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「フィオナっ! お願いだから、もう一度声を聞かせてっ」
どんなに叫んでも、フィオナは戻ってこない。わかっていても縋らずにはいられなかった。
僕は何かを間違えたのだろうか。僕がフィオナに会わなければ、フィオナは石にならず、一生を終えられたかも知れない。でも、どの道魂が救われることはなかった。
僕は全てをフィオナに語らなかった。エルフは嘘を吐かない、これは真実だ。ただ、語らなかっただけで。
僕がフィオナに会いにいこうと思ったのは、ただの興味だった。ある日ふと貰った絵本が目に入って、爺さんが今頃どうなっているのか気になった。
『爺さん、まだまだ先は長そうだね』
会いにいった爺さんは、何も答えない。苦しみながら枯れている途中で、声を出すこともできないから。
『ねえ、どうして人間なんか愛したの?』
問いかけに呻き声以外の返事が無いことを知りながら、湧き上がる興味を抑えることができなかった。誇り高きエルフが、人間なんかのせいでこんな目に合うなんて。僕には到底信じられなかった。
『……僕も、人間を見にいってみようかな』
『リュミエル、やめときなよ』
突然聞こえた男の声に振り返れば、予想通りの相手で肩を竦めた。
『なんだ、やっぱりフレイか。どうして反対するの? フレイはエルフの味方でしょ』
『だからだよ、リュミエル。私はエルフを司る神として、君を心配してるんだ』
『心配? 一体何の?』
フレイは渋い顔をして、爺さんを顎で指し示した。
『君も彼と同じように、苦しんで枯れることになるよ』
『あはははっ。フレイ、面白い冗談だね』
『本当のことさ。行ったら後悔する、だからやめたほうがいい』
『大丈夫だって。心配性だな、フレイは』
大きくため息を吐いたフレイは、呆れたような目で僕のことを見下ろした。
『最後に泣くことになっても、知らないからね』
『平気だよ! フレイに泣きつくなんて絶対にないから』
そう言ってフレイの忠告も無視した僕は、人間の領域に足を踏み入れた。
まずは呪われた女を探すために、爺さんから聞いていた場所に向かった。だけど僕は、人間のことをよくわかってなかった。その命は短くて、呪いを掛けられた女はとっくの昔に死んでいた。女も爺さんみたいに苦しんでいるのか、確かめようと思っていたのに当てが外れてしまった。そこで里に帰ってもよかったけど、せっかくここまで来たのにすぐに帰るのも惜しい気がした。
女の子孫の足取りを追って、いくつもの町や村を渡り歩いた。訪れる先々で気持ち悪い視線を向ける人間たちに、今まで以上の嫌悪感が湧いた。エルフと見ればすり寄って、何かしらを期待する。願いが叶わないとわかれば、憎悪にも似たような視線を向けられた。やっぱり人間なんて、どいつもこいつも醜い奴らばかりだ。
手がかりを求めて辿り着いたある町では、領主の妻に治癒魔法まで強請られた。欲深い人間に辟易して、里に帰るか再び迷った。元凶の女は死んでいたし、この頃には呪いの結末を確かめることに意味があるのか、よくわからなくなっていたから。でも、せっかくここまで来たのだ。加減せずに使う治癒魔法のほうが楽に使えるのだし、対価を得ることにした。
そこから更に足取りを追って、やっと辿り着いたのがフィオナの住む森だった。
フィオナはひっそりと暮らし、他の人間たちのように群れたりもしていなかった。村での様子は芳しくなく、屋根の上からこっそり観察を続けてたけど、どこか他の人間とは違うように思えた。誰かに頼ることもせず、森の中では独り言を呟きながら、普段より少しだけ表情を和らげていた。気付かれないように遠くから見ていたから、どんな独り言なのかまでは聞こえなかった。
儚げに笑うのが何だか気になって、僕は彼女をもっとよく見たくなった。だから、つい近付きすぎたのだ。
『ねえ、どこにいるの?』
そう声を掛けられた時には、心臓が飛び上がるほど驚いた。まさか、隠れてる僕を見つける人間がいるなんて。そう思ったけど、後からあれは草花と話してたんだってわかった。爺さんの祝福だ。
僕がエルフだとわかってるはずなのに、フィオナは全く媚びなかった――ただの一度も。それどころか、差し出した手を叩き落された。一瞬見惚れたように見えたから、手を差し伸べれば喜ぶかと思ったのに。そうしたらやっぱり彼女も他の人間と同じだったと、そのまま里に帰るつもりだったのに。僕の目論見は見事に外れ、そんなフィオナに益々興味を惹かれた。
姿を隠さなくてよくなってからの日々は、自分でもどうかしてしまったんじゃないかと思った。なぜって、他者に執着するはずのないエルフのこの僕が、たった一人の人間をもっと知りたいと思ってしまったのだから。君が生きてる間はずっと側にいるなんて、思わず口にしてしまうくらいに。
からかえば怒って、褒めれば赤くなって目を逸らす。そんなフィオナもいつしか僕を頼って、他の人間たちのように欲望を湛えた視線を向けてくるのだろうか。そう思うこともあったけど、全くの杞憂だった。それどころか、涙の一雫すら断られてしまった。
呪いの話をしても、それを解いてくれとは言わない。この頃の僕は、フィオナへの罪悪感でいっぱいだった。だって僕は、ただの興味で爺さんの呪いの行く末を見にきただけだったから。フィオナが儚げに笑うのも、人を頼らないのも。誰も愛さないと決めたのも、苦しいと泣くのも――全部爺さんのせいだ。
子どもの怪我を治そうとしたときも、絶対に引かなかった。村の異変はきっと頼ってくれないだろうと、勝手に始末してしまった。信じられない、まさかこの僕が。
村を助けてしまったことで、やっぱり人間たちは欲にまみれた目で僕を見た。でも、今まで全てを見ていたわけじゃなかったことに気が付いた。皆が皆、そんな目で見てたわけじゃなかった。僕はフィオナに会うまで、人間をひとくくりにして、皆同じだって勝手に決めつけていたことに気付かされた。それから、誰にも頼らないフィオナが何だかとても心許なく見えた。
気付いてしまったらもう手遅れだった。僕にとってフィオナは唯一の特別な人で、生涯でたった一人の愛する人になっていた。だって、こんな僕を変えた唯一の人だから。なのに僕は、フィオナを縛る呪いのエルフの孫なのだ。
『もし誰かを愛して石になったら、輪廻の環にも乗れないのに、それでも誰かを頼れっていうのっ?』
あのときは目の前が真っ暗になって、心底爺さんを呪った。誰でも――エルフだって、輪廻の環に乗れるから死を受け入れることができるのに。フィオナにはそれすら許されないのか。それなら石にならずに生涯を終えれば、魂はきっと救われる、そう思っていたのに。この呪いはその希望すら断ち切った。
そんな呪いの元凶の孫に生まれてしまった僕は、絶対に許されるわけないと思った。フィオナの視界に入ることすらできるはずがない。だから僕は逃げたんだ。それなのに、フィオナは僕を愛していると言ってくれた。それだけで天にも昇ってしまいそうなほど幸せだったけど、一緒に過ごす時間はあっという間で。
「フィオナ……」
呼びかけても、あの柔らかな声も、ちょっと照れ屋で素直じゃない返事も、もう二度と聞けない。
「フィオナっ」
口を尖らせて文句を言う事もない。
村を出てからの愛しい日々は、もう二度と戻らない。涙が溢れて息が苦しいけど、どうやって止めればいいのだろうか。こんな風に感情を乱されるなんて、僕は本当にどうかしてしまったみたいだ。
「リュミエル。君、泣きすぎだよ」
頭上から酷く心地いい声が降ってきた。呆れを含んだその男の声に、僕は顔を上げることもできない。
「うっぐ、フ、フレイ、うるさいよ」
「まったく、だから言ったのに」
「僕だって、こんなことに、なるなんて……うっく。お、思わなかった」
フレイの忠告を思い出し、殊更悔しさが込み上げる。あの時は、人間を愛すことなんて絶対にないと思ってたのに。
「仕方ないね、君は彼の孫なんだから」
「じ、爺さんは、関係、ないっ」
「君らは自分の価値観を変えちゃうような存在に弱いってことだよ」
「それなら、最初から、ううっ、そう言ってくれれば……」
そこまで口に出して、そうじゃないと首を横に振った。
「違う。そうしたらフィオナには、会えなかった」
ずるずると鼻をすすりながら、自分の情けなさに腹が立つ。全く僕は、なんて頼りないんだろう。フィオナに笑った顔が見たいって言われたのに、そんな小さな願いすら叶えることも出来ないなんて。そう、フィオナの――願い。
『いつかの魂迎の夜に、魂のままでいいから、またリュミエルと会えたらいいのにって』
フィオナが弱音を吐いたのは、あのときたった一度だけだ。これくらいは叶えてあげたい――僕だってまた会いたい。
「フレイっ! 僕、こんなに泣いてるのに、なんでフィオナは呪いが解けないの? それとも、もう魂は解放されてる?」
「……呪いは解けてないよ。大体、呪いの発動は受け継いだときに始まってるんだから、途中で止めることはできないよ」
「そんなっ。……フレイの力を使っても?」
「……泣きつかないって言ったの、誰だっけ?」
そうだった、確かに僕はそう言った。だけど、僕の矜持なんてこの際無視だ。爺さんを騙した人間の女が、なぜそんなことをしたのか。今なら僕にもよくわかる。フィオナが助かるのなら、何だって。
「今はそんなことどうでもいいだろっ。ねえ、フィオナを助けてよ」
フレイは大きくため息を吐き、どちらとも答えない。
「そんなことより、リュミエル。君、そろそろ枯れ始めてるよ」
言われてみれば、さっきから足先に痛みを感じるような気がしていた。水分が蒸発して、徐々に焼けていくみたいな痛みだ。恐る恐る足元に視線を這わせると、なんだか細くなっているような気がする。
「爺さんも……いや、爺さんはもっと苦しかったのかな。でも自業自得だね。愛を失わなかった分、僕のほうがいくらかマシだ」
「……そうかもね」
「ああ……さすがにしんどくなってきた」
脚の熱が這い上がり、あっという間に身体を侵食する。日照り続きで水のない大地に放り出されて、干からびたみたいに息が苦しくなってきた。
「リュミエル、どうしてフィオナに言わなかったの?」
「何を?」
「君が苦しみながら枯れることだよ」
フレイは何を言ってるんだろう。笑っちゃうよね。
「そんなの、決まってるじゃないか。呪いのせいで、辛い思いをしてきたフィオナを……これ以上苦しめることに……何の意味があるの」
これも嘘じゃない。だけど、僕が言えなかった本当の理由は――。
さっきから額の汗が気持ち悪い。声を出すことも、息をすることすらも難しくなってきた。いよいよ僕も爺さんみたいになるのかな。
「フィオ……ナ……」
石になったフィオナを必死に抱き寄せた。フィオナが塵になってしまっても、枯れゆく僕と共にあってほしい。例え魂が消えてしまったとしても。
「ぐううっ、ああっ。フ、フレイ……、ごめん……」
「どうして謝るの?」
「君の……言うこと……は、当たって……た」
しゃがみ込んだフレイが、僕の背に手を当てて優しく擦る。
「傲慢な君が、まさか私に謝るなんてね。フィオナは本当に君にとって唯一なんだ」
フレイに謝ったこと……無かったかな。フィオナが唯一なのはそのとおりだけど。
痛くて苦しくて、返事をするのも辛い。辿り着いたときにはどんよりしていた空は、深い茜色に染まっている。燃えるように真っ赤な太陽は、まるで僕を焦がす炎のようだ。
「リュミエル、苦しみを取り除いてあげるよ。枯れずに樹になれば、その痛みからは開放されるよ。魂が輪廻の環に乗るまでの時間は変えられないけど」
僕が樹になる――ああ、それなら。
「トネ……リコ……に……なり……たい」
そうだ、樹になるならそれ以外には考えられない。フィオナが最期に会いたがった、彼女の大好きな樹。トネリコになって、君ごとこの世界を支えよう。僕がこのまま苦しみに飲まれることを、きっと君は望まない。誰かのためにと必死に生きていた君のために、僕が君の愛するこの世界をトネリコになって見守るよ。
「……フィオナ」
枯れ始めた腕で、フィオナを精一杯抱き締めた。石になった彼女の魂は、まだこの世にあるのだろうか。僕にはわからない。
「……愛……して……る」
僕は、硬く冷たくなったフィオナの額にそっと口付けた。これで僕とフィオナの物語は、おしまいだ。




