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「おい、フィオナっ。いるんだろ?」
フィオナは肩を落とし、居留守を使いたい気持ちを抑えて返事をした。
「いるわ。聞こえてるから静かにしてちょうだい」
叩く音が止まったのを確認してから、ゆっくり扉を押し開ける。
「よう。マロック爺さんの薬がそろそろなくなるんだ」
「そう。わざわざ来なくても、明日村に届けにいったのに」
「そう言うなって。フィオナが村に来ても、俺に会いには来ないだろ?」
フィオナは肩を竦めて返した。マロックはこの森に一番近い村の村長だ。目の前に居るガタイのいい男は、その孫のブレナン。三つも年下なのに、なぜかいつも偉そうにしている。そして、マロックの薬を言い訳に、この家を訪れる数少ない人間のうちの一人だ。
「今準備するから外で待ってて」
「そんなつれないこと言うなって。俺とお前の仲だろ?」
「……そうね。私とあなたの仲だから、外で待って貰うのが丁度いいと思うわ」
ブレナンはその言葉を無視して、ガタつく椅子に勝手に腰掛けた。
「ゆっくりでいいぜ」
「……すぐ終わるわ」
フィオナはまたため息を吐きそうになり、ぐっと堪えた。あまり冷たくし過ぎて、ここに住みにくくなっても困るのだ。
口を閉じてくれたのはいいが、今度は視線が背中に痛い。早く薬草を集めて渡してしまおうと思ったところで、ブレナンが徐ろに口を開いた。
「なあ、フィオナ。そろそろ考えてくれたか?」
「……邪魔しないで。大人しく待っててちょうだい」
ギシリと音を立てて椅子から立ち上がったブレナンの足音が、少しずつ迫ってくる。気配に振り返ったフィオナは、予想外の距離にぎょっとした。慌てて仰け反り数歩下がる。
「ちょっと! 薬を取り違えたらどうするのよ」
「フィオナは間違えたりしないだろ?」
「何言ってるの! 色んな薬草があるのよっ」
軽く肩を竦めたブレナンは、また一歩フィオナに近付いた。
「そんなことより、そろそろ返事をくれてもいいんじゃないか」
「何度も断ってるわ。私は誰とも結婚するつもりはないから」
ジリジリと後ずさっていくと、思いがけず肩が壁に触れてびくりと身体を震わせた。
「二十三にもなって、まだそんなこと言ってるのか? 十代過ぎて貰い手もないなんて、肩身が狭いだろ」
「歳の問題じゃないわ。私はずっと一人でいたいのよ」
「頑固だなあ。そんなんじゃ本当に手遅れになるぜ?」
「だからっ……放っといてよ。私に構わないで」
「こんな森の奥に女が一人でいるなんて、不用心だって言ってるんだ。美人てわけでもないのに、可愛げもないな」
その言葉にカッと一気に顔が熱くなる。それと同時に昼間見たエルフを思い出し、唇を噛み締めた。
「まあでも俺から見れば、そんなフィオナだって――」
「ねえ君、さっきから何言ってるの?」
続きを遮るように、突然美しい声が響く。二人は目を見開き、声のする方へ同時に視線を向けた。
「彼女、可愛いと思うけど。君みたいな男にはちょっと勿体ないくらい」
ブレナンは声の主――肩を竦めたリュミエルにすっかり見惚れ、口を開けたまま動きを止めた。その隙に手早く必要なものを集めたフィオナは、薬草の入った袋をブレナンに押し付けた。呆然としながらそれを受け取ったブレナンは、抱え込んだ薬草の匂いにはっと我に返る。
「お、おまっ、おまえっ。誰だっ!」
リュミエルは首を傾げて、不思議そうにブレナンを眺めた。
「僕に見惚れた癖に、エルフだってわからない?」
ブレナンは顔から首まで真っ赤に染めて、額の汗を袖で拭った。
「そ、それはわかってる! そうじゃなくて、なんでここにいるんだっ。フィオナとどういう関係だっ」
フィオナは慌てて「なんの関係もないわっ!」と叫ぶが、リュミエルに釘付けになっているブレナンの耳には届かない。
「僕は彼女と今日知り合ったばかりだよ。ここに居る理由……君に答える必要がある?」
ブレナンは薬草の入った袋を持つ手をわなわなと震わせながら、フィオナを睨みつけた。
「フィ、フィオナっ。お前、いつの間にエルフなんかと……。だから結婚の話を断ってたんだな?」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 私とこのエルフはなにも」
「嘘を吐くなっ。それならどうして家の中から現れたんだ!」
「こっちが聞きたいくらいよっ」とすぐに返してリュミエルの方にちらりと視線を送った。当のリュミエルは、首を傾げて不思議そうな顔をしている。
「エルフにおだてられたからって、調子に乗るなよっ。痛い目みて俺を頼っても、助けてなんかやらないからなっ!」
ブレナンの言葉に一瞬動きを止めたフィオナは、ゆっくり向き直った。握り締めた拳が微かに震えて、胸の奥がずしりと重い。
「そんなこと……言われなくても私が一番よくわかってるわ。マロックさんの薬も渡したことだし、もう帰って」
ほんの少し揺れた声を誤魔化すように、最後は思いの外強い口調になってしまった。ブレナンはいつもと違うその態度に焦っ様子で、両手を上げたり下げたりしている。
「フィ、フィオナ、違うんだ。そんなつもりじゃ」
「いいから帰って」
ブレナンの言葉を最後まで聞かずにそう言って、フィオナはふいっと横を向いた。顔を青ざめさせたブレナンは、挙げかけていた両手をゆっくり下ろす。
「……また来る」
目を合わせることなく小さく呟くと、ブレナンがくるりと扉の方に向きを変えた。帰り際にちらとリュミエルに視線を送ったが、何も言わずにそのまま外へ出ていった。
「随分騒がしくて失礼な男だったね」
ほっとしたのも束の間。リュミエルの存在を忘れかけていたフィオナは、肩を跳ねさせ声の主へ視線を向けた。
「失礼なのは、あなたもよ」
「リュミエル」
「え?」
目を瞬いたフィオナに、リュミエルは邪気のない笑みを浮かべて繰り返した。
「僕の名前はリュミエルだ」
額に手を当てたフィオナは、ため息を噛み殺して答えた。
「あなたの名前なんてどうでもいいわ」
「フィオナは冷たいなあ」
「気安く呼ばないで」
「じゃあ、フィオナちゃん?」
呆気にとられたフィオナは、口を開け閉めしてから絞り出すように声を出す。
「……そんな風に呼ばれるほど若くはないわ」
「ははっ。何言ってるの? まだ二十三年しか生きてない癖に!」
今度こそ堪えきれずにため息を吐き、フィオナはそのままがくりと肩を落とした。
「そうね。千年も二千年も生きるエルフから見たら、まだまだ生まれたての赤ん坊みたいなものよね」
「ふっ、あははっ。さすがに僕らだって二千年も生きないよ! それどころか、僕なんてまだ三百歳にもなってないし。フィオナってやっぱり面白いな」
皮肉交じりに言った言葉をあっさり返されたフィオナは、少しだけムッとしたような表情を浮かべた。
「別にあなたを面白がらせてるつもりなんて、私にはないわ」
「それは残念。僕は君と話すのが楽しいのに」
一瞬息が詰まり、呼吸が止まりそうになる。しかしすぐに首を横に振り、フィオナはできるだけ平坦な声で答えた。
「私は別に楽しくなんてないわ。今も……これからもずっと」
「ふうん? まあ、僕は勝手に楽しむからどっちでもいいけど」
「えっ、ちょっと! あなたまだエルフの里に帰らないつもり?」
「そうだけど?」
リュミエルの言葉に、フィオナは唇を噛んだ。どうにか距離を置こうと思うのに、このエルフはわざとなのか無意識なのか、まったく気にした様子がない。
「森でも言ったけど、私の大切な場所に踏み込まないで」
「どうして?」
「どうしてって……。私は、静かに暮らしたいのよ」
「でも、森は誰のものでもないよね?」
そう言われてしまえば、なんと答えていいかわからない。「それは……そうだけど」と言い淀んだフィオナに、リュミエルは得意げな笑みを浮かべた。
「エルフが自然に近い存在なのは知ってのとおり。僕にとってはどこの森も居心地のいい庭みたいなものだから。好きに過ごすよ」
フィオナは眉を寄せて黙り込んだ。どうにか追い払いたいと思うのに、このエルフには何を言っても無駄に思えてきた。
「ここの森は特に過ごしやすいし、しばらくこの辺で過ごすから。よろしく、フィオナ!」
満面の笑みでそう告げたリュミエルは、まるで金粉でも振りまいたかのように眩く見える。そのままフィオナに片手を差し出し、エルフ特有の美しさを見せつけるように首を傾げた。サラリと肩から流れ落ちた白金の髪に、思わず目が釘付けになってしまう。
フィオナはぱちぱちと瞬きして、ゆっくり視線を落とした。そこにはリュミエルの美しく白い手が差し出されている。一瞬手を重ねそうになり、はっと我に返った。
「よろしくなんか、する訳ないじゃないっ!」
パチンと弾けるような音が響き、リュミエルが大きく目を見開いた。そのままフィオナに叩き落とされた手を顔の前に持ち上げ、じっと見つめている。フィオナは怒らせてしまったのではないかと青ざめ、その様子を見守った。
「うわお、こんな風に人間に拒絶されるなんて……初めてのことで新鮮だ」
あっけらかんと言い放ったリュミエルに、フィオナはほっとすると同時に苛立ちが湧き上がる。
「確かに、森は私だけのものじゃないわ。でもこの家は私のものよ。無断で入ってきていつまでも居座るなんて、迷惑よっ。今すぐ出ていって!」
語気を荒らげたフィオナに、リュミエルは真剣な表情で頷いた。
「確かに、フィオナの言うとおりだ。勝手に入ってきたのは謝るよ、ごめん」
思いの外素直に謝るリュミエルに拍子抜けして、言葉を失った。しかし次の瞬間。
「でも……またフィオナが困ってそうなら勝手に入ってきちゃうかも。じゃあねっ」
「ちょっとっ!」
言うが早いかリュミエルは、庭に面した窓を魔法で音も立てずに開き、あっという間に出ていった。まるで今まで何もなかったかのように、瞬きの間に消えてしまった。フィオナは慌てて開いた窓へと駆け寄るが、リュミエルの姿はどこにも見当たらない。夢でも見ていたのだろうかと頬を抓ると、痛みに思わず顔を顰めた。
小さく首を横に振り、開け放たれた窓をそっと閉じた。夕暮れと夜の狭間の空には、いくつかの星が瞬き始めていた。
ようやく一人になったフィオナは、気を取り直して夕食の支度を始めた。といっても、残り物のスープと軽くあぶったパンだけの簡単なものだ。今日は特に食欲も湧かず、考え事をしながらちびちびと食べ進めた。
『エルフにおだてられたからって、調子に乗るなよっ』
ブレナンの声が脳裏に蘇る。そんなこと、言われなくとも自分が一番よくわかっている。前の村でも似たようなことを言われたのだから。
フィオナは、最初から何もかもを諦めて森の奥に住んでいたわけではない。人里で普通に過ごそうとしたこともあったのだ。
『愛想振りまいたって無駄よ』
『美人てわけでもないのに調子に乗って! 図々しいのよ』
あれはどこの村で言われたことだったか。もう何年も前で、相手の名前はおろか、顔すらも覚えていない。それなのに声だけが耳にこびりついている。
母を亡くしてただ寂しくて、誰かと一緒に笑い合いたかっただけなのに。誰かを愛すことができなくても、普通に人の輪の中で過ごす内に、悲しみを乗り越えられると思っていたのに。フィオナにはそれすら許されなかった。
『フィオナは、私みたいになっちゃいけない』
母の声が耳を掠めた。わかってる、私は絶対に同じ道は選ばない。
フィオナが誰かと共に生きることなど、できはしない。草花と対話することを明かせば、奇異の目を向けられる。エルフから与えられた呪いと祝福は、どちらも人にとっては身に余る。それでもどちらも抱えて生きるしかない。そして、この呪いを断ち切りたい。だからこそこの森で独り静かに生きてきたのに。
あのエルフはなぜフィオナの前に現れたのだろうか。早く立ち去ってくれないかと考えるだけで、胃のあたりがムカムカとしてきた。
静かな日常をいとも容易く破壊しようするリュミエルに、フィオナの中の何かが警告を発しているような気がする。ブレナンも厄介だが、リュミエルほどではない。いつもならブレナンだって、もっと上手くあしらえるのに。リュミエルと出会ってから上手くいかない。森であのエルフを見てから、なぜか心がざわついて落ち着かない。
重くなった身体を引きずり、食べきれなかった夕食をのろのろと片付ける。眠気がある訳ではない。それでも今夜はいつもより早く、使い古した布団に潜り込んだ。




