簒奪者の怒り《1》
アンリオンはあからさまに眉間にシワを寄せて声の主……イシード帝国のカリム皇帝を見据えた。
「光栄でございます」
深々と頭を下げたアルディンにカリムは唇を引き上げて笑い、言葉を返した。
「誉めたわけではない。ラティアのグロディーゼは……踊り子か?」
観客は先程の興奮をもて余しつつも、国賓であるイシード帝国の皇帝であるカリムの発言に何も言うことなど出来ず、ただ見守るしかなかった。
カリムはこう考えていた。
……見るところによるとこのラティアも、剣闘士の人気は確立されているようだ。……なら……俺に勝算が。
「カリム皇帝陛下。我がラティアにはこのアルディンなど足元にも及ばぬ程魅力的な踊り子が大勢おりますわ。今すぐご案内いたしましょう」
花のように微笑んだセシーリアに、カリムがニヤリと笑い返す。
「おお、これは失礼を申したかな。しかし生憎俺は踊り子に興味はない。……セシーリア王女、グロディーゼの闘いはいつ観られるのかな」
カリムのこの言葉にアルディンが唇を引き結んだ。辺りが一気に静まり返り、不穏な空気が漂う。
……どうしよう……どうしよう!!
セシーリアは内心焦りながら、何とか笑顔を保っていた。父王であるロー・ラティアならいわれのない隣国の王の嫌味も上手くかわせただろう。だがここにロー・ラティアの姿はなく、その右腕であるレイゲン・ドゥレイヴもいないのだ。
その時、オリビエが膝をついてカリムに頭を垂れた。
「恐れながらカリム皇帝陛下。本日は我が姫の生誕大祭典でございます。姫という立場上、あまり血生臭い闘いを見せる訳にはいかず、些か迫力に欠けました事をお詫び申し上げます」
「……」
カリムは静かに笑いを消してオリビエを見据えた。
……確かこの男は……姫の肩を抱き、耳元で何か囁いていたが……一体どういう関係だ。格好は軽装だが、腰の長剣の柄頭にはラティアの兵士の紋章が刻み込まれている。だが、ただの護衛兵にしては親しすぎる。
「王女。この者は?あなたとどういう関係なのかお聞かせ願えるかな?」
「っ……」
オリビエとの……関係……。
キラリと射るような眼差しに、セシーリアはドキッとして喉を動かした。けれどすぐに言葉を返すと瞳を伏せて言葉を返す。
「この者はオリビエ・ドゥレイヴと申しまして城内での私の護衛役でございます」
「ほう!ではさぞかし腕の立つ者なのでしょう」
カリムはここまで言うと一旦言葉を切り、後ろを振り返ると上段までぎっしりとつまったラティアの市民をグルリと見回した。
「隠し事をしても仕方がない。……俺は現在イシード帝国の皇帝という立場だが……以前は革命家だった。もっとさかのぼれば……剣奴だ」
辺りが一気にざわめいた。剣奴というのは、剣闘を専門とする奴隷の別名である。カリムは続けた。
「オリビエ・ドゥレイヴ。こんな俺をどう思う?……セシーリア姫の婿として」
客は固唾を飲み、セシーリアは心臓を掴み上げられたようにビクッとした。
アンリオンは無意識に腰のスティーダを握りしめ、マルケルスは奥歯を噛み締めて切り抜ける方法を目まぐるしく考える。
「顔を上げて俺をよく見ろ。オリビエ・ドゥレイヴ」
オリビエ……!
膝をついたままのオリビエが静かにカリムを見上げた。
「……」
「……」
互いの視線が絡む。
その直後、オリビエの瞳に浮かんだほんの一筋のぞんざいな光を、カリムは素早く捉えた。それから、本能的に悟る。……この男は……消しておかねばならない。
イシード帝国での剣闘士は、死ぬ為の奴隷でしかない。その中で少しでも長く生き延びるためには、相手の本質をいち早く見抜く能力が必要だった。カリムは、それを上手く身に付け相手の裏をかき、闘いで勝ち続ける事が出来た数少ない剣奴であったのだ。
目の前のオリビエ・ドゥレイヴは、明らかに俺を蔑み、軽んじている。腹の底ではこう思っているのだ。仲間の剣奴をそそのかし、革命家などと体の良い風を装いながら彼らを踏み台にし、前皇帝一族に奇襲を掛けた裏切り者の簒奪者だと。
一気にカリムの身体の中をどす黒い怨みが根を張り枝葉を広げた。
自分を捨てた親、最初に売られた家人に容赦なく性のはけ口にされた屈辱、剣闘士養成所の欲にまみれた主人の顔が目まぐるしく脳裏を駆け巡り吐き気がした。
それが、目の前のオリビエ・ドゥレイヴの眼差しと重なりカリムの胸を圧迫する。限界だった。
「俺と手合わせ願えないか、オリビエ。セシーリア姫の護衛役の座をかけて」
な、んだと……?
オリビエが眼を見開き、マルケルスはスティーダを引き抜こうとしたアンリオンの腕を掴んで止めた。
「……カリム皇帝陛下。あなた様のように強く逞しいお方の相手など、このオリビエに務まる筈がございません。何卒ご容赦を」
何も言えないでいるセシーリアに代わり、マルケルスが身を低くしてこう言ったが、カリムはうっすらと笑った。
それから、
「きゃあっ!」
なんとカリムは眼にも留まらぬ早さでセシーリアに腕を伸ばすとその腰を抱き寄せ、あろうことか彼女の唇を奪った。
反動でセシーリアの衣装が大きく乱れ、その荒々しさが遠い観客にもはっきりと伝わる。
たちまちアンリオンが気色ばみ、マルケルスを振り切ってスティーダを引き抜き、構えた。
だがそれよりも早く動いた人物がいた。オリビエだった。その場の誰よりも早く、オリビエのスティーダの切っ先が、カリムの喉元をピタリと捉えたのだ。
「受けて立ちましょう。イシード帝国カリム皇帝陛下。だがまずは我がラティアの姫から、その手を離していただきたい」
静かに、それでいて怒りを宿したオリビエの榛色の瞳が、真っ直ぐにカリムを見ている。
「オリビエ……」
カリムから自由になったセシーリアが、伸ばされたオリビエの手にしがみつき、涙声で彼を見上げた。
「オリビエ、やめて」
「心配しなくていいよ、セシーリア」
微笑んだオリビエが、カリムに汚されたセシーリアの唇を優しく指の腹で拭った。
「嫌よ、オリビエ」
大丈夫な訳がない。オリビエと今のカリムでは、身分の差は明白だ。姫の護衛兵が、隣国の皇帝の髪一筋にも傷を付ける訳にはいかない。かといって受けた勝負に負けると、命を失う上にセシーリアを奪われてしまうだろう。
いずれにせよこの時点でオリビエは、命すら危うくなってしまったのだ。
「カリム皇帝陛下。どうぞご容赦くださいませ。オリビエには荷が重すぎます」
セシーリアの必死の訴えに、カリムは小さく笑って静まり返る観客を見回した後、声を落として言葉を返した。
「セシーリア姫。これは俺流の求愛だ。この勝負に勝ったら俺と結婚してほしい。見たところあなたの護衛兵は……業務を越えてあなたを」
「カリム皇帝陛下」
硬いオリビエの声に、カリムがわざとらしく仰け反り自らの手で口を塞いだ。
「おお、これは無粋だったかな。では降りようか、オリビエ」
「……」
闘技場は大きく、すべての会話が耳に届いているわけではない市民は、この状況がよく分かっていないが、オリビエの身が危険なことは誰もが理解していた。
ここにはもうカリムを止められる者は誰もいない。
カリムは連れていたたった二人の侍従のうち、背の高い男に脱いだマントを渡し、ふたりの耳元で何やら囁いた後、露台に一番近い出入り口から闘技場に降りた。
その後をオリビエが続く。




