3-2
フィオナは何度も家と森を往復した。いつもならある程度は自然に乾燥させる薬草も、今日は風魔法で一気に仕上げる。フォーラを入れるなら、効果が落ちることはない。使いすぎれば癖になるので普段はほとんど使わないが、今回ばかりはそうも言っていられない。匙加減は薬草師の腕の見せ所だ。
大量に乾かした薬草は、なるべく沢山持ち運べるように粉にする。手持ちの中で一番大きなすり鉢とすりこぎを取り出し、勢いよくすり潰した。とにかく量が必要だ。
繰り返す内に徐々に腕が痺れて、感覚がなくなってきた。ごりごりと擦れる音が耳につき、フィオナの気持ちを波立たせる。次第に香りも分からなくなり、何をすり潰しているのかも怪しくなってきた。焦る気持ちをどうにか抑えて、丁寧に仕上げていく。
粉にし終えればまた薬草を摘みに森に入り、エンバの前をなんども往復した。その度勇気づけられるような気がして、籠を持つ手に力がこもる。
いつの間にか森が夕焼け色に染まり始め、村に行くのも苦労しそうだ。暗くなる前に一度薬を届けなければならないだろう。まだ潰し終えていない分も大きな布に包んで背負い、フィオナは粗末な家を後にした。
足が重くて思うように進めない。多くのマナを消費したせいで、身体が怠くなってきた。本当は少し休みたいところだが、今はそんな暇もない。苦しそうな村人たちの顔が頭に浮かび、口を引き結んで必死に歩き続けた。
ようやく村が見えてきた所で、一人の男がフィオナの方へ走り寄ってきた。
「荷物は俺が運ぶから、早くあいつらを診てやってくれっ」
フィオナは頷き、背中の薬草を男に渡した。村長の家へ急ぎ向かうが、額からは汗が滴り、震えそうな膝に歯を食いしばる。
ようやく到着して扉を開くと、広間の人の数は予想どおり――いや、予想以上に増えていた。広間をぐるりと見回したフィオナは、ごくりと喉を鳴らした。背中を伝うものは額のそれとは違い、冷たく嫌な汗だ。これほどの人を、自分一人で救えるのだろうか。
「フィオナっ!」
振り向くと、ブレナンが青い顔に汗を滲ませ、焦ったように走ってきた。
「薬が足りないっ。あれからどんどん患者が増えて……もう村のどこにも無いんだっ」
「新しい薬草を持って来たけど、これ以上患者が増えないことを祈るしかないわ。とにかくやれるだけのことをしましょう」
「ああ……そうだな。俺にできることがあれば言ってくれ」
「コーマックさんとグレアムさんの具合はどう?」
まずは一番ひどい症状を訴えていた二人の様子が気になる。フィオナはブレナンに問いかけながら、人の間を縫うようにして慎重に足を進めた。
「二人ともあまり薬の効果が出てないみたいだ。さっきから寒気がするって震えてる」
フィオナは額に浮かぶ汗もそのままに、コーマックの横に膝を付く。コーマックは小さく震えながら、獣の毛皮に包まっていた。
「コーマックさん、薬を飲んでから何か変わったことはありますか?」
「吐き気は、少しマシかも知れん」
フィオナは頷き、さっき飲ませたのと同じ薬草に、フォーラの汁を少し足した。これでしばらく様子を見ることにする。次にグレアムにも話を聞き、同じように薬を作った。
集まっている村人たちも次々に診察するが、追加の薬草もあっという間に減っていく。まだすり潰していないものはブレナンに任せ、村人たちの様子を見て回った。軽い症状で済んでいる者には、沢山水を飲んで休むようにと言い含めて家に帰すことにした。
エンバや草花たちの話によれば、原因は毒草だ。ならば軽症の者は毒素さえ出し切ってしまえば、そのまま回復するだろう。
「ちょっと、薬草師のあんたっ! どうしてうちの人には薬が無いのよっ」
フィオナは不意に肩を掴まれ、危うく転びそうになる。どうにか踏み止まり、掴んだ手の先を見ると一人の女性がこちらを睨みつけていた。
「ブリーさん。旦那さんは、薬が要るほど重い症状じゃないんです。身体から悪い物を出せば、善くなるはずですから」
「どうして他の人には薬を出すのに、うちの人には出さないのよっ」
「ですから、旦那さんは」
「いいから、早く薬を出しなさいよっ!」
広間がざわつき始め、フィオナに不信の目を向ける村人がこそこそと何かを囁き合っている。そこに、少し前に家に帰した村人が慌てて駆け込んできた。
「薬草師さんっ! あんたがさっき家に帰れって言うから」
「どうしたんですか? マクナマラさん」
ただならぬ様子に、フィオナは素早く視線を移した。
「うちの子がっ……家に戻って言われた通り水を飲ませたら、吐き出してっ」
「今どんな風ですか? 意識は?」
「気持ち悪いって震えて、泣いてるんだよっ。助けてくれよ、頼むよっ」
マクナマラはシボーンの父親だ。さっき診たときのシボーンは、薬が必要な程の症状ではなかったのだが。いつも元気にフィオナの手を取り、明るく笑うシボーンの顔が脳裏を掠める。振り切るように手を動かし、薬草を混ぜ合わせた。子供に合わせてほんの一滴、慎重にフォーラの汁を垂らす。
「一度に飲ませず様子を見ながら、二時間ごとに三分の一ずつ飲ませてください」
落ち着かない素振りのマクナマラにしっかりと言い含めて、薬を渡した。それを見て、今まで文句を言っていたブリーが声を荒らげる。
「あんたっ、どうしてうちの人には出さない薬をそっちの人には渡すのさっ!」
「ブリーさん、聞いてください」
「うちの旦那、いつも元気で……昨日まで普通に仕事だってしてたのに。どんどんひどくなって、こんなに具合が悪そうなのは初めてなんだっ。頼むよ、うちの人にも薬を……」
フィオナはなるべく落ち着いた表情を心がけながら、一言ずつゆっくり答えた。
「ブリーさん、落ち着いてください。広間をよく見てください。皆、苦しいんです。私は薬草師として、ここにいる皆さんの具合を診ました。その結果私の判断で、薬の必要な人とそうでない人を分けました。さっきみたいに、状態が変化することもあります。必要であれば、薬は出します」
フィオナはゆっくりブリーの夫に近寄り、膝を付いてその背にそっと手を添えた。
「キーランさん、何か変化はありますか?」
「いいや……善くも悪くもなってない」
「もし、お水が飲めなかったり、痺れが出たり、変わったことがあったら教えてください」
「ああ」
力なく答えたキーランの背を、祈る気持ちで擦る。フィオナはゆっくり立ち上がり、手の震えを隠すようにぎゅっと握りしめた。
「ブリーさん、旦那さんにはまだ薬は必要ありません。でも、必要な状態になるかも知れません。家に帰って、お水を沢山飲ませてあげて下さい。もし変わったことがあったら、すぐに知らせにきて下さい。お願いします」
視線が揺らがぬように、意識してブリーをしっかり見つめる。ブリーは躊躇いがちにフィオナとキーランを見比べて、やがてゆっくり肩を落とした。
「……そうかい。怒鳴ったりして悪かったよ。ひとまずあんたを信じるしか無い……何かあったらまた頼むよ」
ブリーは夫に肩を貸し、ゆっくり村長の家を後にした。その後ろ姿を見送りながら、フィオナは自問自答する。キーランは本当に薬が必要なかったのだろうか。偉そうなことを言ったが、絶対の自信などない。でも、それを悟られればこの大勢の村人たちは、どれほど混乱するだろう。不安な顔など見せてはいけない。迷いを気付かれてはならない。
フィオナは人知れず小さなため息を零し、再び村人の診察に戻った。ふと人影に気づき見上げると、ブレナンが口を開いては閉じてを繰り返し、なにか言いたげにこちらを見ている。
「どうしたの?」
「いや……相変わらず気の強いやつだと思って」
フィオナは眉を顰め、両手を強く握りしめた。
「何よそれ……私がどんな気持ちで」
フィオナは言いかけて口を噤んだ。ブレナンに何かを言っても無駄なことだ。この村の誰とも気持ちをわかり合うつもりなどないのだから。
「ち、違うんだ、フィオナっ。くそっ、俺はいつもこうだ。そうじゃなくて……」
「ブレナン、お喋りしてる暇は無いの。早く次の人を診なくちゃ」
「あ、フィオナっ」
慌てて声を上げたブレナンに背を向けて、再び薬草を混ぜ始めた。何とかしなくては。そうでなければ、本当に独りでただ消えてしまう。森の奥でひっそりと、孤独に終えようと思っていた。だが、それは本心では無かった。普通に人の中で暮らすことが難しくても、誰かに必要とされて生きたいと願っていた。リュミエルと出会ったせいで、嫌でも気付かされた。愛し愛される相手がいなくとも、誰か――たった一人でいいから、忘れずにいて欲しい。
フィオナは気持ちを切り替えて、村人の診察と調薬を繰り返す。フォーラの実も使い果たし、薬草も底を尽きそうだ。村人たちの症状は一進一退の状態を保っている。しかしこのままでは、薬草だけでなくフィオナの体力も持ちそうにない。
さっきは取り繕ったが、同じ事がもう一度起きれば、次は駄目かもしれない。限界を迎えた身体が悲鳴を上げる。すでに薬草の匂いは分からない。目が霞み、流れる汗が止まらない。薬草をすり潰した指は、赤く腫れている。ずっと胃がキリキリと締め付けられるように痛み、フィオナの心は折れそうだ。
そのとき、入り口の扉が開かれ、夜の冷えた風が広間にすっと流れ込んできた。密度の濃かった空気が薄くなり、自然と人々の視線が扉の方へ集まった。
「か、川がっ!」
慌てて駆け込んできた村の男が、息を切らして倒れ込むように膝を付いた。
「川が、戻った! 澱んでた川が、すっかり綺麗になったんだ!」
フィオナだけがひゅっと息を呑み、一人その意味を悟る。
「お前、何を突然……。川が綺麗になったからって、なんの意味があるんだ」
「この病気の原因は、川のせいだったんだっ! 川が元に戻れば、病気も治るっ。皆、助かるんだ」
様子を窺っていた村人たちは、男の言葉にざわめき始めた。
「川が戻っても、ここにいる者たちが治ることにはならんだろう」
「そうだ。今もまだ苦しむ人間がこれほどいるってのに……川が元に戻ったくらいで騒ぎやがって」
フィオナはこれ以上患者が増えずに済むことに、ほんの少し安堵した。まだ薬が足りないことに変わりはない。でもきっと、もうすぐ自分の役目は終わるのだろう。フィオナは身体の力が抜けそうになり、まだ終わりではないと赤く腫れた手を握りしめた。




