第23話 よかったね一宮君!次の皇太子は君だ!
◇一宮/隆明親王:六歳 二宮/貞明王(後の光源氏):三歳 五月中旬
内裏 梨壺
九月の初めごろ、桐壺更衣は第二子を産んだ。
女の子だった。
二番目の皇女なので、女二宮と呼ばれることになる。
この女二宮、原典には存在しない人物だ。
一応朱雀帝(私)の妹たちが女一宮と女三宮なので、その間に女二宮がいることは間違いないのだが、物語には一切登場しない。
そしてそもそも、桐壺更衣の子は光源氏だけだ。
だから、完全なイレギュラーキャラか、転生者なんじゃないかな……と思ってるんだけど、確かめようがないのでどうしようもない。
愛しの更衣との愛の結晶が増えた桐壺帝は大喜び。桐壺の官位を正四位上に進め、大量の贈り物を送ったそうな。産後の肥立ちが悪いみたいで、床についてることが多いみたいだけど。
まーそこまでは予想通りである。あるやろなーと思ってた展開。母上が舌打ちしたくらいですんだ。
年が明けて私は数え6歳、二宮は数え3歳になった。満で言えばだいたい2歳な。おめでたい。無事年を超え生き延びた。
んで、二宮君こと光君は、数え3歳で袴着という儀式を行っている。
袴着とは何ぞや。幼児の成長を祝って初めて袴をつける儀式で、大体3歳~7歳くらいに行われてる。私(一宮)も3歳の時にやった。
ところがだ。桐壺帝の野郎、ここでとんでもないことをやらかしやがった。原典にも書いてたしやるとはわかってたけどやっぱりやりやがった。
更衣腹の第二皇子の儀式を、女御腹の第一皇子の私の儀式に劣らないほど盛大にやりやがったのである。
二宮の後ろ盾は弱い。だから父親である帝が主催する。それはいい。内裏にしまってある財物を使って盛大にやってやろう。ま、それもよかろう。
でもな、明らかに強力な後ろ盾の身分の高い母を持つ春宮候補の長男と差ァ付けないってのは、やばいだろ!更衣も止めろや!そのままやらすな!
ただでさえ後宮が嫉妬の嵐でしっちゃかめっちゃかだってのに、何で油田火災にナパーム弾落とすような真似するかね!
この時ばかりは母上もマジ激怒していたわ。自分が生んだ長男差し置いて二宮を春宮にする気なんじゃないかって。脳の血管5本ぐらいキレてたかもしれん。お爺が宥めてたけど大変だった。ほんと。
で、お兄ちゃんになった二宮君だが、名前を貞明クンという。
日本では、兄弟間で名前の上か下かの漢字一文字を共有することが多い。通字という。で、桐壺帝は自分の子の通字を「明」にすることにしたらしい。醍醐天皇の子どもたちとおんなじだな。
しかし、桐壺帝の名は篤“貞”、可愛くて仕方ない次男坊の名前は“貞“明……もう露骨なエコヒイキが名前からして出てるわな。そして二人とも“貞”淑とは最も遠い人間であるということも共通してる。ファック。
私が隆明、のちの光源氏君こと二宮が貞明。
でも、二宮君は親王宣下受けていない。つまり「親王っていう皇族の上級称号を名乗っていいよ!」という許可を受けていないので、称号は王となり、公式的な名は貞明王となった。将来的には源貞明とでも名乗るんじゃないかな。どうでもいいけど。
そんな帝と桐壺更衣のラブ★ストーリーで後宮が重暗~くなってる中、私と千寿は梨壺の春宮様のところにいた。
「それッ……おお、一宮!蝙蝠が枕の上に乗ったぞ?」
「えーと、蝶が落ちて倒れておりますので、“わびぬれば”、11点でございます」
きゃー、11点ですって!と女房達のキャッキャウフフな声が上がる。
春宮様の前には、三寸四方×高さ六寸ぐらいの、美麗な絵が描かれた桐の箱と、蝙蝠扇、そして、美しい端切れで作られた、イチョウの葉の形をした“蝶”と呼ばれる的があった。
「しかし、面白いな、この投扇興とやらは。のう皆」
「はい、春宮様」
「一宮と千寿も、よくこのような遊びを思いついたものだ」
春宮様は子供らしい笑顔で笑った。
「お気に召していただき、ようございました」
「そちらは差し上げますゆえ、よろしければこれからもお楽しみくださいませ」
まあうれしい!よろしゅうございましたね、春宮様!と女房達が嬉しそうに言う。
それを見て、私と千寿もほっと息を吐いた。
いま、私たちが遊んでいるのは、投扇興という遊びだ。
元は投壺と呼ばれる中国の宴会余興用ゲームで、日本には平安時代にはもう伝来していたらしい。
しかし、日本ではなぜかあまり行われず、代わりに投壺をもとにして江戸中期ごろに誕生したのが、投扇興である。
詳しい遊び方は、枕と呼ばれる箱の上に蝶と呼ばれる的を置き、それに向かって扇を飛ばす。扇や蝶が落ちたか、落ちないか、どこにどんな形で落ちたかなどで点数が決まる、というやつだ。詳しくはウィ〇ペディア先生にでも聞いてほしい。
平安時代ってのは娯楽が少ない。そこで、1:女子供でも簡単に遊べる、2:平安時代の技術でも作ることができる、3:宮中でできるぐらいに雅、の三点を重視し、私たちの知識の中から選んで作らせたものだ。
で、弘徽殿の母上に遊んでもらい、OKが出たので、梨壺に持ってきたというわけだ。
「次は千寿だ」
「はい、春宮様。よッと」
千寿が飛ばした蝙蝠はふわりと飛び、蝶を落として倒す。その直後、蝙蝠も床に音なく落ちた。
「蝙蝠と蝶が落ちて倒れた、“瀬を早み”、一点」
「ウッソだろ……」
千寿が残念そうに頭をかいた。女房達がホホホと笑う。
弘徽殿でやったときは一番上手だったのにね、千寿君。でも投扇興は偶然の要素も強いから、難しいよね。
女房達が楽しげに笑った。春宮様もだ。屈託ない顔で笑っている。
初めて梨壺に招待されて以来、私たちは春宮様に度々招かれ、今やってる改革についてお話しした。いくつかは春宮様の所領でも試しており、今年から本格運用に入るようだ。
最初は皇位を狙っている「あの」右大臣家の血を引く皇子ということで、周りの女房達にはかなり警戒されていた。
しかし、別に私自身に変な気はないし、そもそも春宮自身が位を辞退しようと考えている。
母である弘徽殿女御は、私の立坊(立太子)を熱烈に希望している。しかし、春宮様との関係を悪化させたいわけではないし、私の立坊までの流れが穏便にすめばそれに越したことはないと思っているのだろう。
春宮様を何かと気遣うようになったし、私たちも、できるだけお行儀よく、丁重に、でも子供が年長者を慕うような感じで接した。
そのため、「弘徽殿女御も右大臣家も、春宮様に危害を加える気はない」と判断したらしい。
今じゃ私も千寿も梨壺出入り自由、春宮様も弘徽殿出入りフリーである。
さて、一通り勝負を終え、唐菓子と白湯で休憩をしていた春宮様が、穏やかな顔で言った。
「位を降りるお許しを頂いたよ」
未練も執着も、全く感じさせないさわやかな笑顔だった。
私と千寿は顔を見合わせた。
「よくお許しが出ましたね」
「ああ」
春宮様はこくりと白湯を飲むと、ふー、と深く息を吐く。
「主上―兄上も相当渋っておられたが、やっと許していただいた」
「……」
私は黙って白湯を飲んだ。
千寿がちろりと横目で私を見る。
ええ。渋ってたんだってな。超渋ってたんだってな。お爺と母上が言ってたわ。
こないだの袴着で、二宮は後宮から表の舞台に本格的に顔を出した。源氏物語に「悪評ばかりが多いけど、成長していくご器量がまたとないまでにお見事に見えるので、憎み通すことはできない。正しい判断のできる者は“こんな御方がこの世にお産まれなさることもあるものなのか”と目を見張っている」とあるように、満二歳だってのにその素晴らしい器量を周囲に見せつけた。
帝は大喜びだったらしい。私と桐壺タンの愛息子、最高!この美しさ、愛くるしさ、そして満にちゃいなのに立派に儀式をこなしてちゃうなんて!みたいな。あれから時々うちの女房と話すようになった靫負命婦が言ってた。
そのこともあって、帝は春宮様の「自分は位を降りるから一宮を立太子してくれ」の願いを聞かなかった。
どうせなら私ではなく二宮を立太子させたいという願いもあるだろうし、右大臣であるお爺と母上の権力伸長を危惧したのもあったのだろう。
でも、私の神童という評判(嘘っぱちだが)、改革を行い結果を出していること、そして、私自身にこれといった瑕疵がないことなどから、二宮立太子は難しいと考えたようだ。
帝はようやく春宮様の願いを聞き入れたらしい。
「……私は病弱だし、そなたのように特別な才があるわけでもない。肩の荷が下りた気分だよ」
「春宮様……」
それに、と言いうと、春宮様は声を潜めた。皇太子とはいえ主上の非難だ。おおっぴらには言いたくないのだろう。
「兄上はそなたに含む所があるようだが、私には理解できない。二宮は確かに美しく、見事な器量を持っているのだろう」
そこまで言うと、春宮様はあの濁りのない眼でじっと私を見た。
「だが、そなたは民を想う優しい心を持ち、実際に行動するほどの力もある。そなたほど春宮として―将来の帝としてふさわしいものはおるまい」
「……」
目の奥がじんわりした。
帝としてふさわしい者はいない。
ああ、この言葉を朱雀帝に聞かせたかった。
源氏と比べられ、プライドを踏みにじられ、煮え湯を飲まされ続けてきた朱雀帝に。
父帝が寵愛する二宮―源氏よりも、自分のほうが帝としてふさわしいと言ってくれる人がいた。血筋や後ろ盾ではなく、彼自身の心と行動を見て、そういってくれる人がいた。
もちろん、そうなるようにしたのは朱雀帝ではなく、朱雀帝という入れ物に入った私だけど……。
私はぎゅっと心臓のあたりを握った。
いや、ちがう。この世界においては、彼は私で、私は彼だ。同じ魂の記憶の一つ。私の評価は、朱雀帝よ、あなたの評価でもあるのだ。
あなたを称賛した春宮様のこの言葉が、私の中で砕け散った朱雀帝の人格の欠片に届いていてほしい……。
「……そう言っていただけるだけで、十分でございます」
「うん」
私は朱雀帝に変わって頭を下げた。目の奥の感情が零れ落ちないように、きつく目を閉じる。
すると、春宮様は私のほうににじり寄ってきて、優しく手を握りった。子供の手の感触に思わず顔を上げると、桐壺帝そっくりの、しかしより柔らかく穏やかな少年の顔が、ほほえみを湛えて私を見ていた。
「私は春宮ではなくなるが、これからもそなたとともに世をよくしていきたいと思っている。これからも、私にたくさん教えておくれ」
「……はい、春宮様」
――――――――――――――――
「春宮様に院号あげたらどうかって、お爺に進言させるか」
弘徽殿北庇。
白雪を撫でながら私がつぶやいた一言に、千寿が不思議そうに返答した。
「春宮様に院号を?どういうこと?」
「ん~」
春宮様こと篤親親王が、自ら位を辞退する。
不祥事を起こしたわけではなく、ライバル側、すなわち帝の第一皇子である一宮サイドからの圧力―まあ全く無かったってわけでもなかったけど、圧力に屈したわけでもない。
あくまでも「自分よりもふさわしい相手にその地位を明け渡すために円滑かつ円満に春宮の位を譲った」のだ。
で、譲られた側である我々としては、譲った相手に配慮をする必要がある。
そのために、元皇太子にふさわしい位を与える必要がある。そのための院号ってわけだ。
「まあ、理屈はわかった」
「わかってくれてうれしいよ」
私がそう説明すると、千寿はふーんというように膝に頬杖を突く。が、すぐに首を傾げた。
「でも、何で院号なの?院ってたしか、上皇の別名だろ?退位した天皇扱いにするってこと?」
「あー……」
ごもっともな疑問ですわな。この辺については、王朝時代に詳しい人でないとわからんだろう。
「正確には“上皇待遇”だけどね。“准太上天皇”ってやつ」
「……たしか、源氏が最終的になるやつだよな?」
「そ。准太上天皇っていう具体的な称号とか地位が与えられたわけはないんだけどね」
千寿が記憶の外から絞り出すように答える。
源氏物語を呼んだことのある方ならお分かりだろうが、「藤裏葉」の巻にて、40歳の源氏は「太上天皇になずらふ御位」につく。源氏の栄華が極まった瞬間と言えるだろう。
「で、この准太上天皇だけど、実例があるんだ」
「実例?」
「そう。1017年、三条天皇の皇子、敦明親王が、皇太子の地位を辞退する見返りに、小一条院の院号と、年官年爵を与えられ、上皇同様に院庁が設置されたという例がある」
敦明親王は、三条天皇の第一皇子として誕生した。母は贈右大臣の娘である宣耀殿女御である。
しかし、彼は不幸にも、当時の権力者であった藤原道長の血を引かぬ皇子だった。
敦明親王は、三条天皇の譲位後に即位した後一条天皇の皇太子となる。しかし、自分の娘が生んだ皇子に皇位を継がせたい道長は、親王に対し様々な圧力を加えた。
そして父、三条上皇の崩御後、皇位を継承できる可能性は低いと考えた親王は、皇太子の地位を辞退したのであった。
その後、道長の計らいで小一条院の尊号が与えられ、親王所生の子たちは二世王でありながら親王宣下を受けるなど、破格の待遇を受けた、という例だ。
「これが歴史上唯一の“准太上天皇”の例。“准太上天皇”って具体的な言葉が出てきたわけじゃあないんだけどね」
「はー……。つまり」
私の説明に、千寿は軽く顎に手を当て考える。
「上皇待遇なら辞退した皇太子の地位としてふさわしいし、右大臣家が春宮様に配慮してるってアピールにもなる、ってこと?」
「まあね」
「はー」
私達がそんな話をしていると、庭のほうから一人の少年がやってきた。
年のころは10歳ほど。やや浅黒く、小柄ではあるが、頬もふっくらとして血色がよい。
淡い水色の童水干を着、低い位置で髪を結っている。右手には、布で包んだ何かを持っていた。
小舎人童は私たちがいる庇のすぐそばにやってくると、すっと跪く。
「一宮様、千寿君、今いいで……よろしいでしょうか?」
「どうしたの、夜叉丸」
夜叉丸と呼ばれたこの少年、そう、四条で見つけた丹後豪族の末裔、カルヤシャである。
去年、大江山の隠し鉱山の一族と接触した我々は、引き裂かれた鉱山主の御曹司カップルが再会する手伝いをした。
御曹司は私達(とメインで働いた忠克)に感謝し、必ず父である隠し鉱山主に私たちが話した条件を伝えると約束し、帰っていった。そして、御曹司と私たちのつなぎとして、一族の少年カルヤシャを残していったのである。
カルヤシャは夜叉丸と名を改め、小舎人童、貴族に使える雑用係として仕えることになったというわけだ。
あ、ちなみに鉱山主さんとの交渉はまだまとまってませんが、技術協力と引き換えに鉄とか鉱石を優先的に回してくれるようになりましたよ。
さて、そのカルヤシャ君だが、布で包まれた荷物を私たちに差し出した。
「二条烏丸殿の平善克様より、お届け物が」
「善克から?」
千寿が身を乗り出して荷物を受け取る。
あ、平善克ってのは、一宮に仕えることになった忠克の弟の一人だ。鉱山主との交渉や修験者との接触を行っている忠克に変わり、私達の事業の統括を行っている。
荷物を開くと、そこには文と二種類の白い綿があった。
「来たか」
「うん」
千寿は綿をちぎり、感触を確かめ、軽く匂いを嗅いだ。私も鼻を寄せる。ちょっと獣っぽい匂いがした。
「間違いない、羊毛だ。こっちはコットンだな」
「よしよし」
千寿がもう一方の綿に触れながら太鼓判を押す。さすが米農家の跡取り農学部出身。いや、農学部出身だからって羊毛やコットンの区別が匂いでわかるわけじゃないんだろうけどさ。
忠克の弟、善克からの文には、唐の商人に依頼していた羊毛と木綿が大宰府から届いた。サンプルを取り急ぎお届けします(大意)と書いてあった。
「じゃあ早速人を集めて織らせよう」
「新しい織機も試したいしな」
新しく届いた産物を前に和気あいあいとする私たちを、カルヤシャこと夜叉丸君が不思議そうな顔で見ている。
そんな白いもふもふ、何の役に立つんだ?とでも言いたげだ。
「これはね、夜叉丸。羊という動物の毛と、木綿だよ」
「ヒツジの毛と、モメン?」
「そう、唐の国から取り寄せた」
去年の同じ時期、私は中国の商人に、羊毛と木綿、そしてできれば羊を売ってほしいと依頼した。
対価は干シイタケだ。この時代は天然品しかないシイタケは中国でも高級品。そこで、農学部出身千寿君に依頼にシイタケを栽培してもらった。何度も失敗を繰り返したが、大学時代に実験でやっただけあって何とか成功した。これぞ現代知識チートよ。
「木綿というのは天竺方面から伝わってきた植物の綿。羊っていうのは……この毛を全身にまとったもこもこの家畜だよ」
「もこもこ……」
古代メソポタミアで家畜化が始まったとされる羊は、平安時代までに日本に何度か上陸していたが、土着にまでは至っていない。羊毛製品は長くにわたって富裕層に珍重されるぜいたく品であり、家畜としての定着は明治時代を待たねばならない。
よって、夜叉丸が羊の存在を知らないのも無理はない。
「年に一回ぐらい毛を刈って、いろいろな用途に使うんだ。服や天幕に使ったり、肉を食べたりね」
「唐の国の北の騎馬民族や、突厥より西のほうの国では、よく使われているらしいよ」
「はあ」
夜叉丸は納得したようなしていないような顔で頷き、しげしげと羊毛を見ている。
「冬になるとしわぶきのような疫病もあるし……」
「木綿……できれば羊が定着してくれれば、凍えてなくなる人も減ると思うしね」
この時代、日本の繊維っつったら絹か麻を中心とした植物繊維だ。んで、貴族はともかく庶民は絹なんて使えない。なら麻を中心とした植物の繊維って話になるんだが、麻の着物は通気性がいいせいで、夏はともかく冬は寒いのだ。
ゆえに、寒さに怯えずに済む繊維を……ってことで羊毛と木綿、そして羊さんを大量輸入したわけだ。
毛布とか作って、京の庶民に配れればいいなあ……なんて思ってるんだけど……。
と思っていると、どこからかとてててて、と小さな足音と、ぐすぐすという鳴き声が聞こえてきた。




