女王誕生《4》
「この愚息よ。これ以上エシャードの恥となるな」
しわがれた声が背後から聞こえ、セシーリアは反射的に振り返った。
見ると部屋の入り口に、身なりの立派な老人が両脇を支えらて立っているのが見える。
「父上!医者からは歩くなと」
「歩かせておるのはお前だ」
痩せ細った身体に似合わずその眼光は鋭い。
老人はライゼンをひと睨みした後、ゆっくりとセシーリアに頭を下げた。
「セシーリア女王。我が愚息の無礼、どうかお許しを。そしてこのギルーザ・エシャード、どこまでもセシーリア女王についていく次第でございます」
「父上!今のこの状況がお分かりなのですか?!貴方が君主とお慕いになっていたロー・ラティアはもういません。エシャードは今、岐路に立っているのです」
弾くように言葉を放ったライゼンを、ギルーザが諭す。
「岐路に立っていたのは過去の事。もうエシャードに迷いなどない。お前の眼は節穴か?セシーリア女王陛下を見てお前は何も感じぬのか」
「父上……」
……そうだ。
……本当に頭がおかしい奇妙な女王なら、いっそしがらみを絶ちきれたかも知れない。
けれどもう本当は、そうでない事がライゼンにも分かっていたのだ。
女王に名を呼ばれただけで速やかに従う大豹、たったひとりの親しげな護衛兵。
それから、それから……女王の背に光る金色の弓矢。
ライゼンはその弓矢に見覚えがあった。
あれは……数年前ラティア城へ赴いた際、確かに見た記憶がある。
「セシーリア女王陛下。その弓はもしや……」
「これは守護神ディーアにもらったのよ。信じられないかも知れないけど」
……やはりそうか。これを以前、俺はラティア城内の神殿で見た。
ライゼンには、少しでも興味を引いたものを細部まで鮮明に記憶する能力がある。
模造品ではない。
これは、希望の弓……守護神ディーアの弓矢だ。
エルフの街で確かに民がそう呼んでいたのを、ライゼンは聞いていたのだ。
ディーアの弓矢は《希望の弓》だと。
守護神ディーアの像が空に向かって引いていた弓矢は、まさにこれに間違いない。
ライゼンはゴクリと喉を鳴らした。
……いいのか。女王を信じてついていっても。
エシャードには自分を心から慕う民がいる。
決断が出来ない。ライゼンにとって民は友人で宝だからだ。
俺の決断が失敗だとしたら、大勢の民が死ぬのだ。
目の前の君主は、忠誠を誓うと即決するにはあまりにも頼りない。
これが屈強な男であればこれほど迷わなかった。
しかし。
しかし、女王は守護神ディーアの弓矢を携えている。
神が人間に何かを授けるのはよほどの事だ。
「ライゼン、心を決めぬか!」
ライゼンの父、先代のギルーザ・エシャードが厳しい口調で言い放った。
そんなギルーザの前で、ライゼンはユルユルと頭を振った。
「民を…このエシャードの民を、俺は守りたい」
呟いたライゼンがセシーリアへと眼を向けた。
「確かに我がエシャード国はラティア帝国に迎えられてこの二十年、とても安定し豊かになりました。だが、イシード帝国に襲撃された今、ラティアの一部となったこのエシャードの民はどうなる?!兵士となって召し上がられたエシャードの民の命を、戦いで散らせるなどごめんだ!」
その声が大理石の壁に響き、より悲壮感を強める。
セシーリアはそんなライゼンを静かに見つめた。
神秘的な姿に、民を思う温かい心。
きっと父であるギルーザ・エシャードの育て方が良かったのだろう。
「分かったわ、ライゼン。あなたの民を思う気持ちは凄く素敵。でも、私も後には引けないの。私にとってこのラティア帝国はお父様……亡き皇帝ロー・ラティアの形見。失うわけにはいかないわ」
それを聞いたライゼンの顔が苦痛に歪む。
それから絞り出すように声を出し、セシーリアを見つめた。
「なら……私に……俺に証明してくれ、セシーリア女王陛下。あなたを信じて共に戦う未来に、エシャードの民の幸せがあるのかを」
その時だった。
「プレーマーソーディ・ラティア!(我はラティアと共に!)」
大きな潔い声が、風のようにエシャード城内へ流れ込んで響いた。
「プレーマーソーディ・ラティア!ライゼン様ー!」
「セシーリア女王陛下、万歳!ライゼン様、万歳!」
城の露台の外から、大勢の叫び声が聞こえる。
「プレーマーソーディ・ラティア!ライゼン様ー!」
呆然としていたライゼンが、身を翻して露台へと飛び出す。
「ライゼン様ー!今こそ我らエシャードの民がラティアに恩返しをする時ですぞ!」
ライゼンの眼下に、信じがたい光景が広がっていた。
あれは……市長のケイナじゃないか。
それだけじゃない。
いつの間にこんなに大勢エシャードの民が集まったのか。
「ライゼン様、ラティアの苦しみはエシャードの苦しみ。ラティアの喜びはエシャードの喜びです」
その直後、ケイナが一歩前へ踏み出たかと思うと、ライゼンの眼をしっかりと見つめて言葉を放った。
「そして……ラティアの敵はエシャードの敵!」
嵐のような拍手と歓声が辺りを熱く包んでいく。
「みんな……」
露台の飾り柵に乗せたライゼンの手が震える。
高ぶる感情を抑えようと、ライゼンは何度も呼吸を整えた。
「……ライゼン。民を信じろ」
「父上……」
その時ライゼンはようやく分かった気がした。
小国であるがゆえに、ラティアの一部となるまでエシャード国は何度も何度も侵略され続けてきた。
けれどこれまでどんな状況になろうとも、父ギルーザの瞳にはいつも絶対的な自信の色が宿っていた。
荒らされ奪われてもなお、父上が希望を捨てなかった理由。
それは……もしかしてそれは、父上と民が揺るぎない信頼関係で結ばれていたからではないか。
なら、それなら、俺は……!
「ライゼン。どうかお願い。私に力を貸して」
……決断の時が来た。
ゆっくりとセシーリアを振り返ると、ライゼンは静かに膝をついた。
「ライゼン」
「セシーリア女王陛下」
穏やかな笑みをたたえてライゼンがセシーリアに頷いた。
「セシーリア女王陛下。数々のご無礼どうかお許しを。迷いは消え失せました。エシャードはセシーリア女王陛下と共に走り続ける所存です。イシード帝国を灰塵に帰する事が出来た暁には、共に祝杯をあげましょうぞ」
セシーリアは、気品に満ちたライゼンの姿を見つめて思った。
もしかしたら今、ライゼンの瞳の中には《諦め》の光が浮かんでいるのかもしれない。
なら、もしもそうなら、ライゼンを後悔させないような勝利を手に入れてみせる。
「ありがとう!ありがとうライゼン!あなたに、このエシャードに後悔などひと欠片もさせないと誓うわ。私の命に懸けて」
大きな一歩が踏み出せた気がして嬉しさを押さえられず、セシーリアはライゼンの両手を握りしめた。




