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男は躊躇いがちに周囲の人々を見回す。少し決まり悪そうに頭を掻きながら、おずおずと一歩前に出た。
「あの……この間、薬を配ってくれて助かった。また、あんたの薬を分けて欲しいんだが」
村人たちを気にしながら、男はフィオナの方へ窺うような視線を向けた。フィオナは詰めていた息をふっと吐き出した。からからに乾いて張り付きそうな喉から、どうにか声を絞り出す。
「ええ、もちろんです。どこが悪いのか教えて下さい。手持ちの薬で間に合えば、すぐにお渡しできます」
「ああ……ちょっと、食欲が湧かなくて。腹が重いんだが」
「わかりました。では、こちらをどうぞ。できれば少しでも食べ物を口にしてから飲んでください」
「わかった。これで足りるか?」
「ええ、ちょうどです」
掌に乗せられた硬貨を確かめ、小さく頷く。男は薬を手にして、周囲の者と目を合わさぬようにしながら、そそくさとその場を立ち去った。
フィオナはほんの少し震える指を隠すように、素早く硬貨を鞄にしまう。すかさずシボーンが明るい笑顔で、フィオナの手を取って数回揺すった。
「フィオナっ。とうさんも、フィオナのおくすりよくきくって!」
するとセーマスも負けじとフィオナの手を握り、軽く引っ張る。
「あのね、かあさんもフィオナのおくすり、たすかるっていってたよっ」
「そう……よかったわ」
二人の言葉に自然と笑みがこぼれた。小さく無垢な手が、フィオナの指先をじんわりと温めた。それを眺めていたメイヴが、はっと我に返り眉を寄せた。
「エ、エイリンっ! シボーンとセーマスも、こっちにいらっしゃいっ」
エイリンは一度首を傾げるが、フィオナを見上げて目をぱちぱちと瞬いた。シボーンとセーマスは、不思議そうな顔をしたままメイヴを見つめる。フィオナはふっと息を吐き、三人の横にしゃがみこんだ。
「今日はありがとう。また今度ね」
笑みを浮かべたフィオナに、子供たちは戸惑った様子で顔を見合わせた。フィオナはセイマスとシボーンの手を一度ぎゅっと握り、そっと離した。最後にエイリンの頭をそっと撫で、三人に向かって頷いた。再びメイヴの呼ぶ声がして、子供たちは渋々そちらへ歩いていった。
すべての人が受け入れてくれるわけではない。それは今までも同じだ。むしろ命の種の効果を目の当たりにしたのに、薬を求めてくれる人がいることのほうがありがたい。メイヴたちのように冷たい視線を投げかけてくる人もいれば、特に関心のなさそうな人たちも。何か言いたげな視線を投げかけてくる者もいるが、誰もフィオナを要らないとは口にしなかった。
強張っていた肩の力が抜けて、ほうっと息を吐いた。重苦しかった気分が少しマシになる。このまま家に帰ろうと思ったところで、村長の家の方から誰かが歩いてきた。こちらを真っ直ぐ見つめながらやってくるのは、ブレナンだ。
『一人が寂しくて辛いなら、あいつを頼ったらいい』
リュミエルの声が蘇り、胸が軋んで苦しくなる。その姿を見ていることができず、かと言って無視して帰るわけにもいかない。ブレナンの視線を受け止めきれなくなり、ふいっと顔を逸らした。徐々に近付く足音が、やがてすぐ側で止まる。ゆっくり視線を這わせると、ブレナンの靴が目に入った。微かに震える指先を誤魔化すように、スカートをギュッと握る。
「よお、フィオナ。この間はよくやってくれた。礼を言う」
フィオナは静かに顔を上げ、ブレナンを見上げた。
「いいえ、薬草師としてできることをしたつもりだけど。結局私は何も」
「最初にフィオナが来てなかったら、もっと大変なことになってたと思うぜ」
「そう言ってもらえるなら、よかったわ」
こんな風に返してみても、心の中は晴れない。出来たことは対症療法で、フィオナの薬草で治った人は誰もいなかったのだから。ただ悪化しなかっただけだ。最初からリュミエルがいれば、あっという間に解決していただろう。そう思うとモヤモヤとしたものが込み上げて、唇を噛んだ。
「もう、村には来ないかと思った」
ビクリと肩を揺らしたフィオナに、ブレナンが焦ったように「いやっ、違うんだ」と両手を挙げたり下げたりする。「くるなって意味じゃない」と慌てて付け足すが、フィオナにとっては何の救いにもならない。
いちいちフィオナの気持ちを抉るのは、わざとなのか無意識なのか。恐らく後者なのだろうが、これでどうやってブレナンと頼れというのだろうか。フィオナはリュミエルの言ったことを再び思い出して、皮肉な笑みを浮かべた。
「気にしなくていいわ。あなたが悪い意味で言ってないってことも分かってる。でも、そういう意味で私を避けてる人がいるのもちゃんと自覚してるから」
それも自分で撒いた種だ。極力他人と関わらず、それでも良好な関係を築くなど到底無理なのだろう。けれど、それならどうすればよかったのだろうか。フィオナには未だにわからない。
「あのエルフなら……」
その言葉に、さっと血の気が引いていく。心臓を鷲掴みにされたような痛みが走り、顔を歪めて俯いた。リュミエルもブレナンも、互いにフィオナを押し付けあってどうしたいのだろう。
「エルフなら何? ブレナンは前に、相手にされるわけ無いって言ったじゃない」
ブレナンは呻き声を上げてから、「いやっ」とか「あの……」などと呟いている。これ以上話せば余計なことを口走りそうだ。もうこの場を立ち去ろうと決めて、「用がないなら森に帰るわ」と冷たく告げた。
「ま、待ってくれフィオナっ」
焦ったように引き止められて、フィオナは仕方なくブレナンに視線を戻した。ブレナンは歯を食いしばってから、躊躇いがちに口を開いた。
「お前……本当に、嫁にくる気はないのか?」
「ないわ」
間髪入れずに答えると、ブレナンは顔を歪めて頭を掻いた。
「エルフと解り合えると思うのか?」
「私がどう思おうが、ブレナンには関係ないでしょう」
「……そうだな。せいぜい捨てられないように上手くやるこったな」
ブレナンは怒ったようにそう言ったが、最後は少し泣きそうな顔に見えた。重い足取りで戻っていく背中を見ながら、フィオナは唇を噛み締めた。
元々気持ちに応えるつもりはなかった。村長の孫だから無碍にできない、それは半分言い訳だ。他人と関わらずに生きようと思っても、本当に独りになるのは怖かった。受け入れるつもりもないのに、求められることで安心したかった。
そんな醜さを誤魔化すために、ここに住みにくくなっては困るのだと自分に言い聞かせてきた。リュミエルと出会ってから、見たくなかった自分の奥底がどんどん顕になっていく。独りでいたいと言いながら、誰にも心を開かない癖に、それでも誰かの心を繋ぎ止めていたいなんて。これほど自分勝手な願いがあるだろうか。
遠ざかるブレナンの背中を見つめながら、二度と振り向かないであろうことに複雑な感情が湧き上がる。二人の間を通る風が冷たく頬を撫でた。温度をなくした指先を握り締め、断ち切るように踵を返した。
誰もいない粗末な家へ向かって、真っ直ぐ歩く。振り向かずに前だけを見つめる。そうしなければ、ずるくて弱い自分に負けてしまいそうだった。
家にたどり着くと、すぐに籠を持って薬草を摘みに出かける。何もせず家に籠っていては、どんどん気分が重くなるだけだ。森を歩けば斜め前に降り立つ姿がないことに、胸を締め付けられる。見上げた空は清々しいほどに青く澄んでいた。いつまでもリュミエルを思い出す自分に呆れて、苦い笑みが浮かぶ。もういい加減頭の中から追い出してしまいたい。
硬い足取りで森の中を進み、草花との対話魔法を開いた。
《フィオナ、村に行った?》
《薬、役に立った?》
「うん。薬もちゃんと渡してきたよ」
切り株に座りながらいつものとおり記録帖を取り出し、ふと開いたページに目が留まる。指でなぞり思い出すのは、感心しながらこのページを読んだエルフの顔だ。
『フィオナの記録はエルフでも知らないことがいっぱいあるよ』
『僕はこれって凄いことだと思うよ。フィオナはもっと自慢したっていいくらいだ』
記録帖を握りしめながら、溢れそうになる涙を堪える。あのときは褒められたことが嬉しくて、だけど同時に恥ずかしくて。素直に「ありがとう」の一言さえ口にできなかった。
『僕は、君が生きてる間はここにいるって言ったじゃない。忘れたの?』
『エルフは嘘を吐かない。だから、約束するよ』
だけど今、側にはいてくれない。約束なんて守らなくても気にしないと言ったのはフィオナなのに。今更後悔しても遅いのだ。
最初は本当に迷惑だと思った。平穏を脅かす不穏なエルフの存在が怖かった。なのに、あっという間にフィオナの警戒心を解いて、するりと心の隙間を埋められた。知らない内に心地よくなって、いつの間にか当たり前になっていた。
無遠慮に踏み込んでくるリュミエルに、見せたくなかった心の内側まで晒してしまった。呪いも祝福も何もかも、受け入れてくれるのだと勝手に甘えていた。だから傷つけるような言葉すら溢れ出てしまったのだ。誰かと深く関わったことのないフィオナにとって、それは初めてのことだった。同時に、絶対に言ってはいけないことだったのだ。今になって気付いても、取り返しはつかない。
《フィオナ、フィオナっ》
草花の声にはっと顔を上げる。
「ごめんね、考え事してた」
《エルフ探す?》
《エルフに会いたい?》
フィオナは顔を歪め、何度も首を横に振る。
「ううん。きっと見つけても追い付けないから……」
どんなに走っても、リュミエルの背中に手は届かない。せいぜいアナグマを見つけるのがいい所だと、少し前に思い知ったばかりだ。
ぼんやりと考え事をしながら過ごす内に、いつの間にか空が茜色に染まっていた。青々としていた森は、温かな橙色に包まれた。この美しい夕焼けに照らされたら、あのエルフの姿はどれほど映えるだろう。
「そろそろ帰るね」
《フィオナ、エルフは森にいる》
《元気出して》
対話魔法を閉じ、とぼとぼといつもの道を歩き出す。
辿り着いた家の扉を潜り、踏み入れた部屋の空気は以前よりひんやりしている。庭に面した窓を開け、黄昏時の空を眺めた。美しかった夕焼けは徐々に闇の群青に溶け始め、やがて森は影に沈んでいく。本当にこの闇のどこかにリュミエルがいるのだろうか。フクロウの鳴き声が響き、空には星が瞬き始めていた。浮かぶ月に手を伸ばしてみるが、届くはずもない。
いつもと変わらない景色なのに、どこか寂しくて、フィオナはそっと窓を閉じた。森の中のエルフが、静かに見守ることにも気付かぬままに。




