かなしみのラティア《2》
カリムは最初からこのラティアに侵攻する事になるやも知れぬと、国境付近の山々に軍を忍ばせていたに違いない。
いや、 恐らく侵攻する気でいたのだ。
我が国がセシーリアの誕生大祭典に沸き立ち、自らもその中で祝杯をあげている時には既に兵の配備を済ませていたのだ。
そしてラティア国王ロー・ラティアにセシーリアとの結婚を断られ、市民の反感を買い、屈辱と怒りに燃えてこのラティアに牙を剥いた。
イシード帝国はラティア帝国の南東に位置していて、早馬でも首都エルフまでゆうに数十日はかかる。
…父上の事だ。既に主要都市の総督達には敵軍が王都に攻め込んでくるのを全力で阻止せよと指示を出したはずだ。
今ごろ地方都市に点在しているラティア軍も、向かってきたイシード帝国に応戦し、死闘を繰り広げているに違いない。
ならば出来るだけサージア軍を叩き、この王都エルフを守らなければ。
「オリビエ様!たった今確認しましたところアイリス様の屋敷は既に落ちております!セシーリア様はアイリス様の行方を探してたった今別宅から出て行かれました!」
なんだと?!サージアは王妃を……!
「オリビエ!」
その時、馬に乗ったマルケルスが後方からオリビエに声をかけた。
「我がラティアの兵がどうにかサージア軍を制圧し始めたぞ!敵は残り僅かだ」
城内には敵兵に襲われた際、攻め込んだと思わせて実は追い込み、一網打尽にする《招きの間》と呼ばれる狭間があらゆる場所に存在する。
きっと近衛兵が巧く招きの間に誘い込み、サージア兵を叩き潰しているのだろう。
「アンリオンはどこだ?!」
「アイツは近衛兵十番隊と正門を守っている。敵軍の侵入を防ぐために」
「マルケルス。恐らく王と俺の父上は軍議塔だ。行ってお救いするぞ!そそのかされるしか能のないサージアに後悔させてやる!」
「乗れ!イシードへ帰るフリをしたカリムが王都へ引き返してくるぞ。時間から考えて今はエルフの南……ナイシアの都辺りだろう。国外とラティアの内部から我が国の主要都市を挟みうちで襲う算段だ」
このラティアは北側をリズの森と深い谷に守られ、南は切り立った岩肌の目立つ険しい山が何マイルも広がっている。
まさかリズの森の更に北にあるサージアが、それらを越えこの城に侵入してくるとは。
しかも、セシーリアの誕生大祭典の最終日、興奮冷めやらぬ中にだ。
マルケルスの脳裏に、気弱そうなサージア帝国の王子シドの顔が蘇った。
「覚えてろよ、サージア」
口に出さずにはいられなかった。
****
「セシーリア姫!軍議塔へはお入りにならないでください!」
急に腕を掴まれて、セシーリアは立ち止まった。
弾かれたように振り仰ぐと、ザックリと頬に剣の傷を負った近衛兵であった。
「あなたは確か……」
見覚えがあった。
いつの日だったか、オリビエとアデルのスティーダ(両刃の長剣)の練習試合を見に行こうとした時、馬を貸してくれた近衛兵ディオだ。
「ディオ、止めないで!お母様が、お母様が連れさられたの」
「……私は軍議塔にこれ以上敵兵を入れないよう闘っておりましたが、女王はこの中にはいらっしゃいません。もしかしたら城外に」
その時、ヨルマが何かを知らせるかのように甲高く鳴いた。
背後へ回ったヨルマの向こうに馬上のオリビエとマルケルスが見える。
「セシーリア!!」
「オリビエ、マルケルス!!」
マルケルスが手綱を引き、馬が嘶きながら止まる。
「お母様が!」
悲鳴のようなセシーリアの声に二人が頷いた。
「アイリス様はもしかしたら城外に連れ出されたかもしれない。僕達は先に王をお助けにいく。セシーリア、ここで待っていろ」
「ディオ殿、軍議塔の中の敵兵の数は?!」
「伝令係の情報ではサージアの残兵はおよそ百かと。ですが、王のご生存が確認できていません」
その言葉にオリビエの顔が更に険しくなり、彼は急かすように言った。
「行くぞ、マルケルス」
「ああ!」
「待って!私もいく!」
「何言ってる!ダメだっ!」
オリビエが声を荒げたが、セシーリアは引かなかった。
それどころか敢然と口を開くと強い口調でこう言いきった。
「私はラティアの王女よ。いずれこの国を背負って立つ者。なら、今ここで逃げるわけにはいかないわ!」
「バカ言うな!軍議塔の中がどんな状況かも分からないんだぞ!?」
マルケルスが苛立たしげに叫んだが、そんな彼にヨルマが視線を合わせて短く鳴いた。
なんなんだ、このふたりの眼は。
夢見がちだとばかり思っていたセシーリアが、こんなにも燃えたぎるような瞳をするとは。
そしてこの大豹は、まるで前世からセシーリアを守ってきたかのように寄り添っているではないか。
息を飲むマルケルスにセシーリアは更に訴えた。
「マルケルス。私を信じて」
言い終えて、煤に汚れた頬をグイッと拭ったセシーリアの傍で、再びヨルマが雄々しい鳴き声を響かせた。
「……ヨルマ。お前がセシーリアを守ると言うのか?!」
当たり前だと言わんばかりにヨルマが両の牙を見せた。
……参った。もう反対はすまい。
「なら、一緒に行くぞ!」
三人と一頭は、決意を込めた視線をぶつけ合うと軍議塔へと飛び込んでいった。
****
広い軍議塔の中は無残であった。
煙と血の混ざった臭いが充満し、そこやかしこに剣の打ち込まれた傷や矢の穴が開き、調度品は無惨にも地に叩き付けられていた。
敵兵の上に味方の兵が折り重なり、仕掛けが施された床は大勢の兵達を飲み込んでいたが、まるでまだ足りないと言ったように口を開けている。
前方の遥か向こうからは叫び声がするが、王の姿は見えない。
敵の攻め込みを想定し、無数にある階段はその殆どが仕掛け階段である。
軍議塔は当然の事ながら、限られた者しか出入りを許されていない。
「確かここには城外と宮殿に繋がる二種類の地下道があるだろ?」
「らしいな。だが俺達はまだ隠し通路を知らされてない」
当たり前である。
いくら王の側近の息子であろうが軍事に携わる前のオリビエやマルケルスは、軍議塔に入ることすら許されていなかった。
知っているのはせいぜい軍議の間と呼ばれている、出入り口近くの広間ぐらいだ。
「どうする?!」
マルケルスの問いに、オリビエより早くセシーリアが答えた。
「ヨルマについていきましょう。ヨルマ、お父様の居所がわかる?」
ヨルマはもうその前から、クッと顔を上げて集中していた。
首を目一杯伸ばし、耳を忙しなく動かしていたヨルマがやがて小さく鳴く。
どうやら付いてこいと言っているらしく、前方に倒れている兵達をヒラリと飛び越えた。
「ヨルマについていきましょう!」
*****
ヨルマの活躍で三人は、思いの外早く目標に到達した。
軍議塔に隠された地下道へと続く隠し扉を、速やかに見つけたのだ。
ディオの言う通り、城内のラティア軍がサージア軍の制圧に成功したようで、新たな敵の攻め込みはなかった。
しかし……。
三人は扉の前で絶句した。
「この壁の向こうが隠し通路なの?」
セシーリアの戸惑いをまとう声に、マルケルスが低く呟いた。
「……多分な。何処かに壁を開ける仕掛けがある筈だ」
マルケルスが舐めるように壁を見る後ろで、オリビエが静かに口を開いた。
「……この向こうは地下通路へ続く筈だ。だとしたら、中は暗闇だ」
言いながらオリビエは、反対側の壁に固定されていた腕木の松明に手を伸ばした。
それから、引き抜く前の松明の柄を、真下の窪みに入れたかと思うとグッと押す。
「扉が……!」
ガガガ、と小さな地響きがしたかと思うと、目の前の壁が切られたように左右に開いた。
「……一般的な歯車式の開き扉か……」
マルケルスが表情を変えることなくこう呟くとオリビエから松明を受け取り、皆を見回した。
「……行こう。進むしかない」
オリビエが頷きながら心配気にセシーリアに声をかける。
「大丈夫か?セシーリア」
「ええ、平気よ」
裏腹に声は震えその瞳は恐怖におののいていたが、セシーリアはどうにか勇気を振り絞って頷いた。
それを見たヨルマが先頭に立つ。
「行こう」
*****
扉のすぐ前の階段を降りると、湿っぽい地下道のあちらこちらに兵士が倒れている。
マルケルスはそれらの亡骸を見ながらすぐに違和感を覚えた。
隠し通路の中で倒れているのは、全てラティアの兵士だ。
……何故だ?なぜ一人も敵兵の死体がないんだ?
マルケルスは目まぐるしく考える。
……この地下通路への隠し扉はラティア帝国の王であるロー・ラティアとその側近、軍の各部隊の上層部しか知り得ない。
その地下道で味方ばかりが息絶えるなど……もしや……。
その時、ヨルマが前方を見つめて身構えた。
一方マルケルスは全身の血の気が引いていくのを感じた。
これはもしかしたら……!




