かなしみのラティア《3》
《ラティア》
同じことを考えていたであろうオリビエが、前方を見据えたまま押し殺した声を出した。
「マルケルス。この仕業はサージア兵じゃない。サージアが我がラティア兵をこれほどまでに討てるとは思えない」
その時だった。
「なかなか勘がいいじゃないか、オリビエ。だが手遅れだ。もう遅い」
最悪の事態だった。
辺りの空気を震わすかのように、聞き覚えのある声が響く。
その声にたちまちヨルマが両の牙を剥き出して唸り声を上げた。
「篝火を。この状況をよく見せてやれ」
パッと幾本もの炎が辺りを照らしたとき、セシーリアは悲鳴を上げそうになった。
距離はあるがその姿を他と見間違えることはない。
信じられない事にそこには、捕らえられたラティア国王、ロー・ラティアとレイゲン・ドゥレイヴ、それに膝をついたまま動かないマルケルスの父、ユリウス・ハーシアがいたのだ。
……お父様……!
「父上……!父上!」
「皇帝陛下!」
三人は眼を見開いて立ち尽くし、それを見た人物が唇を大きく開けて高らかに笑った。
なんとそれは、イシード帝国皇帝カリムその人だった。
「ユリウス・ハーシア……ラティアきっての豪傑武将を父に持つとは、さぞかし誇りだっただろう。だがそれももう終わりだ」
片足をあげて、カリムがユリウス・ハーシアの背中を押すように蹴った。
それと共にマルケルスの父の身体がゆっくりと崩れ、地に伏す。
ユリウス……!!
セシーリアとオリビエの耳に、マルケルスが奥歯を噛み締める音が聞こえた。
恐らく王を守るため、ユリウス・ハーシアはカリムに戦いを挑んだのだろう。
「ただ……俺の足元には及ばなかったがな」
マルケルスがスティーダを手に駆け出そうとするのを、咄嗟にオリビエが押さえた。
「セシーリア……」
お父様……!
カリムの側近に拘束されたままの父王が、苦し気にセシーリアを呼ぶ。
王の頬からは血が流れ、その優雅な召し物は所々裂けている。
恐怖よりも驚愕よりも、セシーリアの胸を怒りが占め始めた頃、ようやく彼女は声を出すことができた。
「狂乱めされたか、カリム皇帝」
「いいや?俺は至って正常だ」
カリムがふてぶてしく笑った。
「今更、俺がここにいるからくりなんて訊かないでくれよ」
……影武者か。イシード帝国へと帰って行ったのは、影武者だったのか!
そう思いつつオリビエが油断なくカリムを見据える中、カリムはきらびやかな長剣をクルリと回し、肩に担ぐように持ち変えた。
「さて……セシーリア王女。長くなると王の命が危ういぞ。こちらのオリビエの父もな。……おっと……かなりの出血だ」
見ると石を切り出して建造した地下通路の床に、いつの間にか血溜まりが出来ている。
それをわざとらしく側近が照らす中、彼は続けた。
「セシーリア王女。ラティアの国民にはこう言ってもらいたい。《私はイシード帝国カリム皇帝陛下を愛しています。カリム皇帝陛下と結婚し、このラティアをイシード帝国として迎えていただく次第です》と」
「許さん……!そんな事は!」
「黙っていろ、老いぼれ!」
苦しい息の下からラティア皇帝ロー・ラティアが声を絞り出すと、カリムが苛立たしげに叫んだ。
その声にヨルマが身を低くし、今にも飛びかからんばかりに牙を剥く。
「こんな卑劣な作戦に出るような人を私が愛すわけないでしょう?!」
またしてもカリムが鼻で笑った。
「俺だって夢見がちな小娘なんぞに興味はない。イシードもラティアも所詮は帝国。綺麗事じゃ国は大きくならない」
ここまで言って一旦言葉を切ったカリムが、セシーリアを見据えて改めて口を開いた。
「さあ、セシーリア姫。先程の言葉を民に告げると約束を」
その時であった。
「グフッ……!」
「きゃああっ!」
ロー・ラティアがうめき声をあげたかと思うと大量の血を吐いてガクリと頭を垂れた。
「お父様!」
「支えろっ!」
カリムは崩れ落ちそうなラティア国王に思わず手を伸ばした後、ギリッと歯軋りして叫んだ。
「毒だ!毒を飲んだな!?」
カリムに顎を掴まれ、無理矢理上を向かされたロー・ラティアが、不敵に笑った。
「それが……どうした」
ロー・ラティアは頭を振ってカリムの手から逃れると、のめり込むようにセシーリアを見た。
「セシーリア」
「お父様っ」
「後は任せたぞ、セシーリア!!レイゲン!!」
身体を痙攣させながらも力を振り絞るようにして、ロー・ラティアが同じく拘束されているレイゲン・ドゥレイヴの名を呼んだ。
「御意!!」
「そうはさせるか!」
カリムが素早くレイゲン・ドゥレイヴの顔を掴み、その口に指を突っ込んだ。
「二度もくらうかっ!吐き出せ!」
「父上!」
その行為にたまらずオリビエが叫んだ。
カリムが荒々しくレイゲンの口の中を指でかき回し、小さな種を取り出して踏み潰す。
「舐めた真似をしやがって!」
自死に失敗したレイゲンを、カリムが殴り飛ばした。
それから声を荒げたままセシーリアを睨む。
「見ろ!セシーリア王女!そなたの父は死んだぞ!!人質になった我が身がラティアの足枷になるのを防ごうとしてな!だがレイゲンは生き残った!!どうする、セシーリア王女!!このままラティアきっての軍師をみすみす見殺しにするのか?!」
お父様……!レイゲン……!
グッタリと力の抜けた父王と、カリムに殴られ地に伏したレイゲンを前に、セシーリアは呆然とした。
自分がどうすればいいのか分からず、まるで悪夢の中をさ迷っているようだ。
「オリビエ……」
舐めるような炎がこの惨劇を照らす中、セシーリアは堪らずオリビエを呼んだ。
一方オリビエは、セシーリアの震える身体に手を添え支えた。
オリビエもまた目の前の悲劇に為す術がなかったのである。
カリムの要求を飲めば、ラティアはイシードに吸収される。
だが、飲まなければ父であるレイゲン・ドゥレイヴが殺されてしまう。
それにこの先もイシード帝国は攻撃し続けてくるだろう。
「オリビエ、早くレイゲン殿を助けないと……お命が危ないぞ」
マルケルスが低い声で囁くように言うと、セシーリアがコクンと喉を鳴らした。
「……今はカリムの要求どうりにしましょう。レイゲンの命には替えられないわ」
現在のラティア帝国は、軍師レイゲン・ドゥレイヴの武勲の上に成り立っていると言っても過言ではない。
ここを切り抜けてレイゲンの命を助けられさえしたら、後にはまた打開策が生まれるに違いない。
そう思いつつセシーリアが口を開こうとした瞬間であった。
「……いや。待ってくれ、セシーリア王女……気が変わった」
赤い炎がカリムの精悍な頬を照らし、セシーリアは反射的に眉を寄せた。
……気が、変わった?
セシーリアとオリビエ、それにマルケルスが素早く視線を交わし、カリムを注意深く見つめる。
そんな彼らの視線の前で、カリムは側近に身体を起こされたレイゲンを眼の端に写して続けた。
「いくら結婚宣言を約束したところで、このレイゲン・ドゥレイヴを返した後約束を反故にされる可能性は否めない」
ギクリとするセシーリアにカリムは続けた。
「……それに……よく考えればこの状況だ。口先だけの結婚宣言などこのラティアの民が信じるわけもなかろう。なら、」
カリムは一旦ここで言葉を切ると、視線をオリビエに移してニヤリと笑った。
「レイゲン・ドゥレイヴは解放しよう。その代わりオリビエ・ドゥレイヴ。お前を人質にする」




