043
※食あたりによる嘔吐・下痢・失禁などの排泄描写と、人質・脅迫描写があります。
「水…」
「クローヴィス、ロニアス、もういいか?」
静かになった藪のほうに声をかける。
「もう少し待ってくれ…また腹が…ゥグ」
「ぅうう」
再び聞こえ始める嘔吐と排泄の音に絶望感を感じる。
ダンジョンの15階層まで2日で辿り着いたはいいものの、かれこれ5日程この階層を彷徨う羽目になり、飲水が底をつき始めたのだ。
飲水は保存の魔法が掛けられた水瓶に入れたうえで、それぞれのマジックバッグに入れておいた。
しかし水瓶でも全員分合わせてもせいぜい30人分の水しか入らない。
6人パーティじゃ5日分だ。
最初の1日は普通の水筒に入れた水で凌いでいたし、時々は腐らないワインを水代わりに飲んで節約していたのだが…。
槍使いのゼップは軽い脱水症状が出始めたし、剣士のロニアスとクローヴィスは下戸でワインが飲めず、水筒に残っていた古くなった水を飲んでしまい、腹を下している。
補給すべき水も無いのに出るものは出る。致命的だ。
ここまで森の再現されたダンジョンなのだから川でもないかと探していたのだが、さすがにそこまで都合よくは出来ていなかったようだった。
水の汲めそうな川も見つからず、雨も降らない。
このままでは…。
嫌な考えばかりが浮かんでくるが、水の流れる音でも聞こえやしないかと思って聴覚強化の魔法を使う。
しっかり習ったわけでもない俺に使える数少ない魔法だ。
聴覚強化と風の魔法と火の魔法くらいしか使えないが、どれも俺を助けてくれるものだった。
クローヴィスたちの排泄が終わってからにすべきだったと後悔しつつ、音を探った。
どうか、お願いだ。このままでは。
「ぁああ…」
「どうしたダリエン」
「あっち…人が居る」
確かにあれはヒトの生活音だった。
「本当か…?」
「そいつと交渉してなんとか手に入れよう…! 少しでも有利に…ダリエン、どっちだって?」
斥候役の短剣使いディアスはこんなときも損得勘定ばかりしている。
「あっち…」
指差した方へしばらく進むと、何か良い匂いがした。
助かった、と思った。
希望が見えた気がしてつい、そちらを目指してしまったのだ。
木々と藪に遮られて姿までは見えない。近づき過ぎたと気づいたのは、狼の唸り声を聞いたときだった。
「それ以上黙って近づくなら攻撃を開始しますよ」
気配すら覚らせず唐突に掛けられた警告の声なのに、俺は安堵してしまった。ああ。ヒトだ。
ぐるる、と従魔らしい一角狼がその傍らで唸っている。
「まっ、待ってくれ! 敵意はない!」
一番先頭を歩いていたもう一人の剣士エリックが両手を頭より上にあげた。
「何の用?」
感情の削ぎ落とされた声の相手が剣を構えたままで問う。
こんな場所まで来れるような実力者だ。多少予想はしていたが僅かな油断すらしてくれない。
剣士らしい相手は女にしては背が高く、その身長の男にしてはやや声が高い。
獣人であれば女でもよくいる身長だが、獣人ではない。
目を惹く異質なまでの美貌からは性別も判別不可能。
かろうじて体型から男なのではないかと推測された。
「用があるわけではないんだ。ここを通ったのも偶然さ。向こうから真っすぐ進んでいたらお前らが居たってだけだ」
ヘラヘラ笑いながら答えたのはディアス。
ここに居たのは双剣の剣士と、もう一人、弓使いの女だけのようだ。
女の足元には寝具にしていたものだろう毛布が転がっていた。
「本当に?」
敵意丸出しで再び問うのは若い女だったが、こちらも中々お目にかかれない美少女だ。
彼女も警戒を緩めることなく矢をつがえた弓を引いた状態だったが。
女の冒険者とは珍しいな。
しかもこれだけの美少女だ。そうそう居ない。
どちらも若く、まるで冒険者になりたての駆け出しに見えた。
一見高ランクには思えないが、油断すべきではなさそうだ。
本当に駆け出しならこんな場所に2人だけで居られるわけがなく不自然なのだから。
「ああ。出会ったのは偶然さ」
ディアスが偶然を強調すると、男のほうの視線が更に冷ややかさを増す。
「ふぅん? 残念だよ。あっちで音がしたとかなんとか言ってわざわざ探してたくせに、それが偶然だと?」
ぞわりと、息も苦しくなるような濃密な殺気を向けられ、そこでようやく失敗を悟った。
知っていて、俺達の目的を探っていたのだ。
それが嘘を言ったことで完全にこちらを敵と見做したようだった。
それにしても、殺気の質が異質すぎる。
一度だけ遠くに見たことのある竜種に睨まれたかのような、既に命がその手に握られているような…。
「最後に聞くね。目的はなぁに?」
答えなければ本当に最後になる。そう思わずに居られなかった。
「だからァ、偶ぜ」
「水を分けてもらいたい! それだけだ! 無理ならいい、すぐに立ち去る!」
この異様さが解らないとでもいうのか、ディアスはまだ偶然を主張しようとしていた。慌ててディアスの口を塞ぎ本当の目的を告げる。
「うん? 水?」
男の殺気は何事も無かったかのように霧散したが、それがむしろいつでも殺れるのだと言っているかのようで恐ろしかった。
「…おい、ダリエン」
「黙れ。死にたくなかったら黙ってくれ」
俺に文句を言いたげなディアスを、青い顔をしたロニアスが無理やり黙らせる。
本来なら、偶然を装って近づき、交換条件か何かで交渉し少しでも有利に水を手に入れるというのがディアスとエリックの立てた計画だった。
けれどそんなことが出来るような相手ではなかったらしい。
「なんだ水か。それだけ? 何に入れればいい?」
「…え……」
「水が要るんでしょ? どこに出せばいいの?」
「わ、分けて貰えるのか…!?」
ああ…。これでロニアスもクローヴィスも死ななくて済むかもしれない。
「分けるっていうか…水くらい、いくらでも?」
そう言って男がマジックバッグから小さな水筒と桶を取出した。
見た目はごく普通のありふれた水筒と桶だった。
その水筒を桶の真上で傾けると、いつまでも水が出続けた。ありえない量の水が。
どうやら魔道具らしい。
「どのくらい要るの?何かいれるもの無い?」
「ぁ、ああ」
呆然としつつ、各自水瓶を取出した。
男が傾ける水筒から流れ続け、次々水瓶を満たしていく。
途中で各自の水筒にも入れてもらい、俺達は夢中でそれを飲んだ。乾いた身体に染み渡る美味さだった。
ロニアスとクローヴィスには冷えた水は拙かろうと俺が魔法で温めたものを与えた。
その後、別に構わない、というので遠慮なくありったけの容器という容器全てに水を入れてもらい、各自のマジックバッグにしまった。
「ありがとう…助かった」
「どういたしまして?……っていうか臭っ! 君ら臭い! 何日そのままなの!?」
近付いたせいで臭ったか、男が仰反る。
「ウッ…すまん。水を節約していたもので…」
ダンジョンに入って7日間、ずっと身体も洗わず服も着たきり。ロニアスにいたっては夜の間に少し漏らしたのかケツの辺りが汚れてる。本人は隠しているつもりなようだが。
この際だ、一旦身体を綺麗にしたり洗濯もしたい、などと考えていたのだけれど。
「なぁ、ウチのパーティ入らねえ?」
「君たちは二人だけなのだろう?」
ディアスとエリックが弓使いの女に早速声を掛けていた。
それが恩人に対する態度か、と腹立たしさが募る。
ディアス、エリック、ゼップの3人は元々俺達とは別の三人パーティだったが、だいたい同ランクということもあり今回このダンジョンに来るにあたって組むことにしたのだ。
しかし、やはりこいつらとは感覚が合わない。
「入らないわ。今が快適過ぎて移る気がしないから」
そりゃそうだ。
誰だって、臭うような有様で彷徨ってる俺達みたいなのより、傍らの良い匂いがしそうな綺麗な男と二人きりのほうがいいだろう。
「駄目かー」
「他をあたってくれるー?」
女はつれなく手をひらひらと振ってディアスに背を向けた。
「リィナ!!!」
ディアスが動くのと、男が警告の声を上げて何かを投げるのはほぼ同時だった。
ディアスはリィナと呼ばれた女に短剣を突き付けて口を塞ぎ、男が投げた何かはディアスのこめかみ辺りを掠っただけで遠くに飛んでいって草叢に落ちたようだった。
「ディアス!?」
「おっと動くなよ。この女の顔にでかい傷が出来るぜ?」
リィナは酷く怯えた顔で男のほうを見ていた。まるで何か懇願しているかのようだ。
男も手を出しあぐねているようだった。
馬鹿な真似を…!
「さっきの水筒寄越せ」
「…無い」
「んなわけねえだろフザケんな」
「無いよ! さっき投げたよ!」
今、なんて?
咄嗟の行動にしても、それは酷すぎやしないか!?
水だぞ!? 生命線だぞ!?
「チッ。お前ら探して来いよ」
ディアスの命令に、エリックとゼップがのそりと動いた。
「お前ら!?」
「わりぃな。俺達はここでパーティ抜けるぜ」
終わった。
俺一人じゃこの状態のロニアスとクローヴィスを連れてダンジョンを出るのは不可能だ。
そう思ったらもう耐えられなくて、俺は膝から崩れ落ちた。
「ディアス、あったぞ」
「ははっ。ツイてるぜ」
ディアスたち三人は人質に短剣を突き付けたまま、離れていった。
ある程度距離が出来たところでリィナを解放したようだった。
彼女は腕を念入りに縛られた状態で、自らの足で帰ってきた。
「…逃げられたわ。一撃お見舞いしたげようと思ったのに勘のイイやつね…。アルフレート、解いて。自分じゃ見えないから」
怯えも動揺も一切なく、大したことは何も起きてないみたいに、縛られた腕を解いてもらっている。
「う、うん。…怒ってる? ごめんね?」
逆にアルフレートと呼ばれた男が彼女に怯えているかのようだった。
「怒ってるわよ! 私が居るのに何で投げたのよ! 危ないじゃない! それに一瞬魔法で撃とうとか考えたわね!?」
「ででで、でも撃たなかったじゃないか」
「それは私が睨んだからでしょ!? 睨まなかったら撃ってたでしょう!?」
「そっ、その可能性は否定出来ないけど…でもリィナなら当たっても防御出来るかなーって」
「お馬鹿! やっぱりそんなこと考えてたのね!? アンタの魔法なんて防げる規模じゃないわよ!? アンタが一番の脅威だったわよ!」
「ごめんって…」
「……まぁ、そもそもしくじって捕まったのは私だし、脅威は去ったからどうでもいいわ。食後のアイスクリームで手を打ちましょう」
「美味しいカフェオレもお付けしますぅぅぅ」
この人たちも巻き込んでしまったんだな…。
「……すまない……」
「うん?」
「大切な魔道具を、俺達のせいで…。すまない」
情けなさで涙が滲む。
「えっ? いや全然大丈夫だから気にしないで? あれはそんな大層なものじゃないよ。私の損害は水筒1個だけでそれも随分使い込んだ水筒だしべつに無くても困らないし。あなたたちこそ大丈夫? 帰れる?」
ぐったりしてるロニアスとクローヴィスのほうを示す。
大変な損害を与えてしまった、と思ったのに、大したことじゃない、と微笑まれてしまった。
こちらの罪悪感を和らげるためという感じでもないようで不思議に思った。
「さっきの三人とパーティ組んでたけど裏切られた、ってことで合ってる?」
「…あ、ああ。元々俺はこの二人、ロニアスとクローヴィスと三人でパーティを組んでいた。アイツらとは人数とランクが丁度いいからって、ここに来るために組んだんだ」
「それは災難だったね。…なんか一泡吹かせてやりたいな」
思い返してみればゼップはともかく、ディアスとエリックは考えなしに水を飲んだりもしていた。
もう少し気をつけていれば、ロニアスもクローヴィスもこんなことにはなっていなかったはずなのだ。
「ロニアス、クローヴィス、すまない。俺がアイツらと組もうと言い出したばかりに…」
「…ダリエン、お前のせいじゃない…ウッ」
口元を押さえクローヴィスが風下の草叢のほうへ這うように移動しようとするが間に合わず途中で吐いた。
「二人、具合悪い? 脱水だけじゃなさそうだね……。リィナ、ちょっと私彼らを診るから、あっちに戻っててくれる?」
「手伝うことは無いの?」
「うん。大丈夫」
「…わかったわ」
ロニアスもクローヴィスもこのような状態をあまり女性の前で晒したくはないだろう。
アルフレートの配慮に感謝した。
「原因に心当たりは?」
「飲水が尽きて古くなった水を飲んだ」
「……食中りか。いつから下してる?」
「二人とも昨日の朝からだ」
アルフレートがその端正な顔を顰める。
「まずいね…。おにーさーん。返事できるー?」
「…う」
「ロニアス!?」
クローヴィスに寄り掛かっていたロニアスはクローヴィスが動いたことでその場に倒れてしまっていたのだが、アルフレートが声を掛けても顔も動かそうとしなかった。
「やばい。この人意識朦朧としてる。ロニアスさんだっけ? こっちの人から診るね…。吐いたもので窒息することがあるから横向きに寝かせてもらえる? 上側になってるほうの片脚の膝を曲げとくと、意識無い人でもその体勢を維持できるよ」
「わ、わかった」
仰向けでぐったりしてるロニアスの身体を横向きにする。
脚を動かした拍子に排泄物が漏れ、強い臭いが漂ったが、アルフレートは何事もなかったかのようにロニアスの様子を診てくれた。
「ちょっと魔法使いますよー」
アルフレートが手をロニアスの腹に当てたかと思うと、ロニアスの苦しそうだった呼吸が穏やかなものになる。
「君は治癒師なのか?」
「残念ながら違うよ。だから詳しいことは解らないし、悪いものの排除と水分補給と諸々の調整くらいしか出来ないけど、とりあえずこれで様子を見よう」
もう一人も、とすぐにクローヴィスのことも診てくれた。
「こっちはクローヴィスさん、で合ってるかな…。返事出来るー?」
「ぅうう」
「あんまり大差ないね…」
ロニアスと同様にクローヴィスの腹に手を当て、治癒してくれた。
「…ありがとう……とても楽になった…」
クローヴィスのほうは意識があり、なんとか喋れるようになったようだった。
「夜が明ける頃になれば動けるようになると思うよ。夜通し起きてたんでしょ? ダリエンさんもクローヴィスさんも、今のうちに寝た方がいい」
確かにロニアスとクローヴィスはこの有様でまともに眠れていないし、見張りが出来る状態ではなかった二人の代わりに起きていた俺は一睡もしていない…。
「だが…」
「君たちが起きるまで私たちが側に居るとしよう」
信用していいのか、などという考えが一瞬浮かんだが、彼の助力がなければどのみちここで死んでいたはずだ。
彼は信じられる。
「頼む…」
助かった、そう思って安心したせいか、物凄く眠かったことに気づいた。
*
「ポチ、ちょっとルドルフたちの方へ行ってくるから、彼らを護っててくれるかい?」
「ワゥ」
「すぐに戻る」
まさかこんな明け方?にあんなお客御一行様が来るとは想定外もいいところだった。
ずっと明るいのに明け方って言っていいのかな…。
もう朝みたいだし、ルドルフたちの朝食の準備がてら話をしておこう。
野営地に戻ると全員起きたところだったようだ。
「おはようございますアルフレートさん」
「おはよー。朝食並べるね」
夜明け前に焼いてたパンケーキ、ルドルフとライリーの皿にはソーセージと温野菜を添え、他メンバーには蜂蜜とジャムの瓶を勧めて配った。
飲み物はお茶とコーヒーとカフェオレ。適当に自分で好きなものを飲んでもらうことにする。
既にリィナが軽く報告していたようなので、私はルドルフにその後の報告と相談をした。
「3人が目を覚ますまでは私がそばに居ようと思うんだ。私はポチと一緒に後で追いかけるから先に進んでて?」
もちろんはぐれないための措置は何重にも取っておきますよ。
作成してあったここのフロアマップにちょっと細工して、現在地と向かってる方向が光の点で表示されるように弄ってからルドルフに渡した。
私が居なくても今日中にこのフロアから降りる階段に着くだろう。
私が追いかける際の目当てにするための魔力結晶をフェイに持っていてもらう。
「テキトーな時間になったら出発しちゃってね。あっ、私の快適キャンプセットは片付けてルドルフが持ってってくれない?」
「それは構わんが…」
「アルフレート…出来るだけ早めに戻ってきてね。具体的にはお昼ごはんまでに」
リィナさん、保存食は嫌なんですね。解ります。
「まぁ、間に合うように努力はするよ」
マジックバッグを探って適当なサイズの箱を取出し、アイスクリームを入れてから、時間の流れを遅くする魔法を掛ける。
魔力結晶も魔石も使ってないので効果は今日1日くらいしかもたないけど、アイスクリームが溶けるのは防げるだろう。
出てくるときにロザリンちゃんに託したのと同じものだ。
「リィナ、約束の品ですよー。お納めくださいな」
お詫びのアイスクリームをリィナに渡してから、急いで先程の場所へと戻ったのだった。




