隣国の王子(1)
*****
半月後。
セシーリアの誕生大祭典の準備は、城内外で着々と行われていた。
王都エルフにはロー・ラティアが任命した主要都市の統治者達が順番に集まり、セシーリアに祝辞を述べては慌ただしく帰っていった。
その度にセシーリアは正装して彼らの前に出なければならず、時間を取られがちであった。
「どうせなら全員で来てもらって、一度に済ませてしまいたいわ」
朝食を終え、神殿の前に広がる庭園の石畳に腰かけて、セシーリアは目の前の池を見つめた。
ハアッと息をついてこう言ったセシーリアをオリビエが優しく諭す。
「統治者が一斉に王都に集まったら危ないだろう?主要都市ががら空きになる」
「それは……そうだけど」
「そんな事より」
オリビエが声のトーンを変えてセシーリアを見つめた。
「豹のことだけど、どうするんだ?」
「この子の名はヨルマよ」
ヨルマ……オスなのか。
ヨルマは石段の一番上で眼を閉じていたが、自分の名が聞こえるとピクリと耳を動かした。
オリビエが身体をねじり、そんなヨルマを見上げる。
「このまま城におく気?」
「ええ」
セシーリアがヨルマを優しく呼ぶと、彼はゆっくりと立ち上がり、滑るように石段を降りてセシーリアに身を寄せた。
セシーリアはそんなヨルマの顔を両手でクシャクシャと撫でて笑った。
「いい子ね、お前は」
あの日、シーグルを探しに行った先のグロディーゼ養成所から救った豹を、セシーリアはヨルマと名付けた。
なんとか城まで辿り着いたものの、ヨルマの前肢の具合は良くなく、宮廷馬医であるバルトサールはセシーリアに殺処分を勧めた。
何故ならこれほどまでに大きな野生の豹を手術するのは危ないからだ。痛みに暴れられたら、こちらが命を落とす。
だがセシーリアは首を横に振るとバルトサールに即答した。
「ダメよ、お願いバルトサール。どうかこの子の脚を治してやって。この子は私の言うことなら絶対にちゃんと聞くわ。私の仲間を傷つけることは絶対にない。だから助けて。千の薬草も万の医学書もお前の望むものはどんなものでも揃えるわ。お願いよ、この子を助けて」
バルトサールは、セシーリアの足元に臥せているヨルマを見下ろした。
最も獰猛といってもよい手負いの大豹が、まるで仔猫か何かのようにセシーリアに甘え、心から信頼しているのがありありと窺えた。
だが、バルトサールはそれを不思議だとは思わなかった。何故ならバルトサールは、昔からセシーリアが人には馴れないであろう野性動物を手懐けるのを度々見てきたからだ。
一度などは増えすぎた牡鹿の狩りに同行した際、鉢合わせてしまった猪をセシーリアがなだめた事があった。
バルトサールは唇を引き結んで思案していたが、ホッと息をついたあとセシーリアに向かって口を開いた。
「わかりました。私の持っている全ての医術をヨルマに注ぎましょう」
セシーリアは、バルトサールとのやり取りを思い出しながらオリビエを見た。
「まだ完全ではないの。バルトサールが壊死した肉を切除して化膿した部分を薬草で消毒してくれたわ。ヨルマの痛がる様子から、骨もヒビがはいっていたみたいだけどもう心配ないと思う。後は完全に傷が塞がるのを待って、筋肉を付けなきゃ」
オリビエは溜め息をついてセシーリアを見つめた。
「それからもうひとつ」
「なに?」
オリビエが静かな口調でセシーリアに問う。
「君は、何しに街へ降りた?」
ヨルマを連れ帰った時点でセシーリアは、オリビエにこう尋ねられるのを覚悟していた。
一方オリビエはセシーリアが豹を連れ帰ったその日に問いただしたいところであったが、 ドゥレイヴ家の跡継ぎとしての業務に加え、騎兵隊入隊の試験やセシーリアの誕生大祭典の準備の一端を担い多忙を極めていたため、それどころではなかったのだった。
真っ直ぐなオリビエの視線を感じながら、セシーリアはこう答えた。
「シーグルを……捜していたの」
シーグルを?何故。
たちまちオリビエの表情が強ばる。
シーグルは約三年前にドゥレイヴ家から飛び出し、一度も帰っていない。一向に戻らない息子に業を煮やした父、レイゲン・ ドゥレイヴが密使を出して探した結果、彼が王都エルフの中でも名門中の名門といわれているグロディーゼ養成所に身を置いているのが分かった。
最初は怒り心頭であったレイゲンだが、シーグルが学問と武術に真剣に向き合い、真摯な態度でそれらに励んでいるのが分かると、必ず三年後にはドゥレイヴ家に戻るという条件の元それを許したのだった。
「なぜ会いに?」
オリビエの榛色の瞳が、僅かに曇る。
何故って……。
セシーリアは、自分の胸の内を出来るだけ正直に伝えようとゆっくりとした口調で言った。
「もうすぐ私は他国の王子と婚約することになるわ。お父様は急がなくてもいいと言ってくださったけど、近い未来私はその婚約者と結婚しなければならない。そうしたらもう今のようにオリビエやアンリオン、マルケルスとも自由に会えなくなるし出掛けることも出来なくなる。……シーグルとも」
そこまで言うとセシーリアは俯いた。
長い睫毛が影を落とし、悲しげに震える。
そんなセシーリアの暗い表情を見ていると、オリビエの脳裏に三年前の出来事が蘇った。
『兄さんにセシーリアは渡さない!!』
『俺はセシーリアが好きだ。いずれセシーリアは俺が守る。兄さんよりも強くなって』
目眩がしそうになって、オリビエは反射的に眼を閉じた。
……シーグルが城を降りてグロディーゼ養成所の門を叩いたのは、これらの言葉を実行するためだ。
あの時、シーグルは僅か16歳にしながら一生涯をかけてセシーリアを守り抜くと決心したのだ。何故なら、愛しているから。
セシーリアは続けた。
「三年前、シーグルは私に何も言わずに城を降りてしまったわ。どんなに訊いても誰もシーグルの行方を教えてくれなかったけれど、三年経ってやっと居場所が分かった時、どうしても会いたいと思ったの。だってシーグルとは血こそ繋がっていないけれど、私あの子を大切な弟だと思っているの」
一旦ここで言葉を切ると、セシーリアは再び視線をあげてオリビエを見つめた。




