025
※性暴力被害の示唆、薬物使用未遂、および治療に伴う特殊な身体反応の描写があります。
気がつくと、柔らかなベッドで寝ていた。
いつもの連れ込み宿の硬くて臭いベッドじゃない、わりと高めの宿屋のベッド。
なんだか花みたいないい匂いがする。
昨夜って、そんな上等な男を捕まえたのだったかしら?
外で眠りたくはないし、シャワーくらいは浴びたいし、毎晩最後の客はベッドでヤりたがる男を捕まえて寝床を確保していたんだけど。
傍らに私を買ったであろう男の姿は無い。
シャワーでも浴びてるのかしら。何の音もしないけど。
身体は…血や泥やいろいろなものに塗れたまま乾いていて、不快だった。
光源は窓のよろい戸の隙間から届く微かな光だけしかないから暗くて視え難いけれど、私自身の服はぐちゃぐちゃだった。
身体と同様に所々切れたり擦れたりしてる。もう着れないかも。
あんまりな状態だったからなのか、コートを掛けられていた。
このコート、ユニコーン皮革?
中堅ランクの冒険者が装備に使う素材…。
そこまで考えて昨夜のいろいろを思い出した。
いつも通り、客を取った。
でも、その客がたちの悪い客だったようだ。
しくじったんだ。
あれは客を選び損なった自分のミスだ。
そのうえ薬まで嗅がされそうになって、咄嗟に短剣を奪い反撃した。そこはいい。
でも思うように動かないこんな身体では、結局は激昂した男ごときに右肩を斬られ、棄てられたんだ。
腕さえあれば、簡単に制圧できた程度の男に。
代価に支払ったはずの金までしっかり回収して逃げていった、セコい男。
赦せない。
「ん…」
小さな声が意外な程近くから聞こえて、振り向く。
ベッドの下の床に、その人は寝ていた。
顔は見えない。
淡藤色の短い髪で、長身。
白いコートを着込んだまま、大きな一角狼と並んで床に寝ていた。
「あの…もし起きてるなら、宿の女将さんに桶を貰ってきてくれませんか…」
「わ、わかったわ」
外に出られる格好ではないから、着せ掛けられていたコートをきちんと着て、部屋を出た。
胸とウエストは合うんだけど、ちょっとお尻あたりがきつい。
「あらっ。元気になったのねぇ」
ちょっとふらつきながら階下に降りると優しそうな女性に声をかけられた。
「あの、桶を貸していただけませんか、って、あの人が…」
「あらまあ。ちょっと待ってね…はい、これでいいかしら」
「多分………えっ…!?」
何の意識もせず両手で桶を受け取って、それに驚いた。
すごく驚いた。
「あたしの、右手…!」
ぼろぼろと涙が零れてくる。
「大丈夫!?」
「な、何でもない、です。ごめんなさい」
混乱したまま、ひとまず言われた通りにしようと、逃げるように借りた桶を持って部屋へ戻った。
「あのっ、桶借りてきました」
「ください! はやく!」
急いで手渡した直後に、パシャパシャという音がした。
「げほっ、けふっ…」
吐いてる…?
上体だけを少し起こした体勢で桶を抱えて、咳き込んでいた。
背中を擦っていると、少しは楽になったのか呼吸も落ち着いてきた。
「…片付けてくるわね」
「まって…まだでる…たぶん。…ぅぷ」
言葉通り、とぷん、ちゃぷん、と音がした。
「お水、貰ってくるわ」
「…ん……頭痛い…」
二日酔いかしら。お酒の臭いはしないけど…。
再び階下に降りて女将さんにお水を貰おうと声を掛けた。
「アンタ、ちょっとおいで」
呼ばれてついて行くと奥のほうへと連れて行かれ、着替えを手渡された。
「先にシャワーでも浴びてきなさい」
「あ、りがとう、ございます…でも」
「お水ならアタシが届けとくわ」
「ありがとうございます…」
シャワールームに案内されて独りになって、あらためて自分の姿を見た。
身体中小さな擦傷と切創だらけでゴワゴワになった髪には、血と泥が付いてる。
身に着けているのはアイボリーカラーのコートだけ。靴すら履いていなかった。
脚には不快な汚れがこびりついている。
昨夜のしくじりに腹が立つ。
ああしていれば形勢は逆転できた、こうすればきっとうまくいってた、そんな考えが頭から離れない。
コートを脱いでみれば、もはや服とは言えないボロ布しか身に着けていなかった。
かなり酷い。
でも、腕があった。
夢だったとしたら、なんて残酷な夢だろう。
シャワーを浴びると、身体中の傷がピリピリと痛んだ。
昨夜の失敗の残滓は流れ落ちて、温かい湯に紛れて流れていった。
*
部屋へ戻ると、淡藤色の髪の人はまだ床に横たわったままだった。
眠ってしまったらしい。
私が寝ていたせいでぐちゃぐちゃに汚れていたはずのシーツは綺麗なものに取替えられていた。
床に寝かせておくわけにもいかないし、その人をベッドの上へ抱え上げておく。
仰向かせてみて、驚いた。
なんて綺麗なひとなのだろう。
血の気がなくて青白いけれど、それでも美しかった。
細くて小さな顔。
睫毛が長くて、鼻筋はスッと通っていて、形の良い唇は少し薄いけど、この人にはそれが似合っていると思った。
全部が絶妙なバランスで並んでいる。
そして尖った耳。この人、エルフだ!
たまに見かけるハーフエルフとも違う。
冒険者をしていろいろな所を旅していた時にだって会ったことがなかった。
それが今目の前で苦しそうな表情で眠っている。
靴とコートくらいは脱がせるべきかしら。
脱水状態になりそうだしお水を飲ませるべきかしら。
「あれ…?戻ってたんだ」
眠りも浅いのかしら。
その人は目を覚ましてそう言って、微かに笑った。
「あの、いろいろ助けてくれたみたいで、ありがとうございます」
「んー。大変だったんだよ。昨夜はここも空き部屋がなかったから私の部屋に連れて来ちゃったんだけど、嫌だったらごめんね」
「とんでもない。ありがとうございました。まだ気分悪いですか?」
「もう全部出しちゃったから大丈夫」
それは大丈夫じゃないのでは?
「本当に大丈夫だよ? 視界がおかしいせいで一時的に気持ち悪かっただけだから」
「お水は?」
「飲む。ありがと」
身体をゆっくり起こして水の入ってるグラスを差し出した。
片手で目の辺りを覆い、辛そうにしてる。
上手くグラスを掴めないようだったので、手を掴んでグラスを持たせた。
掌と指の感じが剣士みたい。
「申し訳ないのだけど…」
「はい。何でも言って下さい」
「トイレの扉の前まで連れてって欲しい」
「ええ。動ける?」
「身体は動くんだけど、目眩と頭痛が酷くて。目眩のせいで、真っ直ぐ歩けないのと、視界がぐるぐる回ってるからものをよく見ることができないの。ポチさんも付いてきて」
一角狼が、ガウ、と返事をした。よく見れば従魔の青いタグが付いている。
従魔じゃ文字も読めないしトイレの場所までは理解できないものね。
「ここよ」
「ありがと………まって、ここじゃない」
「トイレ、ここよ?」
扉を示すけど、困ったような顔をして入ろうとしない。
「表示が違う気がする。もしかしてここ、女性用?私、男性。確かそっち側に扉あるよね?」
「ごっ、ごめんなさい!」
慌てて隣の扉の前に案内する。
男性だとは思ってなかった⋯。
顔は美人だったし、ウエスト細かったし。
胸のあたりは少し凹凸があるように見えたし、声だってそれほど低くなかったから。
「ありがと」
そう言って一角狼と共に入って行った。
大丈夫かしら。ついていくわけにはいかないけど。
「ポチさん大変だ! 便器の位置がウスラぼんやりとしかわかんない!」
「ガウッ!?」
「ここ? ここでいいの? 方向合ってる? 本当?」
…意外と賑やかな人のようね。
「自分のチ○コすら見えないよ。全然目標定まらないんだけど。ねえ本当に大丈夫? しちゃうよ!? 今更駄目って言ってもしちゃうからね? …って、誰かいいって言ってよ、もう出ちゃうよ⋯!?」
「…ガゥ…」
………結構、騒がしい人なのかもしれない。
トイレから出て来た彼、は、洗って濡れてる手を手布で拭きながら不思議そうな顔をしていた。
「何かありました?」
「んー。なんか、へん。手を乾かそうと思ったんだけど、全然魔法が使えないんだよ。もう朝なんだから少しくらいは回復してると思ったのに、そよ風すら起きない」
「とりあえずお部屋に戻りますか?」
「うん」
誘導して戻ると、彼は一角狼にルドルフという人を呼んでくるように指示した。
ポチと呼ばれていた一角狼は器用に扉を開けて部屋を出ていく。ベッドの上に座って待っていると紺色の髪の男性を連れて戻ってきた。
「アルフレート? 入るぞ」
「アルフさん、何かあったんですか?」
もうひとり、黒髪黒目の青年も一緒だったようだ。
どちらがルドルフさんかはわからないけど。
この人、アルフレートさんというのね。
朝からバタバタしたせいで自己紹介すらしていないことに気づいた。
「あ、フェイも居るんだ。ちょうどいいや」
顔を向けた方向からすると紺色の髪の男性がルドルフさん、黒髪がフェイさんらしい。
「アルフレート、お前目ぇどうした? 焦点定まってねえぞ」
ルドルフさんはすぐさま異常に気づいたみたい。
「んー。昨夜からなんだけど、頭痛と目眩が酷くてぐるぐる回ってる。今朝吐いちゃった。あと、全然魔法が使えないの。そよ風すら起きないよ」
「アルフさん、頭痛と目眩のきっかけは分かりますか?」
「昨日の夜、いっぱい魔力使っちゃって。その時は軽い目眩だけだったんだけど、朝起きたら悪化してて、魔力も全然回復してないの」
フェイさんが小さく溜め息を吐いた。
「アルフさん。典型的な魔力欠乏症です。これはほっといても回復しません」
そう、断言した。
「なったことないですか?」
「子供のころ何度かなったことはあるらしい。物心ついてからは罹らないやつじゃなかったの?」
魔力欠乏症、はたまに聞く話だった。限界まで魔法を使った魔法使いが陥る状態らしい。
「年齢は関係ないですよ。それは人に魔力を借りないと回復しません。近親者にしてもらうのが一番抵抗も起き難いし最適なんですけど⋯」
「身近に居ないねぇ。他人じゃ駄目なの?」
「他人でも出来ますけど、ちょっと…。魔力を貯めておくうつわって、本来穴開き状態なのを普段は自分の魔力で塞いでいるから貯まっていくんですけど、魔力欠乏症っていうのはその穴を塞いでおく分の魔力まで使ってしまって貯められない状態なんです。一時的に他の人に塞いでもらって、塞げるだけの魔力だけ回復させれば治療完了です」
「ふーん。そういう仕組みなんだ…。じゃ、フェイやって?」
アルフレートさんが可愛らしく小首を傾げて言うと、フェイさんは少し困ったような顔をした。
「アルフさん、僕とアルフさんだと控えめに言ってもかなり魔力の質に違いがあるので、ちょっと抵抗というか反応が大きいかもしれません。どういう反応が出るかは、魔力の質の差にもよりますし、かなり個人差があります」
「うん。わかった」
「魔力が一切無い状態のときしか他人の魔力は入っていきません。うつわの穴を自力で塞げるようになると、自然と他人の魔力は弾くようになるので入らなくなります」
「へー。そうなんだ」
「なんだかアルフさんの反応が軽すぎて不安です⋯」
「ごめん」
「ちなみに僕は以前身体中がぴりぴりして服を着てるのが無理になってしまって、五日間出歩けなくなりました。痒くなる場合もあるそうですし、逆に、ええと、気持ち良い場合もあるそうです」
フェイさんは、魔力欠乏症について丁寧に説明していく。
そして私のほうを向いた。
「…アルフさん、そちらの女性はどういう関係の方ですか? 夜泊めちゃうほど深いお付き合いしてる人ならかまわないかもですが、そういう関係では無いようであれば、少しの間部屋から出て行っていただいたほうがいいようなことが起きる場合もあると思います」
「うん?…ごめん。そういえば私、彼女の名前も知らない」
「マデリーンよ。そういう関係では無いわ。外に出てることにするわね」
「すみません」
部屋の外へ出ると、静かに扉が閉ざされた。
*
魔力欠乏症の治療にどういう反応が出るかは、実際に流してみるまで分からない。さっき一通り説明はしたけれど、アルフさんが本当に理解しているかはかなり怪しかった。
アルフさんは時々ごっそり知識が欠落してる分野とかがあるから、油断ならない。
たぶん今回のも解ってない気配が濃厚。
子供の時分ならともかく、大人だとそこそこの確率でちょっと恥ずかしい状態になっちゃうこともあるらしい。
ここはアルフさんの為にも出てってもらうほうがいいと思ったので、マデリーンさんに部屋の外へ出てもらってから、僕は静かに扉を閉めた。
でも、そういう関係じゃないなら、なんでこんな朝からアルフさんの部屋に居るんですか!?
絶対昨夜アルフさんの部屋に泊まってますよね!?
「とりあえず、竜種皮革は魔力が殆ど通らないのでコートは脱いでください」
「うん」
脱いで無造作に放り投げるアルフさん。
それ一着で一生暮らせる金額するってわかってるんですか。
同じことを思ったのか、苦笑しながらリーダーが拾って畳んでいた。
わりと甲斐甲斐しい人である。
「シャツは?」
「着たままで大丈夫です。じゃあ始めますよ。耐えられなかったら言うか逃げて下さい。いいですね?」
「うん。わかった」
アルフさんはベッドの上にぺたんと座って、なにがおきるんだろ、的な興味津々な顔で僕の掌を見てる。
女の子座り出来たんですね。
どんだけ関節柔らかいんですか。
大丈夫かなあ。
「最初弱めにいきますよ。『塞げ』」
アルフさんのみぞおちの少し下に掌を当てる。
腹筋硬いですね…。
とりあえずゆっくりと魔力を流していく。
「うん…? なんかぞわぞわする…⋯気がする?」
さすが莫大な魔力量を誇るエルフである。
普通の圧力で流した程度では殆ど感知もしないらしい。
⋯予想した通りだけど、全く埋められる気がしない。
「やっぱり駄目っぽいですね。強めます、よっ!」
「ちょっ、ぴりぴり痛い…熱っ…」
「魔力に変化は?」
「ないね⋯」
ならば、と更に強めていく。
もう殆ど全力に近いんだけど、これでも駄目だったらどうしよう。
「ちょっ、痛いって! 全身びりびり! あと、なんか変なトコが変な反応してきてる、なんで!? ぅあ、痛い痛い! 痛いってば! ひぎゃぁあああ!」
僕程度の魔力だとアルフさんに知覚すらされなかったら悲しいなと思ったけど、一応は痛みという状態で感知されてるらしいことに少し安堵した。
あまり高い出力のときは制御が難しいので少し出力調整が雑になってしまうのが難点なのだけど、ちまちまやっててもこちらの魔力が切れてしまいかねないので、段階的に出力を上げていき、最終的には思い切って最大出力で流した。
「に"ゃーーーーー!!」
最大出力にした瞬間、変わった悲鳴を上げてアルフさんは後方へそのまま倒れていった。
「おい、アルフレート?大丈夫か?」
リーダーが声を掛けても返事はない。
「アルフレート?」
「ルドルフ、触らないで…今、…だめ。まだびりびり痺れてる…」
まだ痙攣してる…。
しばらくしてから、アルフさんは大きく息を吐いた。
「フェイ……先に言っといてよ…」
目元を拳で拭いつつ呻くように、アルフさんは説明不足に対して抗議してきた。
「どの程度でどういう影響があるかは互いの魔力の質の差によるって言ったじゃないですか。結局流すまで分からないんですよ」
「痛かったのか?」
「…電流流されたみたいに身体中ものすごく痛かったのと、あと、その…」
視線が下を向く。
言葉を濁してるけど、そっち方面でも影響あったんですね。
「電流ってのが何なのかわかんないですけど、痛みでしたか。あと三分の一くらいの割合で下半身方向にも影響出るらしいです。⋯⋯その場合でも普通はちょっとだけ反応しちゃう程度で済むらしいんですけど、種族差まであるとやっぱりキツかったですかね⋯」
「あ、影響って、そういう…⋯」
リーダーが何かに納得したみたいだった。
「痛いのは了承してたけど、そっちの影響の件は、もっと注意喚起しておいて欲しかった! ちょっとだけとかぜんぜんそんな程度では済んでないんだけど!?」
…ぼかして言ってたせいでアルフさんにはそういうこともあるよとは伝わってなかったみたいだ。申し訳無い。
「アルフさん、もう一回、流しますね」
「やだ!もうやだ!!それ全身痛いんだってば!」
全力で拒否反応を示すアルフさん。また涙目になってる。
「もう魔力が流れないのを確認するだけですよ。流れなくなるまで流さないと結局治らないですよ?いいんですか?魔法使えないままで」
「それは困る…」
「じゃ、おとなしくしてて下さい。流しますね」
アルフさん、小さく抵抗してる。
何なの。そのみぞおちの下をガードしてる手は。
「リーダー、アルフさんの手を退けて抑えてて下さい」
「おう」
「…こ、……こわい…痛いのやだ」
完全に怯えているアルフさんには再度魔力が流れることはなかった。
「もう大丈夫みたいですよ。ちゃんと魔力弾かれてます」
「フェイひどい」
「ひどくないです。⋯ところでアルフさん。アルフさんの魔力って笑っちゃうくらい多いはずなのに、昨日何に使ったんです?」
話を逸らそうと強引に話題を変えてみる。
「その話は、なんていったっけ、マデリーンさん? 彼女を呼んでからがいいかな」
「じゃ、呼びますよ?」
「待って。呼ぶ前にむしろ君たち、一旦出ててくれる?」
着替えたいんだけど、と不快そうに身じろぎしたアルフさんの様子を見て、ようやく僕は『ぜんぜんそんな程度では済んでない』の意味を悟った。
『ぜんぜんそんな程度では済んでない』の程度が本当に想定外だった。
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