047
「とりあえず、たぶんそろそろいい時間だし、いっぺん十六階層見てから野営の場所決めない? 十六階層でも大丈夫そうなら十六階層で、無理そうならここに戻ってさ」
しばらく進んでやっと私たちは次の階層への階段に到達した。
お腹すいたし、と冗談めかして野営をしようと提案をしたのはアルフレートさん。
そう言えば確かにそろそろかもしれない。
私自身、今まで気付かなかったなんて。
冒険者として復帰して初めての本格的なダンジョン探索に、思っていたより緊張していたのかもしれない。
これまで進んできた十五階層は、草原を模してあるとはいえダンジョンだ。
明るく、風もあるけれど、常に中天で輝いている太陽もどきは動いているわけではない。昼夜がない以上、こういう場所だと身体の感覚に頼るしかない。
「そうだな」
階段を降り、十六階層へ。
その先にあったのは、ずいぶんと幻想的な風景だった。
目の前には一面の水。
辺りは薄暗く、湖の中に小さな島があり、十七階層への階段はその島にあるのが既に見えていた。
「ぅわあー広い!」
リィナが感嘆の声を上げる。
水面がきらきらと光を反射している様は美しいと私にも素直に思えた。
「リィナ、危ないかもしれないから水にはまだ触らないほうがいいよ」
「やぁねえ。それくらいわかってるわよ」
「もう階段が見えてるのって、すごく罠っぽいですよね」
近辺には魔物の気配は無さそう。
地面はやや湿っているけれど、野営できないような環境ではないみたい。
「どうする?」
ライリーさんは耳をそばだて、鼻をひくひくと動かしている。
「ねえルドルフ。このまま十七階層行っちゃう?」
アルフレートさんはこともなげにそう言った。
彼にはいくらでもあの百メータほど先の小島へ辿り着くすべがあるのだろう。
しかし、リーダーのルドルフさんは首を横に振った。
「いや、予定通りこの辺りで一旦戻る算段もしておこう。この階層までの情報があれば充分黒字になるしな」
「この階層でも一応模型作る?むしろ要る?こんなんで?」
そう言いながらアルフレートさんは小さな島へ向けて右手の指先を向けた。
するとすぐに、ピキッ、と音がして、彼と島の間の水面が急激に凍っていく。
魔法で凍らせたのだろう。
彼の膨大な魔力なら、人が乗ろうがびくともしない氷の橋だって、こうしてすぐに用意出来てしまう。
「こんな近いとすんごい簡単に攻略出来ちゃうよ? 情報の価値低くない? ほら。十七階層の情報もあったほうがよくない?」
アルフレートさんは凍らせた道の上でわざわざジャンプしてみせる。
「魔物も近づいてこないようだな。少し離れた水中に居るのはわかるのだが」
ライリーさんも少し警戒しつつ氷の上に立つ。
足場に不安定さはまるでないようで、充分渡ることは可能に思えた。
だから彼らは気づいてない。
たぶんルドルフさんは気づいているから、この階層までで戻る判断を下したんだろう。
「駄目ですよ。その情報じゃ価値が低いです」
「そうだよねぇ。だから十七階層行ったほうがいいんじゃないかなぁ」
「そうじゃなくて。アルフレートさん以外が渡る方法を考えてみてください」
そう言った瞬間、アルフレートさんも気づいたようで、はっとしたように一瞬目を見開いた。
「なるほど。再現性か」
「ちなみにあの距離とあの厚さで氷結させるのは僕も無理ですからね」
「あっ。そうなんだ」
アルフレートさんは、そっか凍らせるのは現実的じゃないんだ…と呟いて、難しい顔をして思案し始めた。
「ライリーさんならどうしますか?」
「俺か。…俺なら、そうだな…。一番水が減るまで待ってから渡ろうとするだろうな」
尋ねるとライリーさんはそう言ってある場所を示した。
草が生えている場所と生えていない場所がくっきりと一直線に分かれていた。
「あぁ、ここって水位が変化するのね?」
「どこまで減るんでしょう?」
「十五階層の太陽は動かないくせに、そこは動くんだ…」
なるほど。水位の変化は私も気づいていなかったわ。
「どの程度変化するのかを見るためにも、この十六階層で野営しないか?」
「んー。まあ明るい十五階層よりは眠りやすいけど…ちょっとジメジメしてるのが気になるなぁ」
「お前な。少しくらいは我慢しろ。充分快適だろうが」
「他所は他所。ウチはウチですぅー。まあ仕方ないな。観察するならここの階層に居たほうがいいもんね。…はぁ」
溜め息を吐くアルフレートさん。
いつもあんな快適な野営をしていたら、基準も高くなっちゃうのかもしれないわね。
「水際に棒でも刺しておこう」
「目印か」
現在の水際に木の枝を刺しながら、アルフレートさんが言った。
十五階層で杖代わりになるかもと木の枝を切ってきたものだ。
「あ。この感じだと、もしかしたら水が引いても泥すごいかもしれない」
「泥ですか。確かに今も少しありますもんね」
「泥はともかく水質のほうは、…うん。毒の気配も特にはないね。触っても大丈夫そう」
フェイさんもアルフレートさんの隣にしゃがみ込み、水底を観察。毒の検知を一瞬でさっと済ませたアルフレートさんはフェイさんに向けて頷いてみせた。
「アルフレートさん。底の様子は探れますか?」
泥の様子や水深などもわかればと思い、尋ねてみる。
「うん。やってみる」
アルフレートさんはじっと小島の階段を見つめ、しばらく無言になる。
「うぇっ。所々意外と深いよココ」
ぐねぐねと魔法で成形されていく、金属を使った模型を示す。
たちの悪い罠のように深い穴が所々にある。
つまり、これが泥のない状態の、この湖の姿なのだろう。
「この模型、実際に水入れてみるとわかり易いかも」
模型の窪み部分を瞬時に水で満たしてから、全員の前に出して見せる。
「今居るところってどこですか?」
「ここだね」
フェイさんに問われアルフレートさんが一点を示す。
十五階層と十六階層を繋ぐ階段の位置と、十六階層から十七階層へ繋がる階段がかなり近いのがわかった。
島は湖の中央ではなく、極端に端に寄っていた。
スタート地点とゴール地点の直線距離がとても短い。
「たぶんだけど、正規攻略ルートは対岸までぐるっと回って、棒か何かで足元を確認しながら泥の中を歩く、って感じに見えるね」
「やたら蛇行しているが、一応硬い足場の道があるように見えるな。水位が下がれば見えるのかもしれん」
アルフレートさんが水を入れたおかげで、ルドルフさんの言う道が浮かび上がって見えた。
「ねえ、ここの渡り方はあとにして、とりあえず野営の準備しない? 私もさすがに疲れたわよ」
「そーだね。水がどこまで引くかも見ないと結局はわからないし。ね、野営の場所はその辺りでいいかな?」
そう言ってアルフレートさんはやや高くなって比較的乾いた場所を示した。
そうして、私たちは十六階層の湖畔で野営することになった。
もう違和感にもだいぶ慣れてきた野営とは思えない豪華な食事を食べ終える頃には、最初に水際へ刺した枝がもう水面から少し離れた場所に立っていて、水位が更に下がっているのがわかった。
「本当に水が引いてるわね」
「明け方くらいに一番下がりそうかな。交代する時とか定期的に枝とか刺すようにしておこう。刺すとき足をとられないように気をつけてね?」
そうして、私たちは交代で休むことになった。
*
目を覚ました途端に感じるのが湿った土の匂いというのは、あまり気持ちがいいもんじゃないね。
私はやっぱり洗いたてのシーツの香りやロザリンの髪から香るシャンプーの匂いで目を覚ましたいよ。
「ふぁ…、おはよ。もうそろそろ交代だよね?」
「ええ。おはようございますアルフレートさん。今のところまだ水位は下がり続けています。さっき枝を刺したわ」
見れば彼女の靴がふくらはぎ辺りまで泥で汚れていた。
魔法で洗浄して乾かすと、驚かせてしまったようで、ビクッとされちゃったよ。
先に声をかけるべきでしたね。ごめんなさい。
野営の見張りをマデリーンさんと交代する。
ちなみに今夜は一人ずつの見張りだ。
ダンジョン内だと、意図して置きっぱなしにしたような枝や石は三時間ほどで吸収されて消えてしまう。
だから、目印を残し続けるには短い間隔で確認し直す必要があった。
見張りは例のごとく私が最後。朝ごはん係だね。
一人ずつってことは二人ずつの見張りより短時間なので、早速準備に入る。先に用意しておけばあとはゆっくりできるし、先に動いておいたほうが眠気も覚めるからね。
まずはテーブルと人数分の椅子を出し、カトラリーを並べる。
「手軽にポタージュとサンドイッチでいっかぁ…」
昨日は朝からパンケーキだったけど今朝は作り置きだ。それでもまぁ文句は出るまい。
あとはみんなが起きてから出せばいいかな。そう思って、ひとまず湖の水位を見に行く。
体感ではそろそろ明け方なわけだけど、思ったより水が減っていた。
刺した目印の棒も古いほうは既にダンジョンに吸収されている。
泥の中に数人分の足跡が見える。
たぶん一番先まであるのがマデリーンさんの足跡。
棒で足場を確認しながら進んだ跡がある。そして水際まで行けずに最後は投擲で刺したらしく、棒というか枝が斜めだ。
でも大正解。あと数歩進めば深さは5メートルは超える大穴だったから。
空中に魔法で作った足場の上を歩いて水際を見に行ってみる。
マデリーンさんの目印の棒の先1メートルくらいが現在の水際だ。ついでに私も目印刺しとこう。マジックバッグから1メートルくらいの木の枝を取り出した。足場を上に作りすぎて届かないので棒を落として刺そう。
…って思ったんだけど。泥の上に落としたらそのまま沈んじゃったよ。どうしよう。目印刺せない。軽いものじゃないと無理っぽいね。
なんか代わりの目印になりそうなものってあったっけ?とマジックバッグに放り込んである要らない物品たちを思い浮かべてみる。
「アレにしよう」
前に描こうとしてしくじった、地図だった紙くずだ。
ぐしゃっと丸めてある。
ポトリと落としてみるけれど、沈む様子はない。
…いいじゃないか。
なんとなく満足して、しばらく泥上の足場を歩いて散策していたら、ふいにルドルフの声が。
「おーい、アルフレート」
岸のほうを見ればみんな目を覚ましていたみたいだった。
野営地へと戻り朝食を食べたあと、みんなで水位を確認に行くと、ほんの短時間だったのにさらに様子が激変していた。
もうここまでくるとまるで別の場所だ。十六階層は昨夜とはまるで違う姿を見せていた。
湖だった場所の大部分から水が引いている。
中央に浮かんでいた小島は、もう島というより、泥の中に取り残された小高い丘のように見える。
そして、その島へ向かって、対岸側から細く蛇行した道のようなものが続いている。
「やっぱり対岸まで回って、水が引いて道が出るのを待って通るのか」
やはり模型で予測した通りだったようだ。ライリーは興味深げに泥を見ていた。
「めんどくせえな」
「面倒ですね」
「私そんなに歩きたくない」
ルドルフもフェイも身も蓋もないが、私もそう思うよ。歩きたくないよ。
「なあアルフレート、アレなんだ?」
朝食前に置いた私の目印を指してルドルフが言った。
「前に描き損じた地図だね」
「地図だった頃より役立ってるな」
「だまらっしゃいルドルフ…!」
なんかくやしい。
「水位の変化、泥の深さ、硬い足場の道。それに、正面から行こうとすると沈む大穴。これだけ分かれば、十六階層の情報としては充分売れるな」
ルドルフがそう言うと、マデリーンさんも頷いた。
「じゃあ、十七階層ちょっとだけ見て戻ろうか」
「ちょっとだけだぞ」
「わかってるって」
泥を凍らせて足場を作る。
しかし盲点が。
「うっぷす。水が引いてる状態で凍らせちゃうと、坂になってすこぶる危険だね…」
水面を凍らせたのとはまるで異なり、そこらじゅうが傾斜していて歩きにくいことこの上ない。
「凍らせるなら水があるうちに、っと」
「だから売れませんよその情報」
「……わかってるもん。とりあえず別の足場作るからその上を歩いてくれる?」
フェイの言葉にハッとして、気まずいのをごまかし、魔法で空中に足場を作った。
私以外も歩くので足場が目で見えるように光の屈折率も変えてみたよ。
「……まぁ、いいんですけどね」
「うん。まあ、アレだな。うん」
「快適でいいわね」
快適なのはいいことだ。
泥の上を正規ルートで歩くのは情報としては大事だろうけれど、私たちが実際に歩く必要はないよね。私は無駄な苦労は好きではないのだ。
初見の感想通り、小島まではすぐだった。
十七階層へ続く階段は近くで見ても特に変わった様子はなく、罠らしい魔力の流れも、今のところは感じなかった。
「正規ルートも、一応歩いてみたほうがいいかな」
「泥じゃなくて下は硬い岩盤なんだろう?」
まあ明らかに盛り上がって見えるからね。
最大限水が引いていれば、通路は見える、ってことだろう。
ただ、安全に通れるのは本当に短い時間だけに限られるようだ。さほど経ってないのに既に先程より目に見えて水位が上がって来ている。
夕方時点で水位は最大より少し減ったあたりで朝に最少になるってことは、もしかしたら半日周期で水位の変動が起きるのかもしれない。
「硬いみたいですよ。泥の深さも足首あたりかしら」
手に持った棒で確認してマデリーンさんが言った。
足首まで埋まっちゃうルート、嫌な階層だな。
現在は盛り上がっている通路だけど、すぐそばに所々深そうな穴があいている。泥で覆われていて見えないが何らかの魔物の気配もした。
「マデリーンさん気をつけて。そこの穴の中とか、深いところに魔物の気配がするよ」
「えぇっ!?」
「落ちてきたやつに容赦なく襲いかかってくる、ってことか」
「鎧とか着てたらすごく危ないですよね」
「前衛職だいたい危ないでしょ。武器がまず重いし」
たとえ短剣でも沈むには充分な重りになるだろう。
「ここまで来たらついでに魔物の種類とかの情報も欲しいな」
「どうする?何か落としてみるか?」
たしかにルドルフの言う通りだね。
私はマジックバッグからミスリルワイヤーを出し、端にメデプワーフを括り付けた。昨日ポチさんにあげたやつよりボロボロなやつだ。
これなら血の匂いもしてかかりやすかろう。
「ライリー、お願い。コレの端っこ持ってこっちのエサを沈めてくれる? 私じゃ掛かった瞬間に持ってかれちゃう」
「ん?ああ」
手を切らないようにリールを持ってもらって、メデプワーフを沈めていく。
泥の底の気配がぬらりと動くのが感じられた。
「来るよっ!」
「くっ…!?」
ぐんっ、と引っ張られ、ライリーがたたらを踏む。
わあ。私じゃひとたまりもなかったね!
「ライリー!」
ウチのパーティで一番力のあるライリーでも引っ張られる!?
慌てて身体強化してライリーを手伝う。
「重っ…ぅっらああぁ!」
ルドルフも加わって、ようやく魔物を引き上げることに成功した。
泥の浅いところへと投げ出されたそのシルエットは、まるで大きなヤシガニのようだった。
…実に美味しそうだ。
蒸し焼きにしたら美味しいかな?…っと。危ない。魔法が発動しかけたぞ。
「ね、コレ焼いていいかな?」
「なんだろうなコレ」
「見たことない魔物ね」
少なくともレコルナス近郊には居ない魔物だ。
「なっ!ブェトディナクラブ!」
マデリーンさんは知ってるようだね。
「知ってるの?」
「王都の海辺の砂地にたまに出るんですよ。結構力が強いので気をつけて!刃もあまり通らないし、割に合わない魔物です」
王都と言ってもルドルフとリィナの実家あたりだと浜辺のほうは生活圏になかったので知らなかったらしい。
つまり、珍しいのか。
「ほほう」
めっちゃ興味深い。
泥に塗れてるのも何だし、ちょっと水洗いしようか。
流水を浴びせると、硬そうな殻に覆われたその全容が現れた。ギチギチ動いてる。
「おい、アルフレート?」
「なんとなんと」
一気に加熱してこんがり焼き上げると、途端に漂う良い香り。
「これはこれは!」
「なんでそんな嬉しそうなんだよお前は」
「だって美味しそうじゃないかー」
「食うのか!?」
「うええぇ虫じゃん!」
リィナやマデリーンさんなどは気持ち悪いといって顔を背けている。
ライリーもルドルフも、フェイも、どうやらみんな要らないらしく。
ありがたくもブェトディナクラブは私のものになった。
「まぁ確認できたし、十七階層へ行こうか」
とりあえず周囲にあった穴二つ分も中身をほじり出してから、私はほくほくとした気分で十七階層へ繋がる階段へと戻ったのだった。
ちなみにこれは危険な魔物の確認行為だよ。
決して食材確保だけが目的ではないのだ。




