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 青年が早急に転移した理由は勿論、魔界滅亡の瞬間を良い席で見る為、そして其の手段として上層部に宛がわれた席を実力行使で奪取する為ではない。

 青年は実力者であるが、幾ら扱える魔力が脅威と表される程度であっても大神が相手では文字通り太刀打ち出来ない。手も足も出ないと迄は言えないかもしれないが、如何贔屓目に語っても掠り傷1つ2つ負わせる事が出来れば上々といったところだ。

 身分が大抵の場で物を言う神界に於いて、幾ら実力は確かであっても此れという位を持たぬ青年では大神と容易に話す事も出来ない。魔界滅亡の攻撃について実力行使で止める事も、直談判で交渉する事も出来ない有様。其れは如何見ても詰みに思えるが、そう。青年が太刀打ち出来ぬのは神界に限って言えば大神だけであり、上層部であれば大神との会話が容易である事を青年は知識として持っている。先のやり取りで理性が焼き切れる痛みと引き換えではあったが貴重な情報と、其の裏付けも取れた。神界及び天界にとって重要であり天界の要人を迎えての場で助力の申し出が行えるという事は、上層部という肩書きは其れだけで大神と気楽ではないにせよ容易に言葉を交わす免罪符と成り得る。

 其れであれば話は至極簡単。事態を動かせるかは定かで無いものの、事態を動かそうとする試みは青年に許されている。出来れば平和的に、平和主義者(魔界の住人達)に堂々と顔向け出来る綺麗な手段での解決を望んでいたのだが、此処迄事態が悪化してしまえばやむを得ない。

 青年が突如転移してきた事で自室で寛いでいた上層部の1人は、こうした場でさえなければ腹を抱えて笑ってしまう程勢い良く飛び上がり、惨めな情けない声を発した。先程迄優雅に腰掛けていた立派な椅子を蹴飛ばすばかりの勢いでそそくさと、これまた立派なカーテンの裏に隠れてしまう。此の儘何処かへ転移されるのは厄介だと転移を封じる魔法を簡単に編んで、青年は口を開く。

 まったく、此の体たらくで自尊心だけは高いというのだから厄介である。しかし此の人物は青年の記憶と違わなければ、青年が魔界に居る間権力争い其の他諸々に破れていなければ上層部の中でも其れなりに上位、大神とも其れなりに会話を交わし易い立ち位置である筈だ。1分1秒を急ぐ今、多少頼りなげに見えてもそうした所から攻めてしまうに限る。


「か、帰ってきてたんだね?し、試練は終わったのかな?下界は如何だった?」

「そんな事は如何でも良いじゃないっすか。第一上層部のお偉方も今は其れ所じゃないでしょ。オレも其れ所じゃない。だからアンタの肩書きを見込んでお願いにきたんす」


 青年を恐れて震え声で問い掛ける内容には応えず、青年は己の用件を淡々と切り出す。

 元より上層部のご機嫌伺い等した事もない青年だが、今は尚更そんな暇はない。或いは少し機嫌をとって交渉をスムーズにする方が善手だと語る者も居るだろうが、事を急いている現状慣れぬ手を用いるのは却って悪手であろう。

 此処に辿り着く前よりそう判断していた青年は既に手の中に攻撃魔法を編みつつ、益々震えを大きくした上層部の1人に最早呆れる暇もなく己のお願いをぶつける。


「オレを大神と話させて欲しい」

「そ、それは」


 カーテンに半身以上を隠したまま、青年の攻撃が恐ろしいのだろう目線は青年の手の中に向けたまま。しかし眼前の人物は首を縦には動かさない。攻撃魔法を見たままの目を白黒させ、益々体をカーテンの中へと引っ込めながらも言葉を選んで青年に反論する。


「ほ、ほら、×××くんも今、其れ所じゃ、って言ったよね?だから分かってると思うけど、今、その、大神様はお話が出来る様な状態じゃ」

「ついさっき迄アンタ等は其の大神サマの前で足手纏いにも関わらず、偉そうに助力を申し出て言い争ってたんだろ?なら今更だと思うっすけどね。其れにオレは今直ぐじゃないと意味がないんす」


 手の中の攻撃魔法を適当に放り投げれば、小さな爆発音と共に部屋にあった家具が幾つか粉砕された。青年としては威力を抑えていたつもりであるが、其れでも破壊力としては十分であった様で豪奢な造りの机や箪笥が簡単にひしゃげ、砕けて、其の破片が部屋の隅で震える上層部が1人の足元迄飛来し、まるで狙ったかの様に其の場でぽとりと落ちた。

 青年としては威力を抑えた小さな攻撃。即座に次弾を作りあげ、交渉(脅迫)を再開しようとするが、次弾が輪郭を生み出す迄も無く相手の方が容易に折れた。

 未だ体はカーテンに隠したまま、先程よりも震えを大きくして、いっそこういった場でなければ青年さえ哀れに思う程声を震わせて彼は青年のお願いを承知した旨を告げる。


「わ、分かった。うん、大神様と話す場を提供するよ。た、ただ、大神様も今は大変な時、大変だから、その、そ、その、ね?」

「分かってるよ。オレだって此の用件はとっとと済ませないと意味が無いからね。だからアンタも急いでほしいっす」


 既に青年の手に攻撃魔法は無いのだが先程の其れが余程トラウマめいているのか、青年の言葉にまたひっと小さく悲鳴めいた声をあげると、其れでもいそいそと転移魔法を紡いだ。一応上層部の其の中でも更に上の方という肩書きは伊達でないらしく、実力は兎も角肩書き上は末端も末端の一般人たる青年には聞いた事もない呪文、恐らくは上層部の中でも許された者だけが使えるのだろう大神謁見の呪文を早口に唱え。

 威圧感。流石の青年も其れを感じた。件の上層部はすぐさま頭を垂れている。先のトラウマに此の威圧感が加わった所為だろう、壊れたカラクリ細工と見紛う程の震え具合である。

 其れ等を確認して青年は件の呪文が終わり、程同時に大神の前に転移したのだと悟った。成る程己の魔力が出鱈目だと言われる事はよくあるが、大神の魔力は其の何倍も上を行くらしい。やはり悔しいが正面から実力行使は無残に大敗を喫するだけだろう。

 大神の顔はフードに覆われ視認出来ないが、其の体がゆっくりと動き青年を捉えた事は分かる。顔が見えずとも確かに此方を見据えていると本能で悟り、其れが大神に対して敬う気持ち等昔から微塵も持っておらず、今は憎悪しか抱いていない青年さえ一瞬臆させる。

 しかしだからと言って此処で臆しているワケにはいかず、此処で臆してしまう程青年に宿る怒りは仄かな物ではない。青年は憎悪と憤怒を湛えた双眸を大神に向け、不敬も何も知らぬと鋭く睨み付けた。


「ねぇ、魔界滅亡、止めてくれないっすか?」


 青年が切り出した言葉に大きく息を呑む音が聞こえる。勿論大神の物ではない。頭を垂れ、震えていた上層部の物だろう。

 己が種族の頂点に立つ絶対者に向け普段と変わらぬ口調で喋りかけ、しかも其の内容が今正に大神其の人が行おうとしている事への制止。普通に考えれば思わず息を呑み、顔面から色という色を喪失させても何ら不思議ではない狼藉だ。もっとも青年にそうした事は無関係であり、大神も目線は青年に向けたまま可哀想な迄に震えきった己の部下とも言えるだろう彼を一切気にも留めていないが。

 大神はただフードの中から青年を見据える。青年もまたフードの中の大神を見射る。沈黙は長く続かず、破ったのは大神の方であった。


「何故?魔界は神界を敬わぬ悪しき存在。魔界の悪事は天界からも聞かされているでしょうに」


 大神であれ反応は似通っている。事情通の旧知(末端共)の反応と大差が無い。

 位が高くなればなる程自尊心が比例するのは何ら妙な話ではなく、また大神とて魔界を無い物と扱っている以上得られる情報は天界が操作した物。反応が似通ってくるのは道理且つプライドの高さから説得はより困難になるだろう。

 改めて突きつけられた事実に青年は肺中の空気を全て吐き出しかねない勢いで溜息を吐きたい誘惑に駆られるも、其れを何とか封じ込めば大神に向けて、己が種族の頂点であり恐らく最もプライドが高い人物に向けて。不敬罪も何も恐れる事無く、思い切り、嘲笑を浮べてみせた。

 空気が凍る瞬間を肌で感じる物の、一々青年に気に留めている余裕は無い。此の際最悪ラベリタの約束さえ反故にする羽目になろうと、己の意志を貫く迄である。とは言えラベリタはそうして得た平和を喜びはしないだろうし、終いにはまたあの廃墟の様に己を責めてしまうだろう事は自惚れ半分ながらも推測に容易い為、自爆覚悟の特攻は極力忌避しようと青年自身思ってはいるが。

 大神を煽り、或いは説得し。出来る限り自衛をして、適わぬのなら魔界滅亡に宛てる力の半分でも此方に向けさせる。上層部を上回る魔力を持った青年の其れ等を悉く見抜いたラベリタだ。全力であれば抵抗の術さえなくとも、半減させれば恐らくは容易とはいかずとも防御しきれるだろう。

 浮かんだ最悪の際の手段を急いで振り払う。とは言え其の間も目線は大神に固定、口元に浮かべる嘲笑は一切を崩していない為、傍目には青年が気でも狂ったか、とんでもない不敬を平然と働いている様に映っているだろう。青年を此処迄連れて来た上層部に至っては許容量を超過したのか、頭を垂れた姿勢のまま器用に昏倒していた。


「世界で最も偉大な種族を自負し、其の頂点に立つ大神サマとあろう者が、たかだか1国の評判を真に受けて評価を下すなんて愚かしい!……アンタ、大神とか言う割には其処迄落ちぶれてるんすか?其れとも単純に馬鹿なんすか?」


 わざとらしく大仰に嘆いてみせる演技を早々に打ち切り、再び常と変わらぬ調子で青年は嘲りの言葉を紡いでいく。そうしながらふと、己の性質故周囲を嘲る等日常茶飯事であったにも関わらず魔界に居る間はそうした一切をしていなかった事に思い至る。

 歪みきった性分の青年でさえ、其れをせずにいられる。其れは正に魔界の住人がやさしく穏やかであるからに他ならない。天界が吹聴し、神界が信じ込む評判、悪しき存在だなんて馬鹿げているにも程があるではないか。思いつつ青年は更に言葉を続ける。大神の反論さえ許さないとでも言わんばかりに。


「天界と魔界の間には長年大戦が続いてる。何処の誰が、己の協力国に敵国の正式な姿を教える?神界からの協力を容易に引き出す為に印象操作をするくらい、考えられる事でしょ?」


 もっとも青年自身其処に至らなかった。否、わざわざ気にもしなかったのだ。

 暫定勇者の事情を知る迄は天界が悪しき手を使っているとは毛頭思えず、別段無い物と扱っている魔界の事は如何でも良かった。其れ故、印象操作が行われている事等、そもそも前提として疑う必要がなかったのだから。

 だから。


「其れが如何した?」


 大神の答えが、其れであっても、何ら不思議はない事。或いは当然の答えですらあった。

 青年は愕然とする。あまりにも急き過ぎた。否、あまりにも自らの手にある駒は少なかったのだ。大神に接触する為の手段なら多くある。しかしいざ其の大神に交渉を持ち掛ける術など、加え感情論に基づかない理論等少な過ぎた。急拵えにしては上々の手段である物の、所詮其処止まりである。青年は、フェリガーデは魔界で暮らし、魔族のやさしさに触れている内に失念していたのだ。

 其の時迄は確かに己も持っていた者。×××(神族の青年)が持っていた感情。存在しないとされている魔界への無感情。其れは神族の誰もが共通して持っている物だった。つまりは神族にとって魔界の真相など其れこそ如何でも良いのだ。ただ神族にとっては己を敬わぬ、其れだけで魔界を恨む十分な動機と成り得る。其処で天界に尽力し魔界滅亡に力を貸すというのは、神族が自尊心の高い種族であるから。其れだけで、魔界が本当に悪しき存在であるかは都合の良い言い訳に過ぎない。

 全身から力が抜け、思わず其の場にへたり込みそうになる。しかし其れを寸での所で堪えれば今此の場で崩壊させるべき理論の方を見据える。つまりは神を認識していないという前提を崩せば良い。魔族の与り知れぬ所で魔族をきちんと知ったフェリガーデが嘘を吐くというのは心が痛むものの、仕方が無い。いざとなれば最悪全てが無事に終わった後で本当の事にしてしまえば良いだけである。


「……つーか認識の相違じゃないっすか?魔族には魔族が敬う神サマが居るかもしれねぇっすよ?」

「神族でなければ神にあらず。魔族に崇められた神族は居ない上、魔族が如何にも好みそうな邪神は所詮創作物の話。神界に存在しない。従って敬っていないでしょう?」


 神とは何だろう。そうした事を思案している場合ではないにも拘らず青年はぼんやりと、そんな事を考えた。

 信仰の象徴。救いを求める者。下界で語られる側面が其れだ。其れに当て嵌まれば神だと言うのであれば、自身に災いを振り翳す天界だけに助力する神族を敬えと言うのは土台無理な話だろう。もしも其れだけで神になるのであれば、彼等にとっての神は自国の平和の為尽力し、時に其の命さえ(なげう)って迄次代の希望を守る歴代魔王こそが神ではあるまいか。

 神とは何なのか。下界が語るもう1つの側面。犯した罪に見合う罰を与える存在。其れが神だと言うのであれば、其れ故恐れろというのであれば、魔界にとっての其れは天界からの攻撃に過ぎない。

 原初如何様にして天界は神を知り、魔界は神を知らなかったのか。其れは定かではないものの、此処数千数万に限れば魔界(彼等)が神界を知る術などない。そして神界を認識せぬ事こそ罪であると断言する大神が此の攻撃を止める可能性は絶無。

 青年が思い起こしたのはあの廃墟。大天使の手も大神の手も加わらず、しかし天界の攻撃だけであの建物はかつての姿の面影無く徹底的に破壊され、其処で当時の魔王の命さえも奪った。当時の魔王がラベリタを守る事に力を注いでいた事を踏まえても其の威力は強大だったと容易に想像出来るだろう。大神も大天使も関わらずに其れ。そうであれば大天使や大神の力が加われば如何なるかは想像に難くない。否、想像さえしたくもない。

 窮地であれば脳の稼働率も上がるのか。はたまた此の窮地を少しでも打破すべく青年自身が脳に打開策を命じたのか。閃いたと同時に青年は転移魔法を熾す。


 青年1人の力では大神に太刀打ち出来ない。無論其れはラベリタ1人の力であっても同様だろう。ラベリタの全力は幸か不幸か今迄に見た事が無い物の、話の過程と己の術を見破られた経験から何となくの想像は付く。物理的な力は弱くとも魔力に於いては神界の上層部相手に立ち回っても引けを取らぬどころか圧倒するだろう事。そして物理面に於いてはラベリタには頼りになる友人であり1番騎士リジーチェが居る。

 事情を明かす時間がどれ程許されているかは分からない。其れでも今魔界に転移魔法で戻れば防御結界を展開するだけの時間は稼げるというのは希望的観測ではないだろう。勿論そうしたところで被害は免れない。人は大怪我を追うだろうし、魔獣も何匹か死んでしまうだろう。建物という建物は倒壊するとみて悲劇的解釈ではない。其れでも、其れでも。其れが幸いか否かは定かでないが滅亡は免れる。復興の芽を残した状態で此の猛攻を如何にかという前置詞こそ必須であってもやり過ごせるだろう。


 そうした理屈は置き去りに思い付いた矢先、青年は転移した。転移を試みていた。しかし其れは、まるで不可視の壁に遮られたかの様に、青年に鈍い感触を残して、失敗した。

 勢いで其の場にへたり込む。体に纏わり付く空気。否が応でも感じてしまう重圧。其処が青年の焦がれ、フェリガーデの暮らす魔界では無く、神界の、大神の前である事はわざわざ視線を巡らせずとも明らかであった。転移魔法が失敗したのだ。では何故。

 大神の御前で複雑な術式が編まれているからか。其れとも。

 突然の事態に混乱、そして唯一の打開策が実行に移せぬ焦燥に呆然と座り込み、しかし其れでも再度転移を試みれば同じ結果に終わった青年に、大神は話し掛ける。其れは何処か穏やかで、幼い子供に言って聞かせる様でさえあった。


「魔族が転移で逃げ出しては魔界滅亡にならないでしょう?だから魔界の周囲に転移防止の結界を施しただけです」


 大神は其の後も攻撃の余波でも喰らっては堪らないだの、不敬の魔族が万が一に神界へ来た事を考えると虫唾が走るだのと好き勝手に呟いていた。其れが青年に向けての言葉であるのか単なる独り言であるのかは定かでない。青年にとっても如何でも良かった。

 青年にとって重要なのは何故今転移に失敗したかの一点であり、其れが明かされた以上大神の言葉を聞いている余裕等消え失せていた。

 魔界への転移が出来ない。転移防止の結界を魔界側に張られているのであれば天界を経緯しようと下界を経緯しようと同じ結果に終わるだろう。今し方思い付いた打開策、世辞にも最善策は愚か次善の策とさえ言えない瑣末で粗雑で、其れでも唯一残された生存の為の藁は過信でなく青年が其の場に居なくては成しえない。否、仮にラベリタの全力が大神と大天使の攻撃を辛うじて或いは苦無く防げる物であったとしても、此の不意の形で仕掛けられる全力。被害の程は想像するだけでもおぞましい。


「話は其れだけ?ならそろそろ攻撃を開始します。折角だ、1番の特等席(此処)で不敬の魔界が滅亡する瞬間を見物していくと良い。望むなら魔術で魔界の様子を中継しても良いぞ」


 黙り込んだ青年の様子を何と判断したか、大神は事も無げに言葉を紡ぐ。魔界滅亡を企て今正に実行しようとしている大神に上層部を脅して迄直訴に来た青年に、嫌味でも何でもなく。此の大神は本心から魔界が滅びる瞬間を此処で見たら如何だと青年に持ち掛けている。

 魔界を救いたいと思い、魔界に平和をと願って神界に戻ってきた青年に対し、待ち受けていた非情な現実を突き付ける為では無い。青年の無力を嘲笑う為でも無い。本心からそう提案しているのだ。

 神族の者は青年がこうして直訴してみせたところで、まさか同族が魔界を心底から大切に想い、魔界が滅ぼされたくないと思っている等想像すら出来ないのだ。其れは恐らく、あの日魔界に訪れていなければ青年とてそうであった様に。

 しかし大神の真意はどうあれ、現状の青年に其れが微塵の嫌味や嘲りの念も含まずに聞こえるかと問われれば肯定はし難い。守ると誓ったのに。上層部さえ余裕で上回る力はしかし肝心な時に無力で役に立たず、危険を知らせる事さえ。

 否。青年の脳裏にもう1つの道が過ぎる。天界の卑劣な行いが露見したそもそもの切っ掛けたる場所。魔界に向かう際、天界の使者(勇者)天界の被害者(暫定勇者)さえも用いる其処は、魔界の入り口。其処から勇者達は己の足で歩んで魔界へと降り立つ。即ち其の過程で転移魔法は用いられていない。

 ならば。

 結論出すより先に青年は転移魔法を発動。転移先は神界の端、所謂入り口であり同時に内側から見れば出口ともなる其処。転移終了と同時に青年は世界の狭間へと足を踏み出し、己の足のみで駆けた。

 大神は転移魔法を封じたと語った。しかし魔界の入り口から己の足で魔界へ降り立つ、其れは転移魔法に非ず。転移魔法に非ずという事は即ち、封じられてはいない可能性があるという事。或いは魔族を外に出さないという大神の目的を考えれば出口としての機能は塞がれているやもしれぬが、入り口の機能迄封じられてはいないかもしれない。最悪其れ位の防御壁なら全力を賭してでも打ち砕けば良いだろう。

 其処迄至ってから駆け出したワケではない。従って入り口さえ強固に塞がれている危険性はあっただろう。しかし現状の青年に冷静沈着に物事を考え万全の策を見出してから実行に移す。そうした余裕が無い事も、其れだけの時間が残されていない事も明らかであった。

 元より最善策も次善策も潰えている。そうであれば良策を思案し行動に移すよりも最悪を忌避すべく最速を求めた方がまだマシ、最早其れより他に打つ手も無い。

 故に青年は駆ける。疾駆する。己の足を酷使して。己が足に命じて。元より他種族より上層に位置付けられている限界の先を更に越えろとばかりに駆け。

 其の最中体が揺れる。バランスが崩れる。視界の奥が揺さ振られる錯覚に襲われ、脳さえも揺れているかの様に思え。其の症状が単純に己の肉体的限界を越えて足を稼動させているだけに留まらぬという事実は、青年の脳内からとうに抜け落ちていた。或いは意識的に抜け落としていた。


 持ち得る魔力、魔法精度によって差異は出る。しかしながら余程魔力が低く転移系に劣っている者でもない限り、否、そうした者であっても異世界間の行き来に際し転移を用いるのと己が足を用いるのとでは雲泥の差がある。勿論当然の話であるが、転移魔法の方が遥かに、比べるべくも無く早い。余程走駆に自信があり天界からの祝福を運動系統の能力に全振り且つ魔力で更に底上げした勇者と、魔法を習い始めて間も無く其れでも明らかに分かってしまう程絶望的に転移魔法に対する才能が無い子供。両者が勝負して漸く10回に1回走駆(勇者)が勝つのではという程度か。

 其れ程に魔法と体術では差異が出る。

 そして単純な到達速度で語るのであれば、其れは無論、転移魔法に限った話ではない。スタート時点を同じくして放たれた攻撃魔法と、駆け出した人間。魔法の使い手が先述の通り拙い子供で、走り手が走駆に対し恵まれ過ぎた勇者であっても殆ど結果は見えているのだ。走駆に恵まれた者が到達するより遥かに早く、攻撃魔法は目的の地点に達する。


 才能が絶望的と表された子供と走駆に存分に恵まれた者で其れ、なのだ。


 天界と神界それぞれの頂点に君臨するだけの実力者と、他種族よりも能力地及び身体稼動に於ける限界値は高いものの其れだけの神族と。

 其の攻撃魔法到達速度と走駆を比べれば如何なるか。否、比べるべくも無く。


 つまり、其れは、比べるべくもなく。


 乱れた息を整える。静寂の中、痛い程の静寂の中青年の耳は己の乱れた息だけを嫌に大きく拾い上げる。

 先程迄は確たる物であった足取りが覚束無い、たった数歩真っ直ぐ前進する事さえ叶わぬ程頼りない物へと変わっているのは決して短時間とは言えぬ間、身体構造の限界点を突破し強引に駆使していたからだけではないだろう。

 己が体に無理を言わせ。そうして、しかし途中で限界を迎える事無く青年は魔界に辿り着いた。魔界へ辿り着いた筈である。

 しかし其処には一面、荒野が広がっていた。

 否、其れは荒野とすら呼べぬ物やもしれぬ。僅かな瓦礫1つ小さな石ころ1つ残さずに、其処にはただただ何も無い空間だけが広がっていた。

 ともすればこう思ってしまうだろう。自分は急くあまり道を違え、別の空間に辿り着いてしまったのだと。眼前に広がる其の光景は、気を抜けばそう楽観視してしまう程に。正に見事な迄にと言う他ない程、綺麗に根こそぎ痕跡さえ残さず、1つの世界は消し飛んでいた。

 ゆらりとさながら幽鬼の如く足取りで足を鈍重に駆動する。其れは先迄の身体的限界さえ無視した疾走に因る後遺症だけでは無かろう。青年の認識は兎も角、事実青年の足はとうに限界を迎え壊れきってはいた。しかし青年には其れさえも些末事。或いは其れを些末事と認識する余裕さえ既に無い。

 青年の何処かが青年に訴える。其れは無意味な行動、徒労に過ぎぬと。青年の心が魂が全身全霊を賭して其れを否定する。或いは其の何かを聞き流す(理解さえしない)

 ラベリタの強力な魔力。リジーチェの凄まじい腕前。勿論他の者達とて同じ事。ならば。或いは。

 そうした希望が明確に残っているかさえ定かではない中、其れでも青年は歩く。殆ど無意識の内に生存者を求め吹き飛んだ荒野と呼ぶ事さえ出来ぬ地を歩く。

 無論結果は見えている。

 見事に吹き飛び、生命の気配も、魔力が発動されている気配の露程感じられぬ。廃墟として形さえも残らない。骨も、魂の残滓さえ残らず吹き飛んだ此の地で如何すれば、或いはどれ程の魔力を用いれば其れを果たしただけの攻撃全てを受け入れられると言うのだ。

 どれ程、かつて魔界であった場所を歩いただろうか。全てが無に帰した中では今居る場所が何処であるのか、精々推測でしか語れない。青年の(気力)は遂に潰え、其の場にへたり込んだ。感じる地面の感覚さえ、何処か空虚で徹底的に死に絶えている。

 青年の頬を涙が伝う事もなければ、青年の唇が怒りに引き結ばれる事もなかった。


「ははっ……オレ、守るって決めたのに。帰ってくるって決めたのに」


 ただ青年の体は震える。乾いた笑みだけが口から付いて出てくる。其れに応える声は何処にもない。

 魔界の本質を知り、魔界を魔族を守りたいと思った。穏やかな魔界に残された廃墟、ラベリタの傷。其れを何時か癒せる日が来ればと思っていた。

 もしもラベリタが望む未来が訪れれば、或いはラベリタも件の廃墟を修繕したのだろう。長い間望まれていた本当の平和が訪れたのだという報告を、己を守って其処で散った前魔王への餞と変えて。其の廃墟も最早無い。

 穏やかな空気は其処に流れておらず、鼻先を擽る良い香りもなければ、活気に満ちた住人も、辺りを飛び回る子供達もいない。ただただ其処を包むのは不気味な迄の完全なる静寂のみ。聞こえる音があるとすれば其れは此処に至る迄無理の上に無茶を重ね、限界の上に臨界点を突破した己が体が訴える疲労の証のみ。

 あの時分身に送られた手紙の文面が青年の頭に過ぎる。お前が帰ってくる場所は魔界(此処)にある。

 壊れたカラクリ人形さながら只管乾いた笑みを零すだけのガラクタと化していた青年の動きがぴたりと止まる。口元が描くのは広義では笑みと属される物。其れでいて先迄の其れとは明確に異なる色彩。

 青年の手が空を掻き、直後手には一振りの剣。


「まったく。愛剣の錆にしてくれるんじゃなかったっすか?」


 剣先に在るのは青年の体躯。切っ先が狙うは絶対急所たる喉元。幾ら時間の流れが遅いと言え神族とて不死ではない。致命傷を負えば当然の如く死に絶えるのは自然の摂理に他ならない。

 青年の口元は笑みの形を作り上げたまま。青年の目元も緩やかに垂れる。


「……ねぇ、こんな帰り方でも良いっすか?お帰りって言って迎えてくれるっすかね?其れとも怒られる?記憶喪失の件()の言い訳というか、其れも謝んないと」


 乾いた笑みだけを漏らしていた壊れた仕掛け人形は何処か自嘲を浮かべ、其れから穏やかな、此の場には似つかわしくない程穏やかな微笑みを浮べて。

 思う。其れは殆ど願うと表した方が近い物であり、今迄の其れ等とは異なり流石に自惚れであるやもしれぬが。其れでも青年は願う(思う)


「怒って、怒って。其れでも其の後ラベリタは、みんなはお帰りって言ってくれるんだろうなぁ、なんて。流石に都合良い夢想かな?」




 双眸を僅かに濡らして。しかし穏やかに微笑みで其の顔を彩って、ただいま。青年はそう告げた。

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