隣国の王子(4)
「セシーリア。誰だ」
オリビエの感じた疑問を、アンリオンが口に出す。
「シーグルに会いに行った先で友達になったグロディーゼよ。養成所の一番偉い人」
その言葉にたちまちマルケルスが溜め息を漏らす。
「全くお前は。王女が気安く誰とでも友達になるんじゃない」
たしなめるようなマルケルスの口調にも、セシーリアは悪びれる様子がない。
「アルディン、ヨルマ……あの時の大豹、今じゃ凄く皆と仲良しなのよ!」
マルケルスをアッサリと無視したセシーリアに、アルディンが白い歯を見せて笑った。
「それはそれは。ヨルマは希にみる幸運の持ち主ですね。会いたいものです。ヤツは俺を許してくれるでしょうか」
その言葉にセシーリアが大きく頷く。
「まあ、一撃は覚悟しておいたほうがいいかもね」
その会話を聞いていた大勢の観客からも笑い声が上がる。
……なるほど……。
ポンポンと飛び交う会話と和やかな雰囲気を、ひとり冴え冴えとした眼で見据える男がいた。
イシード帝国のカリム皇帝である。
カリムは花のように笑うセシーリアの横顔と、彼女を見守るかのような市民をさりげなく見回しながら思った。
これは……案外容易いかもしれない。
このラティア帝国を手にいれたくば、やはりセシーリア王女を意のままにするのが一番である。婿に来る気などないが、豊かなこの国はどうしても欲しい。さて、となると……。
カリムは下げられない口角を手で隠しながら、思考を巡らせた。
その時、セシーリア達の玉座からそう遠くない距離で司会進行係が注目を求めようと専用の笛を吹いた。
皆の意識が自分に向いた瞬間を逃さず、司会者は声を張り上げる。
「皆様、御静粛に。我がラティア帝国の薔薇、セシーリア王女の誕生大祭典の最後を飾りますグロディーゼ闘技大会が、まもなく始まります。ラティアの誇りであり英雄であるグロディーゼの雄姿をとくとご覧くださいませ!」
歓声が闘技場を包み、地響きにも似た震動が生まれたが、男は高らかに挙げた両手でそれを制止し、続けた。
「この度グロディーゼ達が挑むのは、ラティアの北西に広がるリズの森で生け捕りにした大熊です!グロディーゼと大熊の命を懸けた闘いを是非御堪能ください!」
このところ、リズの森に生息している熊が激増し、ラティアでは人的被害が多発している。
そこに眼を付けたのがグロディーゼ闘技委員会と食肉業者で、山林で生活を立てている者を守る意味も含めて、猟師に生け捕りを条件とした駆除を依頼したのだった。
「じゃあ、今夜は熊が食えるな」
アンリオンがニヤリと笑ったのをマルケルスが呆れたようにチラリと見た。
「後で皆に振る舞われる。ちゃんと並べよ」
そこへ再び笛と打楽器の音が響き渡り、地を這うような猛獣の鳴き声が加わったかと思うと、興奮した観客の歓声が闘技場の温度を上げていった。
「聞いたか?今の鳴き声。酷くご立腹だぜ、リズの森の熊は」
アンリオンが、間もなく闘技場へ現れるであろう熊に向かってからかうようにこう言うと、オリビエが入場門に眼をやりながら口を開いた。
「リズの熊はそこいらの熊と同じじゃない。もう何度も木こりを襲い、人の味を知っている。しかも生け捕られ精神的抑圧を強いられてかなり怒りを溜め込んでるだろう。心してかからなきゃ怪我ですまないぞ」
オリビエが真顔で闘技場を見下ろすと唇を引き結んだ。
「さあ!間もなく闘技場へリズの大熊が入場します!そんな獰猛な獣に挑むのは……グロディーゼ養成所《エルフの風》の一番の稼ぎ頭、アルディン!」
アルディン……!
司会者のよく響く声がアルディンを呼んだ瞬間、ガラガラと音を響かせて鋼鉄の門がゆっくりと開いた。
そこへ悠々とした足取りでアルディンが登場し、スティーダ(両刃の長剣)を持つ右腕を誇らしげに挙げた。
「アルディン様ーっ!!」
「負けないで!」
「アルディン!期待してるぜ!木こりを食らう悪魔を即刻退治してくれ!!」
王家の席よりもはるか上段に座る数多くの市民が、親しげにアルディンに手を振り声をかける。
そんな彼らをぐるりと見回し溌剌とした笑顔を向けたアルディンは、一番近いセシーリアの席へ眼を向けると優雅にお辞儀をした。
「アルディン、気を付けて!」
セシーリアが胸の辺りで両手を握りしめ、叫んだ。途端に反対側の門から、リズの大熊が解き放たれる。
それを見た観衆は猛る熊の大きさに一瞬静まり返ったが、再びアルディンに声援を送った。
近衛兵二十番隊が闘技場の三段目で弓を構え不足の事態に備える中、大熊がアルディンに眼にも留まらぬ速さで襲い掛かった。
「ああダメ!見ていられないわ」
アルディンを心配するあまり、玉座に座ることも試合を観ることもできないセシーリアの肩をオリビエが守るように抱き、耳元でなだめる。
「アルディンを信じよう。我が国のグロディーゼは正義の遣い者だ」
「うん……」
……。
カリム皇帝はひとり悠々と国賓専用の玉座に腰を掛け、この状況を注意深く見守っていた。
色々と思うことはあるが、先ずセシーリアの気を自分に向けるのが先決ではないだろうか。周りの煩いハエどもは、後でどうにでもなる……。
それよりも、身体が疼いた。
…懐かしい……。闘技場も、そこに生まれる独特の熱気も。
剣奴王として闘技場に君臨していた時代は終わり、革命を起こして自らが王となった今、剣を振り上げここに立っていた自分が幻であったかのような錯覚を覚える。
剣奴であった自分は幻で、俺は王となるべくして生まれてきたのではないか。簒奪者などと呼ばれるのは間違いで、真の皇帝は最初から俺だったのではないか。皇帝になるべく血が、俺にはちゃんと流れていたのではないか。
軽い目眩を覚え、思わず眼を閉じた時、闘技場全体を揺るがすような拍手喝采が生まれた。
アルディンがスティーダを大熊の腕に深々と突き刺し、驚いた熊の身体を蹴ってそれを引き抜いたところだった。
深く地を這うような熊の絶叫が、更に観客の興奮を煽る。
熊の身体は黒く、血は見えなかったが、猛り狂うその姿が肉を裂かれた痛みを連想させた。
「アルディン!!」
「アルディンー!!ラティアの英雄!!」
「この分じゃラティアの守護神ディーアに求愛されるぞ!最大の名誉だ!」
ここで再び司会者の笛が鳴り、彼がラティア帝国の守護神ディーアが身に付けているとされる髪飾りを天にかざした。
「大熊に、感謝の祈りを」
痛みと血の匂いに、我を忘れきった大熊がアルディンに襲いかかる。
彼はそれを華麗にかわしながら、観客が大熊のために祈るわずかな時間を待った。
やがて祈りを捧げた観客達が顔を上げ、司会者が羽飾りを地に振り下ろして威厳のある声を張り上げた。
「勇敢な大熊に、安らぎの眠りを!」
その言葉を聞き終えたアルディンが、スティーダを太陽にかざして叫んだ。
「プレーマーソーディ・ラティア!(我はラティアと共に)」
そこからは一瞬であった。
ラティア帝国のグロディーゼは対戦した獣を無意味に苦しめず、致命傷を与えたらいかに早く心臓を止めるかによって腕が評価される。
アルディンは実に鮮やかであった。
彼は暴れ狂う大熊の心臓を素早く貫き、一瞬で穏やかな眠りを与えたのだった。
雄々しいグロディーゼと、地に身を沈め動かなくなった勇敢な大熊に、観客全員が敬意を表す。
「プレーマーソーディ・ラティア!」
「プレーマーソーディ・ラティア!」
やがて大熊が運び出されると、闘技場は薔薇の花びらが撒かれ、酒で清められた。
「アルディン!アルディン!」
セシーリアが露台から身を乗り出し、アルディンの名を呼んだ。
「素晴らしい闘いをありがとう!ねえ、怪我はない?!」
「はい、王女」
アルディンはスティーダを腰に収めると、セシーリアを見上げて優しく微笑んだ。
「ねえ、私の挨拶が終わった後、時間ある?!ヨルマに会ってやって欲しいの」
その時だった。
パンパンと大きく乾いた拍手が、セシーリアのすぐ後ろで響いた。
丁度こちらを見ていた司会者が観客に静粛を求め、恭しくお辞儀をして下がった。
「いやいや、なんと美しい出し物である事か……まるで劇をみているようだ」
すかさずマルケルスとオリビエが視線を絡ませ、成り行きを見守る。




