榛色の真実2
オリビエは多分……もう私にウンザリしているわよね。
そう思うと次第に胸が苦しくなって、セシーリアは眉を寄せた。
たちまちあの頼りない炎が揺れる薄暗い部屋の光景が眼に浮かぶ。
オリビエが、女性を。
ズキズキと胸が痛くて、セシーリアは咄嗟に胸を押さえた。自分なりにあの日の事を、道筋をたてて考え、納得しようと試みる。
オリビエは、きっとあの女性を愛してるんだわ。
だから度々街へ行き、彼女を抱いていたのだ。
『愛してる、セシーリア』
荒い息の間から切な気にそう囁き、あの女性をあられもない体勢で組み敷いていたオリビエ。
「……っ……!」
ツン、と鼻の中が痛んだ。
オリビエが、同じセシーリアという名の別人を愛しているという事実。
……ダメだ、涙が。
セシーリアは涙を拭きながら立ち上がった。
強くなきゃダメ。ラティアの薔薇と呼ばれているじゃないの、私は。この国にしか咲かない、一度咲いたら枯れるまで決して花びらを閉じることのない、ラティアの薔薇。私は、ラティアの薔薇に負けないくらい強くなりたい。
セシーリアは眼を閉じて大きく息をした後、部屋を出て薔薇園へと向かった。
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神殿の南側には多種類の花を栽培した畑があり、その更に南にバラ園が広がっている。
セシーリアはゆっくりとそのアーチ型の門をくぐると、薔薇の間を進んだ。
「綺麗……」
バラ園には、燃えるような深紅の薔薇もあれば汚れを知らぬ純白の薔薇もある。明るい日の光を思わせる黄色い薔薇の隣には抜けるような空色の薔薇が咲いているし、闇のように黒い花びらの薔薇もある。
どの薔薇も、花びらの色は違えどしっかりと天を仰ぎ、凛とした姿である。
セシーリアは咲き誇る薔薇の中で、静かに口を開いた。
「私も……こんな薔薇になりたい」
「貴女は既にラティアの薔薇だ」
ビクッと身構えて声のした方を見ると、薔薇園の入り口にオリビエの姿が見えた。
榛色の瞳にランプの明かりが柔らかく反射し、それがあまりにも美しくてセシーリアの鼓動が跳ねる。
「……なに?」
けれどそんな自分を悟られたくなくて、セシーリアは視線を落として硬い声を出した。
「馬上での剣術の稽古の帰りにセシーリア様が見えましたので」
「……そう」
「貴女は?」
少し眼を上げてオリビエを見ると、彼は真っ直ぐにセシーリアを見つめていた。
……そんな風に見ないでほしい。こんな潔い眼差しを、私に向けないで。そんな顔で見つめられると、この恋が叶わなかったと実感させられる。
胸に鉛を流し込まれたような苦しさがセシーリアを襲った。
仕方がないって分かってるのに。だってオリビエはあのお店の『セシーリア』さんが好きなんだもの。私じゃないのだから仕方がない。
セシーリアは一生懸命自分の心にそう言い聞かせると、出来るだけ口調に感情を込めずに言った。
「そう。ご苦労様。私はシーグルの部屋に飾る薔薇を摘みに来たの」
……あながち嘘ではない。昼間、セシーリアがシーグルの部屋の中を見て味気ない部屋だと指摘すると、シーグルは『白い薔薇なら飾ってもいい』と言ったのだ。
……早くオリビエから離れたい。だって、辛いもの。
セシーリアは持ってきたハサミで純白の薔薇を数本摘むと、トゲを取り、ひとまとめにした。
「じゃあ……さよなら」
「シーグルが好きなのですか」
「っ……!」
ぶつけるようにそう言ったオリビエに驚いて、思わずセシーリアは硬直した。反射的に見たオリビエの顔は氷のように冷たい。
「貴女はあんな子供がいいのですか」
セシーリアの返事も待たずにオリビエは言葉を重ねた。
「あなたの護衛役はシーグルではなく、この僕だ」
言い終えたオリビエがグッと唇を引き結んだ。
……何が言いたいの、オリビエは。私を……シーグルを馬鹿にしているの?!
セシーリアは目眩がしそうになるのを必死で抑え、大きく息をすると敢然と口を開いた。
「確かにシーグルは16歳だけれど、背も高くとても逞しい身体をしているわ。それに優しくて頼りがいもある。あの子をただの16歳の子供だと思わないで。それに、お前は私に構う暇などないでしょう?!」
次第にイラついてきて、セシーリアはオリビエを睨んだ。
「あなたが心配なんだ」
「心配なのは、我が身でしょう?!私と離れている事実をレイゲンにどう申し開きしようかと気が気じゃないのよね!?だってお前は、あの薄暗い店の『セシーリア』に会う時間を作らなきゃならないもの。私に煩わせられたくないわよね。ああ、私なら平気よ!?レイゲンにはこう言えばいいわ。『父上、王女はシーグルを護衛役にしたいそうです』とね!」
セシーリアが険を含んだ眼差しを向けてこう捲し立てると、オリビエは奥歯をギリッと噛み締めた。
それから荒々しい足取りで門をくぐると大股で歩を進め、あっという間にセシーリアの真正面に立った。
「な、によ」
榛色の瞳が苛立たしげに瞬き、セシーリアは思わず息を飲んだ。こんなオリビエを見たのは初めてだったのだ。
苛立たしさを隠そうともせず、地響きがしそうな勢いで距離を詰めたオリビエ。
「確かに、我が身も心配です。あなたが好き放題して身に危険が迫ると、父上に叱られるのはこの僕だ!貴女はまるで分かっていない!」
オリビエはそこで言葉を切り、大きく息をついた。
一方セシーリアは、こんな風に語気を荒げるオリビエが信じられず、眼を見開いて硬直した。
オリビエはそんなセシーリアを見下ろして、憤懣やる方ないといった態度を無理矢理落ち着かせようとして続けた。
「……以前言いましたね。僕が貴女の上をいくなら何でも言うことを聞くと」
ギクリとしてセシーリアは喉を動かした。
……確かに言った。けれどそう言ったのは、オリビエと近衛兵アデルとの手合わせを見る前だった。
それよりも前のオリビエはセシーリアとの練習時、負けてばかりいたから……。
彼の腕前をその程度だと思っていたからこその言葉であって、あんなに強いと分かっていたら言わなかった。
グッと言葉に詰まるセシーリアを、オリビエは至近距離から見下ろしてニヤリと笑った。
「今から……勝負していただきたい、僕と」
言いながらオリビエは、背中の袋からスラリと練習用のスティーダ(長剣)を引き抜いた。
「貴女が勝ったら、誰とでもいればいい。それがシーグルだろうが、僕は口出ししない。けれど僕に負けたら……」
オリビエがスティーダを回転させて、その柄をセシーリアに差し出しながら再び口を開く。
「シーグルではなく、僕のそばにいてもらう。ずっと」
端正な顔を斜めに傾け、僅かに両目を細めてこちらを見据えるオリビエに、セシーリアの胸がドキンと高鳴りその身が震えた。
……なんて卑怯なの。剣術の腕前を偽り、油断させておいてこんな事を。
私がお前に勝てないと分かっておきながら、こんな事を!
「卑怯者」
セシーリアがグッと睨むと、それを見たオリビエが僅かに眉を上げた。
「卑怯なのは貴女だ」
「どういう意味?」
「……」
「言いなさいよ!」
オリビエが眉を寄せて奥歯を噛み締めた。
それから言う気がないといったようにホッと小さく息をついて、セシーリアを一瞥する。
「拒否するなら、国王様に貴女の素行をすべてご報告いたします。常習的に城を抜け出し、釣りどころかエルフの街まで下りて遊び呆けていると。……すぐに縁談話が舞い込むかもしれませんね。あなたが傷物になる前に」
「受けて立つわ!」
オリビエの言葉と重ねるように叫ぶと、セシーリアは差し出されたスティーダを奪うように掴んだ。
それから薔薇から遠ざかり、足場を確認すると、セシーリアはスティーダの切っ先をオリビエの喉元へ向けて叫んだ。
「いくわよ」
「いつでも」
余裕の笑みを見せてスティーダを構えたオリビエが憎らしい。セシーリアはギリッと歯軋りすると、スティーダを両手で握った。
一方オリビエは、冷えた笑いを浮かべてスティーダを右手で持つと低く構えた。
どこまでも馬鹿にして……!
オリビエの利き手が左手であることを知っているセシーリアは、屈辱に震えた。そんなオリビエを睨み据えたまま、セシーリアは斜めにスティーダを振り下ろす。
「ハッ!」
「遅い!」
鋭く響く硬い音と共に、セシーリアのスティーダはオリビエのそれによって大きく弾かれた。
「うっ!」
手放さなかったものの、手首に経験したことのない痛みが走り、セシーリアの顔が歪む。
その時、構え直す暇もなく、オリビエがセシーリアの身体の正面を突いた。




