簒奪者の怒り《2》
「オリビエ、何とか持ちこたえろ。直ぐに王に知らせる」
「……分かった」
マルケルスが闘技場を飛び出し、アンリオンがオリビエと共に地下に向かった。
どうしよう、どうしようっ!
セシーリアは痛いくらい脈打つ心臓をどうすることも出来ず、ただ両手を握りしめた。
闘技場ではアルディンが固唾を飲んで事の成り行きを見守っていたが、やがて城内へと足を踏み入れたカリムとオリビエを見て地に膝をついた。
「アルディンとやら。お前にはがっかりだ。目の前から消えろ」
「………」
カリムの傲慢な声にアルディンは僅かに視線を上げてオリビエを見た。
「アルディン。素晴らしい闘いを感謝する」
オリビエはそんなアルディンに短く声をかけると、腰のスティーダ(長剣)をスラリと抜いた。
「ご武運を」
「オリビエ」
アルディンの声をかき消すようにカリムが声を響かせた後、オリビエを一瞥した。
「宮廷育ちで実践も積んでいない飾りのような護衛兵にとっては酷かもしれんが…… 俺は剣闘士出身で、やるかやられるかの闘いしかして来なくてな。悪いが手加減が出来ない」
「こちらこそ申し訳ございません、カリム皇帝陛下。この命は姫の身を守る為だけに存在しておりますゆえ、私の方も手加減が出来ないのです」
カリムは、抑えつつもこちらを牽制するオリビエを嬉しく思った。
闘技場の砂を踏んだ瞬間剣奴時代が蘇り、相手の息の根を止める事に微塵の罪悪感も感じなくなる。
その相手が、このオリビエ・ドゥレイヴであることが嬉しい。
叩き斬ってくれるわ!
「死ぬ準備は出来たか?オリビエ」
「いつでも」
「オリビエ、剣奴は足を狙ってくる。気を付けろ」
別れ際にアンリオンがオリビエに声を掛けると、オリビエは唇を引き結んだまま頷いた。それから後ずさり、距離をとった二人は互いを見据えた。
観客は、このあり得ない状況にただ困惑するばかりである。
「いざ!」
オリビエが剣を構えた瞬間、カリムが素早くオリビエのそれを狙い、叩き落とそうとした。
そこを上手くカリムの力を吸収して体を回転させると、オリビエは飛び上がってカリムの頭上にスティーダを振り下ろした。
カリムは表情ひとつ変えず、スティーダを両手で持つと額ギリギリのところで真横に構え、オリビエの攻撃を受け止めた。それから同時にオリビエの太股を押すように蹴る。
剣奴上がりは伊達ではないようでカリムは想像以上に力が強く、オリビエは激しく後ろへひっくり返ると砂埃を上げた。
「オリビエ!」
空気を裂くようなセシーリアの声に観客が我に返り、その中のひとりが叫んだ。
「プレーマーソーディ・ラティア!(我はラティアと共に!)オリビエ様ー!」
「プレーマーソーディ・ラティア!」
「オリビエ様ー!」
声が声に重なり合い、やがて皆の声が揃い始める頃、カリムは完全に剣奴へと戻っていた。
……我はラティアと共に?!バカ言え!国が何をしてくれると言うんだ。国などが民を守ってなどくれるものか!!
カリムの身体全てが怒りに包まれた。
殺してやる……!
砂の上を転がって剣を避けるオリビエに、カリムはニヤリとした。
剣奴王であったカリムは、本能的に魅せる闘いをしようとする。
カリムは地を蹴るとオリビエの動きを予測し、全身の筋肉を使いながら渾身の力で地に長剣を突き立てた。
「っ……!!」
ザリッという音とともに、カリムによって半分が沈んだ長剣が、逃れようとするオリビエの身体を否応なしに阻む。
カリムはそんなオリビエの胸を侮蔑の表情で踏みつけると、腰からグラデス(短剣)を引き抜いて突き立てた。
オリビエが歯を食いしばり、両手でカリムの足をどけると、何とか彼の胴を蹴り払う。
すると次には、カリムが腕を伸ばして地に突き立てていたスティーダを掴もうとした。
「くっ!」
オリビエはそれを許さず、突き立ててあったスティーダの中心を拳で殴る。
傾いたスティーダを取り損ねたカリムがバランスを崩すと、素早くオリビエはカリムの脚に自分の脚を絡ませて倒し、その身に馬乗りになる。
二発殴られたカリムは咄嗟に砂を掴むとオリビエの顔に向かって投げつけた。
反射的にオリビエは目を庇い、カリムはそんな彼を全力で跳ね退け、すぐに砂の上の長剣を足の甲ですくい上げて手中に納める。
一方砂の上に放り出されたオリビエは、両腕で身体を支えると後ろへ回転しながら数回跳び、立ち上がって長剣を構えた。それから顔色一つ変えずにカリム目掛けて走り、斬り込む。
頭上で剣を水平にし、オリビエの攻撃を避けたカリムは、思わず奥歯を噛み締めた。
……なんだこの素早さは……!これだけで動いて、疲労を感じないわけないだろう?!
オリビエの剣を押し返しながら足払いを掛けるも、華麗にそれをかわしたオリビエは二撃目を繰り出す。
「……っ!」
上半身を仰け反らし、オリビエの攻撃を避けた筈のカリムは、頬に鋭い痛みを感じて思わず息を飲んだ。反射的に指で拭ったが、見るまでもなかった。ヌルリとした感覚、鉄と生臭さの混ざった嗅ぎ馴れた匂い。
確かに最近は剣の稽古など久しくやっていない。だからといってこんな奴素人に俺がやられるか?!
傷を受けた左頬がドクドクと脈打ち、口に入り込んだ血を忌々しげにブッと吐くと、カリムは息も乱さぬオリビエを睨み付けた。
それから切り込んで来られる前に地を蹴り、身を屈めて水平にした剣をオリビエの膝に打ち込む。
身体をふたつに分けてやる!
ところがオリビエは後ろ手に出した剣でそれを弾くと、そのまま片足でカリムを蹴り上げた。
「グッ……!」
たちまち円形の闘技場から歓声が上がり、カリムは屈辱に震えた。
……剣奴王の俺が……!イシード帝国皇帝の座に登りつめたこの俺が!!
怒りのあまり全身が震えるのを必死で抑えると、カリムは不敵な笑みを浮かべてオリビエを見た。
「なかなかやるじゃないか、オリビエ。だがこの辺で終わりだ」
「……っ!」
言うや否や、カリムがグラデスの柄頭を口にあてがいプッと勢いよく吹いた。
「っ!」
なんだ、今首に……!
一瞬訳がわからなかったが、カリムがグラデスを吹き矢のように吹いたのを思い返して、オリビエはやられたと思った。
「オリビエ!!」
ちきしょう、吹き矢だ!あのグラデスには毒針が仕込まれてる!
オリビエの一番近くにいたアンリオンはカリムの仕込まれたグラデスに誰よりも早く気付いたが、あまりにも一瞬の出来事であった為になす術がなかった。
「オリビエ!」
アンリオンは門を開けると闘技場の中へ飛び込む。
一方セシーリアは、何がなんだか訳が分からず眼を見開いて硬直した。
膝をついたオリビエの顔がみるみる蒼白に変わる。
「オリビエ!」
それから思いきり露台から身を乗り出し、声の限り叫んだ。
どうしよう、どうしよう!!
騒然とする闘技場の中で、カリムだけが高らかに笑った。
それから悠々と歩き、地に転がっていたスティーダを拾い上げると手首を回転させ、その切っ先をオリビエへと向ける。
「さらばだオリビエ。セシーリア姫は俺がいただく」
その時だった。
「っ!!」
駆け寄ろうとしたアンリオンよりも早く、一本の弓矢が空を裂いてカリムの長剣に命中した。
その重い衝撃に、カリムの腕がグラリと動く。
「誰だっ」
皆が矢を放った人物を探す中、怒気を含んだカリムの声に何者かが答えた。
「途中まではよかったが、余裕がなくなったからといって毒針を使うとは……あまりの卑劣さに呆れてものも言えないな」




