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窓から差し込む日の光に、フィオナはいつも以上の眩しさを感じて目を擦る。あまりの眠気に、もう少し寝てしまおうかという考えが頭を過った。昨日の出来事のせいか眠りが浅く、思いの他疲れが抜けていない。それでも村に薬を届けにいかなくてはと小さく頭を振って、重い身体をゆっくり起こした。
村人に薬を届けるのは、ただの善意や人との交わりを求めているわけではない。森での暮らしは、フィオナにとって快適とは言い難い。食料は手に入りにくいし、狩りをすることもできない。例え狩りができても、動物を捌けなければ意味がない。村人に薬を売り、その対価で自分が生きる為の食料を手に入れる。それはただの手段だ。
昨日干した薬草の乾燥具合を確かめ、ムラなく仕上がるように場所を入れ替えた。室内の風の通りによって差が出るので、こまめに場所を移動してやらなければならない。薬草師によってはあまり拘らない者もいるが、フィオナはいつでも手を抜かない。薬草の効果が落ちて、薬草師はいらないと思われては困るからだ。フィオナが生きる為には、村人にとって役立つ存在でなければならない。
マロックの分は、昨日ブレナンに預けた。ほかに何が必要だっただろうか。フィオナは村人のことを書いた手帳を開き、必要な薬草を集めていく。あらかじめすり鉢で細かく擦ったものを、それぞれの症状に合わせて調合した。
今日はフィネガンとアイラの湿布薬が必要だ。アイラの分には昨日取ってきた、いい香りの薬草を入れる。その瞬間、ツンとする匂いが柔らかな花の香りに変わった。それを胸いっぱいに吸い込むと、自然と笑みがこぼれた。
ふとやんちゃな男の子たちの顔が頭に浮かぶ。ローガンとセーマスは、また小さなケガをしているかもしれない。念のために傷薬も用意した。
手帳に書き込みながら、別の薬草を取りに向かう。
エイリンとシボーンは、おませな女の子たちだ。この間は爪に色を付けたいと言っていた。二種類の薬草を混ぜて、ほんのり色付く爪紅を作る。
傷薬と爪紅は、そっと別の袋にしまった。フィオナは自分でも気付かぬほどの淡い笑みを浮かべ、使い終わった道具や薬草を片付けた。
簡単な朝食を終え、荷物を整え家の扉を潜る。深呼吸をして気分を変えると、真っ直ぐ一歩を踏み出した。
通い慣れた道を進むうち、徐々に足取りが重くなってきた。村が近くなると、いつも少しだけ緊張する。草花と話したくなるが、人に見られては困るのでそれもできない。もうすぐ森を抜け、村が見えてくるであろう距離で一旦足を止めた。大きく息を吐き、肩から斜めに掛かる鞄の紐をぎゅっと握りしめる。「よし」と自分に気合を入れて、村への道を歩き出した。
「あっ、フィオナだ!」
「ほんとだ、フィオナー!」
出迎えてくれたのは、エイリンとシボーンだ。最初に顔を合わせるのが子供たちだったことで、フィオナはほっと胸を撫でおろした。
「エイリン、シボーン、おはよう」
「おはよう!」
「おはよっ」
今年五歳になったばかりの二人は隣同士に住む仲良しで、近頃は母親の真似事に夢中だ。
「フィオナ、おくすりもってきたの?」
「そうよ」
「きょうは、だれのとこ?」
「フィネガンさんと、アイラさんよ」
「じゃあ、いっしょにいこう!」
二人は両側から手を引き、早く早くと急かしてくる。繋いだ両手の温かさに自然と顔が綻び、引かれるままに歩き出した。重くなりかけていた足も、二人のお陰で軽くなる。
「フィンじいちゃーーーん!」
フィネガンの家に着くと、二人が大声で呼びかけた。フィオナは繋がれた手をゆっくり解き、喉を鳴らして返事を待った。ギィと軋む音を立てゆっくり開いた扉の奥から、老人が杖を付きながら顔を出した。
「リーンにボニー、今日も元気がいいな。何の用だね?」
目尻を下げて二人を見ていたフィネガンが、フィオナに気付いて目を瞬いた。
「ああ、薬草師の……。今日は薬を貰う日か」
「おはようございます、フィネガンさん。いつもの湿布薬をお持ちしました」
「そうか、悪いな。今日はどうする? 冬越しの山羊肉があるが」
「では、それを頂けますか?」
「わかった」
フィネガンは薬を受け取ると一旦家の中に戻り、再び顔を出して袋を差し出した。「ありがとうございます」と両手でしっかり受け取り、鞄の中にしまい込む。
「お薬の効果はどうですか?」
「あんたの薬はよく効くから文句無い。次も頼む」
「わかりました。では、また二週間後に」
「ああ」
二人の様子を大人しく窺っていたエイリンとシボーンは、会話が終わるとすぐにフィオナの手を軽く引っ張った。
「もうおしまい?」
「つぎは、ララおばあちゃん?」
「ええ、アイラさんよ」
「わかったっ。フィンじい、またね!」
エイリンがぱっと笑う。
「フィンじいちゃん、ばいばい!」
シボーンは手を振った。
「お大事に」
フィオナはぎこちなく微笑む。
フィネガンはエイリンとシボーンに小さく手を振り、フィオナには頷いて返した。
日が高くなりはじめたばかりの穏やかな空気の中、三人は連れ立って村の中心へ歩き出した。アイラの家はもうすぐだ。
「ララおばあちゃーん、おくすりだよー!」
エイリンが元気よくアイラの家の扉を叩いた。シボーンは笑顔で、フィオナの手を握り直す。
「はいはい、そんなに強く叩かなくても聞こえるよ」
扉を開けて顔を出したのは、中年の女だ。フィオナは二人の手をそっと離し、鞄の中から薬を取り出した。
「シアラさん、おはようございます。アイラさんのお薬を届けに来ました」
「……ああ、薬草師さん。ちょっと待っとくれ」
シアラは無表情に薬を受け取ると奥へ引っ込み、ほどなくして戻ってくる。
「お代だよ。またよろしく」と無愛想に用件だけ伝えると、そのまますぐに扉を閉じてしまった。
「お大事に……」
フィオナは呟くように答えて、代金を鞄の中へしまう。エイリンとシボーンは、目をぱちぱちと瞬かせてから小首を傾げた。フィオナは少し困ったような笑みを浮かべ、二人の手を取り歩き出した。
「フィオナ、つぎのおうちはどこ?」
エイリンがフィオナを見上げてにこりと笑う。
「今日はもうお終いよ」
シボーンが目を丸くしながらフィオナと視線を合わせ、手をしっかり繋ぎ直した。
「じゃあ、きょうはいっしょにあそべる?」
「……そうね。お母さんがいいって言ったらね」
「やった!」
二人は同時に元気な声で笑い、フィオナの手を引き走り出した。しばらくすると、エイリンの家が見えてきた。
「かあさーーーん!」
明るく響いた声に、庭先で洗濯物を干していたエイリンの母親、メイヴがくるりとこちらを振り返った。
「エイリン……!」
フィオナの姿に気付くと、浮かべた笑みを消して、慌てて手に持っていたものを籠の中に押し込んだ。
「エイリン、こっちへいらっしゃい。シボーンも」
メイヴはその場から一歩も動かず、顔を少し青ざめさせている。
「どうして? いまからフィオナとあそぶのに」
「駄目よっ! 早くこっちにいらっしゃい。二人とも一緒によ」
メイヴは咎めるようにフィオナを見つめ、子どもたちに向かって手を伸ばした。
「……エイリン、シボーン、今日はありがとう。さあ、行って」
「でも……」
「フィオナとあそびたい」
エイリンとシボーンは中々フィオナの手を離さない。
「また来るから。今日はもう行きなさい」
そっと手を引き抜き、背中を軽く押してやる。二人は躊躇いながら歩き出し、途中でフィオナを振り返った。
近くまでたどり着いた二人をメイヴはぎゅっと抱きしめ、そのまま家の中へと去っていく。こんなことはいつものことだ。森の奥に引きこもっている得体のしれない薬草師など、不気味な存在なのだから。
さっきまで二人と繋がれていた指先が温度を失ったような気がして、体の前で両手を組んだ。今日はもう帰ろう。
山羊肉の入った鞄をそっと撫で、爪紅を渡せなかったと小さくため息を吐いた。次に来たとき、渡せるだろうか。フィオナは鞄の奥のそれを、二人に渡すところを想像する。小さく笑みを浮かべてすぐ、口を結んで俯いた。昼に近付き日差しが暖かな分、頬を撫でる風が冷たく感じられた。
ザクザクと音を立てながら森の中を進んでいき、粗末な我が家へ辿り着く。山羊肉は早く下拵えをしなければ、せっかくフィネガンが分けてくれたのに無駄にしてしまう。
小さな調理場に立ち、袋の中身を取り出した。手の中の肉に視線を落とし、目を瞬く。既に下処理が終わっていたのだ。フィネガンは無口で、フィオナに笑いかけることもない。だが、こんなところは親切だ。フィオナの胸にほんの少し温かなものが掠めた。
今日使う分を切り分け、残りは長期用の保存庫にしまう。切りわけた分も、後で使うために保存箱へと入れておいた。思いの外早く夕食のあてができて、余った時間で薬草を摘むことにした。
森の奥へ分け入り、いつもの切り株に腰掛ける。持ってきた昼食のパンを齧りながら、ゆっくり対話魔法を開いた。
《フィオナ、おかえり!》
《子供たちと遊んだ?》
《いい香りの草はどうだった?》
草花たちが我先にと話しかけてくる。
「ふふふっ。そんな一度に話しかけられても、答えられないよ」
フィオナ深く息を吸い込んでから、ゆっくり吐き出した。森の澄んだ空気が身体の内側を満たし、硬かったものが次第にほぐれていく。
「ただいま、みんな。薬の感想はすぐには貰えないの。でも、フィネガンさんがよく効くって言ってくれた」
《やったー!》
《なんでも聞いて!》
《フィオナが欲しい草なら、いくらでも教えるよっ》
フィオナは柔らかな笑みを浮かべ、草花たちに視線を巡らせた。どこに行っても彼らはフィオナを歓迎してくれる。祝福のお陰ではあるが、素直に喜ぶことも難しい。それでも、呪いだけしかないよりはきっとマシだ。
「ありがとう。みんなのおかげで、薬草師の仕事も上手くやれてる」
《よかった》
《僕たち役に立ってる?》
《私も嬉しいっ》
食べ終えたパン屑を払い、フィオナは大きく伸びをした――そのとき。
《あっ!》
《大変、また来たっ》
慌てる草花たちに、フィオナが首を傾げた。
「どうしたの? 何が来たの?」
フィオナの問いかけに答える彼らは、混乱していて何を言っているのかわからない。
「みんな、落ち着いて。誰かゆっくり説明して」
「誰と話してるの?」
突然後ろから響いてきた声に、ひゅっと息を呑んだ。震える拳を握り込み、声のした方へゆっくり振り返る。木々の間から差し込む陽の下に、淡く輝く輪郭を纏ったエルフが立っていた。フィオナはごくりと喉を鳴らし、その美しい姿に目を眇めた。




