第15話_オールド・ファッションド
京持の二杯目が、半分ほど残っていた。
緋牡丹が席へ着き、薄い上着を脱いだ。
「こんばんは」
「こんばんは。今日、綺麗だな」
「今日も」
「うん」
肩から腕へ、牡丹が続いていた。
京持は見ていた。
「仕事だった?」
「終わったわ」
「俺、ない」
「聞いてないわよ」
マスターが彼女の前へ酒を置いた。
緋牡丹は小さく飾られたパイナップルを指で避け、一口飲んだ。
入口の扉が開いた。
ミセスだった。
二人を見てから、長辺の空いた席へ座った。
「こんばんは」
「こんばんは」
京持が言った。
「ミセスも綺麗だな」
「ありがとう」
「いい日だ」
「仕事は?」
「ない」
「それなら、少し付き合って」
京持がマスターを見た。
ミセスは鞄から封筒を出し、カウンターへ置いた。
「オールド・ファッションドを」
マスターが頷いた。
緋牡丹が顔を向けた。
「珍しい」
「今夜はね」
マスターはロックグラスへ角砂糖を入れた。
ミセスは封筒から写真を一枚出した。
「今夜、亡くなった人のことだけど」
緋牡丹が、出来上がった酒へ手を伸ばした。
京持は写真を見た。
黒い箱のあった部屋で、机の向こうに座っていた男だった。
右の手首へ、左手を添えた。
すぐに離した。
「何をする」
「会社へ返す品物を、引き揚げるの」
男は、女へ部屋を与えていた。
服も、宝石も、金も渡していた。
女はそれを、自分の物として受け取っていた。
そのうちの幾つかは、男の物ではなかった。
「会社から預かっていたものを、私物と一緒に保管していたの」
ミセスが言った。
「部屋に?」
「貸し金庫。鍵は彼女が持っているわ」
「じゃ、彼女に開けてもらえば」
「一緒に行くことまでは承知しているの。ただ、何を渡すかは、自分で決めると言っている」
マスターが書類を開いた。
保管した品物の一覧と、預け入れの記録。
会社へ戻すものには、印がついていた。
「残りは」
「彼女の物よ。少なくとも、今回こちらが引き揚げる対象ではないわ」
緋牡丹がグラスを置いた。
「そこまで決めたのね」
「ええ」
「本人が生きているうちは、取り戻せなかったのね」
ミセスは写真を封筒へしまった。
「誰かさんのおかげで、本人には聞けなくなったでしょう」
「聞いていたわよ。何度も」
「答えなかった?」
「よく喋ったわ。私が聞いたこと以外は」
京持が顔を上げた。
「用心棒は」
緋牡丹が彼を見た。
「今夜は、奥様についていたわ」
京持は写真へ目を戻した。
緋牡丹は酒を飲んだ。
ミセスは書類の端を揃えた。
「彼女も、聞いていなかったことがあるみたい」
「聞かなくても、くれるものは受け取れるわ」
「後から取り返されることまでは、考えていなかったのね」
「そこを考えさせるために、あなたが行くのでしょう」
ミセスが笑った。
「あなたには頼みにくいもの」
「どうして」
「金庫の中まで、全部片づきそうだから」
緋牡丹が顔を向けた。
「誰が毒婦よ。どの口で言っているの」
「まだ言ってないわ」
「言う前から分かるのよ」
ミセスも笑った。
京持は紙を見ていた。
ビターズと水を含んだ砂糖が、グラスの底で崩れた。
「俺は何する」
「開けたときの中身を見て、持ち帰る品物を確かめて。会社にも彼女にも属していない立会人として」
「金もらうけど」
「立ち会う仕事の分ね」
マスターが一覧を京持へ向けた。
京持は一つずつ読んだ。
「これ以外は取らねえ」
「ええ」
「足りなかったら」
「何がなかったか、記録する。その先は持ち帰ってから」
大きな氷がグラスへ入った。
マスターが酒を注ぐ。
「女を押さえつけて、鍵を取る仕事じゃねえな」
「違うわ」
ミセスが言った。
「渡す品物について、もう一度話す」
マスターが報酬を書いた。
京持は見て、頷いた。
「それでいい」
オレンジの皮がひねられた。
ミセスの前へ酒が置かれる。
彼女は香りを吸い、一口飲んだ。
少しして、もう一口。
「美味しい」
京持は自分の酒を飲み切った。
「行こうか」
ミセスが頷いた。
緋牡丹は二人を見送った。
「綺麗に返してあげてね」
「品物を?」
京持が聞いた。
「あなたもよ」
*
女は、鍵を手に持っていた。
受付でミセスと話している間も、握ったままだった。
京持は少し離れて待った。
女が一度、彼を見た。
「こちらの方も?」
「立会人よ。品物を確かめてもらう」
「会社の方ですか」
「違う」
京持が答えた。
女は彼のコートを見た。
合わせのところで視線が止まり、ミセスへ戻った。
係員が来た。
三人は奥へ案内された。
女が手続きを済ませ、保管箱が閲覧用の部屋へ運ばれた。
係員が下がる。
ミセスは一覧を卓へ置いた。
「開けてもいいかしら」
女は鍵を見た。
「全部、持っていくんですか」
「印のついているものだけ」
「これは、あの人が私にくれたものです」
「そう聞いているわ」
「返せなんて、一度も」
「彼から会社へ返す必要があった品物が、ここに残っているの」
女はミセスを見た。
「亡くなったら、急に」
ミセスは答えなかった。
女も、しばらく話さなかった。
京持は卓の端に立っていた。
椅子は空いていた。
女が鍵を使った。
蓋が開いた。
包みが幾つか、重ねられていた。
薄い箱。封筒。布の袋。
京持は一覧を見た。
ミセスが女へ聞いた。
「中を出しても?」
女が頷いた。
ミセスは一つずつ、卓へ並べた。
袋の中に小箱が二つあった。
女が片方を自分へ寄せた。
「これは私のです」
ミセスは開けなかった。
「それは対象に入っていない」
女の指が、箱から離れた。
京持は番号を確かめた。
「こっち」
ミセスが薄い箱を開けた。
中の品には、記録と同じ番号があった。
京持が頷く。
「合ってる」
ミセスは一覧へ印をつけた。
次の包みを開く。
女が言った。
「それも、私に」
ミセスの手が止まった。
「この品は、会社の記録にあるわ」
「持っていていいと言われました」
「いつ?」
女が時期を言った。
ミセスは預け入れの記録を見た。
「その前に、会社から預かっている」
「でも」
「彼が返さずにいたものなの」
女は包みへ手を置いた。
京持は動かなかった。
ミセスも、取り上げようとはしなかった。
「私に聞いても、もう分からないことばかり」
女が言った。
「そうね」
「私が嘘を言っているみたいじゃないですか」
「あなたがそう言われたことと、この品が会社のものであることは、両方あってもおかしくないわ」
女は顔を上げた。
ミセスは記録を彼女へ向けた。
「彼が会社から預かったものを、あなたへ渡した」
女は紙を読んだ。
包みを押さえた指が、少し緩んだ。
「返さなかったら」
「会社が、あなたへ返すよう求める。今日は私が話しているけれど、次もそうとは限らない」
女は京持を見た。
京持は一覧へ目を落とした。
「俺が持って帰るのは、ここにある分だけ」
「残りは?」
「触らねえ」
女は、自分へ寄せた小箱を見た。
その隣に、もう一つ置いた。
ミセスが包みへ触れる。
今度は止めなかった。
京持が番号を確かめた。
「これも合ってる」
最後の封筒を開いた。
中を記録と照らした。
揃っていた。
ミセスは会社へ戻す品をまとめた。
残ったものを、女の前へ寄せる。
「こちらは、あなたへ」
女は一つずつ見た。
小箱を開け、閉じた。
薄い紙の包みを、膝へ置いた。
京持は持ち帰る品を数え直した。
ミセスが受け渡しの紙を出した。
「今日、こちらが受け取ったもの。ここを確かめて」
女は読んだ。
「これで、終わりですか」
「今回の引き揚げは」
女はミセスを見た。
「ここにないものまで、受け取ったとは書けないわ」
女がもう一度読んだ。
署名した。
ミセスも書いた。
一枚を渡す。
京持は女が残りの品を保管箱へ戻すまで待った。
小箱は二つとも戻った。
薄い紙の包みだけ、鞄へ入った。
帰り際、女がミセスを呼んだ。
「この鍵は」
「契約先と、あなたで手続きをして」
女が頷いた。
鍵は、まだ手の中にあった。
*
マスターは持ち帰った品と一覧を照らした。
番号を確かめ、受け渡しの紙を読んだ。
「揃っているな」
「うん」
京持が言った。
「全部見た」
ミセスも頷いた。
「残した品は、本人が確かめたわ」
ミセスは受け渡しの紙をしまった。
鞄の中には、もう一つ封筒があった。
「まだあるの」
京持が聞いた。
「奥様からの分よ。今夜の会社の品とは別」
「そっちも俺?」
「いいえ。私が預かるわ」
京持は頷いた。
マスターは品物をまとめ、カウンターの内側へ下げた。
京持へ報酬を渡す。
京持は数えた。
緋牡丹が彼を見ていた。
「大人しかった?」
「俺?」
「彼女」
「途中から」
ミセスが上着を脱いだ。
「自分の物だと思っていたんだもの」
「そうね」
緋牡丹が言った。
「渡す方は、気前がよかったのでしょう」
「自分の物でなければね」
京持は封筒をしまった。
「シェイク」
マスターが頷く。
「私も、もう一杯」
ミセスが言った。
「同じもの?」
「ええ」
緋牡丹がグラスを持ち上げた。
「あなたに頼んでよかったわね」
「誰が?」
「会社も、彼女も」
ミセスは緋牡丹を見た。
「今夜は、そう思ってくれるといいけれど」
マスターが小皿を三枚置いた。
黄色い豆が載っていた。
京持は一つ取った。
表面が湿っていた。
噛むと、ほどよい歯応えがあった。
「うまい」
もう一つ取る。
「これ何」
「ルピナス豆」
マスターが言った。
緋牡丹も一つ食べた。
「苦味のある品種は、抜くのに手間がかかるのよね」
ミセスが豆を見た。
「苦味を?」
「毒も。これは処理したものだけど」
京持は皿を見た。
「こいつは抜けてるんだな」
緋牡丹が彼を見た。
「何が言いたいの」
「豆の話」
ミセスが笑った。
緋牡丹は少しだけ目を細め、もう一つ食べた。
「いい塩加減」
「歯応えもいいわ」
ミセスが言った。
京持は豆を噛んだ。
「これ、もうちょっとある?」
「まだあるだろうが」
マスターが言った。
京持は皿を見た。
「あった」
シェイカーが鳴った。
ミセスは鞄を椅子の脇へ置き直した。
緋牡丹が小皿を少し寄せる。
二人の間にあった書類は、もうなかった。
京持の前へ、冷たい酒が置かれた。
一口飲む。
「うまい」
ミセスは新しいオールド・ファッションドを受け取った。
緋牡丹も酒を飲んだ。
しばらく、豆を食べた。
*
ミセスが勘定を頼んだ。
酒の分を払い、鞄を持った。
「お先に」
「おやすみ」
緋牡丹が言った。
京持も言った。
扉が閉まった。
緋牡丹が残りの豆を食べた。
京持はその横顔を見た。
「今日、綺麗だったな」
「今日も」
「うん」
「もう聞いた」
「向こうでも思った」
「向こうに私はいなかったでしょう」
「うん」
緋牡丹が顔を向けた。
京持はグラスを持ち上げた。
口をつけたが、傾けなかった。
「面倒くせえな」
「何が」
「何でもねえ」
マスターが小皿を下げようとした。
京持は指で止めた。
「まだある」
豆が二つ残っていた。
緋牡丹が一つ取った。
京持は、もう一つを食べた。




