簒奪者の怒り《3》
辺りに響いたその声に、アンリオンをはじめセシーリアも聞き覚えがなかった。
……どこだ?!
カリムからオリビエをかばいながら、アンリオンは矢の飛んできた方向を必死で見つめた。
その直後、観客の一部が後方を仰いでいるのが眼に入り、そこにはためくマントを見付けた。
…あれか?!
あの、近衛兵二十番隊のいる三段目のアーチの上……あれは……誰なんだ。
…この距離でここまで正確に矢を命中させるとは。
遠すぎて人物の特定は出来ない。それにアンリオンは、今はオリビエを助けるのが先決だと思った。
その時であった。
騒然とした辺りに、ラティア皇帝、ロー・ラティアの威厳に満ちた声が広がる。
「オリビエを宮廷医の元へ。それからカリム殿、これは一体?」
声に振り向き、セシーリアが父王の胸に飛び込んだ。
「お父様……!オリビエが、オリビエが……」
ロー・ラティアはそんなセシーリアを抱き締め、それから腕を解くと闘技場のカリムに再び尋ねた。
「カリム殿、ご説明くださいますかな」
レイゲン・ドゥレイヴは、アンリオンによって運び出される愛息の姿に一瞬こめかみを動かしたが、その表情を変えることはなかった。
「これはこれはロー・ラティア皇帝陛下。たった今俺は、護衛兵と生死をかけた闘いをしていたのです。セシーリア姫の愛をかけて」
それを聞いたロー・ラティアが、僅かに両目を細めてカリムを見下ろした。
「今年のセシーリアの誕生大祭典は、婿選びを兼ねた特別な日だ。人が死ぬ日ではない」
カリムの顔から笑みが消えた。
「たかが護衛兵だ、ラティア皇帝。それよりも俺とセシーリア姫の結婚によって、わがイシード帝国とラティア帝国との結び付きを強めるのが重要ではないかな?」
勝ち誇ったようなカリムに、ロー・ラティアが返答する。
「あなたが毒針で殺そうとした護衛兵は、大切なラティアの民だ。もっと言えば我が友であり、ラティアきっての最高策士であるこのレイゲン・ドゥレイヴの息子」
ロー・ラティアは一旦ここで言葉を切ると、鋭い眼差しでカリムを見据えた。
「カリム皇帝。このラティアには余興で失っていい命など一つとしてあり得ない」
カリムは眉を寄せてロー・ラティアを見上げた。
……つまりたとえ隣国の最高責任者でも、罪もないラティアの民を殺めるものは見過ごせないと?
……ロー・ラティアはそんな甘い考えで一国を治めているのか?
思わずフッと笑いがこぼれそうになったカリムに、ロー・ラティアは続けた。
「我がラティアは婿をとらねばならない。民のために。イシード帝国とは別の方法で友好関係を深めたい次第だ。カリム皇帝陛下、どうぞご理解願いたい」
*****
数時間後。
「カーロ、オリビエはどう?」
セシーリアの切羽詰まった声に、宮廷医のカーロはフワリと微笑んだ。
あれから数時間の間、オリビエの意識は朦朧としていた。
その間にロー・ラティアをはじめ、多くの者がオリビエを心配してやって来たが、全員と面会出来る状態ではなかった。
そんな中、セシーリアは部屋の入り口から離れず、ただただオリビエの意識がはっきりするのを待ちわびていた。
「命に別状はございません。恐らく、セアナの花をすり潰した汁に当てられたのでございましょう」
セアナとは、気温差の激しい水の少ない大地に生息する花である。
濃い黄色の花びらは美しいが、幻覚や体調不良を引き起こす毒を持っているため生け捕りを目的とした狩猟に使われる場合が多い。
「そう……良かった!ねえ、顔を見てもいい?」
その時、たしなめるようにマルケルスが声を響かせた。
「セシーリア。オリビエはまだダメだ。しかもそんな疲れた顔でアイツに会っても逆に心配させるだけだぞ。目覚めたら呼んでやるからお前も休め」
実のところ、セシーリアはかなり疲れていた。誕生大祭典の前からあらゆる演習で、連日睡眠不足であったからだ。
「……分かった。でも会えるようになったらすぐに教えてね」
****
約半日後。
「王はなんと?」
人払いをした廊下の先にあるオリビエの部屋に、三人のヒソヒソとした声が広がる。
「……分からないがお前の父上の事だ。鷹を使い、国境沿いの増兵を指示したはずだ。いつ何時襲ってくるやも知れぬイシード帝国を迎え討つ準備を始めているにちがいない。昨夜、第八伝令係と俺の父上直属の密使が軍義塔に入るのを見た」
「そうか」
寝台から起き上がり気だるそうに頭を振るオリビエにこう言うと、マルケルスは苛立たしげに瞳を光らせた。
「カリムは必ず仕掛けてくるぞ」
アンリオンは、カリムの瞳の奥に芽生えた憎しみの炎を思い出しながら舌打ちをした。
「お前がカリムの吹き矢で気絶している間に、王がカリムの求婚を断ったんだ。ラティアの民の前でスッパリとな。実に見物だったがヤツがこのまま大人しく引き下がるわけがない。なんといってもイシード帝国の最高指導者の地位にのし上がった男が、自尊心を切って捨てられたんだ。ようやく肩を並べた隣国の王にな」
「……そうだな」
物憂げなオリビエの声の後、一旦皆が押し黙ったのを見計らい、アンリオンはあの出来事に話を移そうと身を乗り出した。
「それからオリビエ。どうしてお前が今、生きているか分かるか」
マルケルスが厳しい顔のまま、アンリオンに口を開く。
「なんだ、早く言え」
アンリオンは少し頷くと両目を僅かに細めてあの時の光景を思い返した。
「カリムの吹き矢を食らったお前を、ヤツのトドメから救った人物がいる」
……近衛兵じゃないのか?
オリビエが真正面からアンリオンを見つめ、口を開こうとした。
それをマルケルスが制する。
「待て……外が騒がしい」
マルケルスは眉を寄せると顔を傾けて耳を澄ました。
まさにその時であった。
「敵だーっ!敵の襲来だーっ!」
ドゥレイヴ家の屋敷の直ぐ外で、悲鳴のような声が響き渡った。
「オリビエ殿!申し上げます!イシード帝国並びにサージア帝国が我がラティアに兵を挙げました!」
咄嗟に立ち上がった三人の前に、血と泥にまみれた伝令係が転がり込むように膝をつくと一気に捲し立てた。




