悲しみのセシーリア《1》
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数日後。
「セシーリア!」
「シーグル!どうしたの?!」
神殿の先にある花畑で薔薇を摘んでいたセシーリアは、眼に涙を溜めて荒い息を繰り返すシーグルを驚いて見つめた。
「兄さん達がっ……!」
兄さんという言葉に些かドキリとしたが、泣いているシーグルの話を聞かない訳にいかず、セシーリアはハサミを下ろすとシーグルに歩み寄った。
「オリビエ達がどうしたの?」
達、というからには恐らくそこにはアンリオンやマルケルスも入っているのだろう。
「今日の午後、街に行くのに俺を連れていってくれないんだ」
「オリビエ達が、街に?」
シーグルは頷きながら右腕で涙を拭った。
「お前にはまだ早いって。ひどいよ」
……酒場にでも行くのだろうか。
ラティア帝国は、男なら18歳から飲酒可能である。
セシーリアは、悔しそうに唇を噛むシーグルをなんと慰めてやるべきか考えあぐねた。もしもオリビエ達が酒場に行くのだとしたら、シーグルを連れていく訳にはいかないからだ。
「俺だって、街は好きなのに」
確かにラティア帝国の王都であるエルフは華やかで美しい都である。
城下に広がる建物は全て白い壁で統一され、その屋根は淡く美しい黄金色である。
その上、街の至るところにラティアの国花である薔薇が飾り付けられていて、それが尚更人々の心を浮き足立たせるのだった。
「店屋を見て回ったり、屋台でララの腸詰めだって食べたいのに」
ララとは仔羊と仔牛、仔豚の肉を同量ずつ細かくし、香草と合わせて練り、蒸したものである。
「……わかるわ。わたしも街は大好きよ」
城へと続く大通りにはいつも様々な店が軒を連ね、珍しい食べ物であろうが装飾品であろうが、手に入らない物はないと言っても過言ではない。
……街か……。
ここ三ヶ月の間、セシーリアは城下に下りていなかった。セシーリアが城下に下りる時はいつも仰々しい列が出来上がるため、見物人が更に倍増する。
ラティア帝国の姫という立場上、セシーリアは三頭立ての馬車から降りる事を許されず、 店に近寄ることも商品を手にとって見ることも出来ない。それなのに、馬車の中では乳母であるアメリアをはじめ、警護の為の近衛兵までもが乗り込み、息が詰まりそうになる。
何一つ自由に楽しめないのなら城下になど行く価値もないと思い、父王であるラティア王にそう申し出ると、セシーリアは優しく諭された。
『セシーリア。お前が城下へと足を運ぶのは、お前自身の為ではないのだよ。このラティアの民の為なのだ』
最初は意味が分からなかったが、沿道をはじめ建物の窓という窓、屋上という屋上から人々が顔を出し、一目セシーリアを見ようと集まる姿を見て、セシーリアは眼を見張った。
『美しいセシーリア様!』
『まさしくラティアの薔薇だ!セシーリア姫!』
知りもしない民から愛され、慕われる喜び。
この時初めてセシーリアは、これも自分のつとめなのだと漸く理解し受け入れたのだった。
「行きましょう、シーグル!」
「……え?」
シーグルのすぐ前で、勝ち気なマラカイトグリーンの瞳が光った。
「だから、エルフの街へ!」
エルフとは、ラティア帝国の王都である。
シーグルは、キョトンとしてセシーリアを見つめた。そんなシーグルにセシーリアがニヤリと笑う。
「あのね、シーグル。『お忍び』って言葉を知ってる?」
「お忍び……あ、うん」
セシーリアは薔薇を手早く麻布にくるんだ後、それをシーグルに押し付けると両手を上げて髪を束ねた。
「この言葉はね、午後からの私達の為にあるのよ。オリビエ達には内緒だからね!」
セシーリア……。
シーグルは『お忍び』よりもセシーリアの瞳に浮かんだ『大胆不敵』な光を見つけ、夢中でそんな彼女を見上げた。
*****
城には常に荷馬車が出入りしている。荷馬車用の出入り口は、三ヶ所ある跳ね橋のうち一番北側のそれである。
セシーリアはシーグルを見つめると、小さな声で言った。
「いい?北の跳ね橋の手前にある御者の休憩所があるでしょ?あそこの番兵に見つからないようにするのがコツなの」
「そんなの無理だ」
「それがそうでもないのよね」
セシーリアは得意気に少し顎をあげると、グッと瞳に力を込めた。
「跳ね橋が降りる時間は決まってる。荷馬車はそれを見計らって橋の前の待機場に集まるわ。荷馬車に付けられた番号順にね」
「うん、うん」
シーグルは真剣な面持ちでセシーリアに頷いた。
セシーリアの作戦はこうだった。要は、午後一番に集まる数多くの荷馬車は跳ね橋が降りるまでの時間を、手前の待ち合い場で待機する。そこに紛れ込んで、荷馬車に乗り込もうというのだ。紛れ込むのは跳ね橋が降りる寸前。早すぎると待機場の荷馬車の数が少なくバレてしまう。
「いい?一番後ろの荷馬車に乗るからね。服は出来るだけ目立たないのを着るのよ」
「分かった」
「じゃあ、後でね!」
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「セシーリア、君は天才だね」
「そう?ひどく質素な作戦だけど」
シーグルは魚釣りの時と同様、笑い出しそうになるのを必死で押し殺した。
セシーリアとシーグルが乗り込んだ荷馬車は、漁師町からの荷馬車だった。荷台には空になった木箱が何箱も乱雑に積まれていて、生臭ささえ我慢すれば身を隠すのに十分であった。
荷馬車に揺られること数十分の後、セシーリアは荷馬車が減速したのを感じると、シーグルに声をかけた。
「シーグル。飛び降りるわよ」
「え!?」
セシーリアは軽くシーグルを睨んだ。
「『お忍び』って言ったでしょ?!私が御者に馬車を停めてとお願いするとでも?」
シーグルは荷台を覆う麻の隙間から、小さくなっていく人々や建物を見てゴクリと生唾を飲んだ。
「……今?」
呟くように言ったシーグルを、セシーリアが冷めた眼で見た。
「今じゃないと街の外れの漁港まで行っちゃうじゃないの。あなたまさか漁をしに来たんじゃないでしょうね」
「そんなわけないだろ」
「男でしょ?しっかりなさい!」
「わ、わかってるよ!」
「行くわよ!」
いつもそうだ。シーグルの前でセシーリアは、いつも潔く逞しい。歳上とはいえ、いつまでも女の子であるセシーリアよりひ弱だと思われるのは俺だって嫌だ。
「わかった」
シーグルは歯を食い縛った。飛び降りたときの衝撃を少しでも和らげようと、全身に力を込める。その時二人に味方するように運良く、対向する馬車の為に御者が手綱を引いた。
「今よ!」
「……っ!」
大きく減速したのを見計らうと麻布をめくり上げ、二人は荷台から飛び降りた。二人して仲良く尻餅をついたものの、大した衝撃もなく無事に計画は成功した。
互いに顔を見合わせるとたちまち笑いが込み上げてくる。
「あはははは!やったわね、シーグル!」
あ……。
ドキンと鼓動が跳ねて、シーグルはそんな自分に驚いた。それから空を見上げて大きく口を開け、心から楽しそうに笑うセシーリアを見てシーグルは眼を見張った。
セシーリア……。
いつでも挑戦し、強く逞しいセシーリアをシーグルは眩しく思った。
帝国の民はこぞってセシーリアを『ラティアの薔薇』と呼ぶけれど、俺に言わせればこの人は薔薇よりも美しい。
セシーリア……。
「さあ、シーグル、ララを食べに行くわよ!」
とびきりの笑顔でこちらを見たセシーリアに、シーグルは全身がカアッと熱くなった。
「う、うん!」
セシーリアの伸ばした手をギュッと握るとシーグルは大きく頷き立ち上がった。このときのシーグルは、この日が自分にとって意味のある日になる事をまだ知らなかった。




