は絵双六といって、室町時代に生み出されたものだ。最古のものは仏教の教えをもとにした浄土双六という。
けどバックギャモンなんてルール知らないし、なんか面倒なので、お坊さん監修のもと浄土双六っぽいものや、人生ゲームっぽい双六を作ったわけだ。
「僕なんて2回始めに戻ってる」
「煩悩塗れだからだろ」
「うるさい」
なお、母上はこの双六をいたく気に入り、評判の絵師に豪華な絵を書かせて後宮の女御・更衣に配りまくって好評を得た様だ。
なお桐壺更衣に送ったのは、浄土双六と「地獄巡り双六」なるものだったらしい。地獄に落ちろってこと?怖ッ。
「大君や、いるかね」
「あ、お父ちゃま」
そんなこんなで遊んでいると、大君のお迎えがやってきた。
僕にとっては叔父にあたる、桃園兵部卿宮―後の桃園式部卿宮様である。
姫はさいころを置くとててっと兵部卿宮様のもとに向かい、嬉しそうに話し始めた。
「あのね、お父ちゃま。わたし、双六で二回も一番だったのよ」
「よかったのう、姫や」
最近―といっても僕たちが弘徽殿にいるとき限定だが、桃園式部卿宮様は参内するとまず大君を弘徽殿に預けてから仕事に行くようになった。そして、仕事が終わったら連れて帰るという、保育園に子供預けに来るパパみたいなルーティーンを送っている。
母上に対しても、預かり代?としてなんか送っているらしい。
僕たちが座ったまま軽く一礼をすると、兵部卿宮は穏やかな微笑を浮かべた。
「一宮様、千寿君、明日はおられるのかな?」
「はい、何事もなければ弘徽殿におります」
「左様か」
兵部卿宮様は大君を抱き上げると、軽く頭を下げた。
「ならば、明日またお邪魔いたしましょう。姫や、帰るぞ」
「はあい。一宮様、千寿君、また明日」
大君ちゃんは御父上に抱かれながらきゃいきゃい笑い声をあげて去っていった。
……。
………。
…………。
よし聞こえなくなった。
僕と千寿は大君ちゃんの声が聞こえなくなったのを確認すると、茵を引っ張り庇へと向かった。
まさか満5歳児の前で悪巧みするわけにいかないからな。それに、今から話すことはデリケートな問題だ。
「それにしても、桐壺更衣がまだ生きているとはな」
「うん。物語だと、夏には亡くなっているはずなんだけど」
そうなのである。
この世界、桐壺更衣がまだ健在なのだ。
源氏物語本編によると、源氏3歳の夏、桐壺更衣はふとした病にかかって死んだ、とある。だってのにもう10月。旧暦だと冬の入り口だ。
抗生物質などが存在しないこの時代、ちょっとした風邪で命を落としてしまう事がよくあった。しかも、桐壺更衣の場合は嫌がらせに対する心労で弱っていただろうから尚更だったわけだ。
ところがこの世界の場合、嫌がらせは確かにある。しかし、嫌がらせを行う筆頭である母上が、嫌味程度で済ませてやっている。どうやら、桐壺帝に見切りをつけたらしい。女に夢中な夫にああだこうだ言うより、“神霊の加護を受けた神童(笑)”である息子の教育に専念しようと決意したようだ。それに伴い、他の女御更衣の嫌がらせレベルもぐんと下がっている。
そんなわけで、桐壺更衣は第二子を出産した上、産後の肥立ちの悪さが長引いて寝付いてることが多いらしいが、それなりに穏やかに過ごしているようだ。
「……先の春宮様が御位を降りられ、院となられた。それは8月までにすんだ」
「ああ」
「だが、いつまでたっても立坊の宣旨がない」
僕が呟くと、千寿が深く頷いた。
先の春宮篤親親王は、自身の健康問題を理由に春宮の位から降りた。その代償として、主上―奏上したのはお爺だが―は親王に一条院の院号と年官年爵を与え、“太上天皇に《なずら》ふ”地位とした。
「一条院は、御位を降りる際に僕への立坊を押していた」
「ああ。一宮様は第一皇子。後ろ盾も十分だし、何しろ原典でもそうなっていた」
だが、いつまでたっても僕に対する立坊の宣旨がない。内々に、という話もない。
朱雀帝が立坊(立太子)したのは、源氏4歳、朱雀帝7歳の時だ。だからまだ焦ることはないのかもしれない。だが、立太子の儀式の準備も必要だ。そろそろ話が出てもいいはずなんだけど。
それに、不安はもう一つある。
「気になるのは、更衣の兄がエリートコースに入ってるってことだ」
「確か、近衛少将も兼任して、蔵人少将になったんだっけ?」
「そう」
桐壺更衣の兄は、更衣より数歳年上で、まだ22,3歳といったところだろう。
按察使大納言の子息なのでエリートであることには変わりないのだが、主流である左大臣家・右大臣家からはやや外れた位置にいる。
だというのに、若くしてこの度五位蔵人という帝の秘書役のほか、親衛隊幹部である近衛府の少将も兼任し、正五位下蔵人少将と呼ばれることになった。
公卿の子息の出世ルートは、近衛少将→近衛中将・少弁・中弁→参議と行くのが典型だ。桐壺の兄は、この出世コースに乗ったのだ。
さらに言えば、彼のこの出世には、帝の意向が深く関わっているらしい……という情報が女房ネットワークにより流れてきた。
まさかとは思うが、桐壺帝の野郎、「源氏天皇」の道筋をつけようと画策してるんじゃないだろうな。
とはいえ。
「蔵人少将になったとはいえ、それで後ろ盾としての力が上がったかというと、別にそうじゃない。右大臣であるお爺には及ばないからいいとはいえ……」
「立太子を引き延ばして、後ろ盾としての地位と財力を得るのを待つ、とか?」
千寿が膝に頬杖を突きつつ意見を出す。
「それはちょっと……最低でも公卿になる必要があるから、どんな早くても24,5年はかかるよ。その間に、お爺がごり押しするに決まってる」
「だよな……」
しかし、今の千寿の意見で一つ思いついたことがある。
「立坊を引き延ばすってのはありかもしれない」
「と、いうと?」
美貌、才能、帝の寵愛。すべてそろった源氏の弱点は、後ろ盾の弱さだ。
祖父である按察使大納言はすでに亡く、頼りの叔父はまだ若い。
いかに一天万乗の天子の寵愛があろうと、後ろ盾のない太子は政をこなすことが難しい。それは世界の歴史が物語っている。権力を持つのは、国のトップだけではないからだ。
だが、それを解決できるとしたら?
源氏物語の権力者として挙げられるのは、第一皇子を産んだ娘を持つ右大臣だ。しかし、この世界にはもう一人大臣がいる。
「左大臣だ」
「左大臣?」
「うん」
僕は頭の中で源氏物語の内容を思い出しつつ、千寿に伝える。
「お爺―右大臣は自分の娘を頭中将と結婚させてたり、葵上を朱雀帝の后として望んでいたりすることから、左大臣はかなり強い権力を持っている。それは間違いない」
「ああ。爺ちゃんは左大臣の権力を取り込もうとしていたんだよな」
「そう」
桐壺帝は溺愛する臣籍降下した息子の後ろ盾として、左大臣を選んだ。
では、臣籍降下しなかった場合、どうだ?
「桐壺帝はまだ若い、春宮を決めなくても、大きな問題は起きない。左大臣を味方につけて、源氏を親王にし、葵上と結婚させる……これなら、源氏は左大臣という大きな後ろ盾を得ることになり、立坊の可能性も見えてくる」
「それなら、えーと、源氏が元服したのが11歳だから。7、8年程度待てばいいか。左大臣が味方に付くなら、そのくらいは妨害できるかもしれない」
「葵上が中宮になることを約束されるなら、左大臣にとっても悪い話じゃないし」
何しろ、桐壺が生きている。最愛の人と、最愛の人との間に生まれた息子に、最高の地位を与えてやりたいと思っても、おかしくはないのだ。
「……」
「……」
考えすぎならいいが……。
「源氏が天皇になっても、一応物語に大きな穴は開くけどな」
千寿が伸びてきた髪をいじりながらそう言う。
確かにそうだ。源氏が天皇になったら物語に大きな穴が開くだろう。それも一つの手だが……それは僕がおミソ扱いされるパターンじゃん。お断りだ。第一。
「僕がいやだ。そんなことになったら、僕の功績全部あの色ボケにいいようにされちゃうじゃん」
「わかってる」
チッと舌打ち交じりに吐き捨てた僕を見、千寿は苦笑した。そして、駄々っ子を宥めるようにぽんぽんと頭を優しく叩く。
「俺だって、今まで頑張ってきたことを誰かにいいようにされたくないって」
「わかってればいいよ」
ふん。思わず鼻息が荒くなってしまった。
こういうのを見ると、千寿は私より年上なんだな~と思う。私は気が強く、キレると泣いても殴るのをやめないタイプなので、この冷静さは助かるのである。
と、言うことを話していると、兵衛が私たちに声をかけた。
「一宮様、右近衛将監殿がいらしております」
「忠克が?」
どうやら有能官吏忠克氏が報告かなんかに来てくれたらしい。
あ、そうそう。今年23歳になった忠克氏―つか初対面の時17、8かと思ったら実は21歳だった実は童顔の忠克氏は、上の弟の善克と、下の政克を引き連れ、忙しく働いている。
改革のことを弟二人に任せた忠克氏は、大江山の隠し鉱山主との折衝に専念していた。とはいえ、技術協力までは取り付けたもののそこから先は3歩進んで2.8歩下がるのを繰り返していたため報告事項もなく、また仕事が忙しかったらしい。こうして面と向かって会うのは久々だったりする。
で、面と向かって会いに来てくれたってことは、なんか事態が動いたのかな?
私は兵衛に白湯を持ってくるように命じると、忠克を呼んだ。
「忠克、こっちだよ!来てくれる?」
「はっ!」
さっと衣擦れの音を立て、忠克が私たちの前に現れる。
口ひげと顎ひげは丁寧に整えられており、官吏として2年務めたためか次第に貫禄のようなものが出てきた。けど、表情はやや厳しい。いい報告、というわけではなさそうだ。
あ、その忠克氏だけど、今年の秋の除目(官吏任命式)で、帝の親衛隊である近衛府の現場指揮官、従六位上右近衛将監に出世していた。
地下人だから権力とは程遠いことには変わりはないんだけど、それはそれとして出世はうれしいらしい。
で、その出世した忠克君は私たちの前に座ると、深々と平伏した。
「長らく挨拶もいたしませず誠に……」
どうやら、忙しさにかまけてこっちに顔を出せなかったことを気にしていたらしい。
相変わらず真面目なお人だが、忙しくさせてるのはこっちなんだからそこまで気に銭でも……と元宮仕えの身としては思ってしまうのだ。
私は内心複雑な気持ちになりながらも、上位者として彼をねぎらう。
「いいよいいよ。仕事場も変わったし、忙しかったんでしょう?」
「順調に出世してるみたいでよかったじゃん」
私たちがそう声をかけると、忠克はほっと息を吐いた。
「ありがたきお言葉にございます」
「で、今日はどんな用で来たの?」
私が尋ねると、忠克は少し表情を硬くしていった。
「某がいない間も、京の散策をお続けになられているようですが……」
「あ、うん」
去年の6月に初めて今日の散策をして以来、私と千寿はちょこちょこと京の散策を続けていた。
とはいえ、月一程度、宮中から二条烏丸殿に戻るまでに少し遠回りするぐらい―精々五条のあたりを流す程度だけど。
「弟君と郎従たち借りてるよ」
「それは構いませぬ。如何様にもお使いください」
多忙の忠克は不在だったが、忠克の弟たちやむくつけき武者の皆さんに護衛してもらっている。
実戦経験豊富なマッチョどもばっかりだから、危険なんて1ミクロンもないことは忠克もよく知っているはずなんだけど……そんな話じゃないようだ。
忠克は小さく首を振ると、太い眉を寄せてこう言った。
「しばらくお控えいただきとうございます」
私と千寿は顔を見合わせた。
真面目な忠克氏だが、基本的には私と千寿の頼みを断らない。私達も無茶苦茶言うのを控えているっていうのもあるけど、彼自身、私たちのやることが民のため、そして自分の一族が勢力を伸ばすためになる、と考えているからだ。
その忠克が「やめろ」というからにはよっぽどの理由があるんだろう。
「何かあったの?」
「はい」
忠克は小さく息を吐くと、誰かに聞かれるのをはばかるかのように、声を潜めてこう言った。
「しわぶき病みが民の間に流行りつつあります」




