2-3
「それにしても、おチビちゃんはよくこんな道を一人で歩いたもんだね」
森を歩きながら、リュミエルが感心したようにセーマスに話し掛けた。
「ぼく、リスみてたから、あんまりおぼえてないんだ」
大分リュミエルに慣れてきたセーマスは、それ以上に森の中が気になるようだ。リュミエルに掴まりながら、あちこち視線を巡らせるのに忙しい。
「ふうん。雨上がりでぬかるんでるのに、無事に辿り着くなんてついてるね」
「リュミエル、無事にとは言えないわよ」
呆れたようにそう言うと、リュミエルは目を瞬いてから「ああ、そうか」と頷いた。
「人間て怪我しても簡単に治せないから大変だよね」
「あなたたちエルフみたいに丈夫じゃないもの。治癒魔法で簡単に治してしまったら、後が大変だわ」
「そうだね、無理に治すと逆に壊れちゃうから……」
「そう言えば、上手く調整できるって言ってたけど。誰かに使ったことがあるの?」
リュミエルは少しの間を置いて、曖昧に微笑んだ。
「……さあ、どうだったかな」
何故かその笑みに背筋がゾクリとして、それ以上聞くのを止めにした。一瞬後にぱっと明るく笑ったリュミエルは、フィオナに視線を合わせた。
「もしもフィオナが怪我したら、僕がちゃんと程よく治癒魔法を施してあげるから安心して」
「……遠慮するわ」
「どうしてっ? そんなに信用できない?」
さっきの顔だけ見ればそうだが、今のリュミエルをそこまで疑ってはいない。
「私は薬草師だから」
「薬草師だって万能じゃないでしょ?」
「そうだけど……大抵のことは、自分の知識で何とかなるわ」
「それじゃ追いつかない場合もあるんじゃない?」
フィオナは肩をすくめて迷わず答えた。
「そのときはそれまでよ」
「エルフなら簡単なのに、どうして?」
「嫌なのよ……誰かをあてにして生きるのは」
「ふうん? まっ、そのときは僕が勝手に治しちゃうから期待してて」
セーマスはリュミエルを見上げて目をぱちぱちと瞬いた。
「おにいちゃんは、けがをなおすまほうがつかえるの?」
「そうだよ」
「なんで?」
「僕はエルフだからね」
「えるふ?」
「チビちゃんは、エルフを知らないの?」
「しらない。エルフってすごいの?」
リュミエルは肩を竦めて心底面倒そうな顔をした。
「そうでもないから、忘れていいよ」
セーマスは不思議そうに首を傾げた。
フィオナは口を開くが、考え込むようにしてそのまま閉じた。リュミエルは、特別扱いされることが嫌なのかもしれない。どこでも歓迎されることを、嬉しいことではないと言っていたから。ここでエルフは凄いなんて言ったら、どう思うだろう。
窺うように見上げると、視線に気付いたリュミエルが笑みを浮かべた。何となく顔を逸らし、俯きながらぬかるんだ足元に目を落とす。
セーマスが何度かリュミエルに話し掛けているが、リュミエルの返事は突き放しはしないが、優しくもない。いつもの調子と違うことを不思議に思うが、まさか自分だけが特別だなんて思ってはいない。
そんなことを考えながら歩いているうちに、村の入り口へと辿り着いた。
「フィオナ、どこまで運べばいい?」
リュミエルの言葉にフィオナは考え事から意識を戻し、ぱっと顔を上げる。
「セーマスの家は、村の東の……」
言いかけたところで、村の方から大人たちの声が響いてきた。
「いたぞっ!」
「どこだ?」
「セーマスっ!」
「セーマスが見つかったぞーーー!」
村の奥から大人たちが集まり、口々に何かを叫んでいる。十人ほどの男の壁を掻き分けて、慌てて前に出てきたのはセーマスの母親だ。
「セーマスっ!」
目に涙を貯めて、転びそうになりながらこちらに向かって走ってきた。
リュミエルはトンとセーマスを地面に下ろした。すぐに泥で汚れた自分の服を、顔を顰めてぱたぱたと払っている。
「セーマスっ! どこに行ってたのっ」
きょとんとするセーマスを抱きしめた母親は、涙を流しながらキッとフィオナを睨みつけた。
「あんたっ、セーマスに何をしたのっ!」
「ショナさん、私は」
後から追いついた村の大人たちは、セーマスの腕の怪我に気づいて口々に声を上げる。
「おいっ、セーマスは怪我をしてるじゃないか」
「どうしたんだ? 森から出てくるなんて、危ない目に合わされたのか?」
「だから陰気な余所者なんて追い出せばよかったのに」
「薬草師だからと思って放っておいたが、こんなことになるなんて……」
足を踏み出そうとしたリュミエルの体の前に、そっと手を伸ばしてその場に留めた。眉を寄せて見下ろすリュミエルに、フィオナは小さく首を振る。
「セーマスは、村の大人の後について森に入ったそうです。森の家の近くで怪我をして、倒れていたので送ってきただけです」
フィオナの静かな声に、大人たちは怪訝な表情を浮かべて口を閉ざした。
「見てのとおり、できるだけの手当をしました。ただ、それだけです」
ショナは強く抱きしめていたセーマスから少し力を抜き、フィオナの顔を見上げる。何か言おうと口を開きかけ、躊躇うように再び閉じた。その隙にセーマスはショナの腕から抜け出し、こほこほとせき込んだ。
「かあさん、くるしいよ」
ショナはその声に我に返り、セーマスを見つめる。
「ぼく、フィオナとおにいちゃんにたすけてもらったんだ」
「そう……なの?」
「うん。フィオナはかあさんと、とうさんにしんぱいかけるから、もりにひとりできちゃだめだって」
ショナや集まった村人たちは、気まずそうにフィオナから視線を逸らした。
「そう……なの。あの……薬草師さん、さっきは」
「いいんです。お子さんがいなくなったら、誰だって心配しますから」
フィオナはぎこちない笑みを浮かべ、セーマスの頭をそっと撫でた。
「セーマスが無事でよかったです」
リュミエルは黙って様子を窺っているが、どことなく不機嫌そうだ。余計なことを言い出す前に、帰った方がいいだろう。フィオナが村人に声を掛けようとしたところで、セーマスの明るい声が響いた。
「フィオナ、くすりつくってくれたんだよ」
「そうね、薬草師さんだから……」
曖昧に頷くショナに、セーマスは興奮気味に続けた。
「ちがうよっ! フィオナ、くさとおはなししてたよっ」
フィオナはびくりと肩を震わせ、さっと顔を青くする。どくんと心臓が跳ね上がり、周囲を見ることができない。
ショナはフィオナと息子を見比べて、困ったように眉を下げた。
「セーマス、何馬鹿なこと言ってるの……草と話せる人なんていないよ」
「ううん、フィオナは、くさとおはなししてたよっ! ねっ、フィオナっ」
フィオナは唇を噛みしめ、無邪気な笑顔でこちらを見上げるセーマスと視線を交わす。夢中になって対話を開いていたが、まさか痛みの中でセーマスがフィオナの様子に気付いていたとは思わなかった。だからと言って、あの時のことを後悔はしていない。また同じ場面に居合わせたら、同じことをするに違いない。
村人たちがざわめき、フィオナに向ける視線が一斉に鋭くなる。終の棲家と決めたあの小さな家さえも、また去らなければならないのかと胸が軋んだ。小さく息を吐き下を向くが、やがて覚悟を決めてセーマスに視線を戻し、口を開きかけた、そのとき。
「おチビちゃんは何を言ってるんだか」
リュミエルが呆れたような声に、辺りがシンと静まり返る。セーマスは目をぱちぱちと瞬き、「ほんとうだよっ! フィオナ、はなしてたもんっ」とショナに向かって必死に言い募った。
リュミエルの美声に、それまで存在を認識していなかった村人たちの視線が集まった。全員が顔を赤らめ、リュミエルに見惚れている。その様子に眉を顰めたリュミエルが、ため息を吐きながら言葉を続けた。
「チビちゃんが見てたのは、エルフの力だよ」
「おにいちゃんの?」
「あの時フィオナは、エルフの力を使って草花と話してたんだ」
「そうなの?」
「そうさ。君のお母さんだって、人間は草と話せないって言ってるだろ?」
「そっか」
セーマスは納得したように、何度も頷いた。その様子にフィオナはほっと胸を撫で下ろす。祝福は元々エルフの力だから、嘘ではない。村人たちは変わらずリュミエルに見惚れているが、話は耳に入っているはずだ。
「じゃあ、もうこの話はお終いだ。……フィオナ、帰ろう」
くるりと向き直ったリュミエルは、悪戯っ子のような笑みでフィオナを見下ろした。フィオナはふっと息を吐き、「そうね」と返した。その瞬間、村人たちからわっと歓声が上がった。驚き一歩後ずさるフィオナの目の前で、リュミエルが彼らに囲まれる。
「そうか……あんた、やっぱりエルフなんだな」
「不思議な力があるのも納得だ」
「あんたがセーマスを助けてくれたのか」
「さすがエルフ様だっ!」
「うちの村にエルフが来るなんて!」
「是非村を案内させてくれ。狭いところだが歓迎するよ」
あっという間に腕を取られたリュミエルだが、本気で抵抗すれば逃げられるはずだ。しかし、男たちに促されるまま、村へ向かって歩いていく。気付けばセーマスはショナに抱き上げられ、村人たちと共に遠ざかっていた。
一人ぽつんと取り残されたフィオナは、苦い笑みを浮かべて踵を返した。森への道を一歩踏み出したところで、後ろから声が掛かる。
「薬草師の……」
はっとして振り返ると、杖を突いた老人が麻袋を手に立っていた。
「フィネガンさん」
フィネガンは村人たちが去った方をちらりと見てから、フィオナに視線を戻した。
「……悪かったな。セーマスを助けてくれて感謝する。少ないが持っていけ」
差し出された麻袋を受け取っていいものか、フィオナは躊躇い口を引き結んだ。その様子にフィネガンは、もう一度ぐっと袋を突き出し、「いいから持っていけ」と怒ったように続けた。
「……ありがとうございます。頂きます」
そう言っておずおずと受け取るフィオナに、「礼を言うのはこっちだ」と言い残して、フィネガンはゆっくりと村へ去って行った。後ろ姿を見送ったフィオナは、麻袋を抱えて森へ向かって歩き出した。
ぬかるむ道を歩きながら、重苦しさにため息を零す。結局、異質な人間は受け入れられない。セーマスの一言で変わりそうになった空気を思い出し、背筋がすっと寒くなる。異質でも美しいエルフの青年はあっという間に受け入れられた。それを目の当たりにして、醜い嫉妬を感じる自分に嫌気が差し、目を背けたくなる。
いつの間にか家の前にたどり着いていたフィオナは、扉を潜り麻袋をテーブルに置いた。急激に疲れを感じてそのまま床に座り込み、膝の上で両手を握りしめた。
感謝されたかった訳ではない。けれど、歓迎されるリュミエルを見て心がざわついた。いつものことなのに、いつもより胸が重くなり息が詰まりそうだ。
リュミエルがセーマスを助けようとした時、何故止めたのか。それは、セーマスに治癒魔法は強すぎるという心配があったのも本当のことだ――けれど。
膝の上で握りしめた拳にぽつりと一滴、雫が落ちる。
本当は、怖かったのだ。自分が村人に必要とされなくなることが。フィネガンにお礼を言われるようなことはしていない。ただ、自分を守りたかっただけなのだから。誰かを頼るのは嫌だと言いながら、必要とされたいと思っている。なんて自分勝手なんだろう。
歪んだ視界はまるで自分の心のようだ。一度流れた涙は止まることを知らず、昨夜の雨のようにフィオナの頬を濡らし続けた。




