3-1
エルフは一度得た愛を失うと枯れる。自然な別れには穏やかな最期を、裏切りには苦しみを。フィオナは昨日リュミエルから聞いた話を思い出しながら、森の中を歩いていた。
自分たちの祖先がエルフを利用し裏切ったのだから、フィオナにエルフを強く恨む気持ちは無かった。けれど、なぜこんな苦しみを抱えて生きなければならないのか、理不尽だという思いもあった。エルフの寿命は九百年から千二百年程だという。そのエルフが娘と出会ったのは、一体いくつのときだったのだろう。それから幾年苦しんだのだろう。いや、もしかしたら今も苦しんでいるのかも知れない。
さわさわと揺れる草たちの中に、細く色褪せた枯れ木が目に入る。エルフでは無いのだろうが、どことなく物悲しさを感じた。ただの枯れ木ですらそう思うのに。苦しむエルフの姿を思い浮かべると、自分の祖先の方を恨みたくなってきた。
リュミエルの話を聞く内に、腑に落ちないこともあった。初めて会ったとき、リュミエルはこう言った。
『君を見てると、人を愛せない呪いの一族を思い出すよ』
だからきっと、呪いのエルフを知っているのだと思った。絵本をくれたというリュミエルの祖父が、呪いの元凶かもしれないとも。けれど、昨日の話ではエルフが愛せるのは生涯に一人だけだ。リュミエルの祖父ということは、そのエルフは子を設けたことになる。伴侶のいるエルフが、人間を愛して呪うなんてことがあるのだろうか。
一人頭を悩ませてみても、答えなど出るはずもない。けれど、リュミエルに聞くのも躊躇われた。もし呪いのエルフがリュミエルの祖父だったら、フィオナはどうするのだろう。一方で、違っていたら。どちらにしても、どうにもならないのだ。フィオナは誰かを愛することはないし、リュミエルも例外ではない。そもそもこんなことを考える時点で、どうかしている。
そう言えば今日はリュミエルが顔を見せない。けれど昨日あんな話をしたばかりだから、無理もないかと思い直す。それにしても、さっきからリュミエルのことばかり考えているような気がする。そんなばかなと大きく首を左右に振って、頭の中から追い出した。
気を取り直して草花との対話魔法を開くと、突然沢山の声に囲まれた。
《フィオナっ!》
《大変だって言ってるのにっ》
《早く早くっ》
彼らの声に顔を顰めて、思わず耳を塞ぐ。そうしたところで止むわけもなく、フィオナは慌てて声を上げた。
「待ってっ! 皆で同時に話したら、聞き取れないから」
草花たちが一斉に黙り込み、フィオナはほっと息を吐いた。
「ねえ、落ち着いて教えて。何が大変なの?」
《村が大変だって》
《病気の人がいっぱい!》
目を見開いたフィオナは、一瞬後に眉を寄せた。ついこの間村に行ったときは、特に変わった様子はなかったはずだ。ここで草花たちに話を聞いても、きっと詳しいことはわからないだろう。まだ何か言い足りないようで、騒がしくて仕方ない。
「ありがとう」と声を掛けると、一旦対話魔法を閉じ、急いで家に戻った。
扉を潜ると摘みかけの薬草が入った籠を置いて、よく使う薬草を掻き集めた。持てるだけのものを鞄に詰め込み、すぐに村へ向かって走り出す。いつもは重い足取りで進む道も、景色があっという間に過ぎていく。息が上がり額に汗が滲むが、気にせずそのまま走り抜けた。
もうすぐ村に着くというところで、こちらに向かって誰かがやってくる。目を凝らしてみると、ブレナンだ。
「フィオナっ! ちょうどよかった、今呼びにいくところだったんだっ」
「何か、あったの?」
ひりつく喉から出る声は、息が混じって掠れ気味だ。
「俺にも何が何だか……具合が悪いって奴がどんどん増えて。うちの爺さんと親父も寝込んじまったんだっ」
「わかった。まずは診てみましょう。一番重い症状の人は、どこの家?」
「一番ひどいのは、コーマックとグレアムだ! 具合の悪いやつは全員うちに集めてある。それでいいんだろう?」
「ええ、助かるわ。急ぎましょう」
再び走り出したフィオナに、ブレナンが慌ててついてくる。すぐにフィオナを追い越して、村長の家へ向かって真っ直ぐ進む。随分前に、具合の悪い者が大勢でたときは、一箇所に集めるものだとブレナンに話したことがあった。なぜそんな話になったのか覚えていないし、言われるまで話したことすら忘れていたのに。
いつも無神経なブレナンに、嫌な思いばかりする。けれど完全に無視できないのは、フィオナとまともに話す人が他にはいなかったこともある。そんなことを考えながらブレナンの背中を追いかけていると、村長の家の前に辿り着いた。
二人揃ってぜえぜえと息を切らし、額の汗を服の袖で拭う。先を切ったブレナンが扉を開くと、いつもはガランとしている広間が半分村人たちで埋まっていた。皆一様に顔色が悪い。
「フィオナっ、こっちだ!」
いつの間にか中程まで進んでいたブレナンが、フィオナを振り返った。促された先にいたのは、コーマックだ。その隣では、グレアムも蒼白な顔で唸り声を上げている。
「コーマックさんっ、お話できますか?」
顔を覗き込むと、うっすら目を開けたコーマックが小さく頷いた。
「具合が悪くなったのは、いつ頃からですか?」
「……一昨日から、少しずつ」
「どんな風ですか? 痛みや吐き気はありますか?」
「腹の辺りが気持ち悪くて……あとは、頭がぼーっとする」
フィオナは急いで鞄から体温計を取り出した。「失礼します」と声を掛け、そっとコーマックの脇に挟み込む。
「お腹の具合はどうですか? 寒気や痺れは?」
「腹も下すし……今日は指先が痺れるんだ」
手早く手帳に書き込み、顔色も確認した。青ざめ視線が揺れているようだ。
「最近何か、変わったものに触れたり、口にしたりしましたか?」
「……特にない」
少し間を置いて答えたことに違和感を覚えるが、きっと不調のせいだろう。
コーマックの薬を用意しながらブレナンに水を持ってくるようにと頼んだ。それを待つ間に測り終えた体温を見て、解熱の薬草も足しておく。戻ったブレナンに薬を渡すと、すぐ隣のグレアムの方へ移動した。
同じように繰り返し状態の酷い者から順に話を聞くが、症状は皆おなじようだ。原因になりそうなものは特に見当たらない。まだあまり具合の悪くない者たちに、心当たりがないか尋ねるが、誰もが首を傾げた。
いつものように朝起きて、川へ洗濯や釣りに行ったり。ついでに野草を取ってきて、魚と一緒に食べたりといったものだが、どれも日常と変わらない。強いて言えば、ここ最近魚がほとんどいないといったところだ。フィオナの脳裏にふと草花の言葉が蘇った。少し前に、川上の様子がおかしいと言っていた。気にはなるが、今は具合の悪い者の手当が先だ。
手持ちの薬草を全て配り終えて、あたりを見回した。この様子だとまだ病人は増えるかもしれない。今ある薬草だけで、ここにいる者が回復するとも思えない。額の汗を拭いながら、フィオナの言ったとおりに薬を飲ませて歩いているブレナンを捕まえる。
「一度森へ行って薬草を取ってくるわ。持ってきたものだけじゃもう足りないの。もし誰かの家に同じ薬草が残っていたら、持ち寄ってもらってちょうだい。今までと同じ要領で飲ませてあげて」
「ああ、任せとけ!」
「なるべく急いで戻るから、それまでお願い」
「わかったっ。フィオナ……頼む、皆を助けてくれっ」
「手を尽くすわ」
フィオナは鞄を肩に掛け、来たときと同じように急いで扉を潜り抜けた。再び肩で息をしながら森の中を駆け抜ける。家にたどり着くと、大きな籠を抱えて森の奥へ分け入った。
「ねえ、村の人たちはどうしてあんなに大勢が苦しんでるの?」
早速対話魔法を使い、草花たちに問いかけた。
《あいつらのせいだっ》
《自業自得さ》
彼らは口々に村人を非難するが、要領を得ない。焦る気持ちを抑えて、しばらくの間考えながら歩いた。そうしてこの森一番の大木、ニレの樹の前に立った。
このニレは長く生きているので知識が豊富に違いない。普段は対話魔法を使っても、あちらから話し掛けてくることは無い。トネリコのアスクはいつでも応えてくれたが、このニレはどうだろうか。
じっとりと汗の滲む両手で、ざらつく表面にそっと触れる。掌を押し当ててから目を瞑り、祈るような気持ちで声を掛けた。
「お願い、ニレの樹。私の声に応えて」
森の中はしんと静まり返り、今まで村人の文句を言っていた草花たちも口を閉ざした。さわさわと風が流れ、大木から一枚の葉が舞い落ちる。その葉がフィオナの肩に触れると、低く落ち着きのある女の声が静かに響いた。
《孤独な薬草師、フィオナ。我に何を聞きたいのだ》
フィオナは大木を見上げてから、そっと額を押し当てる。
「応えてくれてありがとう、ニレの樹。貴女は私を知ってるの?」
《知っている。我が名はエンバ。お前がかつて心を通わせたトネリコ、アスクと対を成すものである》
「アスクを知ってるのね」
《我らは古の時代、北よりエルフによって運ばれた無二の存在。常に互いが繋がっている》
「そう。だから応えてくれたの?」
《そうだ。お前が尋ねることに、応えてやれと頼まれた》
フィオナは小さく笑みを浮かべ、強く優しいアスクの姿を思い出す。どっしりと根を張り、風に吹かれてさらさらと揺れる葉は、いつもフィオナを元気付けてくれた。
「エンバ、お願いがあるの。村で多くの人が苦しむ病の原因を教えてくれる?」
エンバは一度葉を揺らし、声を低くする。
《あれは、人間が自ら撒いた種だ》
フィオナはエンバを見上げ、目を瞬いた。
「草花たちも同じようなことを言ってたけど、どういう意味?」
《奴らは村の近くにある森で、大量の毒草を刈った》
「なぜそんなことを?」
《我らは与り知らぬこと》
「でも、毒草を刈っただけで、どうしてあんなに沢山の人が苦しむことになるの?」
エンバは一度ざわりと葉を揺らした。
《刈った大量の毒草を、川上に捨てた》
「毒草を川上に? そんなことしたら水辺の生き物は……」
《故に、動物が移動した。そして、川から魚が消えた》
「じゃあ村の人たちが苦しんでるのは、毒に侵された水を使ったり、近くの野草を口にしたから?」
《然り》
「それなら、毒消しが要る」
《この森にお前の望む毒消しは無い》
フィオナはゴクリと喉を鳴らした。いくら草花と話せても、エンバに知識を与えられても、ここに無いものはどうにもならない。
「何か、代わりになるものは無い?」
《今ある薬草にフォーラを混ぜる以外ない》
フォーラは森で怪我をしたセーマスに使った、薬草の効果を高める実だ。無いよりはいいだろうが、毒を消すものではない。体力の続く者は何とかなるだろう。しかしそうでない者は、毒が排出されるまで命が持つか分からない。だが今は悠長に考えている時間も無い。この森にあるもので、できる限りのことをするまでだ。フィオナは覚悟を決めて、ギュッと唇を噛みしめた。
「エンバ、応えてくれてありがとう」
《お前が望むなら、我はいつでも応えよう》
エンバの声にほんの少し肩の力が抜ける。フィオナは気持ちを切り替えるように大きく深呼吸をした。手早くたくさんの薬草を集めるために、大きな籠を抱えて目当ての薬草へ手を伸ばした。




