守護神ディーア《2》
「小賢しいイルテス神の使者よ。私を怒らすな」
「ああああっ!」
言うや否やディーアのあげた片手から、強い風が巻き起こり使者の身体をつつんだ。
これは《風の炎》といい、狙った獲物を包み込むと激しく吹き荒れ灼熱で焼き尽くす、ディーアの得意とする術である。
「……この所業、イルテス様にご報告申し上げる!覚悟されるがよい!」
ふん。勝手にするがよいわ。
ディーアは使者が消えた空中から視線をそらすと、アイリス・ラティアが見上げる自らの石像へと身体を滑り込ませた。
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そして現在。
「お父様……!」
神殿に安置されたラティア皇帝ロー・ラティアの棺の前に跪くと、セシーリアは肩を震わせて泣いた。
左隣にはマルケルスの父であるユリウス・ハーシアの棺が置かれ、右隣にはレイゲン・ドゥレイヴの棺がある。
「ごめんなさい、レイゲン……!」
レイゲンは、息子オリビエと引き換えに解放されたものの、結局その数時間後に息を引き取ってしまったのだった。
『セシーリア様、突然の別れをお許しください。ラティアを……頼みましたぞ』
苦しい息の下からレイゲン・ドゥレイヴはセシーリアの手を握りしめてこう言うと、運ばれたドゥレイヴ家の自室で絶命した。
オリビエに良く似たレイゲンの瞳から輝きが失われていく様を思い出し、セシーリアは震える声で呟いた。
「お父様、レイゲン、ユリウス……。私、怖い。このラティアを守れる自信がないの。あまりにも突然で、何の心構えも出来ていないの」
セシーリアは涙にくれながら後ろを振り向き、守護神ディーアの像を力なく見つめた。
その時であった。
「セシーリア……。セシーリア・ラティア」
王達の棺を守る近衛兵は、神殿の外だ。
セシーリア以外誰もいない神殿内に、美しく澄んだ声が静かに響いた。
「セシーリア・ラティア」
二度目の呼び掛けと共に、神殿中が黄金色の光に包まれた。
こ、れは……。
恐怖心はないものの、セシーリアはあまりの事に息をするのも忘れた。
そんな中、やがてその光が天井付近でひとまとまりになったかと思うと、中央にそびえ立つ守護神ディーアの像へと一直線に吸い込まれた。
これは、一体……!
セシーリアが動けずにいる間に、更に信じられない状況が目の前に広がる。
なんと黄金色の光を吸い込んだディーアの石像が、みるみる人間へと変わったのである。
いや、人間ではない。
石のマントは柔らかい絹に変わり、その肌はたちまち真珠のように艶めいた。
今まさに守護神ディーアは天界から舞い降り、その姿を現したのだった。
「セシーリア・ラティア」
「は、い……」
弓を引いていた手を下ろし、台座から床に降り立った守護神ディーアが、たっぷりとしたマントを揺らしてセシーリアの真正面まで歩を進める。
「セシーリア・ラティア。私が分かるか?」
「……はい……女神ディーア」
歌鳥よりも美しく、気品に満ちたディーアの声は、空気に混ざる度に煌めく粉を散らした。
セシーリアはその宝石のような粉を美しいと思いながら、ディーアの前で静かに身を起こす。
……なんて綺麗なの……。
セシーリアの心に、守護神ディーアと会えた喜びが広がった。
だがそれは瞬く間に深い悲しみに飲み込まれてかき消される。
セシーリアはディーアの全身を穴の開くほど見つめた。
身体にまとわり付くような艶やかな長い髪と美しく整った顔立ち。
身に付けている絹のマントはこれ以上付ける隙間がない程たっぷりとしたヒダで飾られ、黄金色の軍服はキラキラと輝くばかりで焦げ跡もなければ剣のキズ一筋もなかった。
一方ラティアの兵士達は戦いの傷跡が深く、全身ボロボロである。
守護神とは……困難から国を救ってくれる存在ではないのか。
どうして……どうして女神ディーアはラティアを守ってくださらなかったのだろう。
守護神であるディーアがカリムから守ってくれさえしていれば、こんな事にはならなかったのに。
その時、
「そなたの気持ちはよく分かる。セシーリア・ラティア」
「っ……」
ディーアの美しい切れ長の眼は何の曇りもなく真っ直ぐにセシーリアを捉えていて、その眼を見つめたセシーリアはコクンと喉を鳴らした。
なんという清洌な眼差しなのだろう。
だからといって冷やかなわけではなく、ただただ潔い。
こんな眼を見たら、恨みがましい台詞など言える訳がなかった。
きっと……神であるディーアにも事情があるのだ。
互いの視線が絡んだ後、先にディーアが口を開いた。
「私はアイリス・ラティアの願いを叶える為、お前に会いに来たのだ」
お母様の……願いを?
その時、幼い頃に巫女長から聞いた話が胸に蘇った。
『たとえ何が起ころうとも守護神を恨んではなりません。人の世に介入した神は最高神アンシャレクに罰せられるのです』
そうだ。確かに巫女長はこう言っていた。
その直後、もうひとつ思い出したセシーリアの胸に、ギュッ痛みが走る。
ああ、お母様……。
神に願いを叶えられた人間は、既に死んでいるのだ。
「お母様は……どこですか」
「亡骸はない。願いの大きさ故に残らなかった」
何故と聞きたい気持ちを、セシーリアは何とか堪えた。
聞いても仕方がない。
これはきっと、お母様と守護神ディーアとの間で決まったことなんだわ。
「守護神ディーア。感謝いたします」
セシーリアは大きく息を吸うとそれを静かに吐き出して、ディーアに頭を下げた。
「女王アイリスの願いを、今叶える」
ポタリポタリと落ちて光るセシーリアの涙を見ていたディーアが、やがて静かに口を開いてこう言うと、弓を持つ手をセシーリアへと伸ばした。
「……アイリス・ラティアの願いは、戦いの中でお前の命を守ること。だが私がお前に付く事は許されない。だからこれを」
「これは……」
ディーアが深く頷いた。
「この弓と矢は私がラティア帝国の守護神となった日に、最高神アンシャレクから賜ったものだ」
最高神アンシャレク……!
「そんな大切な物を受け取れません」
驚いて首を振ったセシーリアにディーアは続けた。
「お前は私を、約束を守らぬ卑怯な神にしたいのか」
「いいえ…!でも私、」
焦ったセシーリアにディーアはクスリと笑った。
「少しの時間貸すだけだ。さあ、受け取れ」
恐る恐る両の手のひらを差し出したセシーリアに、ディーアは弓矢を手渡して続けた。
「アイリス・ラティアの願い、しかと叶えたぞ。この弓矢は必ずお前を守るだろう」
その時であった。
「何も出来ないならさっさと弓をおいてお空に帰って星でも数えてろよ、女神サマ」
艶やかな低い声が神殿中に響き、セシーリアは弾かれたように入り口に顔を向けた。
「誰?!」
そこに立つ男性の姿をよく見ようと、無意識に両目を細める。
逆光で顔は見えない。
けれど……スラリとした長身、筋肉の張った逞しい腕。
セシーリアとディーアが見つめる中、差し込んだ日の光を反射し、男が握るスティーダ(両刃の長剣)がキラリと光った。
「…殺されたいのか、無礼な男よ」
ディーアの言葉に突然現れた男は鼻で笑った。
「まさか。俺はこれから敵討ちをしなきゃならないんだ。とてもじゃないけど死んでる暇なんかないね」
……敵討ち……。
ディーアは視線だけを向けていたが、その言葉に反応し、身体ごと男に向き直った。
「……男。敵討ちとは誠か?」
「ああ」
……見たような顔…いや、この榛の瞳は確か。
……守護神としてこれは好都合だ。
ディーアはホッと息をつくと唇を引き上げて笑った。
「そうか。なら生かしてやる。励め」
「あ…守護神ディーア!」
慌てて名を呼ぶセシーリアに、ディーアは一瞬だけ視線を投げると短く言葉をかけた。
「セシーリア・ラティア。また会おう」
言い終えるや否やディーアの身体から閃光が迸り、やがてそれが治まると同時に彼女の姿は消え、神殿の中央のディーア像もまた大理石に戻っていた。
辺りは静まり返り、まるで何もなかったかのように朝日が差し込んでいる。
……夢のようだが現実である。
「何だよ、女神サマは帰ったのか」
その声で我に返ると、セシーリアは入り口の男に再び問いかけた。




