隣国の王子(2)
「シーグルに会いたい。結婚前に」
「シーグルは必ず帰ってくる。君の誕生日には、必ず」
「どうして分かるの?」
オリビエは小さく息をつくと、セシーリアから眼をそらして武術練習場を眺めた。
柔らかい風が二人の間をすり抜けていく。その風に僅かに乱された髪を整えながら、セシーリアはオリビエを見上げた。
「父に、三年で城に戻れと言われているから。だから君の誕生日には必ず帰ってくるよ」
「……そう……なら……もうすぐ会えるわね」
セシーリアは複雑な表情を浮かべたまま、オリビエから眼をそらした。
そうだ。私はもうすぐ成人する。
セシーリアは毎年、誕生日が来るのを心待にしていた。なのに記念すべき20歳の誕生日をこんなにも来てほしくないと願う事になるなんて。
少しだけ眼をあげると、こちらを見ていたオリビエと視線が絡んだ。
オリビエの榛色の瞳が一瞬甘く輝いて、セシーリアの鼓動が跳ねる。
私は……今もオリビエが好きだ。オリビエは……バラ園での口付けを覚えているのだろうか。
『もう僕から離れるのは許さない』
三年前、オリビエが護衛の為だけに発したこの言葉を、宝物のように胸にしまっているセシーリア。
あの口づけの意味を期待する気持ちと、一時の過ちを勘違いし、打ち砕かれるのを恐れる気持ちがせめぎ合う。
「セシーリア」
小さく呼んで、オリビエが隣に腰かけていたセシーリアの肩を抱き寄せた。
至近距離からオリビエの綺麗な顔を振り仰ぎ、セシーリアは驚いて彼を見上げた。
忙しなく通りすぎる近衛兵や女中などがいるなかで、オリビエは何を思ってこんな事を。
「あの、オリビエ」
「セシーリア。僕は君の幸せを祈ってる」
オリ……ビエ……。
これは、別れの言葉。もうすぐ婚約する私への餞の言葉。そうだ、私たちは幼馴染なのだ。現に誰も、オリビエに肩を抱かれている私を気にも留めない。
それどころかにこやかに頭を下げて、兄と妹を微笑ましいと言わんばかりに優しく見守っている。
国王の側近の息子と王女は、幼馴染。昔から、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
セシーリアは潰れそうになる胸に手を当てながら、必死になって笑顔を作った。
「ありがとう、オリビエ。私もあなたの幸せを願っているわ」
陽は傾き、辺りを切な気な赤に染め上げていった。
*****
誕生大祭典当日。
「セシーリア様!仰向けに寝転がられましたらせっかく結い上げた髪が台無しになってしまいます!仮眠など取らないで下さいませ!」
髪結い係のユーアが、くっついてしまうほどに眉を寄せて叫んだ。しかもユーアの怒りはセシーリアだけでなく、床に臥せて眠っていたヨルマにまで及んだ。
「ヨルマ!あなたセシーリア様に飼われているからといってイイ気にならないでちょうだい!そんなところにいたら邪魔で仕方ないわ!今すぐ向こうに行かないなら、鞭でひっぱたいて火の輪くぐりをさせるわよ!」
ヨルマは頭を上げてユーアを見るや否や、小さく鳴くとスルリとその場を離れた。
「ユーア……随分とヨルマが怯えているわよ」
セシーリアがそう言うと、ユーアは早口でこう答えた。
「私の従兄弟は猛獣使いをやっておりまして、ヨルマのような豹を何頭も従えております。ですから私も豹をみると血が騒ぐのです。そんなことより!」
ギロリとユーアがセシーリアを睨んだ。その氷のような眼差しにセシーリアは焦りギクリとする。
「眠かったんじゃないのよ、頭が重いのよ。ねえ、ユーア。ちょっと頭に飾りが刺さりすぎてないかしら」
そんなセシーリアの言葉をユーアが斬って捨てた。
「いーえ!そんな事はこざいません!」
ああ、そう……。
「さあ、次はマリア様が詩の朗読の最終確認にいらっしゃいます。成人を迎えるにあたり、皆への感謝と抱負を述べる感動の詩ですよ。くれぐれも度忘れなどなさいませぬよう」
手際よくセシーリアの髪を直し、その出来映えに満足するとユーアは頭を下げて退出し、それを確かめたヨルマがセシーリアに歩み寄ると膝に顎を乗せて甘えた。
セシーリアはそんなヨルマの首筋を撫でながら苦笑した。
「お前はどうもユーアが苦手なようね」
それを肯定するかのようにキュッと両目を閉じたヨルマに、セシーリアが悪戯っぽく笑った。
「油断は禁物よ。次に来るマリアだって凄く怖いんだから。知ってるでしょ?」
セシーリアを真正面から見つめたヨルマが、参ったと言うように小さくか細い声を上げた。
****
誕生大祭典は、滞りなく進んだ。
実に七日間もの間開かれる祭典の初日はラティア帝国国王であるロー・ラティアの演説から始まり、次にセシーリアの成人の儀心詩といわれる詩の朗読、隣国の王の祝言の数々が続き、その後は盛大な祝宴が繰り広げられた。
初日、セシーリアは15時間に及ぶ任務を全てこなし、疲労のあまり宮廷内の自室の寝台に倒れ込んだ。
そんなセシーリアに、甘えるようにヨルマが身体を擦り付ける。
「ヨルマ……私、お腹が減って死にそうだったわ」
その時、ヨルマがフッ顔をあげ、入り口に視線を走らせた。その直後に明朗な声が響く。
「あの豪華な料理を目の前にして……それはさぞかし辛かっただろうな」
「ほら、持ってきてやったぞ、料理」
「セシーリア。誕生日おめでとう」
立て続けに声がして、セシーリアは慌てて身を起こした。
ヨルマが部屋の入り口に立つ三人に悠々とした足取りで近寄ると、一番先に足を踏み入れたマルケルスに額をすり付ける。
「アンリオン、マルケルス!」
それに……オリビエ。
セシーリアは女中の置いていった大皿の中の豪華な料理を見た後、再び三人を見上げた。
「どうしたの?みんな揃って」
セシーリアの問いに、マルケルスがヨルマを撫でながらニヤリと笑った。
「なかなかお前と話す機会がなくて情報を伝えられなかったが、重要な話だ。よく聞け」
「え?」
セシーリアは意味が分からず、三人の前で首をかしげた。
「……なに?」
「まあ先に料理を食えよ。これから話すことは少し長くなる」
*****
セシーリアの誕生大祭典最終日。
重要な儀式は一日目で九割方が終了し、二日目以降は国交を深める名目での宴会が城内外で盛大に行われた。
他国の護衛兵も城下の酒場や大浴場付きの宿泊施設で羽を伸ばし、祭典中は無礼講である。
ラティア国のもてなしは卒がなく、誰しもが大満足であった。
「そろそろグロディーゼの大会がはじまるぞ。大広場の闘技場へ見に行こう」
アンリオンの言葉でマルケルスが頷き、セシーリアの護衛役として大広間の上段に付き添っているオリビエに視線を送った。
木管楽器の演奏と声楽隊の奏でる旋律が流れる中、それに気付いたオリビエが静かに頷きセシーリアの耳元に唇を寄せた。
……助かったわ。
セシーリアはホッと息をつくとオリビエに小さく囁いた。
「……行きましょう、オリビエ」
「ああ」
その時である。
「おお、何処へ行かれるのかな、俺の未来の花嫁」
どの喧騒にも染まらない凛とした艶やかな声がして、セシーリアは内心キュッと肩をすぼめた。
ゆっくりと視線をあげると、褐色の肌に精悍な瞳を持つひとりの青年と眼が合う。
セシーリアはその不敵な笑みを眼に写しながら数日前のマルケルスの言葉を思い返した。




