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はじまりの樹  作者: 入戸レク
4章 魂の絶望と救いの手
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4-1

 あれから何日経ったのか。日付の感覚も曖昧なまま、フィオナはぼんやりと薬草を摘んでいる。対話魔法を開いても、草花たちの言葉が頭に入らない。そのせいで、記録帖を開く機会もめっきり減っていた。

 

 森のどこを探しても、リュミエルの姿は無い。本当にもう会えないのだろうか。諦めようと思うのに、葉擦れの音に肩を揺らし、無意識に周囲を見回す。しかし、目当ての姿は見当たらず、ため息を吐くばかりだ。吸い込む空気も味気なく、森にいつもの清々しさはない。足元にちらちらと輝く木漏れ日も、以前のように心躍らず眩しいだけだ。

 

《フィオナっ、村は?》

《薬の日はっ?》

 

 草花の声にはっとする。そうだ、今日は村に薬を届ける日だった。そんなことすら忘れるなんて、薬草師としての存在価値すら失くしてしまう。

 

「ありがとう、行ってくる」

 

 慌てて持ち直した籠の中で、摘み取った薬草が揺れた。急いで踏み出した足に心が追いつかず、危うく躓きそうになる。

 

 ずっと独りが当たり前だったのに。村人たちは自分が助けなければ、そう思っていたはずなのに。薬草師としての矜持はどこへいったのか。情けなさに唇を噛みしめ、籠を持つ手に力を込めた。

 

 摘んできたばかりの薬草を手早く洗って風魔法で軽く乾かす。頭が働かないなどと、言い訳はなしだ。丁寧に仕上げる――この拘りさえも失えば、フィオナに残るのは呪いだけになってしまう。

 

 いつも以上に疲労を感じ、額の汗を手の甲で拭った。こんなに集中しなければできない作業だっただろうか。フィオナにはもう、以前の普通すら思い出せない。村人の薬を間違える訳にはいかない。ぎゅっと目を閉じ、首を振って気持ちを切り替えた。

 

 力を込めてすりこぎを動かし、その度にごりごりと鳴る音が無機質に響く。口を引き結び、薬のことだけを考え、薬草を擦る度に増してくる森の香りに意識を向けた。余計なことに気を取られて、間違えるようなことがあってはならない。必要な量の調薬を終え、それぞれの分を丁寧に包んだ。いつもの鞄に仕舞う手が微かに震える。

 

 リュミエルの命の種で村人を救って以来、初めて村を訪れる。自分の薬は必要とされるのだろうか。過る不安に胃が重くなった。子供たちの傷薬と爪紅もそっと仕舞った。今日こそ渡せるだろうか、それとも、もう渡せないのだろうか。弱気な自分を叱咤するように、家の扉を勢いよく押し開けた。

 

 一歩が重いが、行くしかない。村への道が、まるで先の見えない真っ暗な穴の中のようだ。ぬかるみに踏み入るような不安が、足元から迫ってくる。周囲を見回しても知らない道を歩いているようで、それが怖くて視線を落とした。

 

 村の近くまで進むと額にじっとりと汗が滲み、心臓がどくどくと音を立てる。命の種の効果を知った村人たちは、フィオナをどう思うのだろうか。役に立たない薬草師は不要だと、追い返されるのかも知れない。すっと指先が冷たくなり、鞄の持ち手を握りしめる。大きく深呼吸をして、村への道に足を踏み出した。

 

 硬い表情のまま逃げたい気持ちに蓋をして、震える膝から意識を逸らすように前だけを見て歩く。少し進んだところで、エイリンとシボーン、今日はセーマスの姿も見えてきた。

 

「あっ、フィオナっ!」

 

 最初に気付いたエイリンが大きな声を上げた。いつもと変わらぬ明るい声に、フィオナはほっと肩の力を抜いた。

 

「フィオナっ」

「おはよう、フィオナー!」

 

 セーマスとシボーンが続き、眩しい笑顔の弾ける様に、フィオナも自然と頬が緩む。

 

「おはよう、みんな。シボーンとセーマスも元気そうね」

 

 シボーンとセーマスは大きく頷き、待ちきれないとばかりにフィオナに駆け寄った。

 

「フィオナっ、おくすりありがとう! とうさんが、フィオナからもらったおくすりのませてくれて、すぐによくなったよっ」

「フィオナ、ぼくもほらっ。うで、もうぜんぜんいたくないっ!」

 

 フィオナは二人の様子に目を細め、しゃがみ込んで視線を合わせた。

 

「善くなったのは、私のお陰じゃないわ。リュミエル……エルフのお兄ちゃんがお薬をくれたからよ」

 

 シボーンとセーマスは目をぱちぱちと瞬き、小さく首を傾げる。

 

「でも、フィオナがつくったんでしょ?」

「エルフのおにいちゃん、まえに、もりからぼくをはこんでくれたけど、なんにもしてないよ?」

 

 フィオナは眉を下げて小さく息を吐いた。

 

「この前皆が病気になった時のお薬は、エルフのお兄ちゃんがくれたのよ。私はそれを配っただけなの。だから、お礼を言うならエルフのお兄ちゃんに言ってね」

 

 シボーンとセーマスはフィオナをじっと見つめて、口をすぼめる。

 

「でも、いつもフィオナがおくすりくれるもん」

「おにいちゃんは、あそんでくれないよ」

 

 拗ねたような二人の様子に、フィオナは笑みを浮かべた。胸の奥がじんわりと温かくなり、目元が熱を帯びる。

 

「二人とも、ありがとう。そう言ってくれると嬉しいわ」

「わたしもっ! フィオナがくるの、たのしみなんだからっ」


 三人を見ていたエイリンが、シボーンとセーマスの間を割ってフィオナに迫る。勢いよく目の前に現れたエイリンの顔に、フィオナは慌てて尻もちをついた。パチパチと瞬きしてからじっと見つめていると、エイリンがそのまま固まった。シボーンは口に手を当て目をまん丸に、セーマスは白黒させた。

 

「フィ、フィオナっ! ごめんなさいっ」

 

 慌てて手を上げたり下げたりと忙しいエイリンに、フィオナは思わず息を漏らす。

 

「ふふっ。エイリン、大丈夫だから落ち着いて……ふっ、あははっ」

「あはははっ。エイリン、おもしろいかおっ」

「ふはははっ、フィオナ……ころんだのにわらってる」


 笑い出した三人を見比べて、シボーンは口をへの字にした。それでも笑い続ける様子に頬を膨らませるが、やがてつられて一緒に笑い声を立てた。

 

 フィオナは顔のこわばりを感じて、自然に笑えているのかわからない。リュミエルがくるまでは、子供たちともこんなに笑ったことはなかった。硬かった表情が自然になったのに、いつの間にかまた元に戻っていたのだ。そのことに気付いて、胸の奥が締め付けられる。

 

 あのエルフが現れてから、フィオナの気持ちは忙しない。腹が立ったり、驚いたり。思わず声を立てて笑ったり――悔しくて、悲しくて、涙が止まらなかったり。こんなに感情が揺れるのは、いつ以来だろう。いや、初めてかもしれない。

 

「フィオナっ、きょうはだれのおうち?」

 

 シボーンに顔を覗き込まれたフィオナは、我に返って立ち上がる。スカートの後ろを軽く払い、三人を見比べた。

 

「今日は、村長さんのお家と、足りないお薬が無いか皆に聞いて回る日よ」

 

 フィオナの言葉が終わると、三人の子どもたちは顔を見合わせる。頷きあったシボーンとエイリンが、慌ててフィオナの左右に回り、素早く手を取った。

 

「ああっ、ずるいよっ! ぼくもフィオナと手をつなぎたいのにっ」

 

 シボーンとエイリンは聞こえない振りで澄まし顔だ。フィオナは眉を下げて、「セーマスは、次来たときにお願いね」と声を掛けた。

 

「やくそくだよっ」

 

 セーマスの嬉しそうな声で紡がれた『約束』の言葉に、またしてもリュミエルを思い出したフィオナは、苦い笑みを浮かべた。

 

 四人はそのまま村の中心へ歩いていった。村長の家がもうすぐという所で、大人たちが集まっているのが目に入る。

 

「あ、かあさんっ」

 

 エイリンが声を上げると、メイヴが振り向きすぐに眉を顰めた。フィオナの胸がずきりと痛み、エイリンの手を握る力がふっと緩む。

 

 それまで輪になって話していた村人たちは、ぱたりと話を止めて、一斉にフィオナへ視線を向けた。注目を集めたことで、フィオナの背筋に一瞬冷たいものが走った。腹の奥がすっと冷え、視線が痛くて逃げ出したくなる。

 

 足りない薬は無いか、聞かなければならないと思うのに、言葉が上手く出てこない。喉の奥に石が詰まったような気がして、額に汗が滲んでくる。幾人かの村人が顔を見合わせ目配せしているが、誰も口を開かない。ごくり喉を鳴らし話しかけようとした所で、奥の方から村長、マロックの声が響いてきた。

 

「ああ、ご苦労さん。儂の薬を持ってきてくれたのかね」

 

 フィオナは一瞬肩を揺らし、そっとシボーンとエイリンの手を引き抜いた。

 

「はい……もし必要でしたら」

 

 じっとりとした掌を握りしめ、喉をゴクリと鳴らした。心臓の音が煩くて、マロックの返事を聞き逃してしまいそうだ。

 

「何を言っとるんだ」

 

 さっと顔から血の気が引き、指先が瞬く間に体温を失う。周囲の村人たちは一瞬ざわりとするが、すぐにマロックの様子を窺うように黙り込んだ。

 

「あんた以外の誰から薬を貰うんだね。儂はあんたの薬がなけりゃ、明日にでもくたばっちまう」

 

 呆れたような表情を浮かべたマロックに、フィオナは目を見開いた。冷たく震える指先で鞄を開けて、慌てて薬を取り出した。

 

「あの……今日お届けする分です」

「ああ、確かに」

 

 薬を受け取ったマロックは、いつも通りの代金をフィオナに渡す。フィオナは掌に置かれた硬貨を見つめ、ふっと小さく息を漏らした。

 

「また何かあったらおっしゃってください」

「次も頼む」

 

 薬を受け取ったマロックは、村人の間にできた道を涼しい顔で通り抜け、ゆったりとした足取りで去っていった。

 

 村人たちはこそこそと囁き合う者、困惑の表情を浮かべてマロックを見送る者。フィオナを訝しげに見つめる者など様々だ。命の種を使ったことで、誰も受け入れてくれないかも知れないと思っていた。しかし、村長であるマロックが最初に声を上げたお陰で、村としては必要な薬草師だと認められたことになるだろう。フィオナはそれだけでもよかったのだと、ほっと胸を撫で下ろした。

 

 その時、フィオナを遠巻きに見ていた村人の中から、一人の男が前に出て来る。

 

「あ、あのっ……」

 

 躊躇いがちに声を掛けてきた男に、フィオナはびくりと肩を跳ねさせた。唇を結び、男を見つめる表情が強張った。そんなフィオナを三人の子どもたちが不思議そうに見上げる。フィオナはそんなことにも気付かず、固唾をのんで男の次の一言を待った。

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