女王誕生《3》
「シーグル」
「ん?」
「ダメだわ、私。不安が消えないの。こんな風にあなたに八つ当たりするなんて……情けないわ」
胸の内を素直に口にするセシーリアを可愛く思いながら、シーグルは優しく彼女を見つめた。
「こんな事になったんだ。すぐに立ち直るなんて無理だ。気にするな」
セシーリアは一生懸命涙を止めようとしながら続ける。
「シーグル、ごめんなさい。もう泣かないと決めたのに……私ったらなんて弱いのかしら。お父様達の敵を討ち、オリビエを取り戻すまでは泣かないと決めたのに」
セシーリアは震えるように息を吐き出すと、再び口を開いた。
「これで最後よ。悲しみに泣くのはこれが最後。次に泣くときはイシード帝国を討ち、オリビエを取り戻したその時だと約束するわ」
自分に言い聞かせるように言いながらグイッと手の甲で涙を拭ったセシーリアを見て、シーグルはわずかに笑った。
「ああ、そうだな。次は嬉し泣きだ」
ユラユラと揺れる蝋燭の炎が、決心したセシーリアの頬を頼りなく照らしていた。
****
セシーリアとシーグルがエシャード城に到着したのはそれから十日後の事であった。
「セシーリア女王陛下。生誕大祭典には私自らがご挨拶に赴けず申し訳ございませんでした。そしてよくこのエシャード城にいらしてくださいました」
国境から一番近い都市城主は王の指示がない限り都から離れてはならない。
それは周知の事実であるので、ライゼンはこの発言に対するセシーリアの返事を待つことなく先を続けた。
「セシーリア様……この度の襲撃、このライゼンも非常に深い怒りと悲しみにうち震えております」
これがライゼン・エシャード……。
蛇紋の大理石を贅沢に使った城内に、ライゼン・エシャードの男らしく威厳に満ちた声が響く。
セシーリアの目の前にいるライゼンは、長い黒髪を後ろでひとまとめにし、同色のマントを羽織っていてどこか神秘的である。
まだ二十代後半といったところを見るに、ラティアの一部となってエシャードを守ったのはライゼンの父であったのだろう。
セシーリアは、跪いたままうやうやしく頭を垂れているライゼンに声をかけた。
「感謝いたしますライゼン・エシャード殿。ところであなたのお父上はお元気でいらっしゃいますか?よろしければお目にかかりたいのですが」
そこまで言った後、セシーリアは焦って続けた。
「あ、別にあなたを差し置いて先代に話をつけようとかそういう事ではないのよ。ただ二十年前、我が領土となる事を決心してくださったお礼が言いたくて」
「……」
ライゼンの返答が遅く感じ、セシーリアは彼の気分を害したのかと些か不安になる。
一方ライゼンは頭を垂れ、視線を伏せたまま目まぐるしく考えた。
……なんだこの奇妙な姫は。
イシード帝国に襲撃され父王を失い、国を継いだばかりだというのに五千マイル以上も離れた地方城主に会いに来るとは。
しかも連れているのはたったひとりの護衛兵と、人には決して懐かないであろう大豹である。
しかも……二十年前の礼を父上に?
……少し頭がおかしいのかも知れない。
いや、おかしければすぐにイシードに乗じて国内から反体制運動が起きているに違いない。
「ライゼン?ライゼン、大丈夫?」
セシーリアの心配気な声が、ライゼンの思考を打ち切った。
「おお、これは失礼いたしました。このようにセシーリア女王陛下とお会いできるなど夢のようで、つい」
「あっはははは!ライゼン、その嘘ホント?」
弾けるような笑い声に、思わずライゼンが顔をあげる。
「こら、セシーリア。ライゼン殿が呆れているだろ。バカ笑いするんじゃねえよ」
「だって、女王の前だからって粗相のないようにと気をつかってるのが可哀想だし、だからってわざとらしくて笑っちゃうし」
「お前なあ……」
護衛兵の溜め息混じりのその言葉に、ライゼンは更に眼を見張った。
……お前?
女王陛下に対して、お前。
「ライゼン、シーグルの言葉遣いは悪すぎるけど、あなたもそんなにかしこまらないで。だって、学ぶべきは私だもの」
「……」
「……あの、ライゼン?」
……馬鹿馬鹿しい。茶番劇に付き合ってなどいられない。
子供のようなこんな姫君が、ロー・ラティアの跡継ぎとは先が思いやられる……いや、先など無いに違いない。
きっともうこのラティア帝国は終わりだ。
こんな子供が治める国が、あのイシード帝国に勝てるわけがない。
いや、今度はイシードどころか北のサージアが我先にとラティアを手中に収め、領土拡大を謀るだろう。
だとすればこんなことをしている時間も惜しい。
巻き添えなどごめんだ。
侮蔑の表情をなんとか隠したライゼンが、ゆっくりと立ち上がった。
「おもてなしの用意は整っております。女王陛下、どうぞごゆるりとこのエシャードを楽しんでくださいませ。私は公務がありますゆえこれにて失礼いたしますが、城から南へしばらく下がりますと土産物屋や見世物屋などがあり、観光にもってこいです」
踵を返したライゼンのマントがヒラリと揺れる。
「待ってライゼン!ヨルマ」
セシーリアの声に、ヨルマが地を蹴りヒラリとライゼンの頭上を飛び越えた。
「っ!」
大豹に進路を奪われ、ライゼンの足が止まる。
その背中にセシーリアは語りかけた。
「ライゼン。あなたからすれば私はまだ幼く経験もなく、さぞかし頼りない女王でしょう。でも私に付いてきて欲しい。後悔はさせないわ」
後悔はさせない?
本気で言ってるのか?それとも……言わされているのか。
ライゼンはセシーリアの真意を見極めたい思いでゆっくりと振り返った。
無礼だと罰せられるとしても構わない。
どうせなら真正面から何もかもを確かめたい。
華奢な身体とこの上なく美しい顔立ち。
しかしその着衣は質素で、身を飾る宝石は何一つとして見当たらない。
たったひとりの友人のような護衛兵、それからまるで猫のように懐いている大きな豹。
「……」
「……」
互いの視線が絡んだまま時が過ぎる。
長い長い沈黙の後、漸くセシーリアが静かに口を開いた。
「ライゼン。私はなんとしてでもイシード帝国を討たなければならない。そのためにはあなたの力がどうしても必要なの」
「ではこのライゼンをどのようにしてその気にさせるおつもりか?まさか地方統治者以上の閑職を与えてなだめ、眼をくらませようとでも?」
その皮肉げなライゼンの瞳に、ムッとしたシーグルがスティーダをもつ手に力を込めた。
すかさずそんなシーグルをセシーリアが止める。
その時だった。




