かなしみのラティア《1》
「王はただ今、第一護衛兵と共にサージアの兵を迎え討っておいでです。レイゲンドゥレイヴ様は……王をかばわれて負傷」
サージアだと?!それに、父上が……!
オリビエの脳裏に気の弱そうなシド王子の顔か浮かんだ。
「よりによってなんでサージアなんだ?!我がラティアとは不可侵条約を結んでいるだろうが!」
アンリオンが憎々しげに声を荒げ、マルケルスは出入り口に向かいながら舌打ちした。
「オリビエ。お前はセシーリアを探せ。それから王をお助けに行くぞ」
「わかった!」
オリビエの胸に愛しいセシーリアが浮かんだ。
*****
オリビエ……早く回復したらいいのだけれど……。
部屋に戻ったセシーリアは、側付きの世話係が差し出したネクタルを一口だけ飲んで小さく息をついた。
それから寝台に横たわると眼を閉じて今日の出来事を思い浮かべる。
カリム皇帝の、あの顔。
お父様が結婚を断った時のカリム皇帝のあの顔からは、憎悪からくる怒りがありありと滲み出ていた。
このままでは済ますまいとでも言いたいような、あの射るような眼差し。
セシーリアもイシード帝国の強大な国力は理解していた。ただ正直国政には疎い。
政治や軍事はロー・ラティア国王を筆頭にオリビエ、マルケルス、それにアンリオンの父親を含む有能な部下達が王の側近として力を合わせて取り仕切っており、 その息子達の世代はまだまだそれらに携わるような身分ではない。
……カリム皇帝と結婚なんて事にならなくて良かった。だけどイシード帝国を敵に回すなんて、これから先、一体どうなるのかしら。
セシーリアは誕生大祭典の初日、この部屋でマルケルスの言った言葉を思い返した。
『 カリムは王位簒奪者だ。恐らくこのラティア帝国とセシーリアを自分の眼で見に来たんだろう。ああいう種類の男は他人なんか信用しないからな。我が国王に打診する気でいるんだろうよ。撥ね付けたら何をするかわからない男だ』
……怖い。
無性に胸騒ぎがして、セシーリアは寝台から身を起こした。
オリビエ……オリビエに会いたい。それにみんなにも。独りでいたくない。
嫌な予感が胸の中を霧のように広がり、隙間なく埋め尽くした。
行かなきゃ、みんなのところに。
その時だった。
女中達の悲鳴の後、ドタドタと荒い足音が響き、誰かがセシーリアの名を呼んだ。
「セシーリア王女!今すぐお逃げくださいませ!」
ビクッと身体が跳ね、セシーリアは出入り口から外に飛び出す。
見るとそこにはスティーダを手にした一人の兵士が肩で息をしていた。
所々黒く焼け焦げた赤いマントの近衛兵は、悲壮な表情で続ける。
「伝令係の情報です!イシード帝国が国境辺りで兵を挙げました!サージアは恐らく、イシード帝国に寝返った模様!」
な、んですって……!?
「加えて……王の居所が分かりません。思いの外早くサージアの兵に攻め込まれ、混乱して……!」
「お母様は?!お母様は無事なの?!」
セシーリアの母親……ラティア女王はセシーリアを産んでからというもの体調が思わしくなく、何年も城内の別邸で静養していた。
セシーリアに会うのは月に一、二度で、食事を共にするか国の催し物の際にほんの僅かな間、民衆の前にその美しい姿を現すだけだった。
女王の別邸は女中達こそ多いものの、護衛兵の数は知れている。
「アイリス女王はまだ別邸だと思われます。あっ、セシーリア様!お待ちください!そちらは敵兵が……!」
「アメリアを頼むわ!」
待ってなどいられなかった。
それに一体どうしてこんな事になってしまったのかを考える余裕もない。
行かなきゃ。お母様を助けに。
その時、ヨルマがセシーリアに身体を擦り付けた。
それからまるで付いて来いと言わんばかりに出入り口に向かい、彼女を振り返る。
「ヨルマ……ありがとう!」
唇を噛み締めて、セシーリアはヨルマと共にラティア女王の元へ走った。
走りながら思った。これはイシード帝国皇帝であるカリムの怒りなのだと。
****
オリビエは必死でセシーリアを探した。
張り出し陣の方向……城の中央門のすぐ近くから立ち上る黒煙が見えて、思わず歯軋りをする。
門塔のラッパ隊がそれを鳴らす間もなくサージア帝国の兵に殺された事を予想して、オリビエは胸が潰れる思いがした。
きっと誰もが予想していなかったに違いない。
なんといってもセシーリアの記念すべき誕生大祭典が終わったばかりだったのだ。
しかも攻め込んできたのは、数時間前までここで国賓としてセシーリアの成人を祝い、酒を酌み交わした相手である。
これほどの屈辱があるだろうか。
「オリビエ殿!城内には既に敵が!お気を付けて!」
頷いて走り出すも、入り乱れる兵と使用人がオリビエの行く手を阻む。
「気を付けろーっ!サージアの兵が我が近衛兵に化けているぞ!よく見ろーっ!女は建物の中に逃げろ!他のものは武器を手に城を守れーっ!」
怒号が響き、オリビエは斬り込んでくる近衛兵をスティーダで迎え討った。
どうやらサージアの兵士が我が国の近衛兵のマントを身に付けているらしい。よく見ると盾も剣もラティアのものではないが赤いマントばかりに眼がいく。混乱を更に深めるには十分だった。
「セシーリア!セシーリア、何処だ?!」
神殿の方向に走りながらオリビエはセシーリアの名を叫んだが、ハタと立ち止まると瞬時に考えた。
……セシーリアが真っ先に駆け付けるとしたらそれは……セシーリアの母であるアイリス・ラティアの元だ。
オリビエは女王の住まいへと全速力で走った。
*****
恐ろしい声でヨルマは鳴いた。
セシーリアに迫り来る者は全てヨルマの敵であった。
鋭い爪で敵の身体を裂き、喉に食らいついて骨を砕くと、ヨルマはセシーリアを守るように寄り添いながら走る。
「ヨルマ、ありがとう」
ヨルマがセシーリアを見上げる。
「こっちよ、ヨルマ」
二人は一心に走った。
***
「お母様!お母様!」
屋敷の中で折り重なるように倒れている護衛兵の変わり果てた姿に、セシーリアの胸が痛いくらい脈打ち、その身体は震えた。
アイリス・ラティアの別宅は、既に敵の手に落ちていたのだ。
「お母様!お母様!」
刃向かった為に殺された侍女達の中に、女王アイリスの姿は見えない。
床に倒れた者はピクリとも動かず、既に魂が宿っていないのが見てとれた。
そんな中、今にも途切れそうな声が聞こえた。
「セシーリア様……」
「っ!!」
倒れた家具の下からわずかに見えた白い手に、セシーリアが夢中で駆け寄る。
アイリス付きの女中長ミカであった。
「ミカ!しっかりするのよ。今助けるわ!」
言いながらセシーリアがミカの上の家具に手をかけると、彼女は僅かに首を振った。
「私はもうダメです。脇を刺されていて……もう長くありません」
そ、んな……!
ミカが苦痛に顔を歪めてセシーリアを見上げた。
「アイリス様が……サージアの兵士に連れて行かれて……」
ただでさえ激しく脈打つ鼓動が、痛いほど速度を増す。
「ミカ。お母様が何処に連れて行かれたか分かる?」
「申し訳ございません……!そこまでは……。ですがアイリス様は朝からお身体の調子が良くなくて……私が付いていながら……申し訳ございません……」
そこでミカは息絶え、力なく腕を床に落とした。
「ミカ!ミカ!」
ドクドクと流れ出たミカの血の赤さに、セシーリアは絶叫した。
「ミカーッ!!」
嫌よ、嫌!ミカはお母様付きの女中長だったけど、昔はよく私に花飾りの作り方を教えてくれて……。
「ミカ……ミカ……ごめんなさい……!」
ヨルマが、ミカの手を握るセシーリアに顔を寄せた。
もう諦めて進まなければならない事を、ヨルマは教えているのだ。
「分かってる……行きましょう、ヨルマ」
噛み締めたセシーリアの唇に、血が滲んだ。
****
オリビエは城内に入り込んだサージア帝国の兵士を討ちながら、目まぐるしく考えを巡らせた。
まだ城内にはサージアの兵しかいない。
伝令係が言うには、イシード帝国のカリム皇帝は国境付近で兵を挙げたとの事だった。




