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Ⅵ

「結局こうなっちゃったっすねぇ」


 青年は思わず溜息を零した。此れで何度目になるのやら、一々数えていては気が滅入ってしまいそうであるし、幼い子供であれば退屈だと言って駆け出すなり、眠ってしまうなりしかねない数であるのは確かである。とは言え青年の漏らした溜息が幾つであっても現状にはまるで無関係であるが。

 青年が誠心誠意伝えた言葉はラベリタに受け入れられた。しかし受け入れられたのは言葉の方だけであり、如何か自分を使者にして欲しいという提案は結局反論の術を持っていなかった後者の理由……もしも下界の住人であった場合の危険性を再度持ち出され、蹴られる事となった。

 無論ラベリタが意地悪く、或いは疑心からそうしたのでない事くらい青年とてよく分かっている。ラベリタはただただ青年を、フェリガーデを案じただけの話だ。しかし今では青年の側も、其れに甘えておいそれと平穏を享受しているだけではいられなくなっていた。

 ラベリタの手助けをしたいのだ。己に出来る事がありながら何もせずにいた現状が、最早耐えられぬのだ。出来ればラベリタの許可を得て堂々と出向きたかったが、許可を得られなかったのなら仕方ない。

 青年は眼前の、自分と瓜二つの分身を見つめた。


「留守を頼むっすよ、フェリガーデ」


 魔力を練り、己の分身を作り上げる。其れもただの分身ではない。己の意志を継ぎ、術者が近くで操作せずとも術者と違わぬ振る舞いを見せる優れた分身である。無論会話は勿論、こうした存在には難関だと言われる雑談の類さえ其の術者らしい受け答えでしてみせる。

 術者がもう1人居る、もう1人の術者を作り出すと言っても過言ではない魔法だ。其の精度が高ければ高い程、術者の魔力が高ければ高い程、分身の術者らしさは増し、逆に魔力が使われている痕跡は薄くなる。

 神族であり、上層部さえ舌を巻く腕前。無論穏行1つに限った話ではない。青年の前に立つフェリガーデの分身は、何処から如何見てもフェリガーデ或いは青年其の者であり、魔力の気配も極めて薄い。敏感な人間であっても注意に注意を重ね、魔力探知の魔法でも用いらなければ察知も不可能だろう。

 もっとも絶対の自信があった、そもそも其の絶対の自信を意識さえしない程当たり前に持っていた、誰にも見抜かれぬ術をラベリタには容易に見抜かれたのはつい最近の話である為、多少危ない手ではあるが。

 此れが露見した際青年が恐れているのは、余計な揉め事でも面倒事でも何でもなく、今やただ、ラベリタに心配を掛ける事だけだった。

 オレも変わったものっすねぇ、と内心で苦笑を漏らしつつ、青年は眼前の己の分身の肩に触れる。労う様に。


「頼りにしてるんすから」


 其れを告げたのを合図に、青年の姿は魔王城の1室、使用人に宛がわれている部屋の1つから、綺麗に消えた。



 青年が用いた手は安易且つ単純。其処に用いた技こそ並外れた高度な物であるが、手段自体は子供でも思い付き、事実子供が悪戯で行った事もあるだろう程稚拙な策だ。

 フェリガーデを部外者として警戒しているリジーチェは例外である為さて置き、基本的には信頼され受け入れられている青年がある日突如姿を消したところで、心配こそされ裏切りを疑われる事はない。もっとも今や青年は其の心配さえ出来れば忌避したいと思っている為、結果として同じ手段を講じただろうが。しかし其れは常日頃、平時であればという条件付きである。

 つい最近天界への使者の任をと申し出、穏やかな少年魔王から其れなりに迫力のある怒声を頂いてしまった以上、フェリガーデが姿を消すのには其れなりに困難な状況となっていた。勿論基本的には住人に信頼を置き、彼等を己の意志で或いは自身の命令で縛る事を好まぬラベリタの事、自室に軟禁される事には勿論ならず、お目付け役を置かれているワケでもない。

 あの申し出とあの剣幕での棄却以来、しかしフェリガーデの生活もラベリタとの間柄も然程大きく変わってはいない。そう、大きくは。

 細かな部位では其れなりに変化があり、其れこそがラベリタの意思の表れでもあった。

 フェリガーデを軟禁もしなければ、フェリガーデに監視も付けない。その代わり天界への使者が使用するゲート前に今迄は居なかった筈の見張り番が置かれる様になったのだ。其処に立つ者の顔は時間ごとに変わっていったが、しかし其処から見張り番が消える事は無かった。恐らくフェリガーデが誠心誠意、もう使者の任を負いたいなんて言いませんとでも宣言しない限り、其の見張り番は居なくなる事が無いだろう。

 加えて青年にとって厄介な事に、或いは有り難い事に、見張り番達はただ雇われて己の仕事をこなしているワケではなかった。彼等も大抵の事情を聞かされ、彼等もフェリガーデの事を本気で案じて本気で止めようとしてくれている。中には剣を交えてでも止めるつもりだと堂々と宣言した者もいたし、見張り番を負かされているワケではないだろう幼い子供達まで拙い言葉を懸命に並べては小さな手で必死にゲートへの通せんぼを試みている。

 有り体な言い方ではあるが、つまりフェリガーデは此処の住人に愛されているのである。

 其れ故彼等は懸命にフェリガーデの目論見を止める。

 そして其れ等を自惚れではなく正しく理解し、自己を卑下する事もなく正当に彼等の気持ちを受け取ったからこそ。彼等を欺く事等出来ないからこそ。其れでも青年は彼等を出し抜く事を決めたのである。

 蓋を開けば記憶喪失のフェリガーデは神族の青年。

 大戦とは関わりなく唯一天界側に横槍を入れられる種族。

 ならば其の立場を存分に発揮する迄だ。

 ラベリタはゲートを封じればフェリガーデに天界へ行く術は無いと判断したのだろう。成る程賢い判断であるし、其の唯一のゲートに見張りを立てるというのは良策である。流石は国を治める王だと素直に感心する。少なくとも神族の上層部はそうした知恵を使わない。

 しかし其処には誤算がある。或いは穴。其処迄ラベリタに加味して策を練れと言うのは酷であるし、寧ろ其れをされていたら青年とて容易に抜け出せなかっただろう。

 神族である青年は魔力も其れなりにずば抜けている。転移魔法もお手の物であり、ゲートを使用せずとも異界に行き来する事は出来る。朝飯前だ。加えて転移先は天界ではない。容易に行き来出来ない様強固な結界をもって天界への転移を制限していたところで、行き先が神界である青年には関係無い。

 そうした穴を突いて青年は神界に向かい、魔界への手出しを操作する。

 しかしフェリガーデの留守が知れればラベリタを始め魔界の人間は心を痛め、要らぬ心配を掛けてしまう事になるだろう。其の時間に見張りを務めていた者が自身を責めないとも断言出来ない。

 其の対策として用いたのが先述の分身である。

 青年の高い魔力を持って精巧に練られた分身は、正にフェリガーデ其の者。フェリガーデがする様に動き、フェリガーデが話す様に言葉を紡ぎ、咄嗟の行動にも対応出来る。

 其の分身を部屋に、広義では魔界に残しておけば青年の失踪はそう簡単に露見する事もないだろう、と。

 言わばそう、繰り替えしになるが家からの、例えば勉強からの脱走を試みた子供がする様な、そんな稚拙な策である。

 但し作り上げた分身は子供の悪戯の其れとは比較にならぬ程精巧で、青年の向かう先は友人の待つ遊び場などではないのだが。



 久方振りに足を踏み入れた地、自身の本来の住処である神界。其の外れ。

 久方振りに故郷を訪れたと言っても良いのだが、特に青年の胸に何らかの感慨を生む事は無かった。寧ろ魔界の方が、あの間借りしている様な状態の魔王城の1室の方が、遥かに愛着があり、自分の家の様に思えてならない。

 漂う空気にも何処か違和感を抱く。肌に纏わりつく其れが酷く不快でならず、よく自分は何千年も此の中で生活出来たものだと我ながら感心してしまう。或いは本当に青年は記憶喪失で、異界の狭間を漂っているところを高い魔力を見込まれ神族に拾われただけで、本来は魔界の住人だったのではないか。そんな馬鹿げた夢想さえ抱く程に、魔界の空気は自然と肌に合い、僅かな間離れていただけの故郷の空気は青年を拒んだ。或いは故郷の空気を青年の体は拒んだのか。

 周囲を見回し、誰も居ない事を確かめる。滅多に人が訪れぬ神界の外れを選んで転移したのだ、早々誰かに出会ってたまるものかと思いつつも、気配を研ぎ澄まし周囲の様子を念の為窺う。静か過ぎる程に静かだ。

 其処に僅かばかり疑問が生じないでもないが、其れより今は確かめなければならぬ事がある。

 青年の転移魔法では魔界から天界であっても早々時間は掛からない。魔界と天界で時間の流れは違うだろうが、下界と他3世界程の開きがあるワケでもない。

 幾らラベリタが青年の穏行を一瞬で見抜いたとしても、其処迄簡単に青年の脱走及び自室の分身の看破が成されたとは到底思えないが。

 魔力を起こし、分身の様子を窺う。見慣れた魔王城の1室。フェリガーデに宛がわれた使用人用の自室。其のベッドに分身は座り込んでいた。

 ラベリタに気付かれれば掻き消されていてもおかしくない。其の姿が未だ窺えるという事はやはり杞憂であったかと一瞬思うも、そう判断するには分身の様子は妙である。

 ベッドに座り込んでいる。否、よく見ればただ座り込んでいるワケではない。其の姿勢は項垂れているとでも言った方が適切か。顔を伏せ、全身に落胆のオーラを纏って。更に目を凝らせば、其の手には何か紙が握られていた。

 分身を作り出した際青年はそういった物を握らせていなかったし、自室にも該当するサイズの紙片は置いていなかった筈である。其れが分身のフェリガーデの手の中でやけに大切そうに握られている事も気に掛かった。

 冷や汗が、垂れる。

 嫌な予感を抱きつつも、魔力の方向を変えフェリガーデの視界と己の視界を共有させる。そうすれば彼の手の中にある紙片がはっきりと見えた。其処に整然と並ぶ綺麗な文字も。

 文字が並ぶ紙片となれば大抵其の正体は手紙である。ちらりと見ただけで詳細な内容迄は読み取れないが、其れだけでも分かる綺麗な字は如何にもあのラベリタが記しそうな文字だ。魔界での出来事が楽しく濃密で、ともすれば神族の感覚を持ってさえ錯覚しそうになるが青年の穏行をラベリタがあっさりと見破ってみせたのは此処最近の記憶である。嫌な予感は、強くなる。

 分身はフェリガーデの、青年の取るべき言動を殆ど正確に取る。つまり其の分身が此処迄項垂れているという事は青年にとっても落胆する様な出来事が綴られていると考えるのが自然であり、其処から察せる内容と言えば。

 もう良い。帰ってくるな。

 そんな突き放す様な文面を想像し、覚悟は決めきれないものの無理矢理に目線を紙片へと向ける。

 其れは想像違わず手紙であった。

 其れは想像違わずラベリタからの物であった。

 しかし其れは、其処に記されていた文字は、想像を大いに違えていた。


『危険な真似はするなと言ったのにお前は何を考えているんだ。だがお前に気を遣わせ、ゲートを封じれば問題ないだろうと考えていたオレにも落ち度はあるな。其れにお前が魔界の事を考えてくれているのは素直に嬉しい。ありがとう。どうせ此処の様子も分身越しに見ているんだろう?だからお前に伝えたい事を記しておく。もし記憶が戻ったら、或いはそうでなくとも天界に居たいという気持ちが実際天界を見て芽生えたのであれば、魔界の事は一切気にするな。お前はお前が居たいと願った場所で暮らせ。ただもしも、記憶が戻ろうと戻るまいと魔界に居る事を望んでくれるのであれば、怪我をするな。死ぬな。絶対に無事に戻って来い。お前が帰って来る場所は此の魔界に何時でもあるんだからな。 ラベリタ』


 視界が歪む。其の弾みか、練っていた魔力が僅かにぶれて共有していた分身の視界と青年の視界がズレた。

 あー、もう。誰に向けてでもない、或いは他ならぬ青年自身に向けた言葉を青年は吐き出す。呆れきった様に。弱りきった様に。其れでいて何処か、確かに感じてしまった幸福感は滲み出て隠し切れずに。


「オレも存外甘ちゃんっすねぇ。魔界を守る為に格好付けて抜け出してきたのに、魔王様に激励されてどうするんすか」


 お前の戻ってくる場所は此処に在る。魔界に在る。其の文面を何度も何度も胸に刻み込む。

 あの魔王城の1室はもう、ただ間借りしているだけではないのだと。魔王であるラベリタが、使用人であるフェリガーデに正式に与えてくれた、正にフェリガーデの自室であるのだと。

 青年の帰る場所はもう、此処(神界)では無く魔界で良いのだと。

 其れならばいずれ青年も全てを打ち明けるべきだろう。全てを打ち明けて、其の上でフェリガーデを此の手に掴むべきなのだ。魔界は神界の存在を一切認識していない為、説明は難しいだろうが。記憶喪失であると言うよりも信じ難い話になるだろうが。

 しかし其の前に青年にはする事がある。神族の青年として最後にすべき事、神族の青年という素顔を隠していたからこそ魔界の住人(フェリガーデ)が自身の世界(魔界)の為に出来る事。

 分身が項垂れていた理由も今なら正確に理解出来る。ラベリタに心配を掛けた事、己の迂闊さ、そうした物を恨みつつも確かに感じてしまう幸福感。青年も分身の視界越しに確かに受け取った。


「大丈夫っすよ、ラベリタ。オレはちゃんと帰ってくる。魔界を平和にして、此れから訪れる魔竜の産卵期も安心っす!魔竜を育てる約束もちゃんと覚えておいてよね。其れから何時か本当の事も話さないと。何つーか皆は受け入れてくれそうっすけど、暫く剣を持ったリジーチェと追いかけっこする羽目になりそうだなぁ。……だから、フェリガーデの……オレの事を迎えてね。お帰りって言って欲しいんすよ」


 もっとも態々頼まずともラベリタは青年の勝手な行動に怒って、危険な事をした事を涙ながらに怒って。其れでも青年を迎え入れてくれるのだろう。あの微笑みを浮べて、お帰りって。

 ラベリタに懐いている子供達は青年に冒険譚を望んで、快活な住人は青年の行動を豪快に笑ってみせて、心配性な住人は安堵を浮べつつも青年に小言を浴びせて。それから此れが1番厄介であるのだが1番騎士のリジーチェには淡々と説教を喰らってしまいそうである。彼の愛剣に血の何滴かは吸われかねない。

 そしてそんな穏やかな日々が、此れからもずっと続いていくのだ。ラベリタが望み、ラベリタが誓った平和な世の中が手に入る。手に入って、続いていく。

 其れは青年にもとても喜ばしい事に思えたから。

 青年は其れを現実の物とすべく、町中へと向けて足を1歩踏み出した。



※



 神界の外れに比べ、否、比べようもない程に神界の中心部は賑わっていた。其の賑わいは記憶の中の常の比では無く、まるで祭りの最中であるかの様な。其れでいてただ賑わっている、祭りに浮かれているという風でもない。慌しさも窺えた。

 青年が神界を離れていた間に何か問題でもあったのだろうかと考える。其の問題については一切の連絡も断ち、神界の事を微塵も気にしていなかった為想像が付き難い。差し詰め今迄の通例を考えれば下らぬ継承権争いか親権を認めるだの認めないだのといった御家事情といったところか。

 其れにしても、と青年は小さく舌打つ。毒吐かなかっただけ己を自制した方だろうが、此れは舌打ちの1つや2つ漏らさねばやってられない。厄介な事になったものだ。神界が此れだけの騒ぎを見せていれば天界は遠慮して協力を請うては来ないだろうし、此方から接触するのは更に困難を極める。上層部のお偉方に打診するにしても彼等を脅迫(篭絡)する事はおろか、捕まえる事からして難しそうだ。

 そうは言っても其れだけで根を上げる程の覚悟ではない。何としてでも、必要とあれば騒ぎの解決に尽力してでも早急に己の言い分を通せるだけの環境を整えなければ。

 或いはかつての青年であれば、己の意見を通すのに此の混乱さえ利用しただろう。騒がしさに其れ所で無い場所を的確に突き、気が付けば己の有利に事が運んでいた。そうした結果を拵えるのは青年の得手としている事の1つだ。しかし、では、そうして得た平和を彼等は喜ぶであろうか。あの平和主義の魔王(ラベリタ)はそうして得た平和を、本物の平和だと思うだろうか。

 想像上の魔族が考えるとは思えぬ程の、否、下界の偽善者であっても口で訴えこそすれ実行はしない様な綺麗事も甚だしい。しかし実際の魔族を知った青年には其れに対し即答出来る。否、と。

 大分毒されたものだ、と青年は自嘲する。或いは毒されたのではなく、解毒されたのか。

 青年としても彼等が望む形での平和を勝ち得たいし、青年もそうして勝ち得た平和の中、彼等と過ごしたい。

 そうであれば時間こそ掛かるも、現状の騒ぎの理由を突き止める事が先決か。存外其れは外部の助力で呆気なく解決してしまう事も多い。

 情報収集に向かおうとした青年の足を、


「×××ですか?お久し振りです!」


 喜色に弾んだ声が呼び止めた。

 一瞬青年は其れが己に向けられた物だと理解出来なかった。仮に嘘を積み上げ、彼等を欺いた結果であっても青年は最早青年自身にとってはフェリガーデであったから。フェリガーデでありたいと望んだから。同時に其の己と決別すべく、あの日名前さえ思い出していないと嘘を重ねていたのだから。

 今更其の名で呼ばれても反応が一瞬遅れてしまうのは、仕方の無い事だろう。

 其れでも一瞬遅れながらも、青年は其れが神族の青年である己の名であり、呼び止めた声の主が其れなりに会話を交わした事のある神族の1人だと理解する。

 同時に好都合であるとも思った。

 此の神族は其れなりに事情通である。神界に一般的に広まっている情報は勿論、其の裏事情迄。完璧に余す事無くと言ってしまえば誇張であるが、粗方の事は把握している。そうした人物だ、此れだけの騒ぎともなれば表事情から裏事情迄、其れこそ余す事なく把握していておかしくない。


「今迄何処に行っていたんですか?キミが上層部の言う事を素直に聞いたとは思えませんが、消息も絶えていたので其れなりに心配だったんですよ?でも今戻ってきたと言う事は、やっぱり折角の一大イベント、普段は斜に構えてクールを気取っているキミでも興味を惹かれました?」

「一大イベント?」


 情報を引き出すに丁度良い単語が耳に入る。其れを復唱すれば言外の意を汲んで此の事情通は大抵の情報を提供してくれる筈だ。

 もっとも此の人物は他人の不幸や厄介な御家騒動をイベントと表する性分ではない為、継承権争いや親権問題等では無いと推測は出来る。

 青年が復唱した事が、言外の意を汲んだ結果として不可思議だったのか彼は首を傾げ、しかし直ぐに得心した様に頷いた。


「ああ、やっぱり消息を断った上、此方の情報は見向きもしなかったんですね。キミらしい。斜に構えてクール気取ってるんじゃなく、本当に興味が薄くてクールなだけでしたか」

「今更だよね、其れ。オレがそういう性格なの、アンタだって知ってるでしょ?其れで?一大イベントって何があったんすか?」


 久し振りに旧知の相手にあったからか、つい世間話の方向に話が脱線していきそうになるのを青年は軌道修正を図る。あまり情報を引き出す事を急いては彼が表した様に、何事にも興味を示さない青年のイメージを崩壊させ要らぬ雑談のネタを自ら投じる事になるが、今は世間話に付き合っている余裕は無い。

 思考でもない。魔力でもない。ただ、其れ等とは違う箇所が。其れでいて確かに青年の中に存在する何かが、嫌な予感を訴えだしていた。心拍が嫌に速く煩く刻まれている。


「はい、一大イベントです。遂に大神様と大天使が力を合わせて魔界を滅ぼすそうですよ。天界も神界も大神様や大天使の御技を間近で見よう、長年の大戦に勝利する瞬間を間近で見ようと大騒ぎ、大盛り上がりをみせています。キミも早く向かわないと良い所を見逃しますよ……って警告したいですけど、キミは魔界の滅亡さえ興味がなさそうですよね」

「……は?」


 青年の口から漏れ出たのは意味を成さぬ、其れでいて困惑に満ち満ちた事は明らかな短い音のみであった。今し方旧知の事情通が発した言葉の意味をまるで理解出来ない。或いは理解などしたくない。

 そもそも其の話が本当であれば妙だ。確かに神界は時に天界からの要請に応え、魔界との大戦に於いて天界側に助力する。しかし全面的に天界へ協力しているワケでもなければ、魔界を滅ぼそうともしていない。そもそも神界に於いて魔界とは存在を公には認識しておらず、言わば在ろうと無かろうと違わぬといった立ち位置。時に助力する天界は勿論、ともすれば時に恩恵を時に罰を与える下界よりも其の重要度は低く、直接的な干渉等青年の記憶の限り、或いは神界魔界に残る記録を辿っても1度も成された事が無い筈。

 其れが今になって、上層部さえも通り越し、神族の中で最も上位、無論上層部を軽く打ち負かすだけの技量を持った青年とて及ばぬ大神が出てきて迄破壊活動に及ぶなど、魔界への肩入れの気持ちが無くとも妙な話である。

 其れにしては長年の大戦相手を根絶出来る機会に見舞われた天界側は兎も角、神界でも祭りの様な騒ぎが起き、一大イベントだと語られている。まるで神界側も此の機会を望んででもいたかの様に。

 流石は表から裏の事情を殆ど掌握する事情通。其の過程で誰かの表情を読み取り、言外の意を探っては裏の裏迄情報へと手を伸ばす。そうした行為を半ば無意識に重ねてきていただけあって、久方振りに会うとは言え旧知の中の青年の表情を読み、言外の意を十分に汲む事等容易だろう。

 あっさりと青年の疑問の内1つの答えを提示した。


「此れで漸く今迄神界に不敬を貫いてきた魔界を抹消出来るんですよ。そりゃあ幾ら無関心を掲げていても、いざ其の記念すべき日が来れば神族だってはしゃぎますって。かく言う僕も嬉しいと言うか、胸が透きますもん」

「いや、待てって。アンタもはしゃいでるのは見れば分かるけど、其の理屈おかしくねぇっすか?だって魔界は神界の存在自体認識してないんすよ?魔界を無い物と振舞ってきた神界とは違って、存在自体分かってないんす。其の状況で敬えっつー方が無茶なのは、アンタなら分かるでしょ?」

「はい、まあ理屈は理解出来ないでもないです。そしてキミならそう言いそうな事も何となく分かっていました。キミ、身分とかそういうのにも興味無さそうですから。でも神界は此の世界で1番上位の世界、神族は1番上位種ですよ?信じる信じない、敬う不遜以前に、認識さえされていないなんて腹立たしいにも程がありますし、何れ罰せされても当然です。遅過ぎたくらいだと僕個人としては思います」


 プライド。

 神界の住人は其れが極端に高い。上層部に及べば及ぶ程顕著になっていくが、では若い神族はそうでもないのかと言えば無論そんな事はない。誰もが自身こそは最高の種族だと思い、己を知らぬ者は無いだろうと多かれ少なかれ心の何処かで感じている。

 傲慢不遜。高い立場に居るのだという誇張でも何でも無い唯の事実が神界の住人達を等しくそうした人格の持ち主に作り上げ、其れ故同族同士、特に上層部同士の権力争い継承権争いは醜く、熾烈を極めていた。

 そうした世界の住人が、幾ら魔界を無い物と見做しているからと言って魔界の者の誰の口からさえ己の名が紡がれぬ現状に苛立ちを募らせていたとしても不思議ではないだろう。或いはそうした苛立ちから目を背けるべく、自身の事を微塵さえも語らぬ魔界等無い物と判断したのやもしれぬ。

 しかし其処には限界があったというワケか。神界に存在する器とて無限に葡萄酒を注げるワケでは無い様に。魔界は存在しないと言い聞かせ、彼等が己に触れもしない事への苛立ちを誤魔化す事にも限界はあった。寧ろプライドだけが高く、個人差こそあれ多くが気の短い個体である神族にしてはよくぞ何千何万にも及ぶ年月を耐え切ったとでも言うべきか。

 ともあれ苛立ちが限界を迎えつつあった、或いはとうに臨界点を突破していた神族の元に天界が好奇を運び込んだ。魔界滅亡に天界の最上位、大神の力を貸して欲しいと。かつてから天界の要請に応える事が多い神界にとって、其れは他でも無い好奇だった事だろう。

 無意識の内に怒りが青年に拳を握らせる。もっとも振り下ろす先の無い其れは、己の掌を強く抉るだけに留まった。

 其処迄青年の機微を視認したのかは定かでない。或いは普段であれば目敏く気が付いただろうが、何分彼は目の前の一大イベントに浮かれきっている状態。特に旧知の相手で目立つ情報も得られないと判断している人間の、細かい所作など目にさえ留まらなくとも不思議はない。或いは目に留まったものの、逸る気持ちを優先させたか。


「取り敢えず僕はもう行きますね。不敬にして悪事の限りを尽くした魔界が滅びる瞬間は、見逃したくありませんから」

「……ああ、其の前にもう1つだけ良い?」


 今にも何処かに向かって飛び出そうとしていた事情通は、青年の声で足を止めこそしたが明らかに怪訝な、そして迷惑そうな顔を向けている。何処と無く周囲を気にして目線が落ち着いていないのは、魔界に放たれるだろう攻撃の1つさえ見落としたくないからか。

 腹立たしい。己の馬鹿馬鹿しい自尊心と天界からの吹聴だけを盲信して、魔界の滅亡を渇望する彼が。否、全ての神族が。勿論彼の発した言葉も十分に業腹であり、青年の理性を焼き切るには十分であったものの青年は努めて理知的に、或いは穏やかでさえある声音で言葉を重ねる。

 本心は。本能のままに動くのであれば。上層部相手でも劣らぬ力を此の事情通にぶつけ、彼を屈服させたい。圧迫したい。無駄に高い自尊心を砕き泣き喚くという醜態を曝け出してやりたい。其れ程、旧知の仲である事を踏まえても其れ程に、彼の発言は業腹ではある。魔界の本質を知ってから語れと本来の魔界を示し、彼が抱える偏見を根絶したい。其処で多少、そう多少、ラベリタに顔向け出来なくなる手段を用いたところで。

 しかし其れ等を全て抑え込み、青年は穏やかに微笑む。急ぐ足を止めてしまう事への罪悪感を添えて、完璧な迄に綺麗な微笑みを作りあげる。

 無論事情を話してもらった感謝や旧知の仲である事が青年の怒りを抑え込んでいるのではない。ただ今此の事情通を説き伏せても、此の事情通を捻じ伏せても事態は好転しないと痛い程分かっているだけだ。魔界を助ける為に其処迄の理性を捨ててはいないだけだ。

 此処で1人怒りに任せて捻じ伏せるよりも魔界の為にやるべき事は他にある。


「急いでるとこ、ほんとごめんね。上層部連中は如何してる?」

「最初こそ大神様の助太刀をと申し出てましたけど、結局足手纏いになるだけだと判明と言うか納得したので引き下がり、今は上層部用の良い席で大神様の活躍待ちといったところですね。まあ、水面下且つ大神様の邪魔にならぬ範囲で功績を挙げようと地味な争いは繰り広げられているかもしれませんが」

「そっか、ありがと」


 じゃあ僕は行きますね。彼の其の言葉を待たず青年は転移を使い、其の姿は消えた。

 後に残された事情通の男は其の行動を一瞬だけ意外に思うものの、己の力を用いて上層部の席から様子を窺うつもりなのかと、青年の事を其れなりに知っているにしては興奮の所為か、外れた事を考えながら。

 自らも良い観戦場所を求めて転移と自身の足による移動を繰り返した。

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