080
もう駄目かもしれない。
あれからどれだけの時間が経ったのだろうか。
膝から下の感覚はもはやない。
私は床に額を擦り付けるように上体を伏していた。
「ごめんなさいもうしません」
女の子と二人きりでお食事行ったら、浮気を疑われました。
そんな意識など一切なかったせいで、よりにもよってロザリンの前で自爆した。
「まあ、あなたも高ランク冒険者だし? そういうお付き合いも必要なんだと思うわよ?」
腕を組んで私の前に仁王立ちするロザリンは怒ってる顔も可愛いが、ちょっと私の脚がやばい。
ロザリンのお仕置き、えげつない。
「聞いてるの?」
「き、聞いてるっ!」
「脚を崩していいなんて言ってないわよ」
「ぅうう⋯」
なんでこの世界に正座なんてあるのー!?
人族の文化だろうか。
人族こわい。
最初のうちは、正座くらい大丈夫、と軽く考えていた。
しかし、正座に慣れていない今世の身体は、すぐに悲鳴を上げた。
「ひぃん⋯」
冗談じゃなく涙が滲む。
「ごめんなさい、もう黙って女の子と二人きりになったりしません⋯!」
「⋯絶対よ?」
どうやらロザリンも本気で私が浮気をしたと思っているわけではなく、相談もなく余所の女の子と二人きりになったことが駄目だったらしい。
軽率だったのは確かなので、今後は気をつけようと思う。
そろそろ切羽詰まってきたしな。
「ロザリンさん、そろそろトイレに行きたいです⋯」
「あら。⋯脚はもう崩していいわよ」
やっと動くことを許可され、私は立ち上がろうとした。
「⋯あれ?」
脚の感覚が全然ない。床に足がついている感覚がない。
ずいぶん久しい感覚だなぁ⋯。
現実逃避しても尿意は無くならないが、少しだけ気は紛れた。
痺れってどうすれば治るの…!
その後、四つん這いで泣きながらトイレに向かう私を見つけたルドルフは、無情にも腹を抱えて笑っていた。
許さないよ。
*
次の日も、朝からギルドへ向かう。
今日は実際に、宿屋や店を回って確認する日だ。
なお、昨夜の私の尊厳は辛うじて守られたよ。
足の痺れを魔法で癒す方法もわからないし、とても焦った。
「あっ。おはようございます!」
小会議室には既に私以外の全員が揃っていた。
声をかけてきたのはリリちゃんだ。
昨日の今日なのでつい反射的に身構え、周囲を確認してしまった。
「うん。おはようございます」
ちなみに今日はしっかり冒険者仕様な装備です。
揃ったところで、ちょっと昨日行ったお店のことを伝えた。
すると、各店の位置と、おすすめ料理を絵で描いた地図を作って、ギルド内に貼ろうということになった。
見やすさと分かりやすさを考えたら妥当だな。
「宿屋も、安い店の地図になるのかな」
「宿屋の場合は、安いだけでは駄目かもしれませんね。治安や寝具、荷物の管理も確認するべきでしょう」
それはそうだ。
私が銀麦亭にしか泊まれずロザリンのところへ逃げ込んだのは、そのせいなのだから。
正直私は安宿全部を信用していない。
すべての安宿を利用したわけではないが、そこそこ評判のよかった場所でもいろいろとあったのだ。
だからこそ、新人たちにだって、値段だけで選んだような宿屋なんて勧めることはできない。
「変なとこ選んじゃうと、勝手に部屋の鍵を他人に渡してたり、そもそも鍵が壊れてたり無かったりするし?お釣りを誤魔化そうとするとこもあるよね。あと寝具に虫が居たり⋯」
そう言ったら、ルドルフがドン引きしていた。
寝具に虫とかほんとにやめてほしいよね。
「お前、宿屋関連の経験ほんとにすげえな⋯」
「おかげで銀麦亭に辿り着けました」
鍵関連、私だから自分の魔法でどうにでも対処できたけど、人族とかだと多分不味い事態になってたと思うんだ。
そこはかとない犯罪臭がするしね。
「ひとまず、調査に出かけましょうか」
「そうですね」
私じゃ役に立たないのではと思いつつも、職員さんについていく。
「一軒目は『旅鳥の止まり木』ですね」
その宿屋は、南門と冒険者ギルドを結ぶ大通りから一本入った場所にあった。
緑色の屋根が目印らしい。たしかに目立つ鮮やかな色だ。
外壁は少々色あせてきているが、扉や窓枠にはきちんと手入れされた跡があるし、掃除も行き届いている。
荒れている感じはしなかった。
「建って十年ほどですが、これまで大きな問題もなく、評判もいい宿です」
「建ってすぐの頃に泊まったな」
一軒目の旅鳥の止まり木は、ルドルフの知っているところだったらしい。
「へぇ。定宿にしてた?」
「いや、出てくる料理が野菜ばっかりだったからすぐ他に移った」
「ルドルフの基準おかしいと思うんだ。健康管理に気を使ってくれるいい宿じゃないか」
「お前に常識語られるとすっげえ負けた気になるな」
失礼だな。私は常識をわきまえた大人だよ?
建物内へ入ると、中は明るく、過ごしやすそうな雰囲気が伝わってきた。
ギルド職員さんが次々に店側への聞き取りをしていく。
ちょっと内覧もさせてもらったよ。
一人部屋一泊あたり五十五ロフ、連泊先払いなら十日で五百ロフ。少し割引きなのか⋯。
雑魚寝部屋は一人三十ロフらしい。
食事は一食四十ロフ。こういう低価格帯の宿には珍しく、朝早くからでも昼食用に携帯できる食事を頼めるサービスがあった。
あと、この宿独自のサービスとして、帰りが遅くなる予定を伝えておけば、一定期間戻らない時にギルドへ知らせてくれる手筈になっているそうだ。
救援を向かわせるかどうかはギルドの判断にはなるものの、いい取り組みなんじゃないかな。
「新人が泊まってる宿屋って、ギルドもある程度把握してるんでしょ?」
「ええ。ある程度、ですが。収入が安定しないうちは、寝泊まりしている場所を濁す方もいますので」
そういうものか。
まぁ、私だってロザリンのとこに泊まってた日は基本的にナイショにしてたし、泊まってる場所を言いたくないときだってあるよね。娼館に通う頻度なんて普通ナイショにするだろ…。
「では、次へ行きましょうか。次は、ええと⋯赤煉瓦亭ですね」
旅鳥の止まり木の次に向かったのは、第二商業区の西側。第三商業区との境界へ向かう途中にある宿屋だった。
表通りから少し外れて路地を歩いていると、少し既視感が。
「あれ⋯ここ、泊まったことあるかも⋯?」
「わぁ私もです」
何が原因で泊まるのを止めたんだったかな⋯
「おう、話を聞きてえってことだったな?」
「ええ。お忙しいところありがとうございます。新人冒険者の利用する宿屋の調査をしておりまして」
「なるほどな。⋯ん?坊主、昔ウチに泊まった冒険者だな」
「私? うん。泊まったことはある気がするよ」
「おぉ〜! 立派になったなぁ〜! ウチに泊まってたようなやつがよぉ~」
んー⋯この人の良さそうな店主。
「あっ、部屋の鍵が壊れてた宿屋だ!」
ふと思い出した。
多分、前に泊まった人が壊したことを言い出せなかったのかもしれない。
魔法で施錠しようとしたら手応えがおかしかったので実際に鍵で掛けようとしたら、ぐるんぐるん回るだけで施錠できなかった。
仕方なく出入りする度に扉を固定して施錠代わりにして一晩過ごした。
料理はやたら美味かった記憶がある。
多分料理の腕だけなら銀麦亭のご主人といい勝負な気がするよ。
使う素材が違うせいもあるだろうし私は銀麦亭のほうが好きだけどね。
「お前さんが報告してくれたあの鍵な。実はあのあとも鍵は直してねえんだ。一部屋でもワケありにしとけば金欠新人にも安く貸せるからよ」
避難所的な格安部屋か。それはそれでいい⋯のか?
「もちろん、鍵がねえことは最初に言うぞ。貴重品はこっちで預かる。それでも一人で寝てえ奴とかにだけ貸してんだ。雑魚寝部屋に泊まろうとする女冒険者も居るからよ」
うん。かなり良心的な気がするよ。
「⋯そういう部屋だったんですね。⋯私、泊まりました」
リリちゃん。雑魚寝部屋に行こうとしてたの? 女の子はまずいよ。
「鍵がなくても、雑魚寝よりは安心できる奴もいるでしょうね。最初に説明されて、荷物も預けられるなら悪くないと思います」
手元の紙に見聞きしたことを書き付けながらガレスも頷いていた。
ちなみにこの宿屋だと、普通の一人部屋一泊あたり五十ロフ、雑魚寝部屋は一人二十五ロフらしい。
問題の格安鍵無し一人部屋は二十五ロフだそうだ。
食事は一食四十五ロフだって。
料理はこの価格帯の宿屋にしては少し高めだけど、美味いからなぁ⋯。
「次は『旅人の安息と祝福の宿』ですね。Eランクまでの冒険者に人気の、有名な宿です」
「どこです? 聞いたことのない名前ですが」
有名なのに、聞いたことがないのか。
「曲がり煙突です」
「⋯ああ」
ガレス君、正式名称は知らないけど通称は知っていたらしい。
通称が、有名なのか。
そこは第三商業区寄りのギリ第二商業区、庶民的な一角だった。
建物は老朽化が進んでいるけど、第二商業区と第三商業区の住民や冒険者に昔から親しまれている、という説明だったけど⋯。
「⋯老朽化すごくない!?」
なんだか薪割りしてる人、従業員とかじゃなくて普通に冒険者に見えるんだけど。
「あれは宿泊客ですよ」
「なんで宿泊客が働いてるの?」
「いつの間にかそうなったそうです。労働で宿泊費が五ロフ引きなんですよ」
よく見れば、薪割りの隣では別の冒険者が洗濯物を干しているし、入口では若い女冒険者が箒を動かしていた。
「ちょっと忙しい時間帯に来てしまったようですね」
どうやら今ここで働いている冒険者たちは、このあとギルドへ行って依頼を受けるらしい。
朝からすごいね!
「ね、五ロフのために薪割りとか、してるの?」
「いえ。割引がなくても皆さん自主的に働くんだそうです」
「なんで?」
「この宿はちょっと、いえ、かなり特殊なようで⋯」
宿屋の中へ入ると、覚束ない足取りの老店主とその妻らしき老婦人が応対してくれた。
「すみませんねぇ、わざわざ来てくださったのに」
老夫婦の後ろで若い冒険者が椅子を持ってきたり、茶を淹れて持ってきたりしていた。
もはや家族なのかな!?
「はぁ、宿の宿泊費ですかな。⋯今いくらじゃったかな、ハロルド」
「一人部屋なら一泊四十五ロフだよ爺さん。雑魚寝部屋なら二十ロフ」
「十日先払いなら一人部屋四百ロフ、雑魚寝は百八十ロフだぜ」
お爺ちゃんより冒険者が答えてるんだが。
「食事はいくらじゃったかの?」
「朝夕で五十ロフ。今日はネイトが作るから、夕飯は期待しない方がいい」
「聞こえてるぞ!」
そして彼らはこの宿屋の特殊な仕組みを説明してくれた。
薪割り、水汲み、掃除などを手伝えば、一日五ロフ引き。
なんとこの宿、洗濯も自分でやるなら無料なのだとか。
老夫婦には厳しくなった仕事を宿泊客が率先して引き受けることで、どうにか運営されているらしい。
もはや宿屋じゃなくて寮なんじゃないのかな!?
聞けば建物の補修すら宿泊客が行っているもよう。
宿泊客同士も普段から助け合い、独自のコミュニティを形成しているようだ。
この濃密な人間関係が苦ではない人にはいいのかもしれない。
多分、この宿屋内だけは、以前のような先輩が後輩に教えるシステムが生きている。
でも建物のボロさと、そこかしこで働く冒険者たちの姿が異様で、新人には近寄りがたい雰囲気になっているようだ。
ちなみにご主人が腰を痛めた十年ほど前から、この仕組みが導入され始めたらしい。
「⋯紹介するにも、ここは特殊過ぎねえか?」
「少なくとも私には無理だよこのノリは⋯」
「合う方には、これ以上ない宿なんですけどね。講習なんて要らなくなるくらいに」
職員さん曰く、ここを定宿にした冒険者たちは、生活管理、装備の手入れ、採取の基礎、危険情報の共有、パーティ間の連携、後輩への教え方、共同作業のやり方までひと通り身につけた堅実な冒険者になることが多いのだという。
後進の育成に余念がないな!?
「つ⋯次に行きましょうか」
リリちゃんが若干引き気味だ。
私もまさかこのような独自の文化圏が息づいているとは思わなかったよ。
「次は、木陰屋ですね。第三商業区の南端、スラム街との境界付近で少し立地が良くないのですが、Eランク以下の冒険者からの評判は良いです」
⋯ふぅん?
評判いいのか。
その宿屋の名前はよく覚えていた。
いい宿だったから、なんて理由じゃない。
二度と関わらないために。
「私、その宿屋はおすすめできないよ」
「えっ? まだ調査していませんが⋯⋯」
「ここ、俺の知り合いも何度か使ってます。問題ない宿ですよ?」
「そうなんだ。私は以前ここに泊まった時、夜中に合鍵で部屋を開けられそうになったけど。ご丁寧に足音も消していたし」
「その件、後でもう少し詳しく聞かせてもらえますか」
一応、これまでの宿屋と同じく、設備や価格をひと通り、調査はした。
一人部屋、一泊三十五ロフ。十日先払い、三百ロフ。雑魚寝部屋、一泊十五ロフ。朝夕二食、四十ロフ。
洗濯は無料、貴重品預かりも無料。
長期滞在者はさらに値引き⋯。
まぁ、安いよね。儲けがどこから出ているのか不思議なくらいにね。
「アルフレートが泊まったのっていつ頃の話なんだ?」
ルドルフに聞かれ、記憶をたどってみる。
あれは確か、私がまだ安宿に泊まってた頃だったか。
「んー。十四年くらい前かな」
「……ずいぶん前だな」
「でも、今も同じ人がやってるよ」
私たちの雑談を聞いてか、調査内容を書き付けていた職員さんの手が止まった。
「木陰屋については、こちらでもう一度確認します。今回の案内からは外しましょう」
「うん。その方がいいと思う」
その日の調査で、私たちはその後も数軒の宿屋を回った。
おすすめできる宿は何件もありそうだ。
でもおすすめできない宿も一軒。
どうやらそちらは、地図を作るだけでは済まないらしい。
ちなみに曲がり煙突こと旅人の安息と祝福の宿は、辛うじておすすめ宿の側に入ったらしい。
あれを新人向けと呼んでいいのかは、今でも少し疑問だけど。
恐ろしいことが起きていたんだ…。
1900文字あたり、「お前に常識語られるとすっげえ負けた気になるな」から下がごっそり消えた状態で、上書き保存されてたんだ。
作者、小説家になろうの下書き欄にスマホでぽちぽち直打ちなんで、ここが消えるとほんとにデータ吹っ飛ぶんだ。
AI補助使用、誤字脱字チェックをチャッピーに頼んでてよかったとこれほど思ったことはありません。
チャッピーとのチャットにログ残ってたーーーーー!




