残酷な結末《2》
「……なに言ってるんだ」
フワリと空気が動き、甘い香りとセシーリアの柔らかな身体がシーグルにまとわりつく。
そんなセシーリアに腕を回したい思いを押し殺しながら、シーグルは目を閉じた。
……セシーリアは同じだ。全然変わらない。
俺が城を出る前も、帰ってきてからも。
わかってる。何故ならセシーリアの心にいるのは、オリビエ……兄さんだから。
「シーグル、大好きよ」
純粋で無邪気なセシーリア。
シーグルはセシーリアに気付かれないように大きく息を吐き出すと、優しい声で答えた。
「……俺もだよ。もうすぐ準備が整う。なにがなんでも兄さんを取り戻そうぜ」
「うん、うん!」
いつの間にか風は止み、強い太陽の熱がシーグルの心までも焦げ付かせていた。
*****
「セシーリア、ようやくライゼンから良い報せが届いたぞ。これを見ろ」
朝食中だったセシーリアの元へ、眼を輝かせてやって来たマルケルスが右手の皮紙を突き出して笑った。
ライゼンからの書簡。
「見せて」
葡萄水の蜜割りでララ(ひき肉料理)を流し込んだセシーリアは、立ち上がってマルケルスの広げた皮紙に視線を落とした。
「これはイシード帝国へ行き来する密使や兵士のための新路と、国境から一番近いグレイザの谷の仕掛け図面だ。この谷に誘い込んで同士討ちをさせる」
同士討ちとは文字通り味方や友軍同士を騙して攻撃させ、共食いにする戦法である。
「上手くいくかしら」
不安を口にしたセシーリアにマルケルスがニヤリと笑い、言葉を返す。
「同士討ちは疑心暗鬼の延長にうまれ、忍耐力のなさが招くものだ。他人を踏み台にしてのし上がった簒奪者がハマりやすい戦法だ。イシードの長はあのカリムだぞ?部下の器量もたかが知れてるだろうさ。しかももうイシードの同盟国……ディズール国内にはアルディン達《エルフの風》の面々が入り込み、兵士としてイシードの友軍に加わる手はずだ」
《エルフの風》とはラティア帝国屈指の優秀なグロディーゼ(剣闘士)養成所である。
「ディズール国は多民族国家で国としての歴史も浅く、試験にさえ合格すれば誰でも出身国を問われることなく兵士として働ける」
「アルディン達が……そうだったの……」
マルケルスは続けた。
「アルディン達には敵軍に内部の裏切りを疑わせる役目を担ってもらってる。ノリノリだったぜ」
「わかった。マルケルス、ありがとう」
「あとは敵を誘い込むガムズ河の底掘り、新しい武器開発。こちらの方もラティア全土から専門家を集めて作業中だ」
「……うん」
曇った顔のセシーリアに気付き、マルケルスが眉を上げた。
「どうした?」
「オリビエは……元気かしら」
「なに言ってるんだ」
変な間を作りたくなくて反射的にそう言ったものの、オリビエの命の確証などどこにもない。
「オリビエは無事に決まってる」
「ごめん、マルケルス」
「いいんだ」
マルケスがセシーリアを引き寄せると優しくその背中を叩いた。
「今俺たちが出来る事を目一杯やるんだ。後悔しないように」
「うん」
出来るだけ急がなければならないとマルケルスは改めて思った。
***
「皆、よくやったぞ!完成まであと少しだ。今日は目標以上に進んだ!酒を用意してあるから楽しんでくれ」
エシャード内外から集まり、新路開拓作業に従事した労働者たちを労いながら、ライゼン・エシャードは今しがた伝令係の発した言葉に身体が震える思いだった。
ようやくグレイザ谷の先の新路に、完成の兆しが見え始めたのだ。
この新路が完成すればかなりの近道となり、軍の負担が軽減される。
ライゼンは、およそ一万の工兵と八千万エーゲルという資金のもと、実に一年という短期間で目標を達成出来た事が何よりも嬉しかった。
「セシーリア様もさぞかしお慶びなさることだろう。ライゼン、皆に充分な報酬と休暇を与えてやれ。それがまた活力となり良い仕事につながる」
皆を温かい眼差しで見回す父の横顔に、ライゼンはしっかりと頷く。
「もちろんです、父上」
ライゼンは視線を兵隊長に移すと、敬意を表し口を開いた。
「ディオ兵隊長殿、素晴らしいご活躍感謝申しあげます。厳しい環境の中、朝早くそして日が暮れるまで作業に従事くださったことにこのライゼン、頭の下がる思いです」
胸に手を当て僅かに頭を垂れたライゼンの肩に手を置くと、元近衛兵二番隊長……現在は三番工兵隊長のディオは明るく笑った。
「ライゼン殿、こちらこそ温かいお気遣い痛み入ります。エシャードに来てこのような名誉ある仕事が問題なく進んだのはライゼン殿のお陰です。きっとセシーリア様も一安心されるかと」
言い終えたディオは、約一年前、初めてセシーリアと言葉を交わした日を思い返した。
『名前は?』
『ディオと申します』
『ディオ、悪いんだけど馬を貸して!』
『あ……しかし……はい!』
『あなた、優しいのね。ありがとう』
あれから一年の間に、随分と状況が変わってしまった。
豊かで幸せだったラティア帝国は首都を焼かれ、皇帝とその側近を殺されたのだ。
セシーリアの母……女王アイリスは未だ行方不明であるしオリビエ・ドゥレイヴはイシード帝国に囚われてしまった。
しかもそれらはセシーリアの記念すべき成人の儀を兼ねた誕生大祭典で起こった悲劇なのだ。
その日、ディオの運命も変わった。
敵国の侵攻を食い止めようと死に物狂いで応戦していたディオは、手首の筋を断たれ二度と剣を振るうことが出来なくなってしまったのだった。
剣を振るうことが出来ない兵士など、もう使い物にならない。
地方出身者のディオは、田舎に帰り家業を継ぐ以外道をなくしてしまったのだ。
そんなディオを見舞ったセシーリアが直々にこう切り出した。
『ねえ、ディオ。工兵隊長になってくれない?剣が使えなくてもあなたさえよければイシード帝国を討つ手助けをして欲しいの』
傷を負った自分を、セシーリアはまだ必要としてくれている。
真っ直ぐに自分を見つめるマラカイトグリーンの瞳に、ディオは即頷いた。
『有り難きお言葉。必ずやセシーリア様のお役に立つと誓います』
遠くを見つめ、思い出に更けるディオの肩にライゼンが手を置く。
「さあ、ディオ殿。風呂で汗を流した後、宴といたしましょう」
明日の休暇の後ディオは工兵隊長を代表し、ライゼンと共に新路の最終地点を視察する予定である。
それまで、しばしの休養を楽しもう。
「はい、ライゼン殿。今宵は飲みましょう」
まさにその時であった。
「ディオ殿っ……!ディオ殿!」
六番隊の工兵隊長ジャロウが、血相を変えて馬上から叫んでいる。
辺りは赤い夕陽に染まり、今日の仕事をなし終えた工兵や一般労働者達が穏やかな時を過ごそうとしていた矢先である。
「ディオ殿っ……!」
「ジャロウ殿、どうなされた?!」
転がるように馬から降り、地に膝をついてへたり込んだジャロウの二の腕をディオが掴む。
そのままジャロウを立たせるとディオは人目のない天幕の中へと招き入れ、再び問いかけた。
「ジャロウ殿、どうなされた?!」
「ディオ殿、イシードに潜入している密使がハヤブサを飛ばした」
ジャロウの言葉を聞いたディオの心臓が一気に激しく脈打ち始める。
「確かか?!」
「グレイザの谷付近で王都の方向へと飛んでいくのを見たんだ。イシード帝国が動くぞ」
ようやく新路完成にまでこぎ着けたが、ガムズ河の底掘りはまだ途中だと聞いている。
「ハヤブサが少しでも早くラティアへ帰ることを祈るしかない。ディオ殿、いよいよ戦いの時が来るぞ」
ラティアの密使が飛ばすハヤブサは、どの種類のどんな鳥よりも速い。
イシード帝国の使者が国境に到達するよりも早く、より多くを備えたい。
「……ああ」
ディオは流れ出る汗を拭いもせず、ただジャロウに頷く事しかできなかった。




