剥き出しの牙(1)
***三年後***
穏やかに日々は流れていた。
「お父様。どうして次の私の誕生日は特別なのですか?」
側近達と共に、軍議の間と呼ばれている広間から出てきたばかりのラティア帝国国王は、セシーリアの輝くような姿を見て思わず眼を細めた。
……我が娘ながら、セシーリアは美しく成長したものだ。
『ラティアの薔薇』
誰が呼び始めたか定かではないが、正にセシーリアは薔薇のように美しい。
ラティア国王は、側近に手を上げて先に行くように促すと、セシーリアを抱き締めて笑った。
「我が愛娘、セシーリア」
セシーリアは、愛する父王の胸に額を押し付けて見上げた。
大好き、お父様。
ラティア帝国の王でありセシーリアの父であるロー・ラティアは、穏やかで情け深い王である。
皇帝という立場でありながらその力を振りかざすような真似をせず、ロー・ラティアは常に帝国の民と寄り添う王である。
そんなロー・ラティアは国交の為に他国の王女を妻にめとるのが代々の常であるにもかかわらず、自国の娘、それも王都エルフで花屋を営んでいたアイリスを見初め結婚した。
若くして王となったロー・ラティアを、歳の離れた近隣諸国の王達の中には何かと軽んじる者もいたが、度々起こる隣国との小競り合いや同盟及び協定の見直しなどの際も、持ち前の人柄や側近たちの範疇を超えた叡智で何とか乗りきってきたのだった。
そんな王を民は尊敬し、その一粒種であるセシーリアを『ラティアの薔薇』と呼び愛している。
その無限の愛を承けて育ってきたセシーリアも、あと一ヶ月の後には成人である。
ラティア帝国では男女とも20歳で大人と認められる。
しかし王族に生まれた者としては、だから特別な誕生日というわけではない。ラティア王族に生まれた者の成人誕生日というのは、初めて他国の王族皇族に顔を見せる日であり、その中の王太子達から結婚相手を決めるという特別な責務をもって臨む日なのだ。
「セシーリア。お前はあと一月の間に成人する。ラティアの王女として初めて、大陸の国々の王族皇族に姿を見せることになるのだ。この意味が分かるな?」
セシーリアは、ロー・ラティアを見上げたまま唇を引き結んだ。
「国賓の中から私の婿候補の王子と対面し、仲良くしろと?」
「……そういう事だ」
「お父様。そんなの嫌です」
ロー・ラティアは、愛娘の美しいマラカイトグリーンの瞳を見つめて苦笑した。
「お前の結婚はお前だけの問題ではない。私はラティア人の妻をめとった。そのために隣国と血縁関係を結んでおらず、今の国交は些か心許ない。国同士の友好関係を維持するためにお前が他国の第二以下の王子を婿に迎えるのは大切な事なのだ」
「けれどお父様、私だってお父様みたいに好きな人は自分で見つけたい。初めて顔を合わせる王子と結婚だなんて無理です」
「セシーリア。お前は男ではなく女だ。私が退位した後、女王が統治する国を狙わぬ者などあるまい。隣国の王子を婿に取り、国との結び付きを強くしておかなければいつかこのラティアは侵略されるだろう」
女王が統治する国が、侵略されるですって?
「大丈夫ですわ、お父様。このラティアには優れた武人が沢山いるじゃありませんか。それに我が国を侵略しようものなら、守護神ディーアが悪に身を染めた輩を必ず退治してくれますわ」
ラティアの守護神ディーア。
ラティアは信仰の厚い国であり、民はその守護神であるディーアを崇め奉っている。
「このラティアが危機に陥った際には、必ず守護神ディーアが姿を現し皆を守ってくれるのでしょう?」
セシーリアもまたディーアを愛し、その神話を信じていた。
ロー・ラティアは、真っ直ぐな眼差しを向ける我が娘の純粋さを眩しく思いながら続けた。
「誕生大祭典で直ぐに結婚相手を決めろとは言わない。だが近頃は不可侵条約を結んでいるにも関わらず、国境付近の小競り合いが後を絶たない。同盟を結んだ国々も敵対国と新たな血縁関係を結び、いつ我が国との条約が反故になるやも知れん状態だ。セシーリア。お前は王女として婿を取らねばならないのだ。ラティア帝国の民のために」
国のため。民のため。
セシーリアはこれ以上何も言えなかった。
父の顔を見ているのに、脳裏に浮かぶのはオリビエの顔ばかりであった。
*****
「いい?!マルケルス。今日一日は絶対にオリビエに見つかっちゃダメよ。私とエルフの街にいた事にしといてね」
「なんだよ、それ」
「独りで城下に降りないってオリビエと約束してるの」
バカ真面目な顔で口裏合わせを求めるセシーリアを、マルケルスが鼻で笑った。
「もう子供じゃないんだから、オリビエだって怒らないだろ」
「バレたらマルケルスのせいにするわよ」
そう言われると少々具合が悪い。
何故ならマルケルスはオリビエが新しい武器を考案しているのを知り、是非ともその設計図を見たかったからだ。彼の機嫌を損ねてそれを見せて貰えなくなるのはどうしても避けたい。
それほどに、オリビエの武器に対する案は斬新で魅力的であるのだ。
「分かった分かった!行ってこい!俺、今日は休みなんだ。貴重な休日をお前のお守りに使いたくない。部屋にこもって戦法を考えたり新しい武器の考案に時間を費やしたいんだ」
「……マルケルス……あなた、感じ悪いわね。まあいいわ。オリビエにさえ見つからなきゃ。もし見つかって私がオリビエに叱られたら、あなたが三股かけてることを全員にバラすからね」
……コイツ。
マルケルスは全力でワガママ王女気質をぶつけてくるセシーリアを腹立たしく思いながら、皮肉を込めて頭を垂れた。
「いってらっしゃいませ王女様。無事のご帰還をお祈りしております。くれぐれも妙な男にからまれても、軽々しく弓で射殺したりなさらぬよう」
なによその嫌味な口調は。……いつかバラしてやるわ。
セシーリアはそう思いながら愛馬シーラにまたがり、颯爽と城を後にした。
*****
アンリオンとオリビエの話を盗み聞きしたところによると……確かここだと言っていたような……。
エルフの街へと足を踏み入れたセシーリアは、グロディーゼ(剣闘士)の館の前で馬を止めると、開いている門から中を覗き込んだ。
ラティア帝国においてグロディーゼとは奴隷ではなく、大工や商人と同じように確立された職業である。
女達は屈強なグロディーゼに男としての魅力を感じ、若い男達も強い憧れを抱いてグロディーゼ養成所の門を叩く者が後を絶たない。
どうしよう……入ってみようか。
セシーリアは愛馬から降りるとすぐ近くの繋ぎ石に手綱を結び、開け放たれたままの扉に近付いた。
そっと中を覗き見ると、養成所の中は驚くほどに広く、筋骨隆々な男達が武器を手にして鍛練に励んでいるのが眼に飛び込む。
所狭しと訓練に励む男達の掛け声と立ち回る際に上がる砂煙に、セシーリアは圧倒されて眼を見張った。
これじゃあ……何処にいるのか分からないわ。
「ねえ、あなた」
セシーリアは水飲み場に歩を進めると、忙しそうに働く小柄な少年に声をかけた。
桶を手にこちらを振り返った少年は驚いたようにセシーリアを見つめたが、セシーリアはフワリと微笑むと質問を続けた。
「ここに、シーグルという男の子がいるでしょう?彼はどこ?」
その時である。
地を這うような獣の唸り声が上がったかと思うと、男達の歓声が辺りに響き渡った。
瞬く間に、何か答えようとしていた少年の声がかき消される。
「誰が闘う?!」
「獣相手は骨が折れる。今日は俺、午前中に三試合も闘ったんだ。新人戦前の奴に譲るぜ」
声は聞こえるものの、人だかりのせいで何が起こっているのかは分からない。




