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はじまりの樹  作者: 入戸レク
4章 魂の絶望と救いの手
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19/28

4-3

 穏やかな森の空気とは裏腹に、フィオナは今日も重いため息を零した。何度追い出そうとしても、いつの間にか勝手にリュミエルの姿が頭に浮かぶ。

 

 ずっと孤独でからからに乾いていた心が、無数の小さな隙間から甘い水を吸ってしまったかのようだった。しかし今や源泉が枯れてしまい、フィオナの心も萎んでいく。だからと言って、今更村で暮らすこともできない。ブレナンのことは今までになくはっきりと突き放したし、そもそも他人と深く関わらないことを選んだのはフィオナ自身だ。

 

 ぱきぱきと枝を踏み鳴らしながら森を進み、いつもの切り株に辿り着いた。薬草を摘む気にもなれずに、そのまま頬杖を付いて見るともなしに森を眺める。自分の頭を占めるエルフが憎らしい。だが、それだけではないから困るのだ。このまま進めば、フィオナは石になって魂すらこの世に残らない。ならいっそのこと、気の置けない友人として付き合うのはどうだろう。けれど、呼んでも出て来ないエルフ相手にどうやって。そう気付いたところで肩を落とした。


 自然と側にいてくれたリュミエルに、自分から会いにいけないもどかしさで胸の奥がキリキリと痛む。そもそもこの呪いは、誰にも愛を告げなければ本当に魂は救われるのだろうか。

 

 誰かに聞いて欲しいと思うが、そんな相手もいない。草花と話そうかと思ったところで、フィオナは浮かんだ考えにぱっと顔を上げた。エンバに聞けば何か分かるかも知れない。思いついたことに居ても立ってもいられず、切り株から勢いよく立ち上がった。フィオナは、籠も持たずにエンバの元へと走り出した。

 

 顔に当たりそうな木の枝を片手で払い、エンバを目指してひた走る。多くの知識を持つ彼女なら、呪いについてなにか知っているのではないか。アスクは知らなくても、エンバならあるいは。どくどくと鳴り響く心臓の音は、期待と緊張どちらのせいか。早く早くと急かす気持ちに、足を取られて転びそうになる。躓きながらもしっかりと足を踏み出し、地面を力強く蹴り出して進む。


 ぜえぜえと息を切らし大きく肩を上下させたフィオナは、とうとうエンバの前に辿り着いた。しばらく深呼吸を繰り返して息を整えながら、額の汗を手の甲で拭った。暴れる心臓が痛みを訴えているが、構ってなどいられない。スカートに掌を押し付けてごしごしと拭い、ザラリとしたエンバの幹にそっと手を当てた。

 

「エンバ、教えてほしいことがあるの」

 

 さわさわと葉擦れの音が響き、ひらりと一枚の葉がフィオナの肩に触れる。

 

《我とアスクの預かり知ることならば》

 

 フィオナは軽く目を閉じ、大きく深呼吸をした。

 

「エンバも、エルフの呪いを知ってる?」

 

《全てを知る訳では無い》

 

「この呪いは、愛を告げれば石になり、そのまま魂も消滅する。そうよね?」

 

《完全ではない》

 

 耳を塞ぎたい気持ちが湧き上がるが、最後まで聞かなければと自分を奮い立たせる。

 

「他に……何かあるの?」

 

《必ず最初に女を産み、祝福と呪いを継承させる。継承すると同時に呪いが発動する》

 

「発動する? 愛を告げて石になるのが呪いの始まりじゃないの?」


《否》

 

 幹に充てがう手が震え、思わずごくりと喉を鳴らした。これ以上聞くことに果たして意味があるのだろうか。聞いて後悔する結果にならないとも限らない。それでもフィオナは掠れる声でエンバに尋ねた。

 

「じゃあ……呪いって、どんなものなの?」

 

《……》

 

 エンバの沈黙に、フィオナの背筋を冷たいものが走る。

 

「エンバ、私の先祖で石にならずに生涯を終えた人はいる?」

 

《是》

 

 ごくりと喉を鳴らしたフィオナは、早鐘を打つ心臓に苦しさを覚える。

 

「その人は……輪廻の環に乗れた?」

 

《……否》

 

 ひゅっと息を呑む音が鳴り、顔から血の気が引く。

 

「アスクは、分からないって」

 

《……アスクも知っている》

 

「っ! じゃあ、どうしてあのとき教えてくれなかったの?」

 

《アスクは答えられないと言った》

 

 そうだっただろうか。フィオナは混乱する頭で考える。ふとアスクの言葉が蘇った。

 

『見たことのないものの答えは持たぬ』


 そうだ、確かにそう言った。あれは知らないという意味ではなかったのか。

 

《お主は、母御を亡くしたばかりだった。アスクは生きる気力を奪わぬよう、答えを避けたが嘘を吐いてはおらん》

 

 一瞬で頭の中が真っ白になり、膝が震えてずるずると地面に座り込んだ。エンバの幹をなぞる手は、粗い肌目を感じることすらできない。

 

 アスクが知らないと言わなかったのは、知っていたから。きっとアスクのいるあの場所に、愛を告げずに命を終えた者が来なかったのだろう。だから見たことのないものだったのだ。今更気付いた自分の間抜けさに愕然とする。

 

「結果は……産まれたときからもう決まってた? 輪廻の環には……最初から乗れない?」

 

《……》

 

「石になろうがなるまいが、結局同じだった……」

 

 孤独に耐えて生きてきたことは、全て無駄だったのか。誰かに頼るのを避けて、石になりさえしなければもしかしたら――そんな希望を持たなかったと言えば嘘になる。現世で誰かと共にあることが叶わずとも、来世ならあるいは。その細い糸のような希望もぷつりと切れた。

 

 地面から這い上がる冷たさに、フィオナはぶるりと身体を震わせた。指先は感覚を失くし、エンバに触れていることすら忘れそうになる。

 

《人の生は儚い》

 

 労るようなエンバの声に、フィオナは視線をゆるゆると上げた。

 

《哀れな薬草師フィオナ。己が思うままに生きよ》

 

 じわりと視界が滲み、一筋の涙がフィオナの頬を伝った。

 

《その果てに、或いは希望が見えるやも知れぬ》

 

「……希望? 消えてしまう魂にどんな希望があるの?」

 

《我にもまだわからぬ》

 

「今はどうしたらいいか、わからない」

 

 口から出た言葉は小さく震え、頼りなく森の空気に溶けて消えた。喉が詰まり、上手く声が出せない。上を向き鼻を啜って、大きく口から息を吐き出す。目を瞑り、震えそうになる唇を引き結んだ。

 

「ありがとう、エンバ」

 

 フィオナが囁くように告げて、手をそっと放そうとした――その刹那。

 

《心優しき薬草師、フィオナ。お前に我の種を託そう》

 

「エンバの……種?」

 

《いつかアスクと再び相見えるその日まで、その手の中に》

 

 ザーッと強く風が吹いたかのように枝葉が揺れ、フィオナはエンバを見上げた。樹の上の方から、小さな光がフィオナに向かってゆっくり落ちてくる。立ち上がり両手を捧げて待っていると、すっと掌の上に落ちたそれは、一瞬強く輝きぱっと消えた。残ったのは掌にぽつんと佇む茶色の種だ。

 

 フィオナは腰に下げた守り袋を慎重に外し、固く結ばれた紐を解いた。中に収められたトネリコの種と一緒に、ニレの種もそっとしまう。再び袋を腰に下げ、もう一度確かめるようにゆっくり撫でた。

 

 改めてエンバを見上げたフィオナは、静かに踵を返した。頼りなく踏み出す一歩は重く、エルフの呪いが足元から蔦のように、全身に絡みついているかのようだ。フィオナは身体を締め上げられるような苦しさに、重い息を吐いた。


 初めから全てが無意味だった。無遠慮に近付くリュミエルを遠ざけようとしたことも。他人と距離を置き、伴侶を持たず孤独に終わろうと決めたことも、全部。そこまで考えて首を何度も横に振る。なんて自己本位なのだろう。愛する人を眼の前で失う辛さを味わったのに、魂が救われるかどうかだけを考えるなんて。

 

 本当に希望は一つも無いのだろうか。フィオナはふとリュミエルの絵本を思い出す。美しい声で紡がれた物語は、蒼き一雫の涙で石になったお姫様が救われた。では、リュミエルの涙で救われる道もあるのだろうか。そこまで考えてから血の気が引く。もし石になって救われなかったら、残されたリュミエルはどうなるのか。自分と同じ思いを誰にもさせたくない、たった今そう思ったばかりなのに。


 一体どうしたらいいのだろう。結局孤独に終の棲家で最期を迎えるしかないのだろうか。けれど、どうせ消えてしまう魂のためにこのまま死ぬまで一人で生きることに、何の意味があるのだろう。森の風がやけに冷たく感じられて、両手で身体を抱えてぶるりと震えた。涙の乾いた頬が引きつるが、それもどうでもいいと思えた。

 

 薬草師として村人のために――いや、自分のために役割を全うしてきた。これからもそうして最後には何も、魂すら残さず消えるのか。フィオナは体の内側から凍りつくような気がして、その場に立ち尽くした。


 そんな終わりは嫌だ。このままリュミエルに影から見守られたまま、何もかもが消えてなくなるまでたった一人で。途端に息が苦しくなり、胸元を握り締めた。その場にとどまることも苦しくなり、遂には宛もなく駆け出した。


 怖い、嫌だ、助けて――そんな言葉が頭の中を駆け巡る。わけもわからぬままに涙がぽろぽろと溢れ出した。身体に当たる枝にも構わず、前も見ずにひた走る。漏れ出す嗚咽に苦しさが募っていく。何も考えられないほどに走り、何もかもを忘れてしまいたい。

 

 どうして自分がこんなに苦しまなければならないのか。なぜエルフはこんなひどい呪いを愛する人にかけたのか。なぜ、リュミエルは今そばにいてくれないのか。違う、リュミエルは悪くない。エルフは裏切られただけ。わかっているのに思考がぐちゃぐちゃになっていく。

 

 森の景色が流れる様も、フィオナの混乱をさらにひどくする。同じ景色が視界を巡る。まるでフィオナの頭の中のようだ。心臓が潰れるように痛むが、足を緩めずそのまま蹴り出す。このまま森の風に溶けて消えてしまいたい。

 

 ふっと意識が途切れそうになった瞬間、フィオナの耳に草花たちの声が響いた。

 

《フィオナっ、危ないっ》

《ちゃんと聞いて》

《フィオナ、止まって!》

 

 草花たちが何を言っているのか、理解するまでの時間がひどく長く感じられた。気付いたときには足元の地面をずるりと滑り、急な傾斜に飲み込まれていた。――もう、どうなってもいい。身体が宙に浮いた瞬間、そんな言葉が頭を過った。

 

 まるでときが止まったかのように、ゆっくり身体が傾いでいく。やがて地面に打ち付けられたのと同時に、フィオナを呼ぶ誰かの声が聞こえたような気がした。

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