女王誕生《1》
「誰?!誰なの?!」
神殿の入り口にはヨルマを待機させている。
ヨルマが唸り声のひとつも立てず、見知らぬ人間を通すなどセシーリアには考えられなかった。
「イイ男になりすぎて分からないか?」
イイ男に…なりすぎて…?
わからない。私と……会ったことがあるの?
目まぐるしく考えるも、セシーリアには男の記憶が全くない。
やがて男はゆっくりと神殿の中へ足を踏み入れた。
「セシーリア。帰ってきたんだ。お前を守りに」
「っ……!」
嘘。嘘でしょう。
近付くにつれ、徐々に男の顔がハッキリと見えてくる。
あのあどけなかった顔は男らしく変貌していたが、太陽の光を宿したような榛の瞳は、セシーリアの記憶の中のものと同じだった。
ああ、シーグル。あなたなのね…!
逞しくなったシーグルの姿に、再び涙が溢れる。
「セシーリア」
「シー…グルッ」
やっと、やっと会えた……!
「バカ……!シーグルのバカ!遅いのよ!なんでもっと早く帰ってきてくれなかったの?!シーグルのバカ!」
オリビエよりも少しだけ濃い榛色の瞳。
どれだけ会いたかった事か。
「シーグル……シーグル!会いたかった!」
「セシーリア。俺も会いたかった」
シーグルが、泣きじゃくるセシーリアを見て困ったように笑った。
「ほら、来い」
スティーダを置き、両腕を広げたシーグルの胸にセシーリアが思いきり飛び込む。
「シーグル、シーグル」
「泣くのは後だ、セシーリア」
セシーリアを強く抱き締めた後、耳元でシーグルが囁いた。
それからゆっくりと身を離すと、長身を屈めてセシーリアの瞳を覗き込む。
セシーリアは涙でグシャグシャになった顔をシーグルに向けて声をつまらせた。
「それだけじゃないの……オリビエが」
シーグルの頬にビクリと緊張が走る。
「兄さんがどうした」
先程、王とレイゲン・ドゥレイヴ、ユリウス・ハーシアの絶命を耳にしたシーグルだが、オリビエの事は誰からも聞かなかった。
しゃくり上げるセシーリアの両肩を掴むと、シーグルは再び問いかけた。
「セシーリア、兄さんがどうしたんだ」
切り込んだような二重の眼がセシーリアを見据え、彼女の言葉を待っている。
「答えてくれ」
セシーリアは震える声で答えた。
「オリビエが…レイゲンの代わりに連れ去られたの。カリムが、カリムが軍議塔の地下道でオリビエを」
予想外の出来事に、シーグルがギリッと歯軋りした。
「今から追って兄さんを取り戻す!」
スティーダを掴み上げて身を翻そうとしたシーグルの腕に、セシーリアはしがみついた。
「ダメ!ダメよ、シーグル!そんな事をしたら今度こそこのラティアがなくなってしまうわ。オリビエだって殺されてしまう。私達、カリムを怒らせてしまったの。カリムはその腹いせにオリビエを」
「ああ、見てたよ。イカサマ皇帝の卑怯な試合をな」
セシーリアの脳裏に、カリムのスティーダを射った人物が蘇った。
……もしかして、あれは……。
「シーグル。毒針を刺されたオリビエを救ったのは……あなただったの?」
シーグルが頷いた。
「ああ、俺だ」
それから苦しそうに眉を寄せると、祭壇の前に置かれた三つの棺に眼を向けた。
「俺のせいだ」
「そうだな。お前のせいでもあるが、お前だけのせいでもない」
「マルケルス!」
神殿にマルケルスの声が響き、セシーリアとシーグルは弾かれたように振り返った。
「切っ掛けはどうであれこれは起こるべくして起こったんだ。最初からカリムは仕掛けるつもりだった。卑怯な簒奪者の考えそうな事だ。よりによって王女の誕生祭に奇襲をかけるとはな」
マルケルスが奥の祭壇まで歩を進め、シーグルの脇に立つと、並べられた棺を見下ろした。
「マルケルス」
「シーグル、元気そうだな」
その時だった。
「俺もいるぜ?」
振り向いた三人の瞳に、アンリオンの姿が映る。
「アンリオン!」
頬にザックリと傷を負ってはいるものの、アンリオンの眼には強い輝きが宿っている。
セシーリアはそんなアンリオンに駆け寄ると、その身体にしがみついた。
「アンリオン!無事で良かった!」
ところどころ変形した鎧、裂けて焦げたマント。
眼に映るアンリオンのそれらに、セシーリアは彼もまた生死の狭間にいた事実を知る。
「ほら、いつまでこうしてる気だ。俺にも久し振りな顔を拝ませろ」
セシーリアの二の腕を掴んで身を離すと、アンリオンはゆっくりとシーグルへ近付く。
「久し振り。アンリオン」
状況が悲劇的なだけに笑顔はない。
「お前、でかくなったな」
オリビエ、マルケルス、アンリオンの三人の中で、一番長身でがっしりとした体格の持ち主はアンリオンである。
シーグルはそんなアンリオンに負けるとも劣らないほどの背丈にまで成長していた。
「この三年間《エルフの風》にいたんだ」
シーグルのよく日焼けした精悍な顔を、アンリオンの手の平が優しく叩く。
「知ってるさ。グロディーゼ(剣闘士)にでもなるつもりなのか」
片方の口角を引き上げて皮肉げに笑うアンリオンに、シーグルが真顔で答える。
「いいや。けど三年前とは状況も考えもすっかり変わった」
「ああ、そうだ。変わってしまった、何もかも。俺達がなんの心構えも出来ていないまま、皇帝陛下も父上達も死んでしまったんだ」
ギリッとこめかみを動かして、マルケルスは悔しげに棺に眼をやる。
その時、シーグルがセシーリアに腕を伸ばした。
「セシーリア」
逞しい手がセシーリアの手首を掴み、ゆっくりと守護神ディーアの弓ごと持ち上げる。
皆の視線が弓に集まるのを確認すると、シーグルがニヤリとした。
「女神様がくれたこの弓、後生大事に飾っとくのか?」
冗談目かした口調に、セシーリアはすぐ首を横に振る。
「バカ言わないで」
この時のセシーリアには、もう迷いはなかった。
弓を握る手に力を込めるとしっかりとした口調で三人に告げる。
「私、国を継ぐわ。女王になる」
マルケルスをはじめ、アンリオンとシーグルが頷く。
「その言葉を待ってた。セシーリア、イシード帝国を討ち、王や父上達の無念を晴らすぞ」
そうだ。許さない、絶対に。
お父様達を死に追いやり、オリビエを奪ったイシード帝国……カリムを絶対に許さない!
セシーリアはきつく眉を寄せるとシーグルを見上げた。
「ええ。必ずお父様達の無念を晴らし、オリビエを取り戻す。それからカリムを後悔させてやるわ。このラティアを敵に回した事をね」
セシーリアは守護神ディーアの像を仰ぐと、胸に芽生えた憎しみの炎の熱さを感じていた。
****
セシーリアが女王に即位したのは翌日の事であった。
「本当なら盛大な戴冠式といきたいところだが、そうもいっていられない」
「分かってる」
エルフ市民に向けての即位報告は既に済ませ、マルケルスは次にやるべき事を淡々と説明する。
「セシーリア。お前は葬祭の儀がすんだらすぐにエシャードへ立て」
ラティア帝国には約三十の主要都市があり、そこには亡き皇帝ロー・ラティアが選り抜いた守備城主が存在している。
「全ての都市に即位報告の使者を立てた。この件は一ヶ月以内に完了だ。だがエシャードには直接出向くんだ」
エシャードとは、王都エルフから五千マイル以上離れた南東に位置していて、イシード帝国との国境に一番近い地方都市である。
「分かった。改めて私の口から即位を報告し、イシード帝国を討つ為の準備を指示するわ」
マルケルスが頷き、更に続ける。
「エシャード城主はまだ若いが非常に頭が切れる。それに代々、大陸全体の地理に非常に詳しいらしい。カリムを討つためには彼の協力が絶対に必要だ」
「おい、マルケルス。簡単に言うなよ。エシャードとの距離は五千マイル以上だぜ?!いくら急いでも片道十日以上はゆうにかかる。そんな長旅、セシーリアが耐えられるわけないだろ」
アンリオンが眉を寄せてこう言うと、マルケルスが言葉を返した。
「この旅が、エシャード城主であるライゼン・エシャードの信頼を勝ち得るのに必要なんだ。しかも宿なんて至るところにあるだろう。甘えたことを言うな」




