3-3
「皆っ、聞いてくれって!」
駆け込んできた男は、立ち上がり両手を広げて人々の注目を集めた。
「エルフだっ! エルフが助けてくれたんだ」
再び広間はざわめきに包まれ、フィオナは下を向き唇を噛んだ。
「エルフが助けてくれたって……どういうことだ?」
「川が原因だからって、浄化してくれたんだ!」
「エルフが……我々人間のために?」
「そうさっ!」
わっと広間に歓声が上がり、村人たちは口々にエルフを称えた。そのとき、村人の一人が扉に現れた影に気づき、「エルフだっ!」と声を上げた。歓声や囁きが一瞬で収まり、全員が扉に視線を向ける。広間を這う空気が冷たさを増した。
「違うよ」
扉の外から姿を現したリュミエルは、不満そうに眉を寄せた。フィオナは胸元を握りしめ、震えそうになる膝に力を込めた。
「どうして僕が人間なんかの為に……」
リュミエルは広間を冷めた視線でぐるりと見回した。その中にフィオナを認めた途端に淡く微笑む。その笑みに、周囲の人々が息を呑み、瞬く間に頬を染めた。
「フィオナっ。遅くなってごめんね、思ったより手間が掛かって……」
フィオナは「頼んでない」という言葉が喉元まで出掛かり、ぐっと堪えた。飲み込んだものが、石のように重く胸に伸し掛かる。自分では川の浄化はできないのだから、ここは喜ぶべき所のはずだ。けれどそれを口に出すこともできず、押し黙った。
「ああ、それから。これ……使って」
リュミエルは腰に下げた袋の中からひとつの実を取り出し、フィオナの前に掲げた。フィオナは目を見開き、口を開きかけるが何も言えずにそのまま閉じた。目の前に差し出された実を、複雑な思いでじっと見つめた。
「い、命の種……」
誰かがぽつりと呟いた。静まり返っていた広間に、その一言が思いの他大きく響く。まるで静かな水面に、波紋が広がるかのように。声が隅まで行き渡ったであろう間を置いて、一気にざわめきが広がった。
「いっ、命の種だと?」
「やった! あれを飲めば助かるっ」
「ああ、娘もこれで……!」
村人たちの声に押されるようにして、フィオナはそっと両手を出した。リュミエルはその掌に静かに実を乗せ、フィオナに微笑み掛けた。
「少しはフィオナの役に立てた?」
フィオナは顔を歪め、小さく「助かるわ」と掠れ声で返した。リュミエルに視線を合わせることができずに、手の中の実に視線を落とす。
ブレナンに湯を沸かすよう頼むと、腫れた手で布に実を包み、木槌を使って慎重に砕いた。それを大きなすり鉢で粉状にしたところで、湯が沸いたと声が掛かる。そっと湯の中に粉を入れ、ゆっくり煮出した。最初は濁った灰色が、徐々に透き通り始める。やがてそれはあたたかな黄金色に輝き、フィオナが掻き回す度に光を放った。村人たちはその様子に息を呑み、瞬きも忘れて食い入るように見つめている。
フィオナは液を更に水で薄め、水差しに移した。ブレナンを始め、患者の付き添いで来ている者たちに水差しを配り、一口ずつ飲ませるようにと言い含めた。残りは家に返した患者の分だが、充分行き渡るだろう。一番症状のひどかったコーマックとグレアムのところへ向かい、命の種の効果を確かめる。
「コーマックさん、具合はどうですか?」
「ああ、さっきまでと違って急に具合が善くなってきた」
フィオナはグレアムに視線を移した。
「俺もだっ! 嘘みたいにスッキリしてきた」
ほっとすると同時に、フィオナの腹の奥に黒いものが溜まっていく。場違いな気がして早くここから抜け出したいという思いに駆られた。
「ねえ、コーマックとグレアムって、前にチビちゃんが言ってた、森に入った大人だよね?」
リュミエルの美しい声に、広間の視線が再び集まった。いつの間にか音も無く側に立つリュミエリに、フィオナは今更驚くこともない。
「……そうね」
フィオナはリュミエルをまともに見ることができず、視線を落としながら答えた。
「君たち二人は、どうして森に入ってたの?」
リュミエルの言葉に、コーマックとグレアムはさっと顔色を悪くする。その様子をフィオナは訝しげに見つめた。
「ど、どうして……とは……」
リュミエルは腕を組み、二人を冷めた顔で見下ろした。
「川の上流に、大量の毒草が捨ててあった。川やその周辺が汚染されたのはそのせいだ。あれを捨てたのは、誰?」
コーマックとグレアムはびくりと跳ね上がり、「捨てたわけじゃ」とか、「後で使うつもりで」などと呟いた。ガタガタと震え出したのは、さっきまでの寒気とは別のものだろう。
「……やっぱり、心当たりがあるんだ」
リュミエルの言葉に、ブレナンが口を挟んだ。
「おいっ、ちょっと待て! そんなことして困るのは、こいつらも一緒だろ? なんだってそんなことを……」
コーマックとグレアムは、震えたまま蒼白な顔で俯いている。
「僕は別にどうでもいいんだけど……」
「私は理由が知りたいわ」
フィオナはコーマックとグレアムを交互に見比べた。リュミエルは「だよね」と小さく呟く。
「食べ慣れた野草とか、見慣れた薬草を摘むならわかるけど……どうして毒草を?」
「これだけの人間に迷惑を掛けたんだ。だんまりは無しだぜ?」
ブレナンの言葉に二人は顔を見合わせ、気まずそうにフィオナにちらと目を向ける。すぐに逸らされた視線はそのまましばらく彷徨い、ブレナンを見上げた。
「や、薬草だと思ったんだ……」
「は? 薬草ならフィオナから買えるだろ」
「いや、だから買わずに済むように……」
フィオナの顔からさっと血の気が引き、両手を強く握りしめる。ブレナンは不機嫌そうな態度を隠しもせず、二人をジロリと見下ろした。
「お前ら、フィオナの薬に不満でもあるのか?」
「い、いや……その……」
もごもごと口籠る二人に、広間の村人たちが囁きながら、冷たい視線を向ける。
「も、森に入ったら、いつも貰う薬草に似た草を見つけて……」
「村からすぐの場所でも採れるなら、わざわざ買わなくても……簡単に作れるんじゃないかと思ってっ」
「……他所から流れ着いた得体の知れない娘に頼らなくても、自分たちで何とかできるんじゃないかと」
「お前らっ」
フィオナは、今にも怒鳴り出しそうなブレナンの名を呼び、続きそうな言葉を止めた。小さくため息を吐き、諦めたような視線をコーマックとグレアムに、更には広間全体へと巡らせた。
「いいのよ、ブレナン。私を信用できない人がそれなりにいるってこと、ちゃんとわかってるから」
「フィオナっ」
広間の村人たちの中には、眉を下げフィオナを見つめる者もいるが、多くが視線を逸らして目を伏せた。
「責めるつもりはないわ。私だって皆に歩み寄ることを避けてるんだから。そんな私の薬でも、少しでも役に立てば、それでいいって思ってた」
フィオナは静かな瞳でゆっくりとリュミエルを見上げた。
「それに結局役に立ったのは、命の種よ。それが全てでしょう」
肩を竦めて薄く笑みを浮かべると、リュミエルが眉を寄せた。ブレナンが何か言おうと口を開いたところで、広間の村人たちが声を上げる。
「そうだ、エルフ様のお陰で病も川も、全てが助かったんだ」
「ああ……そうだ、エルフ様の力で、何もかもあっという間に元通りだ!」
同じ様な声は瞬く間に広間中を駆け巡っていく。
「で、でも……薬草師のお陰で今までもってたのよ……」
躊躇いがちな誰かの声は、リュミエルを称える言葉の数々に搔き消されて、フィオナの耳にも届かなかった。
リュミエルの周りにできた輪は徐々に厚みを増し、フィオナはその場を離れようと後退る。視線の合ったリュミエルが、一歩フィオナに近付こうとした。フィオナは首を横に振り、するりとその場を離れる。賑やかな広間をそっと抜け出し、扉を潜り外へ踏み出した。
夜の空気は一層冷たく、フィオナは思わずぶるりと身震いした。川の様子が気になり、そちらへ足を進めた。風になびく草がサラサラと音を立て、フィオナの凪いだ心をそっと撫でる。
川の流れる音が耳に届く頃、月に照らされキラキラと輝く水面が見えてきた。ゆっくり近付き覗き込むと、魚は戻っていないが底まで透き通り、その流れは穏やかだ。
そのまま川上に向かっていくと、何かの焦げた匂いが鼻についた。黒い塊が目に入り、その前にしゃがみ込む。塊は、コーマックとグレアムが刈ったであろう毒草だ。リュミエルが浄化して燃やしたのだろう。人間には浄化も、これほど大量の草を一度に燃やすこともできない。フィオナは毒草の残り粕をじっと見つめ、ふうと息を吐いた。これは、フィオナがいつも煎じて使う痛み止めに、少しだけ似ている。薬草に詳しくなければ、間違えることもあるだろう。
原因と結末を見届けたフィオナは、そのまま森へと引き返した。夜空に浮かぶ丸い月の光も、フィオナの足元までは届かない。薄暗い夜道の森は心細く、フィオナはすぐに草花との対話魔法を開く。どうせ村人たちは広間でリュミエルを持て囃すのに夢中で、森の中に注意を向ける者などいないだろう。もしいたとしても、どうでもいいような気もした。
《フィオナ、元気だして》
《僕たちは見てたよ》
フィオナは目を閉じ、小さく微笑んだ。
「ありがとう。でも……あんまり役には立てなかった」
草花たちはフィオナの歩く先々で、頑張った、見てたと声を掛けてくれる。しかし、森の粗末な家に近付くにつれ、その声は小さくなっていった。薬草を乾かすときに使いすぎたマナは、疲労の限界を超えたフィオナの身体では回復に至らない。一晩寝ても、完全には戻らないほどに擦り減っていた。
意識して閉じた訳でもなく、自然に対話魔法がぷつりと途絶えた。重い足を引き摺り、ようやく家に辿り着く。痺れる腕で開けた扉を閉じ、息を吐いて寄り掛かった。震える膝から力が抜け、そのまま床にずるずると座り込んだ。
抱えた膝に額を押し付け目を瞑ると、さっきの広間の様子が脳裏に浮かぶ。リュミエルが悪い訳ではない。人に関心がないと言いつつ、助けてくれたのだから。
顔を上げたフィオナは、誰かを救いたくて何度も薬草を擦り潰し、赤く腫れた自分の手をじっと見つめた。無様なこの手は一体何のためにあるのだろう。誰一人として救えなかった。結局何もできなかった。薬草師としてなら人に頼られ、何かを残せると思っていたのに。
ぽたりと雫の落ちる音が響き、フィオナのスカートに小さな染みが広がった。見つめた掌が滲み、指先だけでなく目までも熱を帯びていく。雫が落ちる度に、枯草のように自分が萎れていくような気がして、情けなさが込み上げた。
はらはらと流れ落ちる涙は、止まることなくフィオナの頬を濡らす。空に浮かぶ月は雲に隠れ、森は暗闇に堕ちていった。




