1-5
「草花に聞いてみたいことがあるんだけど、いいかな?」
「えっ? ええ、いいわよ。ちょっと待って」
邪気なく尋ねてくるリュミエルに、フィオナは思わず頷いた。何の躊躇いもなく対話魔法を開くと、草花たちが一気にまくし立てた。
《フィオナ、カイルだよ!》
《さっきから教えてるのにっ》
「ごめんね、対話を閉じてたから。まだいる?」
《あっちの草がまだいるって言ってるっ》
《ちょっと前に来たばかりみたい》
「そう、ありがとう」
フィオナはすぐに対話魔法を閉じると、慌てて記録帖を鞄にしまった。カイルが来たなら早く戻らなければと、首を傾げたリュミエルに一つ頷き立ち上がった。
「帰るわ、さよなら」
一言残して走り出したフィオナに、リュミエルは「えっ?」と言ったまま一瞬動きを止めた。すぐに「ちょっと待って!」と慌てたように立ち上がったが、フィオナは振り向かずにそのまま進んだ。
カイルは、フィオナの家を訪れる数少ない人間のうちの一人だ。幌馬車に乗ってたまに訪れる商人で、森に住むフィオナの所にも立ち寄ってくれる。その後はすぐ次の村へ行ってしまうので、この機会を逃すと今度がいつになるのか分からない。村では中々手に入らないものもあるので、フィオナも密かに楽しみにしている。
ぜえぜえと肩で息をしながら家に戻ると、カイルと一緒に誰かが立っていた。目を凝らすと、側にいるのは村長の孫のブレナンだった。フィオナの浮き立っていた気持ちがたちまち萎れていく。なぜブレナンまで一緒にいるのだろう。また面倒な話をされそうで、自然と足が重くなる。この距離ではもうあちらからもフィオナの姿は見えているだろう。帰るのを辞めようかと思ったが、このまま引き返すのも不自然だ。それ以上にカイルとは話したい。なるべくカイルだけを視界に収めるようにしながら、そのまま二人の方へ歩いていった。
「よう、フィオナ! 元気そうだな。今日はいい石鹸があるぞ」
「久しぶり、カイル。あなたも変わりなくてよかった。前回頼んでおいたの、覚えててくれたんだ」
「当たり前だろ。商人が客の注文忘れてちゃ、商売にならないからな」
「ふふっ、ありがとう。いつも助かってる」
フィオナはカイルの斜め後ろにいるブレナンへ、渋々視線を向けた。
「……こんにちは、ブレナン」
「あ、ああ」
「あなたはなぜここへ?」
「……俺の用事は、カイルの後でいい」
フィオナは訝しげな視線を向け、ブレナンとカイルを見比べる。カイルはひょいと肩を竦めて、首を横に振った。
「じゃあ、フィオナ。今日のおすすめを一通り見せるぞ」
「お願い」
カイルは持ってきた荷物を敷物の上に広げていく。いつもは家の中で見せて貰うのだが、今日はブレナンがいるからこのままだ。カイルのこういう気遣いは、さすが商人と言うべきか。
村人たちとは違い、森に住む変わり者の娘に対しても気安く接してくれる。たまにしか会わないこともあって、フィオナも村人たちに対するより気楽に話せた。例えるなら、たまに会う親しみやすい兄といった感じだ。とは言え、フィオナには関りのある親戚すらいないので、あくまでも想像に過ぎないのだが。
「どうだ? 今日はどれにする?」
カイルの広げた商品の中から、気になったものをいくつか選んだ。
「今日はこれで。次はすり鉢を持ってきてもらえる?」
「ああ、お安い御用だ。また前と同じのでいいのか?」
「前と同じのと、少し小さいのもお願い」
「分かった。あとはまたフィオナが欲しがりそうなものでも探してくるか」
「ふふっ、いつもありがとう。次も楽しみに待ってる」
カイルは残りの荷物を包み、背中に背負った。フィオナが代金を差し出すと、そのまま受け取り腰のポーチにしまった。するとすぐに後ろにいたブレナンに声を掛ける。
「さあ、俺の用事は終わったが……ブレナン?」
ブレナンは落ち着きなく視線を彷徨わせ、フィオナとカイルを見比べた。
「……カイルが帰ってから、フィオナと二人で話したい」
「俺が居たら話せないのか?」
眉を顰めたフィオナを見て、カイルが咎めるように口を開いた。一方のブレナンは、不服そうな表情を浮かべる。
「お前に関係ないだろう。俺はフィオナに用事があるんだ」
「でもな……」
渋面を浮かべたカイルに向かって、フィオナはなるべくなんでもないような笑みを浮かべた。
「カイル、ありがとう。大丈夫だから」
カイルに迷惑を掛けてはいけない。なんと言ってもブレナンは村長の孫だ。機嫌を損ねてカイルが村への出入りを禁じられれば、村人だけでなくフィオナも困るのだ。
「……本当か?」
「うん。本当に」
カイルはしばらくフィオナをじっと見つめ、ふっと息を吐きながら、首の後ろを掻いた。
「フィオナがそう言うなら仕方ないな。俺は今からゆっくり歩いて村へ向かうから、何かあったら呼ぶんだぞ」
「カイル、ありがとう」
「じゃあ、またな」
「うん、またよろしく」
カイルは一瞬ブレナンに視線を送り、そのままゆっくり歩いていく。その姿が木々の間へ隠れそうになる頃、一度振り返って大きく手を振った。それに返したフィオナは、ブレナンの方へ向き直る。
「それで……話って?」
ブレナンは一度カイルの立ち去った方を見て、フィオナへ視線を戻した。
「お前、カイルと随分親しいんだな」
いつも以上に棘のある声音に、フィオナは目を瞬いた。
「そうかしら? ……仮にそうだったとして、それが何?」
「お前は――この間のエルフと言い、カイルと言い、大分調子に乗ってるんじゃないのか?」
その言葉がフィオナの胸に突き刺さる。まただ。何もしていないのに、同じことを言われるなんて。フィオナには何の心当たりもなく、どうしたらいいのかすらわからない。
「そんな話をするために来たの?」
青ざめたまま硬い口調で返したフィオナに、ブレナンが息を呑んだ。手を挙げたり下げたりしながら、慌てたように口を開く。
「ち、違う、そうじゃなくて……」
「私はここに来てから、進んで人と関わったことはないわ。それでもそんな風に言われるのね。そんなに気に入らないなら、放っておいてくれればいいじゃない」
「そうじゃない、そういうつもりで言ったんじゃ……」
フィオナが口を開きかけたそのとき。
「じゃあ、どういうつもり?」
突然フィオナよりずっと低い声が、頭上から降ってきた。ブレナンは目を見開いたまま一歩後退り、フィオナを凝視した。フィオナは大きく首を横に振り「私じゃないわ!」と声を上げた。
トンと軽やかな音を立て、家の屋根から見事な着地を決めたのはリュミエルだ。サラサラの髪が風に舞い、光の粉を纏っている。
「ま、またお前かっ!」
リュミエルは首を傾げてにこりと微笑んだ。それを直視したブレナンは、顔を赤く染めて額の汗を慌てて袖で拭った。
「フィオナが凄い勢いで帰るから何かと思ったら、商人が来てたんだね」
「ずっと見てたの?」
「まあね」
フィオナは渋い表情でリュミエルを睨むが、無駄なことだと肩を落とした。笑みを浮かべたままブレナンに視線を戻したリュミエルは、再び同じ質問を繰り返す。
「で、どういうつもり?」
またしてもリュミエルを凝視したブレナンは、今度はぎゅっと拳を握りしめて首をぶるぶると振った。
「お前には関係ない。俺とフィオナの話に割り込むなっ」
「そういうわけにはいかないよ。フィオナが困ってたらまた来るって、約束したから」
真面目な顔で答えたリュミエルに、フィオナは目を丸くして「そんな約束してないわっ!」と声を荒らげた。
「え? フィオナ、もう忘れちゃった?」
「いつそんな約束したのよっ。あなたが勝手に言っただけじゃない!」
「そうだっけ?」
斜め上を向いて考え込んだリュミエルに、フィオナは口を開け閉めした。何を言っても思いもよらない反応を返すリュミエルを、どうしたらいいのか分からない。
そんな二人の様子に置いてきぼりを食らったブレナンが、顔を赤く染めて額に青筋を立てた。
「おいっ! 俺の話を聞け!」
フィオナは我に返ってブレナンに意識を戻すが、リュミエルは至って平然としている。
「俺は……昨日のことを謝るつもりで来たんだ。それなのに何だってこんなことに……ちくしょう」
不服そうに話し始めたブレナンは、最後は悔しそうに頭を掻きむしった。フィオナは拍子抜けして、その様子をじっと見つめる。
「君がおかしなこと言うからだろ? 自業自得だね」と心底呆れたように言ったリュミエルを、ブレナンは恨みがましそうな顔で睨んだ。何かを言おうとするが、そのまま飲み込み俯きがちに口を開く。
「……そうだな、悪かった。フィオナを傷つけるつもりじゃなかったんだ。昨日も、今日も」
フィオナは呆けた顔でブレナンを見つめるが、どうやら本心のようだ。「わかったから、もういいわ」と絞り出すように答えると、ブレナンがぱっと顔を上げる。
「許してくれるのか?」
縋るような眼差しに、フィオナは何も言えずに口ごもった。何事もなくやり過ごすなら、許すと言うべきだろう。そう思って口を開きかけたところで、リュミエルに遮られた。
「許すかどうかは、フィオナの自由だよ。その言い方は卑怯だ」
ブレナンはぐっと呻いて、下を向いた。フィオナは気まずくなってブレナンから視線を逸らすが、少しだけ胸の奥がスッとする。
「そうだな。お前の言うとおりだ。……フィオナ、俺の言いたかったことはそれだけだ。突然来て悪かった」
しばらく黙っていたブレナンが、掠れた声でそう言ったが、フィオナは何も答えることができない。やがて小さく頷いて返すと、ブレナンは更に何かを言いたげな顔をした。けれど結局口を閉じ、「またくる」と小さな声で呟きくるりと向きを変えた。
そのまま真っ直ぐ村へ向かって歩き出す背中に、何か言葉を掛けるべきかと考える。本心から謝っているのも分かっている。それでも、投げつけられた言葉はすぐに忘れられるようなものでもない。
「だから、放っておいて欲しいのに……」
「フィオナは優しいね」
すぐ隣から降ってきた声に、フィオナは肩を揺らした。はっとして見上げると、ブレナンの歩いていった方をじっと見つめるリュミエルの顔があった。その存在を忘れてポツリと漏らした本音に、言葉が返ってきたことで居心地が悪くなる。
「……あなたがいるのを忘れてたわ」
「ひどいな」
言葉と裏腹に、リュミエルは柔らかく微笑んだ。
「フィオナは、誰かと関わるのも、傷つけるのも怖いんだね」
「……」
「だから放っておいて欲しいの?」
「……そうね。誰かを愛することも、愛されることも。私は、怖いのよ」
「どうして?」
その問いに、咎めるような眼差しでリュミエルを見上げた。
「あなた、本当はわかってるんでしょう?」
リュミエルは静かな瞳のままフィオナを見つめ返すが、何も答えない。
「最初に言ってたわよね、誰も愛せない呪いの一族を知ってるって。あなたは、はじめから分かっててここへ来たんじゃないの?」
リュミエルは微かに瞳を揺らすが、やはり口を閉ざしたままだ。
「私の母さんは、跡取りを望まれて嫁いだわ。最初に私が生まれて、呪いと祝福を受け継いだ。次に待望の男の子が生まれて……私たちは用済みになった。それからずっと二人で生きてたわ」
フィオナの脳裏に在りし日の母の姿が蘇る。胸の奥がずしりと重くなり、唇を噛んだ。
「誰も愛してはいけない、愛を告げれば呪いで石になってしまう。そう言ってたのに……母さんは一人の男性を愛した。だけどその人には、他に家族になると決められた人がいた。それなのに……」
それ以上続けることが出来ずに、下を向いて強く両手を握りしめた。
「……だから誰も愛さないように、人から離れて暮らしてるの?」
ああ、やっぱり呪いで石になることを知っていたのかと、苦い笑みが浮かぶ。しかし静かで、どこか遠く響くリュミエルの声にフィオナはそっと顔を上げた。切なげに細められた瞳は何を思っているのか、フィオナには分からない。
「そうよ」とひと言答えると、リュミエルは淡く微笑み、ふっと息を吐いた。
「でも、もう一人じゃない。僕は君が生きてる限り、ここにいるって決めたから」
「何言ってるの? 私は一人でいたいって言ってるのに」
リュミエルは自信ありげな笑みを浮かべて、フィオナを見下ろした。
「フィオナは、僕を愛するなんてこと、あると思う?」
「ないわ」
フィオナは間髪入れずに答えた。リュミエルは目を瞬いた後に、心底おかしそうな顔をする。
「あははっ、そうだよね。それなら大丈夫。僕だって人間を好きになるなんてこと、絶対にないから」
フィオナは何も答えられず、ただ二人の間に通り過ぎる風の音を聞いていた。胸の奥底で、何かがチリチリと音を立てているような気がした。




