046
一日の仕事を終えて、部屋へ戻ってきた。
時が停まっているかのように静か。
窓の外からは街の喧騒も微かに聞こえるけれど、部屋には私一人きり。
普段アルが仕事を終えて帰ってくる時間はだいたいもう少し後みたいだったから、それ自体は珍しくはないのだけれど、今日も彼が帰ってくることはないんだと思ったら、やけに部屋が広く静かに思えた。
「早く戻ってこないかしら」
周囲を見回してアルの痕跡を探しても、彼はいつも全ての持ち物をマジックバッグに仕舞って生活しているものだからこの部屋にも彼の私物なんて殆ど見当たらない。
せいぜい、片付け忘れたカップやペンくらいしか。
それが無性に寂しさを増やしている気がしてならなかった。
お仕着せを脱いでアルのくれた服に着替え、胸元からアルのくれたネックレスを引っ張り出して、それを手のひらで転がしながら眺めた。
小さな石がきらきら光ってる。
子供の頃に見た、母の宝石箱についていたのと同じ、魔力結晶の光。
微かだからよく見ないとわからないけれど、周囲の光を反射したのではなくって石自体が光を放っている。
そういえばあの宝石箱はどうなったのだろう。母から娘へと代々受け継がれてきたのだという宝石箱。
もしかしたら父が隠し持っているか売り払ったかしたのかもしれない。
私が七歳のころ亡くなった母は、子爵家の娘だったらしいのだけど、その子爵家は男児がおらず私が生まれた頃には既に祖父母が相次いで亡くなって家も絶えたそうだ。
二歳上の兄を子爵家の養子として跡取りに、という話もあったそうだが、父が渡さなかったのだという。
兄は今もあの家で父の跡取りとして生きているのだろうか。
とうに家を離れた私にはもう何の関係もないことだけど。
そんなことをぼんやり考えていたところで、視界の端で何か光が明滅を繰り返すのが見えた。
何かしら?
そちらを見てみれば、円盤状の何かが机の上に置かれていた。
どうやらアルのもののようだけど。
たぶん、何かの魔道具。
でも危険なものなんて置いていくはずないから、と思いそっと触れてみた。
『あっ。つながった』
円盤の上に浮かび上がる、人の姿。
薄藤色の髪、青い瞳、美しく整った顔と尖った耳の、エルフ。
「アル!?」
『ちがいます。…えっ、嫌だ、そんなに似てる?』
「…そっくりだと思うわ」
彼の時間を巻き戻せばきっと同じ顔なんじゃないかってくらい。
『えー…うそー、なんかやだー』
とても心外だ、という顔。
表情が豊かでよく変わるあたりが、特にアルに似てるって思った。
『はじめまして。あたし、カタリーナ。たぶんあなたがアルって呼んでるのはアルフレートのことだと思うんだけど、その妹ね』
そう。アルの妹だというその人は、よく見れば彼より幾分か幼い感じがした。
アルは人族の十五〜十六歳くらいに見えるけど、目の前のその人は十三〜十五歳くらい。
たしか七歳下の妹が居る、と言ってたから、この人なのかもしれない。
アルが五十六歳だから、ええと?四十九歳…!?
妹とはいうものの、その外見からは性別はわからなかった。簡素な麻素材の服装と髪が短めなのも一因?
元々アル自身も、男性とも女性ともつかないようなどっちなのか一見わからない顔立ちをしてるから、人族には判別し難いってだけなのかもしれないけれど。
『ねぇ、もしかしてあなたロザリンさん?』
好意を含んだ声。
少なくともアルの妹には疎まれてはいないようで、酷く安心した。
「え、ええ。ロザリンです」
『やっぱり〜!?じゃあなたがお兄ちゃんの言ってたお嫁さんね?』
「ええ。たぶん…?」
どうやらアルは既に家族への報告を済ませていたらしい。
もしかして目の前にあるこれが通信用の魔道具ってことなのかしら。
そんな用途のものをつい先日作ったようなことを言っていたし。
『ねぇ、ロザリンさん、お兄ちゃん居る?』
やはりアルに何か用があって連絡をとろうとしたらしい。
「ごめんなさい。実は昨日から仕事で出掛けているのよ。明日か明後日には帰ってくる予定とは聞いてるのだけど」
『そっかぁ。なーんだ…街のこといろいろ聞こうと思ったのに。残念』
「街のこと?」
『うん。あっ!? そっか、お兄ちゃんじゃなくてもロザリンさんに聞けばいいんだ!』
どうやら彼女は兄の暮らすレコルナスの様子が聞きたかったらしく。
遊びに行くならどんな場所へ行くのか、どんな店があるのか、どんな食べ物を売っているのか。矢継ぎ早に話を次々せがまれた。
彼女のほうが年上のはずだけれど、まさに妹のような甘え方をされているみたいだった。
一度気を許してしまえば妙にぐいぐい懐いてくる。なんだか懐き方までアルそっくりなのよね…。
でもこの子なら義妹としても愛せる気がした。
『う〜ん。やっぱりあたしも行ってみたい! 父さんったら酷いのよ!? あたしだけ街に連れてってくれないの! テオ兄やアリーはもっと小さい頃からよく連れてってたのに! 酷いと思わない? 差別だわ』
家族内での彼の愛称はアリーというらしい。
テオ、というのが、アルの話に度々登場する年の近い兄なのかしら。
「でも連れてってくださらないのは理由もあるんでしょう?」
可愛らしい彼女を連れて来るのを躊躇うのは、多分心配してのことなんだろうと予想はできた。
『昔、アリーが人攫いに攫われたからって言ってた』
「つい先日本人の口から聞いた気がするわねその話」
確か、どこまでなら反撃しても許されるのかが解らなかったせいで抵抗するわけにもいかず、大人しくついていった、という話だったような。
『ねぇ、あたしも今度街に行きたいの。お願い義姉さん、その時協力してくれないかなぁ』
突然、義姉と呼ばれたけれど、悪い気はしなかった。
同じ義妹でもどこかの異母姉妹な義妹とは大違いな愛らしさだわ。
「そうねぇ。私も協力してあげたいとは思うけれど、カタリーナさんは未成年なのでしょう? ご両親も心配しているんだと思うわ」
『うっ…。ロザリンさん年下なはずなのに言うことが大人だわ』
「年下でも人族だから大人よ。未成年のうちは、お父様かお母様の許可が無い限り、ちょっと難しいと思うの。でも許可を貰えたなら、いくらでも協力するわよ」
『ほんとう?説得がんばる。ぜったい助けてよね。あ、そうだ、あたしのことカタリーナじゃなくてケイティって呼んでね』
「ええ。ケイティ」
アルそっくりな顔でお願いされるとなんだか弱い自分に気づいて、それが面白く感じた。
『んふ。マギー姉さんより話しやすいわー。姉さんとあたし、四十九歳離れてて、あたしが生まれてすぐの頃にはもうお嫁に行っちゃっててね。一緒に暮らした記憶もないから、親戚の家の奥さん、ってしか思えないのよね』
笑い方も、似てる。
「たしか、もう一人お兄さんが居るんだったわよね?」
『そうそう。パウル兄さん。兄さんも八十五離れてるからあんまり話もしたこと無いのよね』
アルに似た彼女と話しているうちに、感じていたはずの寂しさはどこかへ消えていった。
楽しくて、話題も広がり、つい長話になってしまって。気づけばもうすっかり日は落ちていた。
『じゃ、実際に会えるのを楽しみにしてるわ。近々来るんでしょ?』
「ええ。アルが帰ってきたら、伺う予定よ」
『待ってる』
手を振る彼女の姿が薄れて消えていき、なんとも不思議な体験はそれで終わった。
アルの実家へ伺う前に何かお土産を用意しよう。
ケイティはどんなものを喜ぶかしら。
なんだか楽しくなってきた。
明日はお休みをいただいてるし、少し商業区のほうまで行ってみよう、と思った。
*
「じゃ、行ってきます」
「危ないとこは通っちゃ駄目よロザリンさん」
「やだゾフィさん。子供じゃあるまいし」
翌日、街へ出かける予定だと伝えると、ゾフィさんがわざわざ見送ってくれた。
アルにも言われているし、もちろん危ない道を通るつもりもない。
少し遠回りだけど安全な大通りを通って中央商業区へ。
目指すは最近人気の砂糖菓子のお店。
ちょっと高級そうなつくりの店舗は落ち着いた雰囲気だったけど、店内はそれなりに盛況だった。
ここのお菓子は手土産によく頂いていたのだけど、実際にお店に来たのは私も初めてで、心が踊った。
美しく透明で大きなガラス張りの陳列棚には、本当にキラキラと色とりどりで輝くような綺麗で可愛らしいお菓子がたくさん並んでいた。
見たことのある商品が何種かと、見たことのない商品もいっぱい。
食べたことのある商品はどれも美味しかったので、ケイティにもこれはぜひ食べてもらいたい。
ああ、そういえば夜に二人で食べるのにもいいかもしれない。
アルもこういうのって食べるかしら?
男性だしお酒が好きだから甘いお菓子なんて食べない?
でも先日作って置いていってくれたアイスクリームというお菓子はすごく美味しくて、そこらの菓子職人なんて相手にならない腕前に思えた。
自分でも作るんだから、甘いものも食べるはず?
ちょっと迷って、アルのご実家への手土産用のと、私たち二人で食べる用に買って、包んでもらった。
砂糖菓子のお店を出たら、次は雑貨のお店へ。
目当てはいい香りの石鹸。
洗髪剤はアルのお手製のものが最高だからもう他所で買う気もないのだけど、石鹸は選ぶのも楽しくて実は集めてる。
今日は美味しそうな香りだね、なんてアルが言ってた蜂蜜の香りの石鹸もそろそろ少なくなってきたし、買い足したい。
あのひと、香水よりあの石鹸の香りが好きみたいなのよね。
あれを使った日はよく私の胸のあたりに顔を埋めたがる。
ケイティには果実の香りが似合うかしら。
石鹸もいろいろ買っていきましょう。
昨日発売されたのだという新作を含む何点か購入したものを包んでもらい店を出ると、お昼も過ぎていた。
ちょっと一休みに、食堂へ。
銀麦亭みたいに宿屋も経営しているお店のようだけど、中央商業区らしく高級店のようだった。
パンと煮込み料理を頼んでみたのだけど、この料理なら銀麦亭も負けてないわねと思った。
午後はアルのものを何か買いたいわね。何がいいかしら。
あのひと格好良いのに服装は飾り気のない簡素なものを好むみたいで、ちょっと勿体ない。
もう少し着飾ればいいのにってたまに思うから、身につけるものを買おうかしら。
もちろんお仕事のときの装備は拘りもあるだろうから、普段着るものにしましょう。
そんなことを考えて悩んだ結果、自然と足が向いたお店は古着屋だった。
古着屋と言っても中央商業区。買い取ってる相手には貴族階級も含まれているのかずいぶん品質が良いようだった。傷みもなく、一度も袖を通してないものも有りそう。
この中では比較的装飾の少なめなもののほうが彼も抵抗ないだろうし似合いそうね。
私を組み敷く腕の長さは多分これくらい。抱きついても揺らがないあの背中はこれくらいだから着丈はたぶん、これくらい。
ひとつずつ彼の特徴を思い出しながら選ぶのは、なかなか楽しかった。
他にも、飛竜革のベルトと手袋、最近流行りの黒い染料で染められたチュニックと、襟に金糸の縁取りのある白い絹のシャツと揃いのクラバット、魔石の飾りボタンをいくつかと、ついでに見つけた藤色のと赤色の飾り紐を購入した。
さて、そろそろ帰ろうかしら。
買ったものをマジックバッグに仕舞って、銀麦亭に向かって歩き出す。
もちろん、危ないところなんて通らずに。
でも長時間歩き回ったせいか、足が痛くなってきて、私は途中で休むことにした。
貴族街との境目にある門前広場でベンチに座り、広場を駆け回って遊ぶ子どもたちを眺める。みんな5、6歳くらいかしら。仲良く遊ぶ姿が微笑ましかった。
親の姿は見えないけれど、昼だし治安のいい地区だからか、子どもだけでも安全みたいね。
こういうところなんて子育てし易くて住むのにいいかも。
数人の子どもたちの中に藤色の髪の子を見つけ、あの人の子が出来たらもしかしたらあんな感じかもしれない、なんてぼんやり考えちゃう。
しばらく追いかけ合っていた子どもたちだけど、そのうち藤色の髪の女の子は躓いて転んでしまい、泣き出した。
怪我をしたみたい。
なんとなく放っておけず、声をかけた。
「大丈夫?」
「い、いたぁい…」
「傷を見せてちょうだい。お薬塗りましょう」
マジックバッグからアルが持たせてくれた塗り薬と綺麗な水を入れた瓶を取り出して、傷口を洗った。
傷を洗ってから塗ってね、と説明されてた軟膏なのだけど、驚いたことに小瓶の蓋を開けて塗った途端に効果が現れて、擦り傷は5分もしないうちに消えてしまった。
…魔法が掛かってたの!?
ウチのあたりでよく使われてる薬だよ、なんて言ってたのを失念してたわ…。
あのひとの言う実家のあたりというのが普通のわけがないじゃないの…!
「お姉ちゃんありがとー!」
藤色の髪の女の子はニコッと笑って手を振り、他の子どもたちのほうへと去っていった。
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