剥き出しの牙(3)
「責任者は俺だ。昨日ここを叔父に譲り受けた」
セシーリアがゆっくりと弓を下げる。
「なら話は早い。アルディン。私にその豹を譲って欲しい」
……豹を?それだけか?
アルディンは些かがっかりした。この少女はただ一時の感情で、ただ一頭の豹の命を助けて満足しようとしているのだ。
弓の腕と度胸は誉めてやるが……やはり女だ。
たかが一頭の豹を救い、満足するその乙女心に付き合うつもりは更々ない。
アルディンはセシーリアの心を踏みつけてやりたい衝動に駆られた。女のつまらない感情でグロディーゼの訓練を妨げられるなど真っ平だ。
「では、ご自分でこの柵の中に入り、豹を持ち帰る勇気がおありなら、喜んでお譲りしよう。手負いといえどもこれは立派な猛獣。しかもこの種類の豹は、豹の中でもかなり大きく力も強い。貴女に譲るために首に鎖をかけ、檻に入れるのは些か骨が折れる作業だ」
セシーリアはニヤリと笑った。
「なんと容易いのかしら。待っていなさい」
セシーリアは言うなり身を翻し、武器庫の階段をかけ降りた。
それから早足で訓練場を突っ切ると、何の迷いもなしに豹だけになった柵の中へと入り、アルディンを振り返った。
「手助けは無用よ」
大胆不敵な笑みを浮かべてこちらを見据えたセシーリアに、アルディンは息を飲んだ。
……バカな!本当に豹のいる柵の中に入るなんて。しかもこの娘は丸腰だ。先程の弓はおろか、短剣すら持っていない。
アルディンは青くなって叫んだ。
「バカか!早く出ろ!」
セシーリアはそんなアルディンを一瞥した。
「お前は私をただの小娘だと蔑んでいるわね。その目を見ればすぐに分かる。今からその思いを覆してやるわ。見ていなさい」
セシーリアは言い終えてアルディンに背を向けると、牙を剥いて睨み据える豹に向き直った。
「……大丈夫よ。なにもしないわ。私と一緒にここを出ましょう」
そう語りかけたセシーリアに両の牙を見せつけながら、豹は前足をグッと屈めた。アルディンをはじめ、全てのグロディーゼが息を飲む。
「おい、ヤバイぜ、飛び掛かるぞ!」
「お嬢ちゃん、今すぐ出ろ!」
セシーリアだけが動じなかった。
……大丈夫。この子は私を咬み殺したりしない。
遠目ながら一瞬だけこの豹と眼が合った時に、セシーリアは何かを感じたのだ。それをどう表現していいのかは分からない。けれどセシーリアは、豹の心の内が見えた気がしたのだ。
豹がセシーリアを見据えたまま、柵に添ってゆっくりと歩く。
「さあ、おいで」
セシーリアはそんな豹を見ながら地に両膝を着くと右手を伸ばした。
その瞬間豹が地を蹴り、セシーリアの目の前まで迫った。それから前足を繰り出し、伸ばしたセシーリアの右手を目にも止まらぬ早さで弾き飛ばす。
勢いよく叩かれた右手が大きく身体の背後まで回り、セシーリアの体勢が崩れた。
「誰か弓をかせ!」
「ダメよ!私の手を弾いて様子を見ただけ。爪は出してなかった!」
アルディンが叫び、それをセシーリアが制する。
次の瞬間、再び豹が宙を飛び、セシーリアにのし掛かった。
至近距離で視線が絡み、豹の生暖かい息がセシーリアの顔にかかる。
豹の前足がセシーリアの胸を踏み、その重さで肺が潰れそうになるのを彼女は歯を食いしばって堪えた。
「大丈夫よ。私はお前を傷付けないわ。今も、そしてこの先も」
言い終えたセシーリアを、豹がじっと見つめた。
セシーリアの胸の内を推し測っているかのようなその瞳が、貴石のように美しく輝く。
セシーリアは思わず溜め息をついた。
「お前の眼はとても素敵ね!」
「……」
「大丈夫よ。私はお前と仲良くしたいの」
「……」
豹が僅かに両目を細めた。それから徐々に表情を和げ、やがて牙をしまった。
その顔を見てセシーリアが弾けるように笑った。
「お前、そうして口を閉じていた方が何倍も可愛いわよ」
言い終えて両手で優しく豹の顔を包み込むと、セシーリアはその頬を撫でた。
「いい子ね」
たちまち、グロディーゼ達がざわめく。
「おい、嘘だろ、信じられないぜ。野生の豹が人に馴れるなんてありえない」
「俺達は今、皆で同じ夢を見ているのか?!」
アルディンもまた同じことを思った。
眼を細め、セシーリアに頭をすり付けて甘えだした豹を見て信じられない思いで眼を見張った。
セシーリアは皆が見守る中、優しく豹に問いかけた。
「私と帰りましょう。道中、他の者がお前を怖がるといけないから、少しの間だけお前の首に綱をかけさせて欲しいの。私と手をつなぐ代わりに」
セシーリアの言葉を理解しているかのように、豹がゆっくりと地に臥せた。
「いい子ね」
グロディーゼから手渡された縄を豹の首に結ぶと、セシーリアはゆっくりと立ち上がり、アルディンを見つめた。
アルディンもまたセシーリアから眼が離せないまま、彼女のマラカイトグリーンの瞳を見つめる。
この娘は……なにか凄いものを持っているのかもしれない。
「アルディン。約束通りこの豹は譲り受けるわ。それから」
セシーリアはグロディーゼ全てを見回すと、しっかりとよく通る声で告げた。
「騒がせて悪かったわ」
凛とした佇まいのセシーリアにグロディーゼ達は見惚れたが、慌てて張りめぐらせた柵を取り払い道を開けた。
「行きましょう。帰ったらお前の脚を手当てしてあげる。歩ける?」
豹がセシーリアを見上げてキュッと瞬きをした。
「待たれよ、勇敢な乙女」
豹を見て微笑んだセシーリアが養成所の門を出ようとした時、アルディンが声をかけた。セシーリアが足を止めてアルディンをしっかりと見つめる。
「なに?」
「是非伺いたい。貴女の名を」
最初は名前を聞く気などアルディンにはなかった。
だがアッという間に豹を懐柔したその神格的な少女の名を、どうしても皆に知らしめたいという気持ちに駆られたのだった。
グロディーゼ達が静まり返ってセシーリアの答えを待っている。
参ったわね。
セシーリアは苦笑した。
……お忍びのつもりだったのに……仕方がないわ。
騒ぎを起こしておいて名乗らないなんて、胸の中の正義に反する。
セシーリアはクッと顎をあげるとそこにいる全ての人間を見回し、最後に再びアルディンを見た。
「私は……私はセシーリア。セシーリア・ラティア」
たちまちどよめきが起き、グロディーゼ達が仲間と肩をぶつけ合いながら、慌てて地に膝をついて頭を垂れた。
アルディンの胸はフワリと浮くようであった。
……やはりそうか。
遠目にしか見たことはなかったが、やはりこの娘は『ラティアの薔薇』であったのだ。
「誕生大祭典でお会いしましょう、ラティアの薔薇……セシーリア王女」
そういって深々と頭を下げたアルディンを見てセシーリアがニヤリと笑った。
「またね、アルディン!」
「セシーリア様ー!」
「ラティアの薔薇!」
「王女ー!」
興奮冷めやらぬグロディーゼ達がセシーリアの名を呼び、辺りが騒然とする中、彼女は颯爽と愛馬にまたがった。
「城に戻ったら、お前の名を決めなきゃね」
セシーリアは豹を見下ろして優しく微笑むとゆっくりと手綱を引いた。
本当はシーグルに会いたかったけれど……今日のところは仕方がない。
アルディンをはじめグロディーゼ達がセシーリアを見送る。
美しくも強い精神を兼ね備え、神格的な雰囲気をまとったセシーリア・ラティアをグロディーゼ達は誇りに思い、いつまでもその後ろ姿を見つめた。




