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はじまりの樹  作者: 入戸レク
2章 古の呪いとエルフの運命
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8/28

2-2

 窓を開けると、雨に濡れた草花が朝日を浴びてきらきらと輝いている。フィオナは湿った空気を胸いっぱいに吸い込み、そのままゆっくり吐き出した。

 

 簡単に朝食を済ませ、一通りの家事を終えた。薬草を摘むための荷物を持って、いつもの様に家の扉を潜る。一歩外に足を踏み出すと、雨上がりの湿った草と土の匂いに包まれた。

 

 森の奥へ足を進め、草花との対話魔法を開いた。傍から見れば、独り言を呟く怪しい女だ。しかし森の中で人に見られる心配はまずない――一人を除いて。

 

 ガサリと音を立てて、今日もリュミエルは木の上からフィオナの斜め前に降り立つ。「おはよう、フィオナ」「リュミエル、おはよう」と、最早お決まりとなった挨拶を交わした。

 

 フィオナは小さく笑みを浮かべ、草花との対話を続けた。リュミエルもまたいつもと変わらず、フィオナの様子を興味深げに見ている。記録帖を開けば、そこに綴られる文字を覗き込んだ。その内容に唸ったり、首を捻ったりと忙しない。

 

「昨日の雨は大丈夫だった?」

「心配してくれたんだ」

 

 目を瞬いたリュミエルに、フィオナは息を呑む。薬草を摘む手をぴたりと止めて、急いで下を向いた。背中から照らしていた陽の光が遮られ、リュミエルに覗き込まれているような気がする。ぷつぷつと草を毟りながら、慌てて口を開いた。

 

「そ、そんなことない……ううん、ちょっとだけ」

 

 リュミエルは音もたてずに、すぐ横にしゃがみ込んだ。フィオナは染まった頬を見られないように顔を伏せたまま、地面を無心で見つめた。

 

「ありがとう、フィオナ。昨日も言ったけど、僕はエルフだからね。どんな時でも自然の中で過ごすのは慣れてるから、大丈夫」

 

 顔を上げることができずに俯き加減のまま、こっそりリュミエルを盗み見る。相変わらず美しいエルフは、日の光を浴びてきらきらと輝いていた。明るい笑顔が、今日は一層眩しく見える。慌てて視線を手元に戻すと、小さな声で「それならよかったわ」と呟いた。

 

 摘める薬草が近くになくなり、別の場所へ移動する。今日は昨夜の大雨のせいで足元も悪く、気を抜くと転んでしまいそうだ。フィオナは慎重に足を進めた。エルフに見惚れてつまずくなんて、絶対にあってはならない。

 

 リュミエルはいつもより軽い足取りで、フィオナの横について歩く。心なしか機嫌がよさそうだ。ちらりと見上げると目が合い、邪気の無い笑顔を返された。じわっと汗が滲み、慌てて視線を彷徨わせた。

 

 そうしてしばらく歩いていると、突然草花たちが騒ぎ出す。

 

《フィオナっ! 子供》

 

「子供がどうしたの?」

 

《村の子供が森にいるっ》

 

「子供が森に? どこにいるの?」

 

《いつもの切り株の少し奥みたいっ》

 

「じゃあ、すぐ近くね」

 

《動かないって!》

 

 フィオナはその言葉に顔を強張らせた。

 

「フィオナ、何かあった? 大丈夫?」

「ええ……いえ、子供が森に迷い込んだみたい。動かないって言ってるから、怪我してるのかもっ。急がなくちゃっ!」

 

 フィオナは荷物を抱えて走り出した。リュミエルはその後を黙って追いかけてくる。いつもの切り株を通り越し、転ばぬように、けれど急いで進む。

 

《フィオナっ、こっち!》

 

 草花たちの声が導く方へ向かうと、腰丈の草が生い茂る中に、何かが通った跡がある。倒れた草を辿っていくと、滑ったような靴跡を見つけた。慌ててその先の傾斜を覗き込むと、見覚えのある子供が倒れている。

 

「セーマスっ!」

 

 今年七つになるやんちゃざかりの村の男の子だ。よく小さな傷を作っていて、傷薬をいつも持っていくのは彼らのためだ。しかし、いくらやんちゃとは言え森の、しかもこんな奥にまで足を踏み入れるとは、誰も思っていないだろう。特に昨夜は大雨だった。足元も悪く、かなり歩き辛かったはずだ。

 

 急いで下に降りようとすると、ぐいっと腕を後ろに引かれた。と同時に、上から「待って」と声が落ちてきた。

 

「フィオナはここにいて、僕が行くから」

「でもっ」


 返事も聞かずに、リュミエルはふわりと飛び上がった。斜面に足をつくこともなく、そのまま音を立てずに着地する。膝をつきそっとセーマスを抱え上げて、あっと言う間にフィオナの横に戻ってきた。

 

「気を失ってるみたいだね」

「見せてっ」

 

 フィオナは慌ててセーマスの身体を確かめる。腕に傷があり、そこから出血していた。フィオナは急いで持っていたスカーフを当てて、圧迫する。

 

「僕が治癒魔法で止血するよ」

「駄目よっ。人間にエルフの治癒魔法は強すぎる。それも子供になんて」

「大丈夫、僕はうまく調整できるから」

「いいえ、駄目よっ。村の人のことは、私が……私がなんとかするわ」

「でも」


 言い募るリュミエルの言葉を聞かずに、フィオナはセーマスの傷口に視線を落とした。リュミエルは黙ってそれを見下ろしている。


 治癒魔法はエルフ特有のものだ。けれど、人間には効きすぎて毒にもなる。一方でリュミエルの言うとおり、扱いに長けているなら効果的だ。それも知っているが、頼りたくはない。

 

 そんなことを考えている間にも、傷口からはどんどん血が流れてくる。押さえたスカーフは既に真紅に染まっていた。フィオナは唇を噛みしめ、徐に自分の腰に巻いていたベルトを解いた。セーマスの腕に巻き付けてから、落ちていた木の棒を絡ませる。そのままゆっくり回して絞めつけ固定した。しばらくすると出血は減ってくるが、完全には止まらない。額の汗を拭ったフィオナは、草花との対話魔法を開いた。

 

「ねえ、止血するならコスクの葉が一番よね?」

 

《そうだよ》

《コスクにフォーラの実を混ぜると早い》

 

「近くにある?」

 

《コスクはエルフの近くにいるよ》

《フォーラの実ならフィオナの足元に落ちてる》

 

 フィオナは足元の実を拾ってから、リュミエルの立っている辺りに視線を巡らせた。目当てのコスクを引き抜き、肩に掛けた鞄の中から木皿を取り出す。一瞬で乾燥させてから小さなすりこぎですり潰し、フォーラの実をナイフで半分に割った。木皿に少量加えて押し潰すとツンとする匂いが漂う。程よく混ぜ合わせると、セーマスの傷口を顕にして慎重に塗り拡げた。

 

 しばらくすると出血は収まり、ほっと胸を撫でおろした。ゆっくりベルトを外し顔色を窺うと、小さなうめき声と共にセーマスがうっすら目を開いた。

 

「あれ……フィオ……ナ……?」

「セーマスっ!」

「い、いたいっ。フィオナ、いたいよお……いたい、たすけて」

 

 目を覚ましたセーマスは、顔を歪めてぽろぽろと涙を零した。

 

「セーマスっ! 今痛み止めをあげるから少しだけ待っててっ」

 

 フィオナは草花たちを見回してから、必死に問いかけた。

 

「ねえ、みんなっ。ピアンにフォーラを混ぜたら痛みは止まる?」

 

《止まる》

《フィオナ、気を付けて》

《さっき使ったからちょっとだけ》

 

「分かった」

 

 フィオナは鞄に常備してある、すり潰したピアンを取り出した。水魔法で木皿を清め、風魔法で乾かす。足元のフォーラの実を再び押し潰し、ほんの少しだけ木皿に取った。それにピアンを混ぜて水で薄める。

 

「セーマス、少し苦いと思うけど、頑張って飲める?」

 

 セーマスは顔を歪めながら何度も頷いた。

 

「いい子ね」

 

 セーマスの背中を支え、木皿をゆっくり口に添える。そのまま一口呑み込んだセーマスが、「にがっ、にがいよ、うう」とうめき声をあげた。


「セーマス、頑張って。これを飲んだら痛みが楽になるわ」

 

 セーマスは一度唇を引き結ぶが、ごくりと喉を鳴らしてから再び木皿に口を付けた。顔を顰めつつも全てを飲み干した後、こほこほと小さく咳き込む。しばらく涙を零していたが、やがて落ち着きを取り戻した。

 

「痛みは引いてきた?」

「うん。もうあんまりいたくない」

「そう、よかった」

 

 フィオナは草花に「みんな、ありがとう」と呟いてから対話を閉じた。

 

 それまで静かに見守っていたリュミエルが、フィオナの横にしゃがみ込んでセーマスを見下ろした。

 

「どうしてこんな所に子供が?」

 

 リュミエルに気付いたセーマスは、目を皿のようにして口をぽかんと開いたまま固まってしまう。

 

「リュミエル、それは傷が治ってからでいいわ」

「村に戻ってからじゃ、もう話を聞けないんじゃない?」

「……でも」

「こんな森の奥まで一人で来るなんて、普通じゃないんだよね?」

「そうね」

「今ならさっきの止血も痛み止めも効いてるし、大丈夫じゃない?」

 

 フィオナは逡巡しながらセーマスの様子をそっと窺った。

 

「駄目よ、リュミエル。あなたに見惚れちゃってて話せそうもないわ」

「……そうだね。少ししたら正気に戻るだろうから、そしたら聞いてみようか」

 

 リュミエルはセーマスにちらと視線を向け、小さく肩を竦めた。すぐに小さな身体に腕を回し、まるで羽でも持つかのようにふわりと片手で持ち上げた。

 

「おチビちゃん。しっかり捕まらないと落ちちゃうぞ」

 

 腕にセーマスを座らせるようにして抱き上げたリュミエルは、揶揄うようにその頬をつんと突いた。その表情は一見柔らかいが、フィオナに向けるより少し冷たさが滲むように見える。フィオナの視線に気付いたリュミエルが、いつもの顔で笑う。「行こうか」と聞き心地のいい声が、森の空気を静かに揺らした。

 

 セーマスは怪我をしていない右手で、リュミエルの服をぎゅっと掴んでいた。左腕には、フィオナが大きめの布をしっかり巻いてやる。リュミエルは何も持っていないかのように軽い足取りで、村への道を進んだ。しばらくするとリュミエルに慣れてきたセーマスが、森の中をきょろきょろと見回し始めた。

 

「おチビちゃん、君は森が珍しいの?」

「うん」

「セーマスが森に入ったのは、今日が初めてかしら?」

「そうだよ。とうさんも、かあさんも、あぶないからダメって」

「でもチビちゃん、一人で森にいたよね」

 

 セーマスは目を瞬いた後に、あっと声をあげて下を向いた。

 

「セーマス、怒ってるんじゃないわ。危ないってわかっててどうして森にいたのか、教えて欲しいだけよ」

 

 セーマスは迷うように、フィオナとリュミエルを交互に見比べた。リュミエルは小さく肩を竦め、首を傾げた。

 

「僕は別になんでもいいんだけど……フィオナが困るのが嫌なだけ」

「リュミエルっ」

「本当のことだよ。僕は人間に興味はないからね」

 

 フィオナはため息を吐き、小さく頭を左右に振った。その様子を見ていたセーマスがぽつりと呟く。


「フィオナは、ぼくがもりにいたら、こまる?」

「大丈夫よ。それより、森の奥は危ないから、セーマスが心配なだけ」

「……ごめんなさい」

 

 フィオナは目を細め、小さく笑みを浮かべた。セーマスは少し俯き、逡巡してから口を開く。

 

「……おじさんたちが、もりにはいってたから」

「おじさんたち?」

「うん。……コーマックおじさんと、グレアムおじさん」

「二人が森に入るのを見たの?」

「うん」

 

 森に村人が入ることはほとんどない。一体なぜか考えてみるが、フィオナには何も思い浮かばなかった。

 

「チビちゃんは、そのおじさんたちを追いかけて森に入ったってわけ?」

「そうだよ」

「おじさんたちも、あんな森の奥まで入ったの?」

「わかんない……はいってすぐに、どこかにいっちゃった」

「ふうん、見失ったのか。それで、どうしてチビちゃんは帰らなかったんだ?」

 

 セーマスは気まずそうに視線を彷徨わせ、少し間を置き口を開いた。

 

「……もっとおくにいったら、フィオナがいるかなって」

「えっ?」

 

 考え事から引き戻されたフィオナは、セーマスを見上げて目を瞬いた。

 

「私に会いに?」

「……うん。でも、とちゅうでリスがいて」

「夢中になっちゃったのね?」

「うん」

 

 セーマスはきまり悪そうに下を向いた。その頭をそっと撫でながら、フィオナは複雑な笑みを浮かべた。

 

「そう。話してくれてありがとう。……でもね、セーマス。もう森に一人で入って来ちゃ駄目よ。入る時は、ちゃんとお父さんとお母さんと一緒にね」

「……うん。ごめんなさい」

「わかってくれたならいいの」

 

 柔らかに微笑むフィオナに、セーマスは口を引き結び、少しだけ泣きそうな顔をした。

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