小さな恋《1》
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「……眠れないわ」
天蓋付きの寝台の中でセシーリアは何度も寝返りを打ちながら、最終的にはこう呟いて身を起こした。
窓から差し込む月はとても明るく、またしてもセシーリアはオリビエを思った。
オリビエは……もう眠っているのだろうか。それともまだ起きていて、この月を見上げているのだろうか。
……もしも……もしもこの月を見上げているのだとしたら、オリビエは何を思っているのだろう。
淡い期待とそれを否定する切ない気持ちで、たちまち胸がキュッと軋む。
セシーリアはホッと息をつくと部屋を抜け、狭い廊下を通りその先の番兵に声をかけた。
「中庭へ散歩に行く。アメリアは起こさないで。すぐに戻るから」
セシーリアの部屋を守る番兵達は、彼女の言葉に頭を垂れた。
アメリアとは、セシーリアの乳母である。近頃は疲れやすく、体調を崩しがちであった。そんなアメリアを、自分の恋煩いで叩き起こすのは忍びない。
セシーリアは音を立てず、滑るように歩いた。
自室の廊下の先は宮殿内の幅の広い廊下へと繋がっていて、そこは等間隔に置かれているランプのおかげで昼間のようだ。
ラティア城内は、宮殿の中に限らず庭でも使用人達の居住地区でも常に明るい。他国では蝋燭やランプの原料が非常に貴重で、夜は鐘の音と共に一斉に灯りが消される国もあるというが、ラティア帝国にはその心配がなかった。
なぜならラティアには温暖な気候と肥沃な土壌が豊富で植物がよく育ち、ミツバチの生息に大変適した国であるからだ。
ラティアのミツバチは質の良い蜂蜜を作り、その巣からは蝋燭の原料となる蜜蝋がとれる。蜜蝋は蝋燭だけに留まらず、香草や油と混ぜて肌の保湿や手入れに利用出来る。
養蜂業が盛んなラティア帝国は、国外からもその需要が高く、ミツバチから得る収入が国益と直結していると言っても過言ではないのだった。
セシーリアは、そんな甘い蜜のような光の中を進みながら思った。
……今年の蜜祭りには……街の女の子達と同じように、私も蜂蜜入りの焼き菓子を作りたい。
ラティア帝国には、ミツバチに感謝し年に一度ある分蜂、(蜜蜂達の巣分け)の季節に盛大な祭りが執り行われる。
一週間続くその祭りで、街の女達は好きな男のために蜂蜜のたっぷり入った焼き菓子を手作りして贈るのが昔からの習わしであった。男は相手を気に入ったなら、蜜入りの化粧品を贈りかえす。
セシーリアはそんな恋の風習の中にいつか自分も飛び込んでみたいと夢見ていたのだった。
「おい聞いたか?今から二番隊のアデルが、レイゲン殿の御子息とスティーダ(長剣)の手合わせをするそうだぜ」
……オリビエが?冗談でしょう?
中庭の池の傍の石段に腰を下ろしたばかりのセシーリアの耳に、勤務時間を交代して宿舎に戻ろうとしていた近衛兵の会話が飛び込んできた。
「オリビエ殿か?!アデルは二番隊の中でもかなり腕がたつぞ?!なんだってそんな無謀な事をオリビエ殿は……」
ここまでの会話を聞いて、セシーリアはいても立ってもいられなくなり、武術練習場へと走った。武術練習場は近衛兵の宿舎のすぐ隣にあり、ここからだとかなりの距離である。
このまま走り続けたとしても、たどり着いた頃にはオリビエと近衛兵アデルの手合わせは終わっているかもしれない。
「近衛兵!」
「これは……セシーリア様」
セシーリアは蹄の音を振り返り、その馬上に近衛兵の象徴である赤いマントを見つけると、早口で言った。
「馬を貸して!」
「あ……しかし……はい!」
夜着一枚で馬に乗ろうとするセシーリアに些か戸惑ったものの、近衛兵は慌てて彼女に馬を差し出し、自分のマントを急いで外すと小さく頭を下げてからセシーリアの腰にそれを巻いた。
「あなた優しいのね。ありがとう」
馬で駆けると翻るであろう夜着姿を心配し、近衛兵が巻いてくれたマントを見ながらセシーリアは礼を言うと、馬によじ登り、鐙に足を掛けてその背にまたがった。
「お気をつけて!」
明るい城内は、馬で駆けるになんの問題もない。
セシーリアは噴水の傍から、眼下に広がる練習場を見下ろした。ここからなら、中に入らずとも手合わせの様子がよく見渡せる。
セシーリアは馬にまたがったまま、練習場の中央でスティーダ(長剣)を手にしたオリビエを見つめた。
オリビエとアデルの周りには、この手合わせを見届けようとする十数名の人間が円を作っていた。
「スティーダが手から離れたらその時点で負けだ」
……アンリオンだ。アンリオンがアデルとオリビエの間に立ち、二人を交互に見ながらそう言っている。
「はじめ!」
アンリオンの声を合図に、二人が距離をとってスティーダを構えた。途端に皆が傍を離れ、歓声が上がった。
「オリビエ!アデル殿は二番隊長の右腕だ。思いきり胸を借りろ!」
マルケルスが大きな声でそう言うと、オリビエが彼を見て笑った。その落ち着き払ったオリビエの綺麗な瞳に、セシーリアは息を飲んだ。
知らず知らずのうちに、手綱を握る手は汗ばみ、力がこもる。
オリビエ、オリビエ。
スティーダは、両刃の長剣である。練習用に刃がない事を除けば、長さも重さも実戦用と全く同じ作りだ。
女であるセシーリアには重かったが、オリビエもまたセシーリアとの手合わせではいつも重そうにしていた。
なのに……今は……。
眼の前のオリビエは、アデル相手に難なくスティーダを振り回している。時には片手、時には両手で。
アデルの一撃をオリビエは半回転しながら素早くかわすと、今度は重心を低く保ち、アデルの足元に狙いを定めた。
アデルが器用に自分のスティーダでオリビエのそれを跳ね返すも、オリビエは体勢を崩すことなく次の一撃をアデル目掛けて打ち込んだ。
重い金属音と二人の息遣いが練習場に響き渡り、それが斬り結ぶ激しさを物語っている。
セシーリアは信じられなかった。
今アデルと戦っているのは、本当にオリビエなんだろうか。
地を蹴ってアデルの頭上に剣を振り下ろそうとしているオリビエは、まるでセシーリアが知らない男に見える。乱れて額に振りかかった髪の下から覗く鋭い眼差しはまるで獣のようだ。
しかもセシーリアとの稽古の際、オリビエは必ずと言っていいほど袖の長い服を着ているが、今は肩まで露になった袖のないトゥナという男性用の服を着ていた。その逞しい筋肉の張った二の腕に、セシーリアは見惚れた。
……いつの間にオリビエはこんなに男らしい身体になっていたのだろう。セシーリアの記憶の中のオリビエはヒョロリと細く、ただ長身で手足が長かった。
「……くっ!!」
その時、一際大きな音が響き、オリビエの手からスティーダが弾け飛んだ。
「そこまでっ!!」
しかし、アンリオンの声が終了を告げても、必死になっているアデルにはまるでその声が届かず、攻撃は止まらなかった。
セシーリアは心臓に冷水をかけられたようにビクンと身体が震え、それを感じた馬が首を上げて蹄を鳴らす。
そんなセシーリアの前でオリビエは、制止のきかないアデルのスティーダを後方に倒立しながら回転し、跳び退いて避けた。たちまちそんなオリビエの身の軽さに歓声が上がる。
「アデル殿、そこまでです!あなたの勝ちだ」
「すまない……!」
アンリオンとマルケルスが声を張って同じような言葉をかけ、ようやくアデルが我に返った。
「いえ。アデル殿、お疲れのところを感謝申し上げます」
オリビエが、地についた手を払いながらアデルを見つめ、深々と頭を下げながら再び口を開いた。
「参りました、アデル殿。僕はまだまだあなたに敵わない。もっと精進しますゆえ、またいつかお手合わせ願います」
いつの間にか瞳の中の鋭い光は消え失せ、変わりに穏やかな微笑みを浮かべたオリビエに、アデルは苦笑して白い歯を見せた。
「久々に熱くなってしまったよ。オリビエ、こちらこそよろしく」




