剥き出しの牙(2)
セシーリアはただならぬ雰囲気を感じて、少年に質問した。
「何が始まるの?」
少年はセシーリアをぎこちなく見つめて口を開いた。
「手負いの豹と誰が闘うかだと思うんだけど」
手負いの豹……。
少年は続けた。
「もうすぐセシーリア王女の誕生大祭典があるだろ?その時に城にあがるグロディーゼ(剣闘士)の養成所がここに決まったんだ。王女の前で披露する剣闘が猛獣相手だと決まって……」
少年がそこまで答えとき人混みが割れた。途端にセシーリアの眼に豹の姿が飛び込む。切れ上がったように引き締まっている腹や、独特な曲線を描く背が堪らなく美しい。
「あれが手負いの豹?」
少年が軽く頷いた。
「ああ。生き残ってるのはあの豹だけなんだ」
しなやかな身体を低く構え牙を剥き出した豹が、グロディーゼ達を睨み据えながら括られた木を軸に円を描くように歩いている。
セシーリアが見守る中、傷を負った豹は身体のバランスを崩し、地面に顎を強打した。
思わずアッと声を出したセシーリアに、少年が口を開く。
「豹の毛皮は高額で売れるんだけど、あいつは猟師に足をやられたらしくて腐りかけてる。傷物の毛皮は良い値が付かないらしくて、所長が練習の為に安く仕入れてきたんだ」
「そんな豹を訓練の為に殺すの?」
「僕たちはグロディーゼだ。闘うのが仕事なんだよ」
セシーリアは憤りを隠せず、グッと眉を寄せて少年を見つめた。
「怪我してる相手に……卑怯よ」
「怪我してても豹は強いんだ。新人のグロディーゼなら負けるかもしれない。僕たちは命のやり取りを見せるのが仕事なんだ。練習しなきゃいい闘いが出来ない」
少年の言葉が途切れた直後、一際豹が低く唸り、その威嚇を取り囲んでいたグロディーゼ達が嘲笑った。
「なかなかの根性だな」
「さあ、誰かいないか?練れ者でもいいぞ」
低い声がそうと問いかけた直後、
「このアルディンが受けて立とう」
セシーリアは眉を寄せたまま、豹を取り囲むグロディーゼ達を見つめた。すると空が晴れるようにグロディーゼ達の輪が消え、代わりにスラリとした青年が豹の前に現れた。
「よし!皆さがれ!アルディンが豹と対決する」
たちまちのうちにグロディーゼ達がその場を離れ、彼らによって簡易の柵が張り巡らされる。
少年がセシーリアの腕を掴んだ。
「武器倉庫の露台からのがよく見える。おいで」
少年の後に付き、水汲み場のすぐ前の小さな建物の階段を登ると、視界が開けた。
「はじめ!」
野太い声と同時にグロディーゼのひとりがスティーダをひと振りし、豹の縄を切る。
アルディンは腰からグラデス(短剣)を引き抜くと呟くように言った。
「すぐに仕留めてやる」
柵の中で豹とアルディンが向き合い、互いに構える。
次の瞬間、豹が白い牙を剥き出したまま唸り声を上げてアルディンに飛びかかり、周りから歓声が上がった。
「いけ!アルディン」
「心臓をひと刺しだ」
「いや、脚を切り落とせ!」
その時、眼にも止まらぬ早さで豹の前肢が振り下ろされた。カッと顔に熱さを感じたと思うと、鋭い爪がアルディンの頬に赤い線を描く。
アルディンは、それを手の甲で拭うとニヤリと笑い低い声で言い放った。
「……火がついた。俺の番だ」
セシーリアはこれ以上見ていられなかった。
咄嗟に通ってきた部屋に引き返し、目についた弓矢を掴む。斜めから狙わなければならないけど、届かない距離じゃないわ。
セシーリアは露台に立つと、迷いなく弓を構えた。
「な、ちょっと、何やって……」
「あのグロディーゼが持っているグラデス(短剣)を射落としてやるわ」
少年は驚いて思わず叫んだ。
「無理だよ。女の子が弓を引いてあんな所まで矢を放てるわけない」
セシーリアはアルディンの右手のグラデスにピタリと狙いを定めて口を開いた。
「無理かどうか……よく見ていなさい」
アルディンがグラデスの切っ先を空に向けたその瞬間を、セシーリアは見逃さなかった。
「っ……!」
迷いのない矢が、一直線に飛ぶ。
「!!」
セシーリアの指を離れ空気を切り裂くように飛んだ矢が、アルディンのグラデスに当たった後、柵に絡まるようにして止まった。
それとほぼ同時にアルディンの手から弾け飛んで地を滑ったグラデスに、グロディーゼ達が息を飲む。
そんな中アルディンだけが当たりを見回す事をせず、なんの迷いもなく武器庫の露台で弓を構えているセシーリアを見た。
互いの視線が絡む。
アルディンが僅かに両目を細めた。
……誰だあれは。
「そこのグロディーゼ!これ以上その豹を傷付けるのなら、次はお前の額を射抜くわよ」
よく通る澄んだ声を張り上げたセシーリアを、すべての人間が見上げた。アルディンはどう見てもそれが少女であることに驚いたが、豹の足元へ弾け飛んだグラデスを見て闘いを諦め、柵を開けて外へと出た。
「なんだ?!あの女は何者なんだ」
「一体何しに来たんだ」
たちまちザワザワとグロディーゼ達が騒ぎ出す。そんな中、柵から出たアルディンは唇を引き結んだまま、露台のセシーリアを凝視した。
風に揺れる長い髪。均整のとれた肢体。形のよい輪郭に意思の強そうな顔立ち。
これは……。
それから、先程の言葉を思い返してフッと笑った。
『そこのグロディーゼ!これ以上その豹を傷付けるのなら、次はお前の額を射抜くわよ』
この娘は……。いや、まさか。……さて、どうしたものか。
「おい、お嬢ちゃん、弓の腕は誉めてやるが何処から来た?女のグロディーゼなんて募集してないぜ」
「なんだ、家出か?行くアテがないなら……俺の家に泊めてやってもいいぜ。ただし、色々楽しませてもらうがな」
下卑た笑いを浮かべたグロディーゼのひとりを見て、セシーリアは無言で弓を引いた。
「うわあっ!」
セシーリアの放った矢が、グロディーゼの爪先ギリギリの地面に、まるで吸い込まれるように突き刺さった。
減らず口を叩いたグロディーゼが眼を見開いて硬直し、アルディンは堪えきれずに声をあげて笑った。
「アルディンとやら。何がおかしいの」
アルディンは、優雅に頭を下げると地に膝を付いてセシーリアを見上げた。
「これはこれは失礼をいたしました。……さて、このようなむさ苦しいところへ貴女のような美しい女性が一体どのようなご用ですか」
セシーリアはアルディンを真っ直ぐに見据えると、迷いなく口を開いた。
「お前達は分かっているのですか。我が国の守護神であるディーアの化身が豹であることを」
グロディーゼ達は互いに顔を見合わせてから、ゲラゲラと笑った。
その中のひとりが大声でセシーリアに告げる。
「神話を信じるのは自由だが、俺達はグロディーゼ(剣闘士)だ。人間相手でも獣相手でも、闘うのが仕事なんだよ。お嬢ちゃんの博愛精神を押し付けるんじゃねえ」
セシーリアはこう言い放ったグロディーゼに敢然と言い放った。
「手負いの豹が相手とは、この国のグロディーゼもたかが知れてるわね」
「なんだと?!」
たちまちのうちにグロディーゼの瞳が苛立たしげに光った。
「待て、リヴラ」
アルディンは立ち上がると腕を水平に上げてリヴラを制した。
事を荒立てれば王女の誕生大祭典での剣闘披露大会の出場権を白紙に戻されるばかりか、養成所が取り潰しになるかもしれない。
だが……ただ俺が場を収めても面白くないし、この生意気な少女の曇る顔を見たい気もする。
アルディンはセシーリアを振り返るとゆっくりとした口調で尋ねた。
「君の目的はなんだ?此処に何しに来た?」
「人を探しに来たの。でも今はその豹を助けるのが先。ここの責任者は誰?話がしたいわ」
アルディンはフッと笑うと親指で自分を指した。




